光の国の帝王と影の国の女王   作:アデノシン

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迫るもの

果てない砂漠を住まいとするものたちに紛れ、彼らもまたそこを拠点としていた。

時折吹き荒れる風に、稲穂が揺れるよりも激しく黄金の海は波打つ。食料のみならず水も乏しいそのような場所を拠点にしたのには、いくつか理由があるのだが、一番大きな理由は“人目がないから“であろう。それにそのような場所だからこそ、凶暴且つ強靭な生き物が多くいる。ソラスハはともかくとして、エミヤは生身の人間であるため食料や水分の確保は必要不可欠となるので過酷な修行に耐えつつ、それらを確保していかなければならない。幸いなことに、エミヤは結構な調理スキルを所持していた。今までの経験の中で獣を捌くことにも慣れていたし、サバイバル生活もとっくに身に付いていた。

それでも、次から次へと続く試練に日々限界まで擦り減らされる精神と肉体は、限界という言葉をとう飛び越えた。余裕を持つことすら許されず、次々と課される無理難題に苦痛を通り越して悦楽を感じるようになってきたとき、柔い少年は屈強な青年へと姿を変えていた。

 

「師よ」

 

「ああ、もう終わったのか?」

 

傾く夕日に照らされた砂の海が、きらきらと金色に輝く。神殿跡地に残る瓦礫の1つに腰掛けたソラスハの前に、灰白の短髪の青年は静かに片膝を付いた。ゆるりと視線を移したソラスハは表情を和らげて問う。

 

「師よ、次を」

 

「……勿論だとも。だが何度も言っているが、お前は人間だ。

少しばかり休むといい」

 

「必要はない。だから」

 

「ふう、お前は本当に聞き分けのないな。

仕方あるまい。これも俺の慈悲よ」

 

―――柔らかな微笑。のち鮮烈な衝撃。

 

「うぐぁっ!!」

 

ソラスハは赤いローブを翻し飛び降りると、その勢いで拳を弟子の腹にめり込ませた。

予備動作もなく打ち込まれたその一撃に反応することのできなかった弟子は、小麦色の砂へと倒れ伏す。弟子が恐る恐る顔をあげると、そこには穏やかな微笑を浮かべる師匠(はんにゃ)がいた。思わずエミヤは目を逸らそうとするが、それが火に油を注ぐ行為になり兼ねないのを思い出し、慌てて青緑の瞳を見上げる。男にしては細身にみえる体には、鍛え抜かれた筋肉がちゃんとついており、そこに有り余る魔力を乗せて放たれる拳は岩だろうが鉄だろうが結界だろうが有無を言わさず破壊するのを知っていた。

そんなソラスハの拳を受けても、エミヤが砂にめり込むだけで外傷はないのは、物理(こぶし)的な教育方針の賜物といったところだろうか。修行のおかげというには迷うところだが、咄嗟に張った防御魔術(けっかい)は、無残に砕け散ったものの被ダメージ減少に貢献してくれたらしい。

 

「ふむ。反応はいいが、発動が遅いな。

それになによりも脆すぎる」

 

「い、いやそれは、貴方の力が」

 

「ほう? 言い訳か?

たとえ俺の力が強くとも、それを防ぐのが目的だろう。

人の弱き体を守るためのものが、簡単に壊されてどうする」

 

「そう生き急ぐこともあるまい。

いくら人間の生は朝露の如くとはいえ、焦りは(みのり)を落とすだけだ」

 

「だが……俺はっ!」

 

「休むといい、シロウ。

目覚めたら、お前の望みを叶えよう」

 

ソラスハの痛恨の一撃は、永眠してもおかしくはない威力であったが、おかしな方に昂っていた身体が、焦燥に駆られた心が、不思議と凪いでいくのをエミヤは感じた。こう表現すると彼が被虐趣味(マゾヒズム)を発症しているように聞こえるだろうが、そうではなく、ただ単に陶酔状態(ハイ)となっていただけの話である。がくりと、急激に体の力の抜け、意識と共に落ちていくのを感じて、エミヤは目を閉じた。そして、懐かしいその名を、やさしい音色で紡がれたからだろうか。どうしてか、泣きたくなるほど心が震えるのが遠くに感じた。髪に触れる優しい手が、いつかの誰かと重なった気がした―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、」

 

