遠き旅路   作:土星土産

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火防女 アナスタシア


〈火防女とは篝火の化身であり
捧げられた人間性の憑代である
その魂は、無数の人間性に食い荒らされ
不死の宝、エスト瓶の力を高めるという 〉






灰の火防女

──かつてこの地には神がいた。

世界は火で照らされ全ての物に平等に生と死が与えられていた。

 

しかし今は火も陰り、世界の各地に残滓のように篝火が点在するだけ。

 

美しかった世界は形を変えた。

 

 

──かつて彼女は人だった。

誰よりも神を信じ、全てを捧げた。

 

そして神によって、あるいは自ら進んで暗い牢の虜囚となった。

 

美しかったその衣装は灰にまみれ、皮膚の下には悍ましい人間性が絶えず蠢く。聖女だった彼女は人ですらなくなっていた。

 

 

彼女が信じた神に与えられた任は永遠に篝火を守り続けること。

 

最初に彼女は足を切られた。

 

火防女に自由など必要ないのだから。

 

次に彼女は舌を抜かれた。

 

ただその神の名を口にしないように。

 

 

 

 

誰も彼女に関わろうとしなくても、彼女は祈りを続けた。

不死たちに救済を。ただ閉じられた暗い檻の中でそれだけを願った。

戦う力もなく、ここから動くこともできない己にはそれしか出来ないのだからと。

 

しかしいつ終わるとも知れぬ孤独な時間はゆっくりと、しかし確実に彼女を変えていった。

 

いたずらに過ぎ去る時の中で精神は摩耗し、いつからか見送った不死達が帰らなくなることにも慣れを覚えた。

 

それでも祈りをやめることはなかったが彼女の心は徐々に硬くなっていった。

 

あれこれ考えることにも疲れた。彼女の心も意思も使命には必要ないのだ。

ただ火を守るためにそこにあればいい。それこそが彼女に世界が求めた姿だったのだから。

 

──そのはずだった。

 

 

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私がまだアストラにいた頃、見ていた世界は美しく優しかった。

信じるものがあって愛してくれる人達がいて、いつまでも太陽の導きが私たちにはあるのだと信じて疑わなかった。

 

だからだろう。私にも出来ることがあるならと巡礼に旅立った。

 

どこまでも幼く、愚かしい選択だった。

共について来てくれた者達は皆惨たらしく死んだ。

 

今でも彼らの最期に浮かべた表情が脳裏に焼き付いて離れない。

 

眠れば悪夢が待っている。

もう何日も寝ていない。これは私に与えられた罰だ。

 

誰かを救う力などないくせに聖女ともてはやされ良い気になって。

あまつさえ他者の犠牲の上に私だけが生き残った。

 

 

 

今となっては私の居場所はこの狭い檻の中だけ。

ここから見える景色だけが今の私の世界だ。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

この任に就いて随分と月日が流れた。

ここから見える景色は変わりはしないが、ここには多くの不死が来る。人間の世界に居場所がなくなり、その多くは暗い表情を浮かべながらここを最初に訪れる。信じていたものに裏切られたであろう彼らは死ぬ自由すら与えられず、この地に放り出される。その辛さはきっとその当人にしかわからないだろう。

 

 

不死たちに帰るべき故郷は既にない。彼らは永遠にあてもなくこの世界を彷徨い続ける。それはどこまでも残酷なことだと思う。

だからだろう。誰もかれもが寄る辺を探すのだ。

 

力尽きた時、彼らはこの炎から再び生まれる。

彼ら不死者の骨を糧に篝火は燃え続ける。

この場所が彼らの新たな故郷となれれば良い、火を守ることが少しでも彼らの救いになれば良い。そう願った。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

大半の不死は初めから思いつめた表情を浮かべている。

そしていつか心が折れるか亡者になる。

この消えかけた火のみが残る世界で希望を持ち続けるのはなによりも難しい。

 

 

しかし、例外もいた。彼ら、彼女らは何かが他の大半の不死とは異なっていた。不死者にとって未来とは希望ではない。時間とは無限の牢獄で、未来とはいつか訪れる絶望だ。

 

しかし、それでも稀に諦めを拒絶する者が現れる。

 

 

 

