がっこうぐらし!称号「自宅警備員」獲得ルート(完結)   作:島国住み

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思いついてしまったので書きました。

時系列的にはおまけの数か月後です。いつもにも増してキャラ崩壊がすごいので読むときは注意してください……


メンヘラのりーさんに看病されて夜も眠れないオマケ

「あの、今入って大丈夫?」

 

控えめなノックの音。そしてそれと同じくらい抑えられた音量で悠里はドア越しから飛真に声をかける。

 

「ええ、平気ですよ」

 

飛真の声は普段よりもしわがれている。だが、声のトーンはどことなく嬉しさが滲んでいた。

 

「じゃあ失礼して……あ、無理して起きなくてもいいのよ」

 

「無理はしてないです。声はまだちょっと変ですけど……ほら」

 

そう言って飛真は上半身だけ起き上がった状態で悠里に体温計を差し出した。

役割の関係で外に出ることの多い飛真は健康を崩すリスクがほかの人に比べて高い。というわけで悠里の提案で一日四回の体温測定と、一日二回の血圧測定を毎日することになっていた。随分と大げさだなと思ったが、健康の大切さを彼もよく承知していたので特に何の疑問も持たずに提案を受け入れたのだ。測定は一人でもできるのだが、測定器具は悠里が持っているため学校にいるときは必ず悠里が測定をした。だが今回ばかりは風邪がうつってしまう可能性があるため、飛真本人が測ることになったのだ。

ちなみに、飛真は自分の血圧、平熱を詳しく知らない。悠里曰く、『私が把握してるから大丈夫』だそうだ。

 

「熱は……平熱。でもまだ安静にしてないとダメよ。だるさはまだある? 食欲は? 汗かいてない? 何か苦しいこととかある? 水分はちゃんと──」

 

「大丈夫、大丈夫です。治ってます。ホントに大したことないんですから。まぁ、強いて言うならいい加減寝るのにも飽きてきたってことくらいですかね」

 

悠里の矢継ぎ早の質問に対し、飛真は笑って答える。その笑みは普段の彼と比べるといくぶん儚げであったが、やせ我慢にはとても見えない。

 

「そう? 元気になったなら、それは、いいことだと思うのだけど……」

 

悠里はなぜか不満げな、残念そうな顔を一瞬だけした。しかし、それは一瞬のことで、すぐに

 

「体調が戻ったみたいで良かったわ。もうお昼過ぎちゃってるけど、ご飯持ってきたの。食べれそう?」

 

病人を心配する真摯な顔に戻った。

 

「はい! 実はもうお腹ペコペコで。いいにおいがしてさっきから気になってたんです」

 

「本当はもっと早く持っていくつもりだったけど、準備に時間が掛かっちゃって。ごめんなさい。お腹空いてたよね……」

 

「いえいえ。ちょうど起きたところだったんで、むしろジャストタイミングです」

 

悠里は飛真の部屋に食事を乗せたトレーを持って来ていた。それは、湯気をもわもわと立てるできたてのおじやだった。味噌をベースに味付けがなされているようで、具材はねぎと鶏肉が少しだけ入っていた。

 

「これがスプーンね。それで、えっと……も、もし自分で食べるのが難しいようだったら私が食べさせ──」

 

「いただきまーす!」

 

「……熱いから気を付けて食べてね」

 

悠里から木のスプーンとおじやが載ったトレーを受け取るやいなや、飛真は早速食事に取り掛かった。図らずも、悠里がためらいがちに絞り出した()()()()()()を遮ることになったが、彼に悪気はない。実際彼は腹ペコで、食事はおいしそうだった。羞恥の為か、はたまた話を遮られた怒りの為か、悠里の顔は人知れず赤くなっていた。

 

「うまい! うまい! うまい!」

 

「………………」

 

飛真はどこかで聞いたことのあるセリフを口走りながらも、せわしなくスプーンを動かし続けた。

その間悠里は一言も発しなかった。じっと彼が食事をしている姿を凝視していた。彼が咀嚼し、嚥下しているのを認める度に悠里は薄く口元を歪める。それは客観的に見て異様な光景であった。だが、食事に夢中になっている飛真は場を包む雰囲気が変化したことにまったく気づかない。

 

「ごちそうさまでした!」

 

「……味、どうだった?」

 