懐かしい記憶に抱かれた目覚めは優しいものであった。ずきずきと痛む腹痛を除けばの話だったが。己の奥底にこびりついて離れない記憶のうちの1つは、こうして気まぐれに姿を見せてはあっという間に消えていく。“我が師(あのひと)らしいな”と何度目覚めた先で呟くはめになったことか。

今回もまた、その幾度目かを繰り返すのだろうと重い瞼を開けると、そこには夢の残り香があった。

 

「……、」

 

夢の続きかと思わず微睡みかけた、―――が次の瞬間跳ね起きることになる。

全身を駆け抜けたあまりにも冷たい“それ”に、体が反応したのだ。

ぶるりと震え上がった体を押さえると何事かと周囲を見回す。弓兵としてなんとも情けないことだが、俺はこの時初めて自分が置かれている状況に気付いた。

片目で視る世界はいつもの半分程度で、慣れない視界に頭が揺れるのを振り払う。どうやら自分は、寺の境内の中心に伏せていたらしい。何故か己の周りには、大穴が空いていて陥没した地面の一番深いところに立っているようだ。

 

「し、いや……マスター! これは一体……!」

 

落ち窪んだ底から、穴の淵に腰を掛ける人影へ声を飛ばす。

睥睨する2つの目は記憶のものとは違う。違うといってしまえば姿かたち全て異なるが、それでも尚、纏う輝きは消えない。もう1つ言うのならば、その性質に関しても何1つ変わりがないようで、安心した(残念だ)

 

「漸く目が覚めたか。この俺に番をさせるとは、お前も成長したものだな」

 

やれやれと言わんばかりに肩を竦めながら、なんとも高慢な言い回しで我が師―――ソラスハはそう口を開いた。揶揄うような口ぶりだが、実際にその目は笑ってはいない。普段は静かな水面の如く穏やかであるからこそ、獣を思わせる鋭さと激しさの宿る瞳を見ると、余計体が竦むのだ。これが今までの経験から来るトラウマというものなのだろうか。勘弁願いたいものである。

 

「す、すまない」

 

「ははっ、冗談だよ。相変わらず真面目だな。

捻くれ過ぎたカタブツは死んでも治らなかったか」

 

「っ、」

 

「いいか。俺は弟子(おまえ)に従順さを求めた憶えはない。

寧ろ強気ものに喰らいつく程に獰猛であれ、蛮勇であれと教えた筈だ」

 

「ああ、もちろんだ。

貴方の弟子を名乗る以上、この体は心は鋼鉄と同義」

 

「ほう? 口の割には無様なことになっているじゃないか」

 

「……それは」

 

月の光で編み込んだ糸のような髪がきらきらと輝き、その眩しさに思わず目を細めた。少年の(なり)に似合いの表情で悪戯に笑ってみせたソラスハは、ころりと顔を変える。それこそ俺のよく知る師の顔であると同時に、俺がこの世で最も畏怖するものであることは、この際認めよう。

とはいえ、まだ完全に無表情となっているわけではないので、手に負えない(ガチギレ)状態ではなさそうだが、導火線は相当短くなっているらしい。

 

「はあ、言う気はなかったが……どうも腹の虫が治まらん。

俺はなシロウ。お前が俺の許可なく、勝手に、よりにもよって“影”に染まり()()()()ことに腹を立てているんだ。しかもお前はそれに抗うこともせず甘んじて、結果的にコレだ」

 

「だが師よ!俺とて甘んじていたわけでは……」

 

「―――あ?」

 

「すまん」

 

少年は不思議そうな顔をしつつ小首を傾げた。それはとても年齢相応のものに見えて、“仕草だけみれば”微笑ましいとすら感じるものだ。しかし、今、少年は少年ではない。彼の中にいる“もの”をよく知っているからこそ、さっと血の気が引いていくのがわかった。

ふつりと、沸く怒りの鱗片を目の当たりにし、俺の口から反射的にこぼれたのは、ストレートな謝罪の言葉一つのみ。

 

「……はあ。“蒼い弓(それ)”を誇りと呼ぶのであれば、いい加減その自虐性をどうにかするんだな」

 

深い溜息を吐いたソラスハの目は、怒りを通り越して呆れに変わった。ぴりぴりと肌を刺していた圧が抜けて、無意識に詰めていた呼吸を久方振りに取り戻す。

この師匠は何処までも理不尽で、何処までも無茶なヒトであるが、その目に宿る慈悲の光はとても深い。しかし、ひとつ致命的ともいえる欠点があることを、俺は長い修行の中で知った。それは―――感情の抑揚が極端に浅いことにある。

