巨大なデーモンを殺し、武器を奪い、歩いていくうちに鍵をくれた騎士を見つけた。
彼は死を前に未だに絶望をしていない。
その騎士は私に使命の話をした。
私はその騎士の話を黙って聞いていた。
騎士は私に使命を託した。
彼が生涯をかけたものを、こんな私に託すと言った。
見知らぬ騎士に託された使命はそんな空っぽな私の中を埋めた。
自分の意志なんてそこにはなかった。ただ熱を持って語るあの騎士に感化されただけかもしれない。
自分に何もないからあの騎士に歩むべき道を見た。
かつて眩しいと感じたナニカ。
私が欲してやまなかったナニカがそこにはあった。
ただそれだけ。
それが私の旅のはじまりだ。
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ずっと何かになりたかった。何者かになりたかった。
そしてそれは多分あの時から──
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人は本当に望まれて生まれてくるのだろうか。
もしそうなら何故不幸になって死んでいく人間がいるのだろう。
神様は全ての人間を見ているんじゃないのだろうか。
ならなんで母さんは毎日泣いているのだろう。何故言葉を喋ってくれないのだろう。何故俺を抱きしめてくれないのだろう。
生まれ方を選ぶことは誰であってもできない。
そして生き方だって決して自由なんかじゃない。
全てを持って生まれた子供と、何も持たず生まれた子供に与えられる選択肢の数は恐ろしいほどに違うのだろう。
俺は出来ることなら生まれたくなんかなかった。
希望という感情がわからなかった。夜寝て、朝起きたら昨日よりもっとひどい世界が待っていそうで寝ることが怖かった。
満面の笑みを浮かべる者の横では血を吐き呪詛を吐き死んでいく者がいる。
綺麗な靴を履いて、綺麗な服を着た子供の隣には鎖を付けられた奴隷がいた。
知識のある者は無知なものから搾取する。
力を持ったものは持たざるものを守らずただ暴力で支配する。
善意を、人の心を平気で踏みにじり表情一つ変えない者がいる。
そんな世界の歪さが、気持ち悪くしょうがなかった。
母さんが死んだ。最後まで涙の跡が顔にはあった。
可哀想な人だった。そこまで彼女のことを知っているわけではない。
でもなんとなくそう思った。
それからさらに時間が経ちもう食べるものも尽きた。
──こんな、こんなことのために生を受けたのか。
意味なんて何も見出せなかった生。その幕切れは驚く程に呆気なく訪れようとしていた。
無意識に助けを求めた。最後の力を振り絞ったその声は小さく、かすれたものだった。
誰でもいい。誰か
誰か誰か誰か
──ー助けてくれ
「もう大丈夫です。よく頑張りましたね」
透き通る声が聞こえた。
♦︎
自分の醜さなんてものは自分が一番知っている。
私には家柄も血統も意志も力もなかった。
大半の人間が羨ましくて、妬ましかった。逆に自分より不幸だったり、弱い者を見る時に抱くのは同情、そしてその裏に抱くのは小さな優越感。そんな自分を俯瞰で見て、勝手に罪悪感に苛まれるのだ。
そんなどこまでも空虚な愚か者。それが私という人間だ。
そんな時に些細な出来事があった。
今でもそれが本当にあったことなのか疑問に思うことがある。
もしかしたら夢だったのではないのか。そんなことを考えてしまうのだ。
本当に小さなものだった。ただ初めて優しくされて、綺麗な水とパンを貰った。ただそれだけの話。でもそんな劇的でもなんでもない些細な出会いは私の心に一点の光を生んだ。
心根が大きく変わったわけじゃない。
でも初めて変わりたいとは思うようになった。
目指したいと思う場所ができた。
私は私が一番大嫌いだ。何もしようとせず、ただ拗ねて蹲っている餓鬼のような自分が死ぬほど嫌いだ。空っぽで何もない自分が嫌いだ。
だからナニカを求めた。自分を、自分の世界すら変えてしまうほどのナニカを。
見ず知らずの誰かすらも変えてしまうほどの、あの時もらった熱を。
そうしてきっと初めて私は私でいることを誇れるのだと思った。
しかし私にあったのは戦う力だけだった。
他にはなんの才能も能力もない。だから私は剣を取った。
大それた理想もなにもない。
それは理不尽な世界へのほんの些細な反抗だったのかもしれない。
ただあの人のように誰かを救いたいと思った。
かつて救われた私のように。
