〈彼は孤独の中で女神の寵愛を信じ、そのために全てを捨てた〉
随分と彷徨ったものだ。
ここの奴らはみな既に狂っているかいずれ狂うかの差しかない。
正しさや正義なんて言葉はとうに忘れ去られた言葉だろう。
正気と狂気の間、。地獄の淵。そう表すのにふさわしい世界だ。
私も既にどこか狂っているのだろう。
だがそれでも人の世よりは幾分か居心地がいい。
死んでも蘇らないくせに正気のままで殺し合うあの世界はここよりもよっぽど狂気じみている。
ここは誰も彼もみなその瞳に宿すのは暗い闇だ。そうじゃないものも居るにはいるがそいつらは大概現実を見ることが出来ていない馬鹿か、蛇に唆された脳無しかだ。
だからこそあの男にあったときは少しだけ興味が湧いたものだ。
他の愚図共とは違う。
目に宿すのは闇ではなく、だが光でもなく。
空気のようにただそこにあるような存在。
面白いと思った。そのある種赤子のような無垢さは非常に希有だ。
それは人の世でもこちらでもお目にかかったことのない人種だった。
祭祀場に戻れば火防女とあの男が居た。
何を話すわけでもなく、ただ佇む様はある種異様でもあったが、互いにボロボロとは言え聖女と騎士の姿は絵にもなっていた。
片方が檻に入れられている状況に目を瞑ればだが。
その光景を見つめる私もその異様さの一部となっていたのであろう。
だがそこにある静寂はどこか心地よく。そしてどこか懐かしかった。
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地下墓地の攻略から戻る。
あの男が話しかけてきた。珍しいこともあるものだ。
情報をいくつか売ってやった。
地下墓地の聖女一行の情報に興味を示したようだ。
最初の印象とは違うがこの男は意外に甘いらしい。
この男は馬鹿ではない。渡した情報も良いように使うだろう
ふとあたりを見渡す。
祭祀場は何も変わらない。
火防女がただ静かに祈りを捧げるだけだ。
かつては美しかったであろう聖女の衣は薄汚れ見る影もない。
あの方とは似ても似つかない。
だが祈りを捧げている時、一瞬だけその姿があの方と重なることがある。
あの方とこの火防女は正反対だった。
彼女は眩いまでの笑顔を浮かべる人だった。
この火防女にようににただ陰鬱に下を向き己の状況を変えようともしない弱い人ではなかった。
だというのに重なって見えることがあるのはなぜだろうか。
磨耗していく記憶の中で、ほとんどの事象はもう朧げにしか思い出せない。
今なお鮮明に思い出せるのは彼女のことだけだ。
だがそれもいつまでだ?100年後そしてさらに100年経った時に私はあの方を正しく思い出すことができるのか。
あの方を忘れることは私の存在意義の消滅だ。
私は不死だが無限の時があるわけではない。
時間は決して味方ではない。
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あの男は強かった。その体に秘めた力には目を見張るものがある。
まだ粗はある。
きっと今戦えば私は負けないだろう。
だがそれを差し引いても余りあるほどただ純粋に男は強かった。そして伸び代をまだまだ残しているようにも思えた。
あの男は変化していっている。その瞳の中にあった静寂さは薄れ、感情が顔を覗かせている。
あの男は今以上に強くなるだろう。
このままいけば比類なき至上の力を手に入れるかもしれない。
──英雄の器
そんな言葉が頭をよぎる。自分が伝説に残るような英雄の物語の中にいるような、そんな錯覚すら覚える。
もしもこれが物語だとしたら私の役はなんだろうか──
その問いに答えるものは誰もいなかった。
♦︎
墓王ニトの力は私の望むものではないことがわかった。
やはり当初の予定どおりまだ戦うしかないようだ。
もうここに用はない。
鐘の音が響き渡る。
そうか、きっとやったのはあの男だ。見なくてもわかる。わかってしまう。
「……落ち着いたものだな。」
目の前の女を見やる。
この火防女には世話になった。
だが私には進むべき道がある。
拠点を移し、もうここには戻らない。
ならば私の使命のために有効利用してやろう。
「すまないが、私のために死んでくれ」
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住人たちのほぼ全てが去ってなお美しさを留める神の都アノールロンド。
そこで一人の騎士と、女騎士が向き合って座っていた。
篝火が揺らぎ両者の兜を明るく照らす。