分霊として降りて来てるからか、それとも元々の性質か、残念ながらそれを確かめる術はないが、おそらく、中途半端に人間の心を解するが故に、意味を解さない時があるのだ。

 

「ん? なんだ、その顔は」

 

「いや、……なんでもないさ、マスター」

 

「そうか? えらく気の抜けた間抜け面をしていたが。

全く、俺が―――。いや、俺が、何だったか」

 

ふと我に返ったように、目を瞬かせた師は、今度は本当に不思議そうに首を傾げた。

遥か昔、このひとのもとで修業をして来た時もこういうことは多々あった。

感情で動き出したかと思うと、ふと我に返ったように止まる。初めは記憶障害でもあるのかと思ったがそうではないらしい。聞き出そうとしたが、呪いのようなものだと曖昧に濁されてしまったため、すべてを知ることはできなかったが。

 

今更それを気にする気はない。

何故ならば、たった今師が“忘れてしまった”“感情(こと)”はあらから理解しているから。

口に出さずとも、いつだってこの師は―――。

 

「ふっ。感謝する、師よ」

 

「……馬鹿な弟子の不始末を片付けるのも、俺の仕事だと教えたのはお前だろう」

 

「ああ、……そうだったな」

 

浮かべられた懐かしい笑みに、つられるように笑う。

師匠の一矢により“取り戻した正気”と、“失った片目”。天秤が傾いた結果得られたものは、いる筈のない師……いや、マスターであったとは。これが不運か幸運か、それはわからない。だが、恐るべし師匠効果といったところか。聖杯の汚泥と、“この地に君臨するもの”の力を跳ね退けた身体を、新たな魔力が巡っていくのが、こそばゆくもあたたかかった。

 

「頭が冷えたなら良いさ。次は、目ではなく心臓を射るがな」

 

「ああ。……次はないと、この蒼穹の弓に誓おう」

 

軽快に笑いながら告げられた言葉は、決して冗談で済むものではないだろう。

穴の淵から立ち上がったソラスハに合わせ、穴の底を蹴り上げると少し後ろへと着地する。

並び立つにはまだ遠い背中は少年のものとなっているが、俺の目には変わらず大きいものに見えていた。

 

「さてと。予想以上に時間を食ってしまった」

 

「これからどうするつもりだ?

この特異点を攻略するなら―――」

 

「いや、それは俺の仕事ではないよ」

 

「は?」

 

「ふふ……。王道をいくものはもう決まっているようだ。

俺のようなぽっと出は、主人公が拾い落としたものを集めていくのが精々さ」

 

「……要するに、貴方は正当な方法を取る気はないと?」

 

「違うな。そもそも目的が違う。

まあいつかお前にも話す時が来るだろうよ」

 

からからと声を立てて笑うソラスハは、今ここで深くを語る気はないようだ。

それならそれで良い。師曰く“俺にはマスターに付き合う義務がある“らしい。ならば見極めようじゃないか。

 

―――この自由奔放な光の化身が、何を成すために降臨したのかを。

 

 

 

 

 

◇*◇*◇*◇*◇

 

 

 

 

 

『やあ、リツカくん!調子はどうだい?

マシュも宝具を解放してから、異常はないかな?』

 

「ドクター!」

 

「はい。センパイも、私も異常はありません」

 

『そうか、それは何よりだよ』

 

何とか機能するようになった通信は、不定期ながらも良いタイミングでやってくる。

“とあるサーヴァント”の力を借りてマシュの宝具を不完全ながらも解放した後、彼の導きのままに先へと進んでいた。戦闘の度に、マシュへと魔力供給をしなければいけないリツカを休めつつ、なんとか、一行は“先が見えないほどの長い石階段”の前に到着した。

 

その時であった。まるで見ていたかのようなタイミングで、通信機器が作動し、不鮮明なモニターにロマニの姿が映し出されたのである。前に見たよりもくたびれた顔をした彼は、リツカたちを労わるように明るい声を掛ける。

 

「報告します、ドクター。

特異点の攻略の方は進んでいますが、その他の任務がまだ……」

 

『……ああ、わかっているさ。

こっちもそんなに簡単に―――』

 

『Dr. ロマン。失礼いたします』

 

リツカたちが、この特異点で成さねばならないことは、特異点の攻略だけではない。レイ・アニムスフィアとの合流、そして他生存者の探索も任務のうちだ。しかしながら、彼女らはまだ生きている人間自体をこの特異点で目にしてはいなかった。

ありのままを報告するマシュの顔は暗いが、ロマニにとっては想定内のことである。

彼は、そうだろうと頷くと再び口を開こうとしたが……。突然後ろから声を掛けられ悲鳴交じりの声を上げてしまう。

 

『うわあ……っ!!び、びっくりした……!