「味ですか? 味付けが濃い目で、すごくおいしかったですよ」

 

「おじやって薄味だから少し工夫してみたの。上手くいってよかったわ」

 

()()()()()なのにこんなにしてもらってなんか申し訳ないで──」

 

「看病をするのは当然のことです!!!」

 

突然の大声に飛真は驚く。悠里はそんな飛真の驚きには目もくれず、そのまままくし立てる。

 

「大きな病気に繋がったら大変なんです。薬も、知識も、私たちには限界があります。私たちがどうにかできる範囲は昔と比べて大幅に狭くなってます。だから対処できるうちは全力で対策を打たないといけないんです。本当は、私が、飛真君の体調を管理してあげないといけないのに……」

 

当初の勢いは、手に乗った雪の結晶の如く急速に溶かされていった。表情はみるみるうちに暗くなり

 

「おとといの夜、血圧は正常の範囲内だった。でも、体温はほんの少しだけ平熱を超えてた。でもそれは夕食が遅くなって就寝前の測定との間隔が短くなってるからだって思って兆候を見つけられなかった。飛真君の健康の為に毎日毎日欠かさず記録を付けたのにいざというと時に役立てられなかった私ができることなんてこれくらいなのに」

 

まるで取り返しのつかないミスをしてしまったかのように小さく、早口で自らを詰った。

 

「い、いや僕が悪いんです。雨で濡れたのにろくに体を拭かなかったから風邪ひいちゃったんです。……でも! 先輩が昨日の朝真っ先に僕の異常に気付いてくれたおかげで丸一日寝るだけで治りました。いつも僕のことを気にかけてくれてありがとうございます」

 

あわてて飛真はフォローを入れる。確かにこの風邪は飛真の自業自得の部分が大きい。それなのに()()()()()()悠里は自分を責めてしまっていると飛真は判断した。これは、お世辞でもなんでもなく、純粋に感謝の念から発せられた。少し前まで風邪一つ引かなかったのは悠里先輩が僕の健康を慮ってくれたからだ、とそう解釈していた。

 

「え? 私の、おかげ……」

 

「そうです!」

 

飛真は大げさに頷く。厳密に言うと妹をはじめ部員全員が多かれ少なかれ彼の回復に貢献したのだが、そんなことはこの際どうでもいいことである。

 

「…………そうだ! 喉の調子を確かめてみようと思ってこれを持ってきたの。いけないいけない、忘れるところだったわ」

 

しばし俯き、飛真から言われた言葉をもごもごと反芻していた悠里だったが、パッと顔を上げた時にはすでにいつもの調子が戻っていた。

 

「これは? なんか見覚えはありますけど」

 

「舌圧子よ。保健室から取ってきたの」

 

「えっ!?」

 

今度は飛真が驚く番だった。

 

「保健室って、一階ですよね。今日行ったんですか!?」

 

「ええ。飛真君が風邪をひいてしまうまでこれの必要性に気づけなかったなんて、考えが足りなかったわ」

 

「あ、でも咲良とか由紀先輩とかと一緒に行ったんですね」

 

「いいえ。一人で行ったわ」

 

「そんな! 危ないじゃないですか!」

 

学校の内部とは言え、一階は外部から簡単に侵入できてしまうため未だに危険な場所である。特殊な場合を除いて複数人で行動するのが鉄則になっている。悠里の向こう見ずな行動は明らかに不可解だった

 

「みんな疲れていたみたいで、お昼寝をしてて。ちょっと物を取りに行くだけでみんなを起こすのは憚られるから一人で行ったの」

 

本来今日は外へ物資調達に行く予定だった。飛真が風邪をひいたことにより延期の話が出たのだが、一部の物資に()()()()があり不足分が予想以上に深刻であるから延期はできないという悠里の訴えが通り、胡桃達は現在学校の外にいる。悠里の作成する家計簿は正確であるためかなり信頼されていた。だが、いくら几帳面な人が丁寧に記入していたとしても、人である以上ミスはあり得る。

結果として学校には飛真、咲良、悠里、由紀がお留守番組として残っている。

 

「でも──」

 

他の人の心配をして自分を危険にさらすなんて本末転倒じゃないか。飛真は思った。

 

「私だって少しは戦えるので大丈夫です。さぁ! 口を開けてください」

 

