鬱陶しいにも程がある梅雨が終わり、夏。
道路はジリジリと言わんばかりの暑さで俺や、その他生徒を地獄へと導いていく。
歩いていた時の気分はさながらフライパンに溶かされるバター。
このままでは不味いと思ったわけだ。
勿論、俺とて目先の苦を何とかしない程面倒臭がりな訳では無い。
この地獄のような暑さを何とかするために、行動を起こした。
とある配布物を受け取った時、俺の頭には一筋の電流が走る。これだ、これしかない。そう思った時には既に俺の身体は職員室へと向かっていた。
あれよこれよという間に、当初は難色を示していた学校側も俺の登校事情を考慮してくれたのかOKサインを出してくれた。
おやっさんには連絡なしに行動を起こしたことを咎められたが、それ以外は何も無し。
俺は、この地獄のような暑さに一手を打つことに成功したのだ。
そして、本日。
俺は新しい黒塗りのブツに跨り、ヘルメットを被り、おやっさんに『行ってきます』を言ってから──そのヘルメットを外した。
気分はさながら不良生徒。
高校になら不良生徒の1人や2人居るだろう、気にすることは無い。
『ブツ』を漕ぐことにより起きる風は俺の身体を冷やし、快適な状態へと導く。
そんな特殊な状況下で、俺はありのままの心を叫んだ───
「フゥゥゥゥ!!!!!!」
我、チャリンコ登校に、成功せり。
しかもノーヘルですよ、ノーヘル!!
昨日までのバター状態から回避することに成功した俺は両手で運転することも忘れ、右手でガッツポーズを決める。
嬉しさが爆発し、行動に表れちまったのさ。
それも仕方ない、今の俺には世界が輝いて見えるのだから。
靡く短い髪の毛。
身体中で感じる風。
バター状態回避の高揚感。
それら全ての快楽が合わさり、俺の心は多幸感で満ち溢れる。
そして、そんな状況下で友達に会ってしまえばどうなってしまうのか──それは俺とて分かっているつもりだった。
「あれ、翔大!?」
「よう!‥‥‥お前は今日も徒歩か未来さんよぉ?」
嘆かわしい事だ。
汗も滴る良い何とかとは良く言うが、そういうのが許されるのはイケメンと美女のみだ。
普通なのがそれをやった所で大した効果はない。
ならば、少しでも快適でいられる方策を取った方が良いに決まっている。
「自転車乗ってるよ翔大!狡い!!」
「狡い?ははっ、褒め言葉だね!!こんな状態で歩こうとしてる奴等がイカれてんだよ!!」
折角あの手この手で自転車登校の許可証を貰ったのだ。
その手を使わずして、どうしろというのだ。
逆に使わない奴がいるのなら教えて欲しいくらいだ。
こんな暑いが過ぎるアスファルトの道を登校なんてやってられないだろ。
「お前にもオススメするよ。この暑さ、自転車じゃなくても何とか紛らわす方法を考えることをな」
「うーん‥‥‥保冷剤を身体に仕込むとか?」
「あーいいねそれ!明日から採用!!」
「やった!」
その発想はなかった。
確かに保冷剤を仕込んでおけば服の中はさながら冷蔵庫ではないか。
保冷バッグにスペアを仕込むのも一策だろう──と未来のナイスアイデアにガッツポーズをしていると、不意に未来の底なしの笑顔に影が差す。
どうしたのだろうか。
「でも、翔大。自転車ってヘルメット着用じゃん」
「おう、それがどうした?」
「‥‥‥ヘルメット蒸れそうだよね」
そう言って、両手で頭をポンと叩いた未来の一言に、俺は『やはり突っ込まれたか』と内心苦笑いの面持ちで未来を見た。
遅かれ早かれ、それを誰かに突っ込まれるとは思ってた。こんなクソ暑い日にヘルメットなんかしたらそれまた本末転倒だ。汗をかき、蒸れ、結果的にアスファルトの上を歩くのと変わらない程の汗をかくことだろう。
