その歌声に想いを乗せて   作:送検

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第11話

 

 

 

 

 

 

その日から、俺の中で何かが変わった感覚がした。

 

 

 

 

 

「先生、ここが分からないのですが」

 

授業終了後の10分間。

窓を開けたことにより風が通り抜けるこの教室内で、俺は前の席という特権を利用して比較的目立たない声で数学の先生を呼び止めることに成功する。

しかし、当の先生は驚きを隠すことができなかったのか。

鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まり、その行動が図らずもクラスの注目を集めた。

 

「お、おう‥‥‥どうした初瀬」

 

今まで特に先生に分からないことを聞く───なんて行為をしてこなかったからか、クラスの人間が俺の行動を見てざわつき始める。

そこまで意外だったのか、失礼な奴らだ。

 

「しょ‥‥‥翔大が勉強をしてる!?」

 

おめーは少し黙ってろ。

人の心なんて他人次第でどうにでも変わっていくんだ。

そうだな‥‥‥指図目今の俺はやる気MAXノリノリ状態ってところだろう。

 

先生に分からない場所を尋ね、問題を着々と解いていく。

間違いもあるが少しずつ進歩しているのが分かる。

ああ、こんなことにも気付かずに最上に世話焼いてもらおうだなんて、俺はなんて馬鹿だったのだろう。

 

「勉強楽しい勉強楽しい‥‥‥」

 

「翔大が壊れたぁ!?」

 

失敬な。

本心を言ったのみだ。

アイ・ライク・スタディー。紛れもない今の気持ちだぞ。

 

「ど、どうして‥‥‥あんなに珍回答連発してたのに」

 

「最上に言われたんだよ。地道に努力しないと赤点回避なんて出来ない、てな」

 

「静香ちゃんが?」

 

「おう、だからお前も地道に勉強しろよ?」

 

「う、うん!」

 

未来が閉じていた教科書を開いて国語の教科書を眺めていく。

ペラペラと流し読みをするだけの勉強法は未来の国語の勉強法なのだろうか。

だとしたら、未来が国語を苦手にしているのも理解できる。

流し読みで100点が取れるなら、国語の平均点は100点だ。

 

「漢字とか勉強しろよ‥‥‥」

 

「書くのが面倒だよ」

 

お前の場合読み書きが嫌だから赤点なんだろうが。

国語は範囲の漢字だけ勉強すれば書きはそれなりにできるんだ。

ここが踏ん張りどころだと俺は思うがな。

 

「へぇ‥‥‥」

 

「文章読解だって漢字が分からなきゃ意味だって分からないだろう。先ずは範囲の漢字や言葉の意味を理解するのが肝要だぜ」

 

「‥‥‥分かった!ありがとう翔大!!」

 

礼には及ばない。

今回は俺もそれなりにピンチだからな。

出来ることならこの試練を友人と共に乗り越えたいし、アイドルとしての奴を個人的に応援してもいる。

出来ることがあればの話ではあるが何か手伝えることがあれば手を貸す所存である。

ちらっと机に向かい合って教科書を見つめる未来を一望する。

途端、顔をしかめた未来と目が遭った。

 

「ねえ、翔大?」

 

「ん?」

 

「メロスって怒りん坊だね、たんきだよ、たんき」

 

「ははっ!!!あはははは!!!!」

 

未来の突然の感想吐露に俺の腹筋は崩壊してしまう。

不意の攻撃は反則だ、冗談じゃない、なんてことをしてくれたんだ未来ェ‥‥‥!

 

「わ、笑わないでよ翔大!?」

 

「ちょ‥‥‥待って、未来。タンマ、マジで少しほっといてくれ‥‥‥」

 

未来の顔を見るたびに笑いが治まらず笑い続けること一分。

ようやく笑い地獄から復帰した俺は未来に怒りの矛先を向ける。

 

 

「真面目に勉強しろボンクラッ!!」

 

「真面目に勉強してるよ!!分からないから聴いてるんじゃん翔大の馬鹿ッ!!」

 

「だからってお前‥‥‥メロスが『怒りん坊』って‥‥‥確かに『激怒』してるけどさあ」

 