いつの間にかペンライトも用意していて、準備万端だ。

 

「もう治ってるんで、わざわざそんなことしなくても……」

 

「ダメです。きちんと確認しないと!」

 

「わ、わかりました……んぁ……」

 

飛真は悠里の謎の強引さに負ける形で口を開けた。悠里から何か圧のようなものを感じて飛真は微かに恐怖感を抱いた。とても親切にしてもらっているのに、なぜだか身体が怯えているのだ。それらの違和感を無視するためにも彼はできるだけ口を大きく開けることに専心した。

 

「その、舌を出してもらわないと……そうそう。ええっと……」

 

ステンレスの冷たさが舌を覆う。それにも慣れた頃、今度は吐き気がひたひたと彼を襲う。

悠里が()()のためにじっと口内を見ているのが恥ずかしくて、飛真は思わず目をそらす。

 

「炎症は、ないみたいね。ごめんね、苦しかったよね……」

 

「いえ、全然、平気です」

 

この言葉を嘘にしないため、飛真はえづくのを必死でこらえる。

 

「やっぱり治ってるようね。でも今日は大事を取って夕飯は今みたいにこっちに持ってくるわ。今無理をしてしまうとせっかく治ったのにぶり返しちゃうからもう少しだけ我慢してね」

 

「わかりました……」

 

早速部屋から出ようと思っていたことを先回りして諫められた気がして飛真は若干面白くない。しかし、柔らかく微笑みながら正しいことを言われてしまい、反発する気にはなれない。

 

「でもちょっと残念ね」

 

「え?」

 

「もう治っちゃって。こんなこと言うと変だけど、看病って誰かの役に立っている気がして結構好きなの」

 

「はぁ……わかるような、わからないような……」

 

「ほら、私は物資調達とか外に出る活動では足手まといになるだけだし……私ができることなんて、本当に限られてるから……」

 

「そんなことないですよ。先輩の家計簿がなかったら今頃みんな路頭に迷ってますよ。先輩の作る料理美味しいし」

 

部活は適材適所で運用されている。やることは多く、人員は少ない。よって自ずと得意な分野の仕事が増える。飛真からすれば悠里は部活に多大な貢献をしていると思うのだが、本人はそう認識していないらしい。

 

「そう……? じゃあ夕飯も頑張って作っちゃおうかな。あ、そうそう。聞きたいことがあったの」

 

「なんですか?」

 

悠里は少しだけ照れて笑顔がむずむずしている。飛真も先ほどの恐怖など忘れてしまったようににこやかだ。

 

「さっきゴミ箱を()()した時に見つけたんだけど……」

 

この部屋には明るく優しい雰囲気が充満していた。それもそのはず飛真と咲良が入部してから約半年、衝突と呼べるような衝突は発生していない。共同生活はどうしても軋轢が生じてしまう。それでも諍いが起こらなかったのはお互いに干渉しすぎないように暗黙の配慮があったからなのかもしれない。病気になり寝るのが仕事になってしまった飛真はなんとなくそんなことを考えていたものだった。

 

「この缶詰、どうしたの? 昨日の夜、私が来たときにはなかったよね。ということはその間にこの缶詰は開けられたことになる。でもね、いちおう実数と帳簿上の個数を突き合わせても数は変わらなかった。みかんの缶詰はそんなに数が多いわけじゃないから間違いようがないわ。ねぇ、誰が、持ってきたのかな?」

 

……平穏が壊れるのはいつだって一瞬だ。

 

「え、えっと、それは──」

 

「あ! 分かった! 咲良ちゃんでしょ。私が把握できないってなると残るのは部員それぞれの私物くらいだからね。その中で学校に持っていくものを選ぶ時間があったのは飛真君たちしかいないもの。飛真君の持ち物は()()()()()()し、飛真君が私に隠して何かを持ってるなんてありえないもの。当たってるよね?」

 

「そう、です……」

 

「やっぱり! それで、昨夜、何があったの?」

 

飛真は悠里の目に見覚えがあった。表情自体は笑顔だ。でも、目がまったく笑ってない。だが、それはいつの光景だったのか、どうやって切り抜けたのかはぼやけてしまって分からない。まだ家にいた頃のような気がするが、そもそも世界がこんなことになってからこの学校に来るまでの記憶自体、靄がかかったように曖昧なので確信は全く持てなかった。しかし、本能の方はまだ覚えていたようで、デジャヴを感じる余裕もなく口が動いていた。