しかし、その心配は必要ない。
「俺が登校時からヘルメット被る優等生だとでも?」
「ま、まさか‥‥‥」
未来が、まさに驚愕──とでも言いたげに目を見開く。
その光景に、思わず口角が釣り上がる感触を得た俺は、ヘルメットを脱ぎ捨て、カゴに入れる。
頭は、汗ひとつかいていなかったのだ。
「ノーヘル!?」
「へっ、大体こんな時まで真面目くんやってられるかっての。良いか未来、こういうのはオンオフの切り替えが重要であってだな。何処かの真面目黒髪清楚おうどん美人みたいにお堅くいられる程俺は真面目な性格じゃねえんだよ、はっはっは!」
「あ、それって静香ちゃんのこと?」
「イエス!!大体さぁ‥‥‥こんな暑い日に徒歩登校って本当に死ぬから。今日も今日とて真面目な最上サンは徒歩登校だろうけどな‥‥‥それって割とヤバいんだぜ‥‥‥あ、そういや未来は2人乗りとやらに興味が───」
「真面目黒髪清楚──がなんですって?」
そ、れは。
それはですね、深い事情があるんだ。
そこはかとなくその黒髪に清涼感があっていいよなって話をしてたのさ。
暑苦しくて堪らないこの世界に舞い降りた見るも麗しい堕天使。
それがお前だよな──って話をしていたワケであってだな‥‥‥
「徒歩登校がナンセンスね‥‥‥それなら半強制的に初瀬君も徒歩登校にしても良いんだけど」
冗談はその靡く黒髪だけにしてくれ‥‥‥ください。
俺ってばもう自転車なしじゃ生きていけないんだ。
所謂以心伝心って奴で──
「初瀬君?」
「へい」
「ヘルメットを被る」
「そげなアホな‥‥‥」
安寧は、突如俺の後ろに現れた青の悪魔によって終焉を迎え。
その結果、俺の頭は物の見事に蒸れたのだった。
「畜生あの饂飩ヤロォォォォォォ!!!」
「あ、翔大が水道で水被ってる!」
「ガババババ!!!ガババババァ!!!!!」
※
不機嫌の原因は俺の不手際のせいでもあり、本人の不手際のせいでもあったらしい。
休み時間、登校中の最上がやけに顔を顰めているもんだから気になって未来に聴いてみると、驚きの事実が未来の口から伝えられた。
最上、怪我をする。
とはいえ、軽傷らしいためこれから先のライブ等の日程に影響は受けないらしく、暫くの安静とリハビリを条件に、この先の公演等もOKらしい。
『少し挫いただけだから。別に心配要らないわ』
尤も、怪我の具合を聴いた未来も最上にそう言われ、深くは干渉出来なかったらしいが。
今回は俺もそれが正しいと思う。自分のことは、自分が1番わかっている。適度な心配は友人として当たり前のことではあるが、それが過ぎるとお節介だ。
均衡を保つことは容易ではないが、それは人付き合いには欠かせないスキルなのだろう。
友人がさしていない俺には、イマイチ分からない話なのだが。
「とはいえ心配だよ」
いつもの笑顔がなりを潜め、元気溌剌とはいかない未来。
こんな時、コイツが元の元気を取り戻すための特効薬を知らない俺には、その話に相槌を打ちながら言葉を返すこと以外の方法を知らない。
「まあ、お前ら仲良いもんな」
「それもそうだし‥‥‥翔大だって心配でしょ?」
そりゃ心配さ。
人は1日休んでしまえばそれを取り戻す3日はかかるって話だしな。
出来ることなら歩かず、動かず、絶対安静が基本路線っちゃ基本路線なんだが。
「心配っちゃ心配だけど、最上のことだ。ちゃんと考えてやってる事だし俺は口は出さない」
そして、いつも通りに喧嘩して、いつも通りの空気感で話す。
変に気遣いをするのはあまり良くないって、一応分かっちゃいるからな。