「なるほどな、それで不要になった火防女を殺した、か。」
「火防女の魂はいくらでも使い道があるからな。それで、どうする? あんたには知る権利があると判断したから話したが、同じ火防女として私に復讐するか?」
「いや……よしておこう。互いに直接会ったこともないしな。哀れには思うが、私にも役目がある。重要なのは不死の使命だ」
「ククク……そうか。それが賢明だ」
騎士は静かに笑い声をあげる。
「それでこれからどうするんだ?」
「もちろん王の器を手に入れるさ。まずは仲間集めからだがな」
「ほう、正直意外だな」
「勝率を少しでもあげられるなら当たり前のことだろう。利用できるものはなんだって利用してやるさ」
──さて、そろそろ行くとしよう。
騎士は立ち上がり小部屋から外に出る階段に足をかける。
「一つだけいいか?」
「なんだ」
「お前が火防女を殺した理由は本当にそれだけか?」
「……何が言いたい?」
「いや……何もないのなら別にいい。お前の目的は知らないが私の主に危害を加えないのならば好きにするといい」
「……」
騎士は振り返ることなく歩みを進める。女騎士はそれを見送り、首を小さく横に振った。
「やはりここに来る者はどうにも皆クセが強いな」
女騎士は一人ごちる。
アレは失った者の目だ。そしてそこから一歩も踏み出せていない者の。
かつてここを訪れた、全てを失ったからこそ前に突き進んだあの鋼鉄の騎士とはまた違う。
あの男が件の騎士と火防女に何を見たのか、気づかないフリをしているのか、それとも本当に無自覚か。
「……しかし鐘を2つ鳴らした不死か。ふふふ、会うのが楽しみだ」
女騎士はまだ見ぬ不死に思いを馳せる。
あの黄金の騎士とその不死、いずれ両者はここでぶつかるだろう。
その時世界が選ぶのは何方か。そんな未来について考える。
「いずれにせよ私は私の使命を全うするだけだ」
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聖堂を守る巨人の兵士を殺す。
巨体が泡沫となって消えた時、背後に気配を感じ振り返る。
そこには一人の騎士が立っていた。
「ほう、貴公か。多少は賢いと思ったがそうでもなかったようだ」
口ではそう言いながらも来ると予想はしていた。
合理的でなくても、だからこそ奴は来る気がしていた。
あの火防女が原因か。あの女はよほどこの男にとって重要だったようだ。
「哀れだよ、炎に向かう蛾のようだ。」
本当に哀れだ。
勝てないこともわかっているだろう。向かってくることに意味などないだろう。
そんなにもあの火防女の魂が取り返したいのか。
自分にない光に魅了されたのか。
それは空っぽの己の中に入る存在を探してのことか。
最初はきっと自分と似た部分があるから気に入った。
だが今は似ていると思うからこそ嫌悪感が大きくなる。
さあ、ここで引導を渡してやろう。
お前は火防女を救うことも出来ず、使命を達成することもなく果てるのだ。
──戦いの幕が上がった。
♦︎
味方の魔術師の放つソウルの矢が男に向かう。
それを盾で弾き直進してくる男に向かい右側面から槍使いの刺突が襲う。
なんとも愚直で、単純な奴の行動は読みやすい。
左側からは私が、右からは槍使いが、同時に男に向かって襲いかかる。
これを避けること、そして受けること、どちらも許さない。
身体能力、特に膂力では私でも奴には敵わないだろう。だが対人の戦闘に慣れていない。
多対一の、それも悪意と戦略を持って挑んでくるものとの戦いの経験が薄い。
だからこそこんな簡単なことでやられる。
才能など本来私では足元にも及ばないものがあるというのに本当に残念だ。
私の剣が男の首に到達する。
その刹那、何かが光った。そして何かがひしゃげるような音。
数瞬、状況を理解しようと距離を取った私の目に映ったのは地に倒れ伏す槍使いの男の姿。
目の前の男の首からも血が流れ出ている。
遅れて理解する。これがこの男のしたかったことだと。
「ククク.......そうか、貴公始めからこれが狙いか」
この男は賢くなどない。
「ハァ.......ハァ.....ッ」
目の前で荒い呼吸を溢すこの男はただの阿呆だ。
はなから一人数を減らすことを、それだけを考えてやがった。
攻撃を交わすことも、盾で受けることも何にも考えてなどいなかった。
ただカウンターをどちらかに決めることだけを考えて待っていたのだ。
今のも一歩間違えば初手で死んでいたのはやつの方だ。
首を晒し、運が良くても重傷、そんな分の悪い賭けをしてまで成したことはたった一人を倒しただけだ。