 

「実は、先輩が来た後に咲良が様子を見に来たんです」

 

「うん。それで?」

 

「その時に『とっておき』ってことでみかんの缶詰をくれたんです。みかん好きだし、お腹も少し空いてたんで一緒に食べたんです」

 

2人はコップとスプーンも一緒に持ってきてシロップまで堪能した。夜に隠れて食べるみかん。ここ最近は中々2人きりになれなかった兄妹は、このささやかな悪行を大いに愉しんだ。

 

「ふぅん……みんなには内緒で、そんなことしてたんだ……」

 

「そ、それは……ごめんなさい」

 

「別に謝ってほしいわけじゃないわ。そう、咲良ちゃんが、ね……」

 

「…………」

 

「知ってます? 寝る前に何かを食べるのは良くないんですよ? 睡眠に悪影響がでるの。それにみかんは風邪予防には有効かもしれないけど、風邪をひいている時はむしろ逆効果。喉が炎症を起こしているかもしれないのにクエン酸が多いものを食べさせるなんて最悪です。まったく何を考えているんだか」

 

「あの、咲良は僕を元気づけようと思って──」

 

表情はまったく変わらないまま口だけが小さく動く悠里を見て飛真は嵐の到来を肌で感じた。しかし、彼は妹をフォローせざるを得なかった。平坦な声で発せられる厳しい言葉は彼にとって辛いものだったのだ。

 

「元気づけようと妹が甲斐甲斐しく夜食をもってきてくれたの。へー、それは良かったですねっ!!!」

 

悠里はそうヒステリックに叫ぶと、手に持っていた空き缶を地面に叩きつけた。空き缶は悠里の金切り声と同じくらい耳障りな音を立てた。

 

「あんな女! 飛真君のことなんて何一つわかってないのに!!」

 

「飛真君のことを一番よくわかってるのはこの私! バイタルサインも、何を食べたのかも、いつ寝たのかも、何を捨てたかも! 知ってるのは、ほかの誰でもない、私!」

 

「ここにすべて書いてあるんですよ? ここに来たその日から、一日も欠かさずに。変化を見逃しちゃいけない、って思ったから……」

 

悠里の手には飛真が一度も見たことがないノートの姿があった。『Vol.3』とある。

 

「盗み食いなんて一度もなかったのに。……無理やりだったんですよね?」

 

「へ?」

 

「あの女に無理やり食べさせられたんですよね? だって、飛真君が管理の妨げになることなんてするはずがないもの」

 

飛真は恐慌から脱しつつあった。そのため目の前にいる悠里は彼が知っている悠里ではなくなっていることを悟ることができた。狂ってしまっている。ここで頷けば自分は助かることを本能的に察知したが、そんなことはできないことは分かりきっていた。

彼は毅然とすることを選んだ。逃げてしまうと悠里の様子が分からない。そちらの方が危険だと判断したのだ。

 

「違います! 言ってることメチャクチャですよ!? それにそのノート。さすがに、冗談、ですよね……?」

 

飛真は悠里が持っていたノートをひったくるように取り、パラパラとめくった。普段の彼ならこんな乱暴なことは絶対にしないのだが、この異常時に普段の行動規範など守れるはずがなかった。

悠里は全く抵抗しなかったのでそのノートは簡単に彼の手に落ちた。

 

「初めて飛真君に会った時、私たちはゾンビたちに囲まれてて、絶体絶命だったの。しかも私は足首をゾンビに掴まれて数秒後には喰われて殺されるところだった。そんなタイミングで()()()()人が居合わせて、私たち全員を助け出すなんてことはどう考えても偶然じゃない。運命。運命なの。私たちは会うべくして会った。だから私は飛真君の健康を管理しなくちゃいけないの。うっとおしい邪魔な女がついてきたけど私は我慢したわ。どんな形であれ、学校に来てくれたから。私も私なりの方法で飛真君を守ってたのに、わかってくれているはずだって、信じてたのに……」

 