ど、ど、どうしたんだい?エフィアくん、』

 

『ふふ。お忘れですか、ドクター。

お話し中失礼かと思いましたが、3時間後に代わると約束した以上、守っていただかなければなりませんので』

 

『そういえば……そうだったね。

ああ、もちろん憶えていたよ。でも、もう少し……待ってくれると嬉しいんだけどな』

 

慌てて振り返ったロマニは、優雅に後ろに佇む1人の女性の姿を目にする。

彼の様子を見て、くすくすと上品に微笑んだエフィアは、まず己の非礼を詫びると、交代の時間であることをロマニへと告げた。早いもので、あれからもう3時間経過していたらしい。

 

エフィアはロマニから視線を外すと、モニターに映っているリツカたちを見た。リツカたちも突如として現れた、華々しい容姿の女性の姿に驚きを隠せない。

 

『あら、そちらが“最後のマスター”藤丸リツカさんですか。

このような可憐な方が……。ああなんて残酷なことでしょう。』

 

「あなたは……!エフィアさん…」

 

「え?マシュ知り合いなの?」

 

「はい。エフィアさんは、様々な部門の管理官のような方です。

私も随分とお世話になりました。」

 

『あなたも無事で何よりだわ、マシュ』

 

「ええ、ご無事なようで安心しました」

 

エフィアはリツカを見ると、眉を下げて嘆いた。もちろん彼女も人類最後のマスターの話を聞いていたものの、実物を目にするとそう言わずにはいられなかったのだろう。

そんなエフィアにマシュが声を掛ける。生まれてからずっとカルデアにいた彼女は、エフィアのことも知っていた。マシュに対して様々な態度をとる人間がいる中で、エフィアは特別態度を変えたりはしなかったのだ。いつも柔らかく接してくれるエフィアは、マシュにとって姉のような存在でもあった。だからこそ、無事でいてくれたことに、マシュは心の底から安堵したのである。

 

「……待ちなさい。

アンタ、今までどこにいたのよ」

 

『これはこれは、オルガマリー所長。

私は運が良かっただけですよ。

あなたもご無事とは余程、……いえ、失礼。

―――あら? いつもの坊やの姿がありませんのね』

 

「レイは今、任務中よ。すぐにでも合流するんだから」

 

『ふふ……。そうですか。

できると良いですね』

 

「……それは、どういうこと?」

 

『あらあら、怖い顔。

確か貴女の弟さんは、先行したAチームだった筈ですわ。

そしてAチームは、誰一人例外なく全滅した筈では?』

 

「……レイ・アニムスフィアがレイシフトされたのは事実です。

アンタ聞いてなかったの? 死人がレイシフトなんて不可能なんだから」

 

『ふ。……ふふ、ふふふっ……!! 本当に面白い方だわ』

 

「何がおかしいのよ!」

 

『いえ、失礼いたしました。

あなたは妄信的なまでに、弟の生存を信じていらっしゃる。

……そして、自分のも』

 

「当然でしょう。あの子がこんなところで死ぬ筈ありません」

 

『ええ、そうでしょうねえ』

 

口元にそっと手を添えて笑うエフィアを、オルガマリーは睨み付けた。

オルガマリーが所長に就任した時、エフィアはもう既にカルデアにいた。

彼女たちは、会議やらで何度か会話をしたことがあったが基本的に馬が合わなかったのだ。

 

オルガマリーにとってエフィアは“薔薇そのもの”であった。

華美な花(かのじょ)の周りには常に人がいた。人を魅了する術を、熟知していたのである。

しかし、人が華に溺れても華が人に溺れることはない。彼女に近付き過ぎた人間は、鋭い棘の餌食となる。そのことを知っていたオルガマリーは、必要以上に彼女と関わらないようにと弟に言い付け、常に警戒していたのであった。

 

「おい、姉ちゃん。……エフィアと言ったかい。

アンタなんか知ってやがんな」

 