些か此奴の頭の中は幼稚が過ぎる時がある。

確か、前も軽薄の意味を分からないでいたな。

そういうところだ。

童心を忘れないことも勿論大切ではあるが、言葉のセレクト位は成長してほしい。

じゃないと俺の腹筋が終わる。笑い過ぎて死ぬとかマジで勘弁だから。

 

「じゃあ翔大が教えてよ、なんでメロスはあの場で怒っちゃったのか!」

 

さて、今の今まで笑いこけていた俺なのだが未来の怒りのボルテージは目下進行中である。

そろそろ機嫌でも取るかと重い腰を上げようとしたところ、よりにもよってかなり面倒な質問をしてきやがった。

メロスがあの場で怒った理由など正直どうでもよい。

怒った理由を説明したところでそれは大して役には立たないからだ。

未来の質問にバカ正直に答えるのも建設的ではない上に、未来の怒りは進行中。

その中で何をするべきか───少し考え、俺は話題を逸らすことに決めた。

 

「なあ‥‥‥そんなことで議論ばっかりしてたら大目玉を食らうぞ?」

 

「え、誰に?」

 

お前の仲間だよ。

ロングヘアーの黒髪美少女。

お前にとっての『凄いアイドル』である所の最上静香が仮にこの教室に襲来してみろ。

お前はメロスの怒りよりも最上の怒りの理由を知らなければいけなくなるんだぜ?

 

「いつ、何処で奴が見ているか分かったもんじゃない。真面目に机にかじりついといて損はねえぜ、未来」

 

「あはは、幾ら私でも机には齧りつかないよ〜」

 

「‥‥‥メロスの話をしてたら最上に巫山戯てると思われるってんだよ」

 

少しでもいいから俺の危機感を未来に分けたい。

しかしそんな願いも届くことはなく、少女未来は指を振り得意げな眼差しで俺を見遣る。

 

「ちっちっち、甘いよ翔大は。お風呂屋さんに置いてあるフルーツ牛乳より甘い!」

 

「甘いのはお前の脳みそだろ?おい、聴けよ、頼むから聴いて?俺の話聴いてってば」

 

悪態を吐く。

しかし、未来には効果はないようだ。

気にする素振りを微塵も見せる事はない。

 

「さっき、私は隣の教室で静香ちゃんがいないのを確認した。そして、この休み時間は10分!この短時間の間で静香ちゃんがここにやってくるのは多分有り得ない!」

 

「そんなガバガバ理論で最上が来ないと思ってんのか」

 

「今に見てなよ翔大‥‥‥私の言っていることが正しいと分かるから!」

 

自信に満ち溢れたドヤ顔でそう言われても此方としてはイマイチ信憑性に欠けるのだが、まあいい。

そんなことを議論している間にも時間は過ぎていく。

そんでもって、お前の理論は早速瓦解している。

これは、非常に不味い事態だと思うがね。

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥何をしているの?」

 

ああ、全くもってお前さんの言う通りだ。

俺も何をやっているのか甚だ理解出来んね。

 

「なあ、最上さんよ」

 

「‥‥‥未来、まさかさっきの流し読みがテスト勉強なんて言わないわよね?」

 

「し、静香ちゃん!?いつからそこに!?」

 

割と前だったかね。

俺と未来が雑談をしている最中にドアが開いた音がしてな。

そこで、最上が居たのに気が付いた。

あのロングヘアーを見逃すわけがない。

クラスでもあれだけの綺麗な髪質してる奴はいないからな。

 

「未来も初瀬君も雑談してる余裕があるの?」

 

「おいおい待ってくれよ最上。俺は寧ろ勉強はしてた方だと思うぜ?」

 

俺が未来と同様に扱われているのが非常に腹立たしい。

俺はちゃんと勉強をしている、証拠はクラスの皆が見ている。

ほら、そこのガリ勉メガネくん。頷いてよ‥‥‥って、目を逸らされた。

ナンデ?