この世界を少しでも好きになりたいと思った。
だから戦った。血を流した。
血みどろになりながら化け物を、弱者を虐げる強者を殺した。
それは決して幼心に夢見た騎士や英雄なんてものではない、泥臭い戦い方だった。
だがそれこそが私に与えられた力だった。
そうしていくうちに私は初めて仲間を得た。
粗暴な見た目とは裏腹にみんな優しく、そこには笑顔があった。
かつて子供の頃に憧れていた騎士のようにはなれなかったが、私はそれ以上のものを得た。
私に家族ができた。
それは戦場で拾った小さな命。
少し触れただけで壊してしまいそうで、ビクビクしながら初めて抱いた体は羽根のように軽かった。私に全てを委ねてしまっているその存在は、どこまでも弱く、しかし脈打つ心臓は確かに今生きているのだと強く主張していた。
その姿から目が離せなかった。手を握れば弱々しい見た目とは裏腹に力強く握り返してくる。
全身で生きたいと言っているようだった。
なんだ、かつての私よりもずっとずっと強いじゃないか、そう思った。
その輝きがどこまでも眩しくて、私は泣いていた。
愛されたことなどなかった私は愛し方を知らず、ただあの時のように、あの人のように抱きしめた。それが私の知る唯一の温もりの伝え方だった。
泣き出してしまった子供を前にどうすれば良いのかわからず、あの時必死になって作った笑顔は、どうやらみんなには不格好に映ったらしくそれでその後も随分と馬鹿にされたものだ。
本当に楽しかった。
幸せだったのだ。自分以外の人間のことを大事だと思える自分が少し好きになれたんだ。
あの子の身長が伸びることが嬉しい。
後ろをついてくるあの子が愛おしい。
いつまでもボロボロの布切れじゃあまずいだろうと女の子らしいドレスタイプの服を買おうとしたら動きにくいと却下され、茶色い無骨な軽鎧を買うことになった。彼女はそのひどくシンプルな鎧を気に入ったようで、仲間達みんなに見せて回っていた。
「似合ってる?」
少し自信なさげに聞いてきたので、似合っているとだけ言った。
嬉しそうにあの子は微笑んだ。
「ねえ、聞いてよ!あいつらひどいんだから!」
どうやら仲間達からは不評だったようだ。
顔を真っ赤にして怒っていた顔もよく覚えている。
そうやってみんなと頻繁に喧嘩しては、いつもすぐに仲直りしてしまうのだ。
彼女は快活で、よく笑う子で。本当に太陽のような存在だった。
そんな私とは正反対の性格のあの子の姿が私の誇りだった。
全員が笑っていた。
こんな私には分不相応なほどの幸福だ。
この場所を守りたいと思った。
──しかし私は何もわかっていなかった。
人間の心は弱い。
弱いから強いものを恐れる。恐怖は激毒だ。
恐怖は人間を悪魔に落とし得る。
私はそれを誰よりも知っていたはずなのに止められなかった。何もできなかった。
私達は強くなりすぎた。それは諸国が到底看過できないほどに。
首輪の付いていない私達のような暴力装置を恐れるのは当然だろう。
今までは違かったが今後は敵になるかもしれない。
その恐れは今までその力を見て知っていた者達ほど顕著に現れた。
今まで救ってきた人々でさえ俺たちを恐れた。
そんな中、私に不死の呪いが現れた。
不死は忌むべき世界の敵だ。そんな存在が組織にいれば俺達を潰す材料になる。それだけは避けたかった。
だから私は仲間達の安全を条件に軍に自主的に降った。私が身を差し出すことで守れると思ったからだ。
これでよかったんだ。そう思った。あの子が泣いて私に手を伸ばす。
もう子供とは呼べなくなったその成長した姿で、初めて会った時のように泣きじゃくっている。
心苦しかったがそれでもいつの日か乗り越えてくれるはずだ。
今日のことも過去になり、笑える日が来るだろう。
そしていつの日か誰かを愛し、家族を得て幸せになって欲しいと思う。
もう2度と会うことは叶わないだろうがそれでも私は幸福を願った。
──しかし現実は常に無情である。
拘束された私の目の前にはいくつもの首が並んでいた。
私の知っている笑顔ではなく苦悶の表情を浮かべているそれらは、どれも私の知っている者たちの首だった。
そして────ああ、嫌だ、嘘だ
そんな馬鹿なことがあってたまるか。
あの子の首もそこにはあった。
もう2度と会わないと覚悟を決めた。
その覚悟はこうして最悪な形で裏切られた。
酷く気持ち悪かった。急激に現実感が薄れてくる。悪い夢なら覚めて欲しいと幾度も願った。