『そちらは……。そう、サーヴァントね。

いいえ、私は何も知りませんわ。

ただ私にも大切な兄と、姉がいるものですから、所長の苦しみはわかるつもりですのよ』

 

モニターを覗き込むリツカたちから少し離れた場所で、静かに話を聞いていたサーヴァントが、訝しげにエフィアに問い掛けた。

エフィアは飄々とした態度を崩さなかったが、そのサーヴァントを見た途端微かに顔色が変わる。動揺と呼べるその表情を、彼は見逃さなかった。

 

『そろそろ時間のようですわ。

さあ、ドクター。これ以上はいけません。

少しはお休みになってください』

 

「……仕方ないなあ。

というわけだ、リツカくん。

少しの間彼女と代わるから、何かあったらエフィアくんに言ってくれるかい?」

 

「あ、はい。わかりました」

 

「ごめんなさい、私ったら名乗りもせずに……。

エフィアよ、よろしくねリツカちゃん」

 

「は、はい……!」

 

話は終わりだと言わんばかりにロマニを急がせたエフィアは、最後にリツカに向かって微笑む。リツカは、薔薇色の唇がうつくしく弧を描いたのをぼんやりと見つめる。白い肌に薔薇色(彼女の色)は良く映えていた。

そうして、エフィアに促されるままドクターが立ち上がると、リツカたちに向かって軽く手を振ったところで通信は途絶えたのであった。

 

「相変わらず、嫌な女」

 

「しょ、所長……。それは言い過ぎです」

 

「どうせ、アンタはあの女のいいところしか見ていないだろうけど……!

さいっあくよ!サイアク! まさに性悪の女狐だわ!」

 

額に青筋を浮かべて歯を噛み締めるオルガマリーは、苛立ちを隠そうともせずに悪態を吐く。慌ててマシュがフォローを入れようとするが、余計油を注ぐだけに終わったらしい。

そんなように、通信が切れるとすぐに三者三様の言葉が飛び出すのを聞いたリツカは、苦笑いを溢した。彼女にも、あのエフィアという女性がマシュには優しげな態度をとっていたが、オルガマリーには棘があったように感じられたのだ。

 

「……エフィア、ねえ」

 

ぽつりと呟かれた言葉は、誰にも聞かれることはなく消えていく。

ちらりと3人の背中を見た赤い瞳は、意味深に閉ざされる。

 

オルガマリーを宥めながらリツカは、エフィアの顔を思い浮かべながら、カルデアの数少なくなってしまった職員の1人で、味方であるのだからそう邪険に扱うことはないだろうと心の中でそう呟いた―――。

 

 

 

 

 

そうして一行は、再び進み始めた。次の目的地に辿り着くための石階段は目前に迫っていたが、此処に来て敵の襲来が一気に増加したため、中々辿り着けないでいた。

 

とっぷりとした重々しい黒の空のもと、少女たちはひたすらに足を進める。襲い来る敵を、動きにキレが増した彼女のサーヴァントが打ち砕く。とはいえ“盾”というものは、やはり守りに特化したものである。その攻撃は敵の動きを止めても、息の根を止めるには至らない。菫色のサーヴァントはそれを冷静に見極めると、後ろへと下がった。すると同時に、唱えられた“炎の魔術”が降り注ぎ、敵に止めを刺す。

 

「ふう、やれやれ。こんな奴ら槍があれば一撃なんだがなあ」

 

くるりと木製の杖を回して、肩に担いだ青色の男は溜息を吐いた。

魔術師のような出で立ちのそれは、先ほど大勢の敵に囲まれたリツカたちを助け、ついでとばかりにマシュに戦い方や宝具の使い方を教えた男である。

曰く“はぐれのサーヴァント”らしいが、この特異点のことも良く知っているようで、今現在リツカたちが向かっている場所も彼によって提案されたものであった。

 

「へえ? 相変わらず引き籠ってやがんのか」

 

「キャスターさん、お知り合いなんですか?」

 

「あー。ちいと縁があるだけさ」

 

その場所へと近づけば近づくほどに、身に感じる魔力は強くなっていく。

周りには白い雪が積もっていることから、つい先ほどまで雪が降っていたことが伺えた。リツカは思わず身を震わせる。マシュはデミ・サーヴァントとなった影響で、暑さや寒さといった環境によるダメージは受けにくいらしいが、袖なしの服から覗く細い腕は、見るからに寒そうである。幾分か明るい顔をした相棒は、キャスターと呼ばれた青髪のサーヴァントに自分が充分に戦えるといわれてから、調子を取り戻したようだ。やはり戦い方を知らない彼女だけしか、戦う術を持たない状況は辛かったのだろう。そう考えると、あの場でキャスターと会えたのは不幸中の幸いというやつだったのだろうかとリツカはぼんやりと考えた。

 

「ごほん! なにぼーっとしてんのよ!