「だからお前もいつものお前らしく接してやりゃいいのさ。余計な気遣いなんて考えんな」
「‥‥‥うん」
頷く未来。
これで少しは気を紛らわしてくれると良かったのだが、生憎なことに俺は奴を元気にさせられるだけの弁論を持っている訳でもない。
精々現状維持と現状下降が手一杯な俺にこれ以上未来を元気付けさせることは不可能。
柄にもなくしょんぼりした未来を見つめながら、次の時間のホームルームに向けて、俺は帰宅の準備を始めたのだった。
「さーてお前らー、夏休みが近付いてきて部活をやる奴、勉強する奴、怠ける奴と色んなことを考える生徒達がいるが、お前達は怠けたりはするんじゃないぞー‥‥‥特に初瀬。お前2ヶ月の間に結局部活に入らなかったけど、部活決まってんのか?」
さて。
帰り支度も程々に、数十分もすればホームルームが始まり、ジャージ姿の先生が初っ端から俺に質問を吹っかけてきやがった。
部活に参加する意思も理由もない俺。勿論部活になんぞ入るワケはなく、教師の質問に頭を横に振り、口角を上げて一言。
「帰宅部にしようと思ってます」
「そんなものはない」
即断された。
そして、教師の顔に浮かぶのは鬼の形相。
っべー、っべー、怒らせてしまった──と内心頭を抱えていると、不意に教師が俺の肩に手をやる。
「ふふっ、俺は分かってるぞ‥‥‥初瀬」
「はあ」
「お前が実は‥‥‥野球をやりたいってことをな!」
「はあ」
「俺と一緒に野球部で‥‥‥超積極的野球で頂点を取ろう!そしてタイムリーでガッツポーズ──」
「ないですね」
「即答!?」
はっはっは。
死んでも部活には入らねえからな。
俺は傷心旅行をしに来たんだ。
部活に時間を使うのなら、豊洲で魚を食うドラ猫演じてた方がマシだぜ。
「ッ‥‥‥部活が強制入部なら、絶対に俺が野球部に入れてたってのに‥‥‥!!」
「野球部って‥‥‥別に俺は」
「俺が野球を出来る喜びを教えてやるっていうのに!」
そう言って、おいおい泣き始める先生。
泣かれても困る。
どんなことがあっても、俺は野球はやらないからな。
「‥‥‥兎に角!お前達は赤点取らずにここまで来れたんだから夏休みも勉強に部活に頑張るんだ!それじゃあホームルーム終わり!部活動頑張れよー!」
その一言と共に、生徒達が解散していく。
部活は自由参加であるものの暇を持て余した生徒達の殆どは部活に籍を置いており、寧ろ俺みたいに部活に入っていない奴が少数である。
未来も、アイドルやる前は部活を掛け持ちしていたらしいからな。
尤も、広く浅くであったため、雑用等が大半だったらしいのだが。
ともあれ、これで自由だ。
懐にしまったチャリの鍵を手に掴み、鞄を持って立ち上がると、いつの間にか元気を取り戻した未来が一言。
「あ、待って翔大!」
何だ。
「えっとね、今日は翔大にプレゼントがあるんだ」
「‥‥‥なあ、プレゼントとは言うがお前が俺の何を知ってるってんだ?」
「勿論、ひねくれ翔大のことだよ!」
「お前卒業したら覚えてろな?」
ひねくれ翔大って何だし。
ひねくれてねえし。
「‥‥‥で、俺のことをお知りになさっている春日未来大先生は、この初瀬翔大めに何をプレゼントしてくれってんですかね」
嫌味もそこそこに、そう言うと未来はバッグをがさごそと漁り、水筒を取り出す。
中身が見えていないタイプだ。それを両手で俺の前に差し出した未来は笑顔で一言。
「スペシャルドリンク」
「‥‥‥お前、あれガチだったのかよ」
「ガチ?」
以前、クラスメイトに『スペシャルドリンクを持ってくる』とかいう話を聴いた。
あれから特にそういった話題はなかったため、嘘だったんだろうなと楽観していたらこれだ。