こんなことがあっていいはずがない。
ぐるぐると思考が回り続け現実を否定する材料を探した。だがそんなものはどこにもない。
私は吐いていた。自分の胃の中のモノをぶちまけて、それでも気持ちの悪さは無くならず、吐瀉物には血が混じる。
心から悪夢であって欲しいと願った。
夢ならばいつか覚めるから。
頭が痛い。ただ頭が割れるように痛かった。
溶けるように熱かった。脳味噌が直接焼かれているようだった。
だがその痛みだけが私を正気でいさせてくれた。いや、いっそのこと狂ってしまえれば良かったのだ。だがそうはならなかった。
今もなおガンガンと鳴り響く痛みは今目の前にある地獄が正真正銘の現実であることを教えてくれた。
膝をつき空を見上げた。
大声で喚き散らせればどれほど良かったか。
抑えきれない感情が震えとなってあらわれた。
今までずっとこんな未来のために剣を振るってきたのか。
そう思った時、私の心の何処かが壊れた。
人間は美しいものだろう。そのはずだろう。
弱くても、その本質はきっと美しく優しいもののはずだろう。
あの日私ははじめてそう思えたんだ。
だから今まで戦ってこれた。
その結果がこれだというのか。
下衆の笑う声がする。ゴミ共が何かを囀る。
もうその言葉の意味も分からない。
違う。こいつらは彼らやあの人とは違う。
私は不死の化け物になったが、こいつらはそれ以下のただの畜生に成り果てた。
私の目に映るのはただ醜悪な化け物だった。
私は....俺はこいつらを──
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そこからは記憶がない。
私はそのあとどうしたんだったか。
わからない。思い出せない。
まあ今牢獄にいることがその答えだろう。
しかしそれももうどうでもいい。
私は何も出来なかったんだ。
救えなかった。顔の見えない誰かどころか、手の届く仲間も、こんな私を父と呼んでくれたあの子さえも。
最初はただあの人みたいに誰かを救いたかった。
あの日、戦場で、血の匂いが色濃く残った凄惨な場所であの子は俺の手を握った。俺の目をしっかりと見つめ返した。その輝きを俺はもう2度と見ることはないのだ。
全てを守ろうとして、全部失った。本当に私の人生は何だったのか。自嘲の笑みが溢れた。
はじまりからして借り物の意志だったのだ。
私自体は何も変わっていない。ただの自分にも力があると勘違いしたガキだ。
どんな言葉を尽しても謝ることなどできない。
彼らはきっと俺を恨んでいるだろう。
あれから何度も夢を見た。夢の中で首だけになった彼らは俺のことをただ見ていた。
罵って憎しみの言葉を吐いてくれることを俺は望んだ。だが彼らは何も喋らなかった。
結局俺はあの頃から何もできないガキのままで、余計なことをして悲劇を生んだだけだ。
もう──疲れてしまった。
♦︎
どれくらいの時間座っていたんだろう。
いつの間にか私の体は干からびてしまい、もうとても人間には見えない。
記憶は薄れ、摩耗した。
もう思い出したくないから、考えるのも嫌だから自ら忘れたんだ。
だがそれでもいくつか決して忘れることのできなかった記憶がある。
いっそ全部綺麗さっぱり忘れてしまえればよかったのに。
♦︎
数百年の時が過ぎた。
もうほとんどの記憶がない。
自分が何者だったのかすら思い出すことはできない。
それでも忘れられないこともある。それはもう一種の呪いだった。
壁に苔が生えてきた。それをただじっと見ていた。
苔むした壁にヒビが入った。それを私はただ見ていた。
やがてヒビは蜘蛛の巣のように広がり所々に穴すら空いていた。
体は完全に干からび亡者のようになっても私は死ぬこともできず、狂うことも出来なかった。
完全に忘れることも、死ぬことも、狂うことも許されないとは本当にどこまでも世界は残酷だ。
──どさりと、何かが落ちる音がした。
緩慢な動作で音の方向を見れば鍵を持った死体があった。
天井の穴からは見知らぬ騎士がこちらをのぞいていた。
後編に続く。
リアルが大変で更新が死ぬほど遅くなりました
今回オリキャラの名前とか色々考えて結局出すのやめたりと色々難産でした。
タイムリープ主人公とか並行世界の記憶とか最初は盛りだくさんの予定だったのですが全部ボツにして本当に良かったと思います。
なんにせよ更新できてよかったです。もうちょいよろしくお願いします。