マスターとはいえ貴女はまだ見習いも同然なんだから、気を引き締めて頂戴!」

 

「は、はいっ!あの……所長」

 

「なによ」

 

「所長の弟……レイさんって、どんな人ですか?」

 

「貴女……!!

 

「ひ、ひえ……っ!」

 

「ああ、でも、そうね。

藤丸リツカ……。貴女はずっと一般の世界で生きて来たから、知らないのも今回ばかりは許しましょう」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

リツカたちはオルガマリーとロマニによって告げられた任務をこなそうと奮闘していたが、レイ・アニムスフィアの動向は全くといって良いほど掴めていない。この特異点に足を踏み入れてから生きている人間を1人たりとも見ていないのだ。

リツカは、レイ・アニムスフィアの名は何度も聞いていたが、その人間がどういう人間なのか少しも知らないことに気付いて、ふと疑問をそのまま口にしたのである。……途端に恐ろしい顔をしたオルガマリーに詰め寄られ、怒鳴られそうになったが。

 

地雷を踏んだと、顔を蒼白にしたリツカであったが、深い溜息と共にオルガマリーは腕を組むと、ぽつりぽつりとレイ・アニムスフィアについて話し始めた。

 

「レイは、アニムスフィア家の史上最高にして、最低の才能の持ち主よ。

魔術回路、魔力、知識、どれをとっても最高級。正直私よりも、アニムスフィア家当主の肩書が相応しい人間だった」

 

「え?……でも、所長は」

 

「ええ、彼には致命的な欠点があったのよ。

たとえどれだけ優れた魔力を、魔術回路を持っていたとしても“使えなければ”意味がない。

レイは“魔術”を使うことができなかった」

 

「……魔術を」

 

「そう。その代わり武芸に才能があったから、用心棒としてアニムスフィア家を、いえ私をずっと支えてくれた。彼、知識もすごいのよ!彼には、あのレフも相当な期待をしていたの」

 

「レフって、あのレフ教授ですか?」

 

「ええ。私はあまり関わらなかったけど、レイは懐いてたみたい。

といっても人懐っこい子だから、誰にでもああだったけどね」

 

オルガマリーは、段々と表情を緩めていった。それは彼女の姉としての顔なのだろう。彼女のずっと張り詰めた顔しか見ていなかったリツカにとってそれは、ひどくあたたかなものに感じた。それだけ弟の存在は大きく、大切なものだということだ。

 

早く会わせてあげたいと、リツカは強く思った。自分はマシュやロマニなど失うことなく、今この場にいる。もしあの場に家族がいて、爆発に巻き込まれたとしたら……。想像するだけで身が凍った。

 

「ちょっと、なんて顔してんのよアンタ。

レイは大丈夫よ。だって、この私の弟なんだから」

 

リツカの顔を見て、何かを察したのだろう。オルガマリーは胸を張って微笑んだ。

彼女に揺らぎは1つもありはしなかった。レイ・アニムスフィアがこの特異点で生きていて、必ず会えることを絶対的に信じていたのだ。リツカもまた、そんな彼女の強さに胸を打たれる。

 

「所長……。私も、私も頑張ります!」

 

「それは当然です」

 

そう言って両手を胸の前で握り締めたリツカに、オルガマリーはぴしゃりとそういうと、呆れたように笑った。短時間ながらにもリツカという少女の底抜けの明るさに、マシュをはじめオルガマリーも助けられていたのだ。

絶望が絶望を呼ぶ状況で、決して折れない少女の心を、彼女は認めていたのかもしれない。何もかもが素人丸出しの一般人だと、見下げるような感情はもうどこにもなかった。

 

「ほら、さっさと行くわよ」

 

「はーい!」

 

「あっ!先輩……!待ってください!」

 

切り開いた道をまっすぐに進んでいく彼女らの背中には、もう絶望も不安の色もない。

先を歩み始めたその背中たちを見て、キャスターは目を細める。

 

―――彼の赤い目は何処か暗い色を宿しているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 




次で合流となります。

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