「‥‥‥せめて前日に持ってくるって一言言ってくれりゃ対策の仕様があったのにな」
「大丈夫だよ、多分美味しいから!」
やけに自信満々にその水筒に入ったスペシャルドリンクを推してくる未来。
それだけ自信があるということなのか。それはまあ、結構なことだが‥‥‥
「ごめん、俺‥‥‥人のものはあんまり飲まない主義だからさ」
「大丈夫だよ、別に変なものは入ってないし‥‥‥ほら、口も付けてないから!」
「そういう意味じゃないんだよ。誰が手前の間接キスなんぞ意識するか」
「え、かんせつ?」
「ん゛んっ‥‥‥妄言だ」
おっかしいな。まさかそういう話が通用しないなんて。
未来はこれでも中学2年生の生活を楽しんでいるリア充の部類に入る女の子のはず。
最上というしっかりとした人間もいれば、少なくとも間接キス位の知識は持っているはずだったのだが。
ともかく、これで断るタイミングを逃した。
先程から未来は一向に引こうとしない。
押してダメなら引いてみろという言葉を知らない少女は、遂に俺の顔面に水筒を押し付けてきやがった。
これ以上断ると、何らかの不都合が起こる可能性がある。例えば、揉み合いになっているところをクラスメイトに冷やかされたり、偶然見られた最上に噛みつかれたり。
そんなリスクがある中で、俺は未来の水筒を掴み──それを奪い取った。
「おーけぃ、なら頂こうじゃないか‥‥‥お前の懇親のスペシャルドリンクをな!」
「本当!?」
「うぇーい!2年A組初瀬翔大、逝きマース!!」
こうなったらヤケだと、水筒に入っていた液体を一気に飲み込む。
冷たいドリンクは俺の喉をすり抜け、食道を通り、そして──
舌先に刺激が走った。
「でへへ‥‥‥一気飲みなんて、照れちゃうなー」
「‥‥‥コレ、アナタガツクッタノデスカ?」
「うん!美味しい?」
そうだな。
先ずは1つ聴きたいのだが。
果たしてお前は何を入れたんだ?
色んな材料が入っているのは分かるが、材料と材料が致命的にマッチしていない。
なんで渋い抹茶のような味がした後にレモンの酸っぱい味がする。
どうして、渋いのに炭酸を飲んだ時特有のシュワシュワが口内を動き回っているんだ。
俺は、何を飲んでいるんだ。
「‥‥‥何を入れた」
「冷蔵庫にあったもの全部」
「何品目入れたんですか貴方は」
「そんなのいちいち数えてないよ」
ダメだこいつ。
料理は技術だけでは美味しくならない、というのは分かっているつもりだが、これは気持ち以前の問題である。
基本的な味付けがおかしい。
味と味が喧嘩しているのだ。
とはいえ、折角作ってくれたのに面と向かって不味いだなんて言えるワケない。
悪気があって出してはいない。寧ろ未来の笑顔を見ればその殆どが善意なのが分かる。
こういう時こそ、以前言っていた『気を遣う』ってことをするべきなんじゃないのかね。
「‥‥‥健康」
「え?」
「健康的になった気がするよ。俺ってば不健康な奴だからな。こういうの飲めば減らず口も二枚舌も治るんじゃないかって本気で思う。嘘じゃない、本当だ」
「翔大?」
「とはいえ、流石に劇薬だな。次回は味くらい統一した方が良いんじゃないか?ま、頑張れよ‥‥‥ごちそーさん」
アドバイスも程々に、俺は立ち上がり教室を走り抜けていった。
教室から聴こえるのは、突然俺が抜け出したことによるどよめきにも似た何か。
しかし、それに立ち止まり、反応する程今の俺に余裕はなかったのだ。
俺は走った。
水ではごまかせない苦しみから助けを求めるために。
階段を登った。
屋上へ行けば何かがある──そんな予感がしたから。
「足音‥‥‥え、初瀬君?」