 

「さっきまで手が止まってたでしょう?」

 

「俺はロボットじゃない、人間だ。少しくらい話しても良いじゃないか」

 

「赤点予備軍の初瀬君にそんな余裕があれば、の話だけれど」

 

酷い。

まるで赤点予備軍には人権がないとでも言いたげな口ぶりじゃないか。

 

「し、静香ちゃん‥‥‥メロスが分からないよ」

 

「未来、内容を知ろうとするのは偉いけど今回はそんなことしている時間はないの。先ずは、書く。そして、解く。それだけで結構変わってくるんだから、頑張って」

 

「ほら見ろ、俺の言う通りだろ?」

 

「初瀬君は数学を解く」

 

「解けるもんなら解いてみたい」

 

「今すぐ解きなさい」

 

「サー、イエッサー」

 

怒った時の最上の掌握力は凄まじいものがある。

何せ、あそこまで騒いでいた俺と未来がものの数秒で机に齧り付いている。

最上の力、恐るべし。

俺には一生真似出来ない光景である。

 

「でもやる気が出ないし‥‥‥うう、ご褒美が欲しいよ」

 

「褒美‥‥‥とな」

 

未来が何気なく呟いた言葉に、独りごちる。

 

ご褒美。

それは、時として苦手なものに立ち向かう為の特効薬にもなり得る甘美なもの。

その用途は多岐に渡り、今ではなかなか勉強をしてくれない子どもに勉強をさせるための一手になりつつあるその特効薬は未来のやる気を爆発的に上昇させる一手になりつつある。

要は、タイミングだ。

何をするにも一手を投じるタイミングによって効能は変化する。

風邪薬を風邪を引いていない段階で飲んでも意味がない。

特効薬は対象がその特効薬が必要なタイミングを見計らう必要があるのだ。

 

「‥‥‥最上サン、最上サン」

 

「ひゃっ!?」

 

未来に聴こえないように小さな声で最上を呼ぶと、変な声と一緒に最上の肩がビクリと跳ね上がる。

そんなに驚くものかね。ちょっぴり悲しい。

 

「ここはやっぱりあれですぜ。未来にはご褒美を提示した方が良いんじゃないすかね?」

 

未来が赤点回避に近づくための方策を提示してみる。

しかし、そんな俺の訴えも最上的にはNOらしく俺を睨む。

 

「駄目よ、勉強は自発的にやるものなの。目先の餌で意欲を釣っても未来の為にならないわ」

 

「けど、ここでモチベーション低下して赤点取るよりは余っ程マシじゃないのかね?」

 

今の未来に必要なモノは山ほどあるが、その中でも際立って必要なものは結果だと思われる。

どれだけ自発的に何かを行ったところで、結果が出なければその自発が進むことはないだろう。

所謂モチベーションってやつだ。

これがないとイマイチ集中もできないと思うのだが、どうだろうか。

 

「学力の不出来は通知表にハッキリと残る。自発的云々はこれから先、幾らでも植え付けることが出来る‥‥‥そう考えたら、ご褒美も悪くはないんじゃなかろうか」

 

「う‥‥‥で、でも。ご褒美って言っても何を贈れば」

 

どうやら、最上にも思うところはあったらしい。

少しだけ言い淀み、俺に意見を促す。

さて、どう意見を述べようか。

こちとら未来とは友達をやって日の浅い、以前までクレイジーボッチをしていた男なワケなのだが。

未来が好きな物‥‥‥好きな物、とな。

 

「‥‥‥美味しい牛乳」

 

「え?」

 

「まああれだ、乳関連のものならなんでも良いと思うぞ?」

 

少しだけ、思うところがあったのだ。

以前あった習字の授業。

2文字以内で文字を書くという自由課題を提示されたこのクラスの中で、皆がまともな文字を書いていた中で未来は『牛乳』とでかでかと書いていたこと。

わざわざ習字の時間に『牛乳』を書こうとする奴だ。

きっと牛乳含めた乳製品が嫌いな筈がない。

 

と、頭の中で答えを纏めていると何やら最上が自らの肩を両手で抱き締めた。

目は、細められまさに不快なものでも見るような───軽蔑した表情だ。

 

「最低」

 

事実、軽蔑されていたらしい。

ナンデ?

オレ、ナニモシテナイヨ?