現に奴の首の傷は致命傷に近い。
「クク......クァハハハハハ!」
思わず笑ってしまう。こんな阿呆など今までどの世界でもお目にかかったことなどない。
そうだ、どちらも不死だ。これだけの年月を不死として過ごしても未だに私は人の戦い方が抜けていなかったようだ。私はまだ人であるつもりでいた。
これくらいイカレている方が面白い。
やってやろうとも。ここからは化け物同士の戦いだ。
♦︎
本当に恐ろしい男だ。
瀕死のはずだ。吹けば倒れてしまいそうな死に体のはずだ。
何故そんな速さで動けるのか。
何故そんなにも立ち上がることができるのか。
魔術師も既に倒れ、もはや数の有利はない。
だがやつは左腕を吹き飛ばされ盾を持つことも出来ない状態だ。
平衡感覚も失い立つことすら難しいはずだ。
だがそれでも奴の剣は私の首に届きうる。その一撃一撃全てに濃厚な殺意が込められている。
なんとも楽しい。楽しい戦いなど久方ぶりだ。
私の剣が奴の脇腹をかすめる。その瞬間奴の剣がさらに重い一撃となって私を襲うのだ。
ああ、これでは本当に物語の英雄ではないか。
彼女が私に語ってくれた英雄の話そのものだ。
英雄はいつもピンチになる。だがその度に立ち上がり悪を打ち倒すのだ。
それならば私は倒されるべき悪役か。
ああ、認めてなるものか。認めてやるものか。
囚われのお姫様を助け出して物語はハッピーエンドか。
ずるいじゃないか。
私には出来なかったんだ。
冷たくなる彼女の体温の記憶が呼び覚まされる。
口から血を流しながら笑った彼女の顔が浮かぶ。
ついで、あの日、不死狩りとの戦いが思い起こされる。
私はあの時女神に寵愛を受けた。使命を見つけた。
英雄たりうる存在は一人でいい。
「勝つのは.........私だ!」
奴の剣を受け流した。生まれたのは数瞬の、しかし致命的な隙。
──今しかないという好機。これで剣を刺せば終わる。
だができなかった。一つの異常に気付いてしまったからだ。
それ以外の全てがどうでも良くなるほどの、今までの全てが崩れ去るような感覚。
足元から地面が消失したような錯覚を覚えた。
その時、私の薬指に嵌められた指輪からは熱が消えていた。疲労と脱力感が一気に私を襲う。
意味するところは加護の、そして寵愛の消失。
「馬鹿な......何故....」
──その刹那、奴の剣が腹に突き立った。
♦︎♦︎
ああ、私は負けたのか。立とうと思っても下半身はピクリたりとも動かない。
負けたというのにその事実をやけにすんなりと受け入れてしまった。
あの男はまだ立っている。血を流しながらも自らの力で立っている。
「.......ハ..ァ....ハァ。彼女の魂を........」
「ククク.....そう急かすなよ。 ......ホラ、これだろう」
火防女の魂をくれてやる。もう私には何もかもが過ぎたことだ。
渋る必要もない。
「........貴公の目的は何だったんだ?」
本当にこの男は人間らしくなったものだ。
「さて.....なんでだったかなあ」
もうわからない。使命だと思っていた。私が生きるのを許されるのはそれだけが理由なのだと。だが加護も寵愛ももう私にはない。
そして同時に私の中の生きる意味も崩れてしまった。今まで成したことの理由すらも。
一つだけ確かなことがあるとするならば。もう一度逢いたい人がいた。もう一度見たい笑顔があった。
きっとそれが全てだ。
「........そうか」
男は短くそれだけを返した。
立ち去ろうとする男の背後から声をかけた。
「詫びだ。これも持っていけ」
「これは?」
私は男に残った人間性と彼女の指輪を渡した。
「私の大事な人のつけていた物だ」
どうやら私は愛想を尽かされてしまったらしいがな、と付け加える。
「いいのか....?」
ただ首肯することで返す。もう私はダメだ。意識があるうちに全てを終わらせたい。この男ならきっと使いこなせるだろう。
私には使命を成すことはもう不可能だろう。
「貴公は絶対に間違えるなよ」
男がフラフラと、しかし一歩一歩確実に地面を踏みしめ進む。
彼はもう振り返らなかった。
♦︎
静寂が痛い。
ただ一人広々とした聖堂の中に投げ出された私の体は側から見れば随分と間抜けな姿だろう。
最もそれを自分で見ることはできないのだが。
「ククク、なんとも寂しい最後だ」
そして随分と私らしい最期だ。
その時カツン、カツン、と硬質な足音が近づいてくるのに気付いた。
「また会ったな」
声をかけてきたのはあの鎧を着込んだ火防女だった。
「なんだ、火防の任はいいのか?」