「最上ィ‥‥‥たす、助けて‥‥‥飲み物、飲み物ォ‥‥‥!!!」
案の定、屋上の階段前に最上は居て。
こんな暑い日に何をしているんだと問いたくはなったが、今はそれよりも頼まなきゃいけないことがあって。
乞食と呼ばれようがなんでもいい。
兎に角今の俺は──
「え、あ‥‥‥えっと‥‥‥お茶、飲む?」
「あ゛り゛か゛と゛う゛!゛!゛」
ポーカーフェイスを保つのが、精一杯だったんだからな。
※
「俺さ、最上ってそこはかとなく苦しむ輩に手を差し伸べてくれる優しさが良いと思うんだ」
「はいはい‥‥‥全く、調子が良いんだから」
苦しみから解放されて数分が経つ。
俺は見事に舌の苦しみから解放され、茶をくれた最上に土下座をしながら、言葉という今の俺が持つ唯一の武器で最上を持ち上げる。
廊下のひんやりとした感触が心地良い。尤も、衛生面では心地良いどころか汚らわしいレベルにあるのだが。
「‥‥‥未来のスペシャルドリンクを飲んだのね」
その一言に、俺は頭を上げる。
何と、存在を最上にも知られている程ヤバい奴だったのか。
そして、それを飲ませた赤い悪魔よ。
今度は是非、『味見』をして欲しいものである。
「マジでヤバかった。言葉に形容できないくらい、ヤバかった」
舌が痺れ、頭に電流が走る。
喉に焼けるような痛みがおこり、更に胃に与えられるダメージのような何か。
俺は図らずとも、そのドリンク摂取を一口で止めた。
これ以上飲んだら危険、身体がそう察知したからである。
「けど、差し出された手前‥‥‥何であろうと飲んで、『美味い』って言うのが筋だろ‥‥‥なぁ、親友」
「それで我慢して倒れかけ?変なところで律儀なんだから‥‥‥」
ぐうの音も出ない。
最上の言っていることは当然理解出来る。
無茶して倒れてしまえば、マズいと言う以上に精神的なショックを未来にも自身にも与えてしまう可能性があるということを失念していた。
ため息を吐いて、続ける最上。
そこにあるのは、何時も糾弾する時に見せる鋭い目付きではなく、1人の人間を心配するかのように歪められた最上の表情だった。
「初瀬君。確かにそれは人付き合いとして大切なことだけど、自分の危険を省みないで行う行為じゃないと思うの」
「はい」
「それは確かにお世辞や気遣いは必要だけど‥‥‥人付き合いって難しいものだから。だからこそ、優しさと厳しさ、どちらに傾きすぎてもいけないって私は思うわ」
最上は、そう言うと最後に一息ついて立ち上がる。
時間的にそろそろ帰らなければ行けないのだろう。
スカートに付いた誇りを払うと、うんと伸びをして、自分の荷物を持った。
そんな一連の動きに『ちょっとした違和感』を感じつつも、俺は最上に笑みを浮かべた。
「それでお前みたいな堅物に成るのも、何だかなぁとは思うけど。言いたいことは分かったよ」
「‥‥‥ねえ、初瀬君っていちいち喧嘩を吹っかけないと生きていけない人間なの?」
喧嘩を売っちゃいない。
褒めているんだ。
もう少し、臨機応変に考えることは出来ないかね。
「俺が最上みたいになったら、つまらないだろ」
「私は寧ろそうあって欲しいんだけど‥‥‥」
「そりゃ出来ないな。何せ、俺は今のこの日常が楽しいんだからさ」
現に、今のこの時間は楽しいし。
「楽しい‥‥‥?初瀬君ってそういうことで興奮するような人なの?」
「悪意ある変換やめてくれませんか?幾ら俺が土下座してたからってその変換は悪意があるよな‥‥‥よし、表出ろ最上」
とはいえ、ちょっとした拍子で喧嘩するのは直した方が良いと自分でも思っているわけなのだが。
如何せん俺も最上も売り言葉に買い言葉が得意な方であり、馬鹿にしたり皮肉を返せば、それ相応の辛辣な言葉でしっぺ返す。