 

「邪なことは何も考えてないんだがな」

 

断じてそれはないと確信を持てる。

寧ろ、この状況でそういうことを考える方がおかしいと思うんですがそれは。

 

「‥‥‥」

 

「そのゴミを見るかのような目を止めないか───まあ、参考までに頭には入れとけ、褒美は‥‥‥まあ想いが篭ってれば良いんじゃないんですかね?」

 

「想い‥‥‥か」

 

漸く、最上の目が俺を捉えることを止めて熟考を始める。

顎に手を添え、考え込むその様は理知的でカッコイイが、そろそろ休み時間も終了だ。

他クラスの最上は、そろそろ帰宅する時間なのだが。

 

「初瀬君は」

 

呼び止められた。

今度はなんだよ。

 

「初瀬君は、ご褒美があれば赤点を回避する?」

 

ほう。

俺にご褒美を尋ねるとは、最上もなかなか奇特な真似をしてくれる。

うむ‥‥‥まあ、あればやる気は倍増するがさして欲しい訳でもない。

先程も言ったように、ご褒美は特効薬。タイミングは考えなければならないし、わざわざやる気がある時に無理くり入れ込む必要もない。

 

出来ることならご褒美に頼らない生活を送りたいだろうし、実のところを言うと、ご褒美に依存することはあまりよろしいことでは無い。

何せ、自分へのご褒美───なんて名目で金銭を吐き出すことを我慢できなくなる。

浪費癖は身に付くわな。

 

しかし、そこは堅実で真面目な最上だ。

そういったデメリットも加味して未来の勉強の面倒を見てくれるはず。

それを見込んでのご褒美作戦だ。

未来は勉強に打ち込み、最上は飴と鞭で未来を導いていく。

 

「ま、あればやる気は増える」

 

「そ、そう」

 

至極当たり前だよな。

欲しいもののために頑張るっていう目的が身に付く訳なんだから。

 

「べ、別に初瀬君にご褒美があるとかそういう訳じゃないから。ただ‥‥‥一般論として聴いてみたかっただけ」

 

「知ってる」

 

寧ろ、このタイミングでご褒美を貰えるとか考える奴は相当おめでたい頭をしているだろう。

ひょっとしてお前ツンデレか、そうなんか‥‥‥と最上に心の中で悪態を吐いていると最上が机でぐでーっと溶けかけのバターのようになっている未来に声をかける。

 

「み、未来」

 

「‥‥‥?」

 

「もし、ちゃんと勉強して赤点を回避できたら饂飩を作ってあげる」

 

「静香ちゃんのおうどん!?」

 

「ええ、だから頑張って。ここが踏ん張りどころよ未来」

 

最上の饂飩とはどういう意味なのだろうか。

理解は出来ないが、未来が現在進行形で喜んでいるのだ。成功と言えるだろう。

 

予鈴のチャイムが鳴る。

その音に最上は気が付くと、俺と未来を一瞥して一言。

 

「兎に角、色んな範囲を復習すること。メロスの怒りの理由を何10分も調べてたところで、2点しか取れないんだから」

 

「何時から見てたの!?」

 

「随分前から」

 

最後に一言。

そう言うと最上は自らのクラスへと戻っていく。

時間は2分前。

様子を見に来た割には長話が過ぎてしまったのだろうか───少し早足だった。

 

「でへへ‥‥‥静香ちゃんのおうどん〜♪」

 

「最上の饂飩がそんなに良いのか?」

 

「当たり前だよ〜、静香ちゃんはおうどんを手打ちからやるんだから!」

 

「手打ち!?」

 

そりゃまあ随分と本格的なんだな‥‥‥!

未来が最上の言ってたご褒美に食いつくのも分かる気がする。

最上の‥‥‥手打ち饂飩か。

 

非常に興味を唆るが、無視だ。

最上の饂飩等到底ありつけるものではないだろう。

そこまでの仲ではない。

そこは胸を張って言えるからな。

 

‥‥‥それにしても、褒美か。

確かにあれば嬉しいが、最上は今さっき目の前で『ない』と断言されたし。

未来は明らかにご褒美を享受するタイプだし。

かといって自分へのご褒美なんて銘打ったところで虚しいだけの浪費癖が身につくだけだ。

金はなくなるし、将来的なリターンもない。たったひとつの刹那的な感情に流されてるだけの行動が良いものとは言いきれない。

ソースは俺、何ともまあつまらない男であると断言できるね。

 