届かない光にそれでも手を伸ばした聖騎士がいた。

 

 

 

己の犯した罪に苛まれながらも、誰かを救う道を選んだ魔術師がいた。

 

 

夢を抱き、そのために愚直に進み続けた鉄の騎士がいた。

 

 

中には己のために他者を殺し続ける悪人だっていた。

 

 

それぞれ目指している場所はきっと皆違かった。それでも皆一様にその目に強烈な熱を灯していた。そしてそれはきっとかつての私が持っていて今の私にないものだ。

 

彼らは自らの目で前を見据え、自らの足で地面を踏みしめ、そして動かなくなるその日まで戦いを続けるのだ。

 

火防女の任は愚かな私に与えられた罰であると同時に私の使命だ。

私はこの役割に誇りを持っている。

 

しかし何故だろう。彼らを見ていると心がざわつくのは。

 

自らの力で道を切り開くその命の輝きに魅了された。

 

そして迷いなどないかのように進むそのあり方をみて、眩しいと感じてしまうのだ。

 

彼らはやがて各々の目的のためにここを発った。

また顔を見せると言って出て行った者もいた。

 

──しかし例外なく皆ここに帰ることはなかった。

 

目的を果たしたのか、それとも志半ばで倒れたのかはわからない。

 

私が羨んだその輝きは皆いずれ私の前から姿を消す。

 

何度も何度も繰り返されてきたことだ。

 

そしてその度に心が冷えていった。

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

私と同郷の騎士が訪れた。

彼は本当に純粋なまでに火継ぎの使命を追っていた人だった。

彼も確かな熱を宿した人だった。

 

しかしその人間性はもうすでに限界が見えている。

 

かつて使命を果たせず散っていった不死と彼が重なる。

 

 

 

 

彼は旅立った。

 

彼に祈りを捧げよう。

 

私にできることは彼の帰る場所を守ることだけだ。

 

 

 

 

──しかし彼が帰ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

 

あれからしばらくしてある日一人の不死人がここにきた。

見たことのない風貌だった。

 

また新たにこの地を訪れた者だろうか。

 

彼は今まで訪れたどの不死とも違った雰囲気だった。

──まるで人形みたい

 

それが彼を見たときに抱いた印象だ。

瞳は伽藍堂のようで、どこを写しているのかも不明瞭だった。

 

 

()()の持っていたような輝きは彼にはなかった。

 

それどころか放っておいったらそのまま消えてしまいそうで、

何故かそんな彼が気にかかった。

 

彼は私の居る檻の前まで来ると腰を下ろした。

 

彼は何も言わなかった。

 

ただそこにいて、私に何も求めることをしなかった。

 

それが今の私には心地よくて。

 

その日は久しぶりに眠ることができた。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

彼は不思議な人だった。存在が希薄で、熱も感じず、すぐ亡者になってしまいそうだった。 しかし彼は強かった。その体のどこにそんな力があるというのか、決して心折ることもなく戦い、最後には必ず帰ってきた。

 

 

彼は何度も何度もここを出て冒険をした。そしてその度にここに帰ってきて何事もなかったかのようにいつもと同じように私の元に来るのだ。

 

 

そんな暮らしが何年か続いたころだった。

 

 

上の鐘が数十年ぶりに鳴った。

 

 

それを成した者にきっと全ての火防女が希望を見出したはずだ。

 

しかし同時にそれを否定する気持ちも抱えている。

 

──もしかしたら

 

そんな淡い期待はいつも裏切られて来た。

 

見送った不死はいつだって帰って来なかった。

 

何度も何度も愚かしいまでに同じことを私は、私達は繰り返している。

 

それでは彼らは一体何のために戦っているのだろう。火防女として持ってはいけない疑問が顔を出す。

 

 

──ふと地面を踏みしめる音が聞こえる。そこにはいつもよりもボロボロになった彼がいた。

 

彼が鐘を鳴らしたのだ。そう直感的に理解した。

 

彼の雰囲気はいつもと少し違っていた。

面白い男とあったと彼は言う。

その男とともに塔のガーゴイルを倒したのだと。

その人が彼に影響を与えたのだろうか。

 

 

 

