パリ──ン!
出会いは、その音から始まった。
これは、体の不自由な少女と、甲子園を夢見る少年の物語。
♢
チームのエース格を誇るピッチャーが、ストレートを投げる。速さは時速百三十キロはあるだろう。
俺は、迷うことなくバットを振るった。芯で捉えた──その感覚はあった。カキーン! と金属バット特有の甲高い音を響かせ、ボールは空高く舞った。
いや、空高く舞い過ぎた。角度は四十五度で上昇し、その勢いはネットの高さを越えても収まりを見せない。まだ、高くなる。
いや、これもう、何もできないでしょ。俺は悪くない。うん。俺は悪くない。調子が良かった俺を恨まれても、それは筋違いだ。そう、筋違いだ。
何度も自分にそう言い聞かせ、俺は空高く舞うボールを見つめた。もう豆粒にも見えない。ゴマだ。あれはゴマだ。しかも、まだ高くなってやがる。成層圏越えるんじゃなかろうか。いや、それはないか。
「日向、何やってんだよ!」
ほけーっと眺めていた俺に、暇な時、たまに野球部の練習を見に来る俺の親友、結弦が声を掛ける。俺はその声で自分を取り戻し、すぐに声を張り上げた。
「取って来ます!」
監督の返事を聞くこともなく、俺はグラウンドを出た。
さて、ボールはどこまで飛んだだろうか。今日は風が弱いから、飛んだ方角は変わっていない筈だ。しかし、学校の周囲は主に住宅街──例に習い、ボールが飛んだ方向も住宅が密集している。事によれば、窓ガラスが割れてる可能性があるかもしれない。
「うわー、割ってたとしたら、優しい人だと良いなぁ……」
内心でうへぇ……と思いながらも、ボールが飛んで行った方向の道をまっすぐ進む。
すると、学校を出て五軒目の家から、三十代後半と思われる女性が顔を覗かせていた。恐らく、あの家にボールは落ちたのだろう。超特大ホームランである。窓を割っていなければ俺天才じゃね!? などと思っていたかもしれないが、あの様子だと悲しきかな、割ってしまったようだ。
「あの……」
「あなたは……もしかして、このボールを投げた人?」
「投げた、というよりは、打ったと言いますか……その、すみませんでした!」
「ちゃんと謝りに来たのなら、構いませんよ」
「いえ、その……俺、今すぐ弁償出来るようなお金を持ってないので、せめて窓ガラスの片付けでもさせてください。十分なお金が貯まったら、弁償もするので」
「そう……なら、お願いしようかしら。娘が家の中に居ますが、あまり気にしないで……」
「いえ、娘さんにも謝ります。音とか、煩かったでしょうから」
「律儀な方ね。それじゃあ、そうしてもらいましょうか」
俺は女性に着いて行き、家の中へと上がった。そして、娘の部屋へと案内されて──その姿を見た瞬間、胸がキュッと締め付けられた。
♢
『俺が──』
いつも、この先の言葉だけが聞こえない。
小さい頃から何度も夢に出てきた、誰か分からない青い髪の男の人。その夢を見ると、たまに涙が流れることがあった。名前も、顔も分からない人なのに、凄く、懐かしくて、虚しい。
小さい頃に後ろから車にぶつかられ、その際首の骨を折って以来、ユイは寝たきりの生活をしている。首より下は、全く動かない。生活は、全部お母さんに任せきりだ。
何年か前から自宅で生活をしているが、それが寧ろ、お母さんに負担を掛けているのではないか、と不安になる。そして、そういうことを思った日に限って、さっきの夢を見る。
もしかして、アタシの王子様だったりして、などとも思うが、こんな状態の自分と結婚してくれる人なんて、いないだろう。
最後に髪を切ったのはいつだったかな。前髪がもう、目が隠れるくらい長くなってきている。除けようにも、手が動かないからお母さんに頼まなければならない。
その時だった。
パリ──ン!
眠気に任せて目を閉じていたユイは、その音に驚いて目を開けた。
「お母さん、今の何?」
「さあ……窓でも割れたのかしら。ちょっと見てくるわね」
洗濯物を畳んでいたらしいお母さんが、畳んでいる途中のユイのTシャツをその場に放置して、玄関の方へと向かった。
しばらくすると、外から謝罪の声が聞こえてきた。その人が多分窓を割ったのだろう。
更に数分経つと、ユイの部屋にその人がやってきた。
──その人を見た瞬間、ユイは胸がキュッと締め付けられた。
すぐそこの高校の野球部のユニフォームを着た、青髪の男の人。その人が、夢の人と一致しているような気がした。
「あの、窓ガラスを割ってしまいました。すみませんでした!」
野球帽を手に持って、頭を下げる青髪のその人。ユイはしばらくその人を眺めて、口を開いた。
「えと、どうやって割れたの? この近く、野球やってるとこなんて、高校しかないよね?」
「いや、その……その高校でフルスイングしたら、予想以上に飛んで……そのまま割れました」
「ほ……」
吐息が漏れた。野球は好きだ。テレビで高校野球を見て、動かないのに腕を振って応援しているような気分になる。バットを振ったことはない……はず。だから、すごくやってみたいという気持ちがある。
「すっごい、何それ超特大ホームラン! うわー、ユイもそんなこと出来たら、スッゴイ楽しいだろうになぁ……」
「えと……ユイさんって、身体が……?」
「うん、動かないよ。小さい頃、車に轢かれちゃってさ。あ、あと、普通にタメ口で話してくれていいよ、ユイ、堅苦しいの嫌いだから」
「分かった。……その、練習があるから、早く窓の片付け終わらせるよ」
「あ、待って……」
ユイは、部屋を出て行こうとする青髪の人を呼び止める。そして、問い掛けた。
「名前、なんて言うの?」
「俺は日向。すぐそこの高校で野球をしてる、ただの野球バカ」
「日向……ありがと。じゃあ、また来てよ。野球の話や学校の話、聞かせて!」
「……」
「また来てやってください。ユイ、こんな状態だから学校にもいけなくて」
「分かりました。部活が忙しいんで、いつ来れるか分かりませんけど……時間があったら、来ます。それじゃあ、窓の片付けするんで」
「付いて来てください。こっちです」
また、会えるといいな。なんか、日向と一緒にいると、胸がドキドキする……今まで感じたことのない、よく分からない感情が、胸を満たす……これが何なのか、知りたい。それに、夢の中のあの人と、日向との関係も……
♢
窓の片付けを終えた俺は、ユイの母親にまた来るともう一度告げて、ボールを受け取って、校庭へと戻ってきた。すると、結弦が話しかけてくる。
「日向、何やってたんだよ」
「いや、まあ、色々あってな……」
「なんだ、どっかの家の窓割って、そこで可愛い女の子とお話しでもしてたのか?」
「……お前、超能力者か?」
「え、マジで? どんな子?」
「ピンクの髪の、可愛い子。体が動かないんだってさ」
結弦に可愛い子を探す趣味があった記憶はないが、その目には驚きが宿っていた。そして、フッと笑って、
「ほら、部活戻らないと、また監督に怒られるぞ」
「怒られたことねーよ、少なくとも個人では」
そう言われた俺は、結弦を校門近くに残して、校庭へと走った。
「……よかったな、日向……ユイ」
結弦のその言葉を聞いた者は、誰もいなかった。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。