まあ、俺としては赤点回避して成績を維持することが最大のご褒美だしな。

ここはもうひとつ、性根入れて頑張って見ましょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間、やるべきことをきっちりこなしていけば時が過ぎるのも早いものだ。

ゴールデンウィーク前の3連休は勉強をするのみであっという間に過ぎ去った。

特に勉強以外にやるべきことがないため、こちらとしては構わないわけなのだがここまで勉強に集中出来るとは思っていなかったのでやや驚きつつ、ゴールデンウィーク前最後の授業を受けていた。

 

国語はそれなりに得意である為珍回答をすることもなく、恙なく授業を終えられた。

問題は、この後に自主的に勉強する数学だろう‥‥‥と自分に気合を入れていると、不意に未来が後ろを振り向き、後方の席に鎮座している俺の目を見る。

 

「明日からゴールデンウィークだね!」

 

「ああ」

 

既に分かりきったことだ。

明日になれば嫌でも黄金週間は俺達を迎えに来る。

 

「ただ、お気楽とはいかんだろう」

 

「うん!勉強頑張りつつアイドルも頑張る!」

 

未来は最上の指導もあってか割と学力が向上しているように見受けられている。

何せ、先程までの国語の授業で範囲の問題をしっかりと回答できていたからな。

やればできる、打てば響く女の子なのだ。

友人として、そんな未来には尊敬の念を禁じ得ないね。

 

「翔大はどっか遊びに行ったりするの?」

 

「‥‥‥ないな」

 

「ええっ!?」

 

「うん、勉強ぐらいだろ」

 

寧ろ、遊びに行くだろう友達がいない。

未来はレッスンだろうし。

最上もレッスンで、かつ俺と遊びに行くような女の子じゃないだろうし。

うん、無理だ。詰みゲーだ。

 

「‥‥‥折角のお休みなのに?」

 

面倒なので無視。

すると不意に未来が俺の肩を掴み、揺さぶってくる。

案の定、面倒なことになっているのは仕方ないことだろう。

 

「勿体ないよ!!少しは外出ようよ翔大!!」

 

「あ゛ー‥‥‥やめてー‥‥‥頭おかしくなるー」

 

既におかしくなってはいるが、これ以上おかしくする必要は何処にもない。

未来に制止を促し、解けたネクタイを整える。

 

「‥‥‥ったく、どうして俺に関係する奴はどいつもこいつも俺を外に出そうとするのかね」

 

「あ、あれ?もしかして怒ってる?」

 

「怒ってない、それよりも行くぞ。早くしないと最上に怒られるだろ」

 

「う、うん!」

 

教室を出ると、広がるのは真っ白な廊下の風景。

時たま見える窓の景色は綺麗で、見応えがある。

そんな光景を見つつ、俺は未来と共に階段を下りて、何時ものように校舎へと向かう。

何時もならここらで最上に会う筈なのだが────

 

 

 

 

 

 

 

 

「いない、か」

 

「いないね」

 

いつも一番にここで待っている最上がいない。

何かあったのだろうか。

もしくは、ただの遅れか。

 

「まあ、いいか」

 

どちらにせよ、ここで未来とはお別れだ。

時間はあるのだが、少しトイレに行きたい。

長引いてしまってさよならも言えないままお別れは忍びないし、ここでお別れと洒落込もうではないか。

 

「未来、ちょっと用があるから先に出るぞ」

 

「あ、うん!じゃあね~翔大!」

 

「お互い、勉強がんばろーぜ‥‥‥おーけぃ?」

 

「おーけー!」

 

最早日常と化しつつある奇妙なやり取りを交わし、俺は学校のトイレへと向かう。

1階のトイレへと向かう間には、多くの施設が存在する。

3年生の教室などは勿論、多目的教室等の普段使うことの少ない教室も見受けられる。

編入して一か月、校内をくまなく散策したわけでもないので新鮮だ。

 

「ふむ」

 

まあ、それは置いといて先ずは御手洗に行くことを敢行。

手を洗い、外に出て、帰宅の準備。

数学の教科書をちゃんとスクールバックにしまっていることを確認し、再び来た道を歩き出す。

2度ともなれば、幾らか新鮮味も消えていく。

1度見たものに興味を持つほど好奇心旺盛なわけでもあるまいからな。

俺の好奇心は、良くも悪くも普通だ。

 