彼は火防女の魂を私に持ってきた。

不死教区で眠っていたと。

彼女は──この魂の持ち主だった火防女は最後まで信仰を捨てることはなかったのだろう。その魂はとても美しかった。

 

火防女は人間性の憑代だ。 その魂は肉体が死しても解放されることはなく、永久にとらわれ続ける。だからこそ火防女は魂になっても不死の使命のために使われることを望む。彼女もきっとそれを望んだだろう。

私たちが人として死ぬことができるようになるのは火継ぎが成された時だけなのだから。

 

 

私は火防女の魂を彼の不死の秘宝──エストに捧げた。

 

私は彼の戦う理由を知らない。彼に命の輝きを見たわけでもない。しかし彼の中で何かが変化している。私はどの不死とも違った彼の未来に、一縷の望みをかけてみたくなった。

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

黄金の鎧を身につけた騎士が帰ってきた。

彼は上の鐘を鳴らしに行って捕らえられていたという。

 

彼にはどこか恐ろしさを感じる。普段は物腰も柔らかいがたまに危険な雰囲気を漂わせることがある。

私には彼が何を考えているのかがわからない。

 

そこには“彼”といる時のような安らぎはなかった。

 

しかし彼も篝火を使う不死の一人。

この篝火を寄る辺としてくれるのなら何より嬉しいことだと思う。

 

火は全てのものに等しく与えられるべきものなのだから。

それが善人でも悪人でも。

 

 

 

彼はふとしたときに何かを思い出すかのような、懐かしいものを見るかのような視線を私に向けることがある。

 

 

 

ここに来る人は皆何かを抱えているものだ。彼に何がありここに居るのかは私の考えることではない。しかしその視線を私は忘れることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

”彼“が私に話しかけてきた。

 

彼の声を聞くことは滅多にない。私は返事もできないので彼が一言二言口にするだけで終わることが多いからだ。

 

普段の鉄面皮ではなく、どこか楽しげな表情だった。

 

彼は下の鐘を鳴らすために最下層を通り病み村に降りたそうだ。

そこで呪術の師を見つけたのだと言う。

 

普段感情を感じさせない彼のその楽しそうな顔を見て嬉しくて、どこか切なかった。

 

彼は確実に変わっていっている。それはきっといい方向に。

しかし素直にその変化が喜べなくなっている自分がいる。

 

 

私と同じように空虚だった彼に私は安心を得ていた。

 

でも空っぽなのは私だけだった。

 

私だけがいつまでも変わらないでいる。

誰かを羨望することしかできない浅ましさは何も変わっていない。

 

彼は立ち止まらないから、いつの日か置いて行かれてしまいそうで。

 

本来火防女に感傷など必要ない。

勝手に期待して勝手に傷付いて、そんなことを今まで何度経験してきたというのだろう。

 

それでも抑えることのできないこの感情はなんなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

もう一つの鐘が鳴った。鳴らしたのは彼だという確信があった。

 

本当に彼は世界を救ってしまうのかもしれない。

この呪われた世界を。

 

 

 

 

 

ふと、檻の中に影がさした。

 

見るとそこにはあの黄金の騎士──ロートレクが立っていた。

 

 

 

「あんたには本当に世話になった。」

 

 

 

彼が短く言葉を口にする。

その言葉の意味は彼の纏う空気が教えてくれる。

 

私がそれを感じ取ったことに気づいたのだろう。彼はまた口を開く。

 

「……落ち着いたものだな。」

 

たとえどれだけ泣き叫んでも結果は変わらない。

これが私に定められた運命なのだろう。

ずっと覚悟はあった。火防女とはそういうものだ。火防女同士は会ったことがなくても常に存在を感じている。そしてある日急にそれが消えることがある。

それが火防女の死だ。

 

あの不死教区の火防女のように私も魂だけの存在になるのだろう。

 

 

「すまないが、私のために死んでくれ。」

 

ショーテルが振りあげられ、確実な死が目の前まで迫る。

 

 

()はいつだってここに帰ってきてくれた。きっと今回もボロボロになりながらも帰還するはずだ。その時に私の死を知って彼はどう思うだろうか。少しでも悲しんでくれるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

……ああ、一つだけ未練があった。

 

 

 

 

(──あなたの辿り着く先を見てみたかった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──視界が赤く染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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