それが嫌だってんならセーブしろとは言われるだろうが、言われてどうこうなる問題でもなかろう。
性格なんてものは、そう治んないんだからな。
ただ、そういう時も忘れちゃいそうな当たり前の日常が嫌いじゃない。
俺がどれだけ喧嘩しても最上と話してしまう理由ってのが、それなんだ。
思わず喧嘩を売ってしまった俺だったが、何も実力行使──というほどキレているワケでもない。
2度3度と繰り返される喧嘩に辟易しつつ、ため息を吐いた俺は床に置いていたカバンを持ち上げ、最上に一言。
「さあ、そろそろ帰ろうぜ親友、怪我してやることないからこんなところでぼーっとしてたのは分かるが、どうせならクーラー効いた部屋でぼーっとしてた方が楽だろ、熱中症は馬鹿に出来ないからな」
そう言って、俺は手を差し出した。
その手と俺の顔を交互に見遣る最上。
何をしたいのか、俺の意図が分からないとでも言いたげに首を傾げた。
しかし、その程度で諦める訳にはいかないというのが実情といった所か。
『いつも通り』を意識したって、そういう微細な変化に目敏く反応してしまう辺り、俺も未来のことは言えないのだろう。
「‥‥‥え?」
「足、大事にしろ」
見逃しちゃいないぞ。
足首の怪我を隠すための包帯とサポーター。
何時も澄ました顔をしている癖に、今日に限って歩いている時に顔を顰めたりしたこと。
今、さも普通とでも言いたげな顔をしたって無駄なんだわ。自然な動きに垣間見えた苦痛を、察してしまったんだからな。
「分からなかったか?なら分かりやすく‥‥‥最上が心配なんだ。もし良ければ手を取ってくれないか?」
「なっ‥‥‥あ‥‥‥う‥‥‥」
そう言うと、途端に口元をわなわなと震わせて顔を赤く染める最上。
ふむ、奴にも羞恥の心はあったのか。
こんなことなら未来に付き添って貰えば良かったのに──と考えていると、最上の手が少しずつ伸ばされていく。
恐る恐る伸ばした最上の手が、俺の手に触れた。
一瞬、最上の手がピクリと動く。
硬直したのか。
まあ、どちらでも良い。
俺は伸ばされたその手を掴むだけなんだからな。
羞恥?そんなもの、梅雨の日の相合傘でぶっ壊れたよ。
そう、梅雨といえば。
あれから落ちた拍子にぶっ壊れた傘の弁償で小遣いの一部が吹っ飛んだんだからな?
ライブチケットは諸事情込みで買えなかったし、何かと6月は不幸が重なってしまった。
何がジューンブライドだ。俺は6月に結婚するダンゴムシよりも不幸だったんだぞ。
閑話休題──
「全く、無茶苦茶な奴だ。なんで1人で屋上なんかに行こうとする」
「‥‥‥べ、別に勝手でしょう?」
「そういう所、直した方が良いぞ。怪我とその骨折して折れ曲がった性格も一緒に直したらどうですかね?」
「う‥‥‥」
俺はこの女の子が大っ嫌いだ。
事ある毎に俺に噛み付く。感性が合ったりする時はあるのに、何となく反りが合わない時があってイライラする。
けど、そんな奴でも友達だ。
俺に出来た、数少ない友達だから。
「ほら、びっこ引いて歩いて‥‥‥明日から松葉杖位持ってってくださいな」
「だからそんな大袈裟な怪我なんかじゃ──!」
「ふぇぇ、包帯足に巻いてる女の子が何か言ってるよ‥‥‥痛゛ッ!?おいバカ!!階段で殴りかかろうとすんな!!」
だから、手を引くなんてらしくないこともしてしまうのだろうさ。
「あれ、翔大と静香ちゃん‥‥‥なんで手を繋いでるの?」
「み、未来!?こ、これは──」
「親愛の証だ。ほら、未来も最上と俺の手を繋ぐんだよ。みんなそれでハッピーだ」
「本当!?私も繋ぐー!!」
「未来ッ!」