階段に辿り着く。

もう少し先に行けば目的地というところで、俺の視線は声のした方へ移ることになる。

 

「初瀬君」

 

「───おお、最上」

 

数日ぶりの最上だ。

ここで会うなんて思わなかったぜ。

未来が待ってるぞ。

早く行ってやらないか。

 

「それはそうだけど、初瀬君は?」

 

「お前さんは俺を未来のお守りとでも思ってんのか‥‥‥?」

 

「お守りって‥‥‥別にそうとは言ってないでしょう」

 

溜息を吐く最上。

俺と話をするときは決まってため息を吐いてしまうのは俺のせいなのだろう。

見慣れた光景である。

 

「ちょっくら野暮用の帰りだ、大したことじゃねえよ」

 

「そう、てっきり成績不良で呼び出されたのかと思ったのだけど」

 

「馬鹿言え、それは未来と一緒に消化済みだ」

 

階段を下りて目の前まで近付く最上。

それを眺めていた俺。

その姿に、何か思うところがあったのだろうか。

立ち止まり、少し言葉に躊躇った後最上は続ける。

 

「帰らないの?」

 

いや、帰るには帰るけど。

それはお前さんが立ち止まる理由にはならんのではないか?

 

「なら、未来の所まで一緒に帰りましょう?」

 

「えっ」

 

意外だ。

まさか最上が校舎までとはいえ、俺と帰宅を共にしようと言うだなんて。

なまじ犬猿っぽい所も残っているのだ。

まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。

明日はあれか、雨か槍でも降るんか。

 

「聴きたいことがあるの。少しだけ、付き合ってくれない?」

 

「聴きたいこと、とな」

 

「そう、だから未来の所まで───それとも何か用事があるの?」

 

「ない、今から帰るところだ」

 

何を考えていて、何を質問したいかは俺の知ったことではない。

奴が聴きたいことがあるというなら、その質問を聞いて然るべきだろう。

こういうのは、有耶無耶にしたら後で面倒だし。

最上の誘いに乗ろうではないか。

 

「帰るぞ」

 

その言葉と共に、俺は最上の隣を歩き出す。

廊下は右側通行らしい。

掲示板に乗っていた学校のルールを遵守して、俺と最上は歩き出した。

 

帰り道は割と遠い。

俺の入った1階のトイレは割かし遠い位置にある。

曲がり角を2回曲がらないといけないのが、些か厄介である。

 

「この学校は本当に広いんだな」

 

「どの学校もこんな広さじゃない?」

 

「そんなもんか‥‥‥」

 

故郷の中学校は少なくともこんな綺麗で広くはなかったがな。

トイレだって、もう少し近くにあった。

 

「それに、狭いよりかは広い方がいいでしょう。屋上だって解放されてる、悪いことではないと思うけど」

 

「ああ、そうだな」

 

そりゃそうだ。

学校が広ければ、それだけ行動範囲も増える。

何より、屋上がなければ今頃俺の心はストレスマッハだったろうし、こうして最上に会うこともなければ、未来と共通の話題を持てることも出来なかった。

運命なのだろう。

転校先に屋上があって、最上や未来のようなアイドルがいて、そいつらと話すようになって。

福岡にいた頃では、想像することも出来なかった生活だ。

 

「未来から聴いたわ、初瀬君は福岡出身なんだって」

 

「意外だったか?」

 

「‥‥‥少し意外だったかも。初瀬君、福岡の人って感じがしなかったから」

 

「良く言われる」

 

生まれが福岡なくせに、知り合いからそんなことを言われるのは遺憾ではあったが、俺が出会った人全てがそう言うのならそうなのだろう───と今では納得している。

福岡らしさとはなんだろう───と思ってしまうのが、俺を福岡出身っぽく見せない最大の原因なのだろうか。

 

「福岡でも歌は歌ってたの?」

 

「まあ、割かし」

 

お前はどうなんだよ。

昔から歌は好きだったのか?