「少しくらい離れても構わんよ。先程ある死にかけの男が来てな、きっとお前が負けたのだろうと思って見にきてやったわけだ」
「趣味の悪い女だ」
「褒め言葉ととっておくよ。」
静かな最期がなんともうるさいものに変わってしまった。
「........なあ、お前、本当はこうなることを望んでただろう」
「なんのことだ」
「もう気付いていないフリはよせ。今、お前随分と満足そうな顔をしているぞ?」
気づけば兜はどこかに飛ばされて素顔があらわになってしまっていた。
「ククク、そうか。そう見えたか」
自分ではわからないものだ。
「何だ、本当に気付いていなかったのか」
火防女は呆れたような声を出す。
なるほど、たしかにそうかもしれない。たしかに気分は今実に良い。
「お前が火防女の魂をとってすぐ私に言って使わなかったのも、わざわざここに長居したのも、あの男が魂を取り返しに来ることを期待していたからだろう。 お前は見たかったんだ、かつて自分が出来なかったんだことをあの男が成す光景を」
「あんたは随分妄想が好きなんだな」
「ずっと一人でここにいるのでな。ここにきたものの物語を考えるのは趣味のようなものだ。」
随分はた迷惑な趣味をお持ちのようだ。好き勝手に憶測でものを言いやがる。
だがあながち全てが的外れというわけでもないかもしれない。
どれだけ戦っても旅をしても成果は出ず、きっと心のどこかで私は願いが、使命が叶わないと思い始めていた。
そしてそれが決定的になってしまう前に終わらせてくれる存在を望んだ。
彼女のことを忘れてしまう前に、まだ彼女が私の内にある間に。
これでは女神にそっぽを向かれてしまうわけだ。
「炎に向かう蛾は私の方.......か」
あの男は絶望的な状況から本当に光を掴んで見せた。
私には出来なかったことだ。
あの男ならきっとーー
「.......もう眠るのか?」
まぶたが重くなってきた。
「ああ......そうだな。それもいいかもしれない」
ずっと一人だった。
だが彼女と出会って2人になった。
彼女の笑顔が愛おしかった。
何も知らなかったガキのころ、自分よりも年下の少女に助けられた。
あの背中が、あの時の瞳の美しさが忘れられなかった。
それ以来その儚さと強さに心を奪われた。
今度は自分が守るのだと誓った。何があっても守るのだと。
私の名前を呼ぶあの声が愛おしかった。
彼女の隣にはいつも私がいて、決まったやりとりをする毎日が楽しかった。
無邪気に笑い、怒った時は頬を膨らませる彼女が好きだった。
私は他人を思いやることなどできない化け物でも、彼女の心に触れている間は違った。
彼女との旅は心が躍った。隣に彼女がいるだけでこの世界だって愛することができた。
彼女が死んだ。
誓いは守れず、自分だけが蘇った。
彼女が居なくなってまた一人になった。子供の頃のように。
だが子供のころよりもずっと孤独だった。
そこから一人で歩き続けた。ずっとずっと歩いた。
でも出口は見えなくて、また歩いた。
終わりが見えない暗闇はずっと先まで続いていて、それでも歩き続けるしかなかった。
不死は死ねない。それは亡者になっても、動かなくなっても
──だがもしあの男が火を継ぎ、私が人として死ぬことが許されたなら、彼女にまた会えるだろうか。
死後の世界でも、生まれ変わりでも何だっていい。また巡り合って、また一緒に旅がしたい。
あの火防女がこちらを見つめている。
同郷の女性に見守られながら眠りにつくとは騎士冥利に尽きるという奴だろうか。
クク.....彼女に言ったらどんな反応をするだろうか。
少しばかり嫉妬でもしてくれるだろうか。
ああ、悪くない気分だ。
やっと、やっと一人きりでの旅を終えられる。
いつの日か、きっとまた彼女と──
♦︎♦︎♦︎
「眠ったか」
雰囲気は騎士然としていたが善人ではなく、かと言って外道にもなりきれない。散々周りに迷惑をかける困った男だった。
「ふふ。いい笑顔で眠るものだな。遊び疲れた子供みたいだ」
きっと彼もこの世界を生きるには少しばかり純粋すぎたのだ。
本当にここに来るものは皆クセが強い。そして皆本当に眩しいのだ。
「動かなくなるまで私が何度でも殺してやる。もう誰もお前の眠りを妨げないように静かな場所にも運んでやろう。.........だから」
きっと、いつの日かきっとあの名もなき不死人はきっとこの不死の呪いを断ち切るだろう。
それは火防女としての願望を多分に含んだ希望的観測だ。だが不思議と実現しそうな予感がした。
──だからその時まで
「おやすみ、ロートレク」