悠里が呪文のように何やら呟いていたが、彼の耳には何一つ入ってこなかった。

彼はノートの内容に衝撃を受け放心状態に近かった。()()()と言っていたのは嘘でも冗談でもなかったようだ。何を食べたのか、いつ寝て起きたのか。これくらいなら何とも思わなかっただろう。しかし、そこには彼の尊厳に関わる部分についても克明に書かれていた。彼は頭が真っ白になり、綺麗な字でみっちりと書かれた自分のすべてをただただ眺めていた。

目頭が熱くなるのを感じる。しかし、それがいかなる感情によるものなのかすら、彼は把握できなかった。汗がノートに落ちる。すがすがしさからはかけ離れた汗が全身を覆う。

 

「今までもいくつか裏切り行為があったけど、私はずっと黙ってた。どれも軽いものだったし、あまりにも原理原則に縛られるとかえって健康を害してしまうから。寛大であろうと、してたのに。それなのに私の気持ちをあざ笑うかのように今回も……!」

 

悠里が一歩こちらに近づいたのを感じて、飛真はハッと我に返る。

予想以上にヤバい。彼の頭の中では赤色回転灯が灯っている。この後どうするかなんて考えてる場合じゃない。とにかく一刻も早くこの場から逃げなければ。

純粋な恐怖のみが、彼を突き動かしていた。

彼はベッドから起き上がろうとする。が、そこで彼は気づく。

 

「どうして逃げようとするの……? でも逃げられないよ? ふふふ……」

 

身体が、思うように動かない。まるでブリキ人形になったかのように一つ一つの動作が緩慢で、ぎこちない。さらに、身体が異様に熱い。いや、寒い。彼は自分の身体の状態をうまく形容できなかった。心臓が早鐘を打っているようにも、逆に止まったようにも思える。

声は出せるはず。そう思い立った彼は助けを呼ぼうと息を大きく吸う。

 

「助けっ……ッ!?!? んーーーーー!!!」

 

「静かにして。私たち、大事な話の最中じゃない」

 

悠里はいつから持っていたのか、タオルで飛真の口をふさいだ。自らの行為について何ら後ろめたいと思っていないような、自然な動きだった。

 

「足もバタバタしてる……やっぱり経口摂取だったから効き目が薄かったのかな?」

 

さも当然のように飛真は足を縛られた。それでもベッドから逃げようとする飛真に対して悠里は馬乗りになった。抵抗したのに身体に力が入らないせいで易々と相手の意のままになってしまう。膝に体重をかけられたので痛いと言ったらこの上ない。

最後に残った腕すら掴まれ、脱出は絶望的になった。

 

「苦しいかな……? 私も苦しいわ。本当はこんなことしたくないけど、飛真君ぜんぜんわかってくれないから。私の言ったことをきちんと守ってさえいればこんな事、しなくてもよかったのに」

 

苦しいと言っていたが、そう言う悠里の口元は裂けんばかりに綻んでいた。飛真が痛みに耐えかねてくぐもった呻き声を発するたびに、彼女の目は爛々と輝き、口からは熱い吐息が漏れた。

 

「ねぇ、私に誓って。『悠里先輩から許可された物以外は絶対に食べません』って。簡単よね? 誓ってほしいことはもっとあるけど、今回はこれだけにしてあげる。一気にすべてを矯正するのは大変でしょうし。…………特別に甘くしてあげてるのにどうして誓えないの? 悲しい。早く、早く、言ってよ……!」

 

言えるはずがない。信条や思想の問題ではない。物理的に、無理なのだ。そもそもタオルで口をふさがれているので言葉を紡げるはずがない。呼吸すら満足にできていない。それに、体重のかけ具合に強弱をつけて膝を責めるので、常に新鮮な痛みが供給される。指示通りにする余裕はない。

身体もすっかり痺れてしまい、舌が回る自信すらなくなってきている。

悠里はそんな飛真の表情を逃すまいと、彼の苦渋と恥辱がごった煮になった顔を食い入るようにうっとりと眺めた。垂れた前髪をかき上げることもしていない。

飛真はもう泣いてしまいたかったが、せめてもの意地でこらえた。

 

「……飛真君がこんなに強情だったなんて知らなかったわ。私の管理通りしていれば健やかに、幸せに過ごせるのに。私たち、あの時にはもう運命で繋がれちゃったの。もう何もなくなってしまったこの世界で幸福になれるたった一つの方法なのに。おしおきしないとダメだよね。説いて聞いてくれないなら、手を使って正しい方向に直さないといけないよねっ!」