 

「私は───昔、憧れのアイドルがいたの」

 

「へえ」

 

「その人みたいに歌を歌って、皆を感動させたかった。あの人みたいに皆に元気を与えられるようなアイドルになりたかったから───うん、昔から歌は好きだった」

 

「‥‥‥感動、か」

 

何とも高尚で逞しい夢だ。

動機もちゃんとしてる。

お前さんの持つ夢は、本当に素晴らしいものなのだろう。

心からそう思える。

 

けど、1つ気になるんだよな。

 

 

 

「自分の夢を語るのがそんなに辛いか?」

 

気付いてないか。

今のお前さんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

以前もそうだったな。

弱々しく、目を細めてた。

 

「‥‥‥私は、時間がないの」

 

「夢を叶える為の時間が、か?」

 

首肯する最上。

俺の方───横を見ることはなく、前だけを見て告げる。

 

「親からは受験の間までって言われてる。だから、私は───あのレベルのライブで、満足するわけにはいかない。勿論、褒めてくれたのは嬉しかったけど‥‥‥もっと高みを目指さなきゃいけないの」

 

「‥‥‥そっ、か」

 

アイドル最上のルーツ。

それはとあるアイドルに憧れたという真っ当な女の子らしいルーツ。

けれど、その道のりは決して平坦なものではなかったのだ。

親という壁。

高いレベルをこの歳で求めなければいけない難易度の高さ。

その道が平坦じゃないのは、俺とて理解できる。

 

少なくとも、親から反対される困難を知っている身としては。

 

そんな最上に俺は日常生活で迷惑をかけていたワケだ。

例えば、屋上で練習している彼女に話しかけたり。

はたまた、こうしてテストの心配かけさせたり。

だからかな───いや、絶対そうだ。

俺は自分でも気付かないうちに視線を下に置いて最上に謝ったのだろう。

 

「すまん」

 

「え?」

 

「いや、なんつーか‥‥‥時間がないのに、お前さんに俺は勉強に対しての尻を叩いてもらってる。これは反省するべきだなって、そう思って」

 

それは、俺の誠意である。

嘘偽りはないと胸を張って言えるであろうその謝辞。

けれど、その謝辞は最上の一笑により台無しになることになる。

 

「‥‥‥なんで笑うんだよ」

 

少しクスッと笑みを見せる最上。

その笑みは今までの俺と最上との会話が作った真面目な空気とは程遠く、また俺自身が馬鹿にされたような気さえして、思わずムッとなった。

言葉通りだ。

こんな感情を表に出すのも、久しい。

 

「正直に謝るなんて、初瀬君らしくなかったから」

 

「‥‥‥あのさぁ」

 

らしさとはなんだろう。

分かるのなら教えて欲しいのだが。

反抗の意を唱えようと、口を開こうとする。

しかし、これは最上の一言により霧散されることになる。

 

「好きでやってることだから気にしないで。それに、幾ら時間がないからって、公私の区別くらいちゃんと付けてるから、決して初瀬君のせいで時間がなくなる‥‥‥なんて思わない」

 

「‥‥‥しかし」

 

「しかしもかかしもないでしょう?私が良いって言ってるんだから、これ以上詮索はしない、分かった?」

 

「‥‥‥分かったよ」

 

些か引っかかることはあるが、最上がそう言うのなら、良い。

少し気になったってだけの事だからな。

これ以上引き延ばしにするのも頂けないだろう。

この話は終わりだ。

最上がそれでいいと言うなら、俺はその恩恵をちゃんと受け取り結果で最上に感謝を示すまでだからな。

 

 

 

 

 

それよりも、最上。

お前、俺に何か言おうとしてなかったっけか?

忘れる内に、さっさと言って欲しいものなのだが。

 

「‥‥‥あ」

 

「いや忘れんなよ、お前が言い出した話だろ」

 

だから俺はお前と一緒に未来の元へ向かっているんだ。

じゃなきゃ俺はお前と一緒に帰ることもなかったんだぜ?

 

「───その」

 

俺が回答を急かすと、何を焦っているのか目線が右往左往する最上。

極めつけには目線が下を向いているその様は非常に可愛げがあるのだが、普段らしからぬ故に何かしてしまったのかと不安になる。

 

「最上?」

 

試しに、少し最上を呼んでみる。

すると、最上は少し顔を俯かせて───

 

 

 

 

 

 

 

‥‥‥ご褒美

 

えっ。

 

「み‥‥‥未来に!!未来に『翔大にもご褒美上げればテスト赤点回避するんじゃないのかな』って言われたから!!」

 

おーけぃ、ちょっと落ち着け。

最初の一言が小さすぎて何が言いたいのか理解出来ん。

大体何を言いたいのかは分かるが、もう一度分かりやすく言ってはくれんかね。

 

「だから、一応聞いておこうと思って。初瀬君が仮に赤点を回避出来たら‥‥‥可能な範囲で、その」

 

後は分かるでしょう、とでも言いたげにキッと睨みつける最上。

理解したぜ。

つまるところ、最上は俺の成績に応じて何かをしてくれるらしくて。

可能な範囲、公序良俗に反することでなければ『ご褒美』をくれるってことだ。

 

 

 

 

 

 

‥‥‥未来、お前は神なのか!?

 

いやいやしかし落ち着け初瀬翔大。

相手はあの最上だ。

そして、俺はまだまだ知り合いと呼んでいい程度の友達。

そんな友達に何かを求めるようなことをする程、俺は強欲ではないのだ。

というか要らない───と、俺は最上に対して拒否の姿勢を取る。

 

「別に良いよ、そこまでしてもらわなくても」

 

「え、でも」

 

「その代わり、マジで勉強に行き詰まったら助けてくれるんだろ?」

 

「それは‥‥‥うん、約束だから」

 

ならそれで結構だ。

俺にはそれがご褒美にも近しい行為だと思うがね。

勉強に行き詰ったその時、颯爽と俺を助けてくれるのは可愛い女の子。

これをご褒美と言わずして何をご褒美と言うのだろうか。

 

「それに、モチベーションは目下上昇中だし‥‥‥最上」

 

「?」

 

「お前が発破かけてくれたお陰で少しずつ学力上がってきてるんだ、ホントありがとな」

 

そう、最上は簡単に人に頼ろうとした俺に発破をかけてくれたのだ。

だからこそ、俺は此奴に結果で示さなければならない。

最上が俺にかけてくれて時間は決して無駄ではなかったということ。

そのために、数学等の勉強を真面目にやらなければならない。

そう考えれば、自ずとやる気は増幅する。

勉学に対して前向きになれたのだ。

 

自然と口角が上がる感覚が俺を襲う。

しかし、そんな笑みは挑発して見受けられたのか───最上はわなわなと震え、俺を糾弾する。

 

「ひ‥‥‥人として当たり前のことを言っただけだから!!」

 

だから、それがありがたいって言ってんのに。

本当にわっかんねえな、此奴の沸点。

ひょっとして俺が鈍感なの?

そういう星に生まれてきちゃったのか?

 

「だ、大体そんなことでありがたがっている暇があるなら少しでも数学の勉強をしたら!?」

 

「あーもう説教はやめてくれ!せっかく覚えた公式がお前のせいで消える!」

 

「自業自得よ!馬鹿ッ!!」

 

「馬鹿!?」

 

何を言うかと思えば、なんてことを言ってくれてんだ。

大体、俺の数学の不出来は最近治りつつあってだな。

そこまで傷口に塩を塗るようなことを言わなくたって良いじゃないか。

挙句の果てには拗ねるぞ俺。

 

「おーけぃ、確かに俺は方程式が出来ないような馬鹿野郎だ‥‥‥けど、そこまで馬鹿にしないでくれ、普通に涙を禁じ得ないから」

 

「方程式が出来ないんじゃなくて方程式『も』出来ないんでしょう‥‥‥?」

 

「図星やめれ、心が壊れそうだ」

 

数学、英語、理科。

依然としてこれらの学力は不出来な俺。

そんな俺がこれから先、学力で最上を見返すことは出来るのだろうか?

それは、これからの努力次第───って所かね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、やっと来た静香ちゃん───あれ、翔大?なんで2人とも違うほう向いてるの?」

 

喧嘩してたんだ。

お前も、最上の導火線には気をつけろよ。

割と脅威だから。

 

 

 

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