 

飛真は首を絞められた。力はそう強いものではなかったが、タオルを詰められてる中でさらに気道が圧迫されたので息を吸うことは困難になった。

手が自由になったのでもがこうとしたものの、意志通りに動いてくれない。意識も朦朧となり、悠里の異様に血色のいい顔もかすんで見える。

死ぬかもしれないと思った時、ついに飛真の精神は折れた。抵抗しようという気概さえ消えた。今までせき止められていた涙が溢れ出す。

 

涙を見て、悠里はハッとして手を離した。

 

「反省して、くれたんだね。うれしい……」

 

悠里は飛真の目を覗き込む。漆黒の泉から涙がとめどなく漏れている。生気がなくなった目に自分が映るのを見て、悠里は目を細め満足げに微笑む。

 

「ちょっと痛くしすぎたかな……? 分かってくれれば、それでいいの。反省してくれたし、もう、外して大丈夫よね」

 

今まで口を塞いでいたタオルが取り除かれる。飛真はゲホゲホとせき込むが、身体の方の反応が鈍く息苦しさは中々解消されなかった

 

「うわぁ……すごいグチョグチョ……すごい苦しかったんだね…………」

 

悠里は先ほど取ったタオルを弄んで一人心地だ。飛真も呼吸が整い、逃げ出すチャンスが到来したように思える。身体の異常は好転しないが悪化もしていなかった。今なら、ベッドから派手に落ちて音で周囲に知らせることもできるかもしれない。

 

「もう、そんなに泣かないで。荒治療だったかもしれないけど、これは飛真君のことを想ってのことなの。悪いことは早めに直さないと習慣になっちゃうから。ふふふ、これからは私とのお約束をちゃんと守らないと駄目ですよ?」

 

「………………」

 

悠里は流れ落ちる涙を優しく拭ってあげた。そして耳元で囁いた。稚児に諭すような甘ったるい声が温い吐息と共に飛真の耳に入ってくる。

先ほど壊れてしまった飛真の精神は未だ修復途上にあり、ものを考える状態になかった。そのため悠里の所作を前に動くことができなかった。窒息寸前だった時との落差が飛真をかき乱し、今与えられている優しさが彼の心の亀裂に侵入した。

 

「すごい汗かいてるわ。薬のせいかしら。ふふふ。せっかく治りそうだったのに、このままじゃ冷えて風邪がひどくなっちゃうわ。……拭いてあげないと」

 

「………………」

 

飛真の着ていた上着はいつの間にかたくし上げられていた。そのまま悠里は飛真の上半身に手を這わせる。

しかし飛真はそれに対して抗議の言葉すら出さない。出せない。少し前まではなかった変化が彼を襲っていた。強烈な眠気。なぜこんなにも眠いのか。飛真は考えようとして、諦めた。

 

「眠くなってきたの? まぁ、そうよね。そろそろよね。足もほどいてあげないと寝づらいよね……」

 

「………………」

 

足の枷が取れ、ついに飛真は自由の身となった。

だが、飛真はもはや、離れゆく意識を引き留めることができなくなった。恐怖に代わって彼を支配した眠気に、飛真は膝を屈した。

 

「おやすみなさい。さて、と……」

 

床に落ちたノートを悠里は拾い上げる。真っ白なページを開き、ペンを取り出す。

 

「今までは邪魔があってできなかったけど、やっと……。今回の風邪だって、私の把握不足が原因だし。まだまだ足りない。そう、まだまだ……私は飛真君のすべてを知ってないといけないんだわ。管理をもっと完璧なものにしないと。そのためには……」

 

飛真は既に寝息を立てている。悠里が頬を撫でても起きる気配は全くない。

 

「私たちの間には隠し事はナシだよね。だから……隠さず全部、見せてね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

昼下がりの教室。揺れるのはカーテン。それと────。

 




始めはもっとネタっぽく書くつもりだったんですけどね。気が付いたら首を絞めてました。どうしてこうなった。自分が怖いです。飛真君を壊すつもりなんて全くなかったのに、話の流れで、つい……
これは一体何なんでしょう?メンヘラ?ヤンデレ?

Rー15の範疇には収まってるはずです。だって看病してるだけですし。

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