数ヶ月ぶりにこんにちは。遅くなり申し訳ありません。
いや、本当にすみません。
思い出すだけで吐き気を催す様な惨状。
辺りに漂う血の臭い、真紅に染まった地表。
悍しい現実を目の当たりにし、尚も正気を保ってなどいられようか。
小窓から日の差し込む通路でたった一人、男は戦っていた。
恐怖に打ちひしがれ、折れそうになる心を必死に繋ぎ止め、彼はそこに居た。震える膝を強く叩き、尚も光を求めるその男の名は…
三枝明那
彼は歩き出す。地を震わせるような歓声、沸き立つ熱気が彼を掠めていく。陽の光が彼を照らし、目を細めた。
「…なんで、こんな事になったんだろうな、俺。」
心の底からの言葉だった。
だがその呟きを掻き消すような歓声が三枝を飲み込んだ。
歓声の中、確かな足音が一歩…一歩と、確実に近づいてくるのが分かる。地面を踏みしめ、その存在は笑みを浮かべる。
「アッキーナさん!こんな最初の方で当たるなんてねぇ。」
相羽ういは…
職業 アイドル…
デビュー初日からその力を遺憾なく発揮した彼女は、百鬼夜行の如きにじさんじにおいてもその存在を示し続けた。
圧倒的なパワーと清楚さで進み続けてきた彼女に付けられた名は…
にじさんじの「清楚覇王」。
三国志において、秦滅亡の一端を担った名将 項羽と同じ二つ名を冠する彼女が今…このコロシアムの地を踏みしめたのである。
今宵覇王の前に立つのはたった一人の男のみ。
「ういはちゃん、女の子に怪我させるのはやっぱ俺的にアレだからさ。
降参してくんない?」
三枝の表情は笑顔を浮かべているが、冷たい汗が背筋を流れ彼の心情を表してきた。
コロシアイ。この言葉の重みは常人が背負うには重すぎた。
「う〜ん、やっぱり嫌かな〜。」
相羽ういはは笑顔で言った。その笑顔に曇りはなく、彼女の声に震えはない。目の前にいる三枝をまっすぐに見つめていた。
三枝もまた彼女の答えに対してそれを予期した様な表情で口を開く。
「じゃあ…さ、仕方ないね。
本当に…仕方ない。」
喉の奥底から絞り出したような声で三枝は呟く。
一瞬の間に出来た静寂を狙い澄ましたように司会者は叫ぶ。
「大変長らくお待たせ致しました!
これよりBブロック第一試合、三枝明那VS相羽ういはの試合を行います!」
より一層熱を増す観客、歪なコロシアイが人々を狂わせる。
三枝にとってこの静寂の数秒は実際の何倍もの長さに思えた。
時の流れがゆっくりになったのでは無いかと思えるほどに。
「それでは、はじめっ!」
先に動き出したのは三枝、走り出し相羽ういはとの距離を詰める。
対する相羽ういはは…
不動。彼女は動かなかった。
だが彼女は恐怖や躊躇で動けないわけではない。
あくまで迎え撃つ姿勢。躊躇や恐怖など微塵もない。
キラキラとした瞳で向かってくる三枝を見つめていた。
「動かないのなら、容赦なく行くからね?」
三枝から繰り出されるパンチは誰もが想像するよりも早かった。
三枝が彼女の拳の届く範囲にこようという瞬間…
パシッ。
三枝の拳は彼女の数センチ手前で止まっていた…
いや、正確に言えば止められていた。
力を込めて腕を動かそうとする三枝だが、その腕は釘で打たれたように動かなかった。
「くっ…ういはちゃん。
手離してくれない?」
三枝の腕をしっかりと掴んだ相羽ういははその言葉に対し、にこやかに微笑んで言う。
「いいですよ〜。」
次の瞬間、三枝の視界は一変した。
三枝の体は母なる大地を離れ、宙に浮いていた。
「なにっ?!」
相羽ういはは大の男一人を片手で投げ飛ばしていた。
この異様な光景は観客達の更なる熱狂を生んだ。
「不味いッ…!」
そう呟く三枝の視線の先には腕を引き、攻撃体制の相羽ういはがいた。
空中は人間の領分ではない、
「ぐッッッ……。」
吹き飛んだ三枝の体は地球の表面を少し削りながら、壁にたどり着いた。
全身に激痛が走り、思うように体が動かない。
三枝の体が悲鳴を上げるが、それは声にすらならなかった。
口の中が切れていたのか、血の味がじわりと広がった。
口の中で血と砂が混ざり合っている。
それを無造作に吐き出して、口を拭う。
「イッタタ…
やりすぎじゃない?」
三枝はひきつった笑顔を浮かべていた。
だがもう彼の中には恐怖も躊躇もなかった。
彼の中にあるのは生きたいと言う欲のみ。
生存本能が彼を突き動かす。
彼が顔を上げると、目の前には相羽ういはが立っている。
彼女はその細く可憐腕で三枝の顔を掴む。
「まだまだこれからですよ?」
彼女は尚も笑顔だった。まるで三枝を傷つける事を楽しんでいるかのように。
三枝をそのまま壁にぐりぐりと押し込む。
壁にめり込んでいく三枝。
バタバタと手足を動かし抵抗するが、効果はない。
「どんどん埋まっちゃいますよ〜?」
まるで釘を打ち込むかのように、何度も何度も三枝を叩き付ける。
壁が三枝の血で染まっていく。
三枝の手足の動きが弱まると、相羽ういははまるで遊び終わった玩具を投げ捨てるように、三枝の体を後ろへ放り投げた。
「あ〜あ、もう飽きちゃったなぁ。」
相羽ういはは壁に向かってそう呟く。
三枝に対しては一瞥すらもくれない。
「そう…かよ…
でも…さ…まだ早い…な…
まだ…勝負は…ついてない…」
地面に伏していた三枝はよろよろと立ち上がる。
「あれ?アッキーナ、まだ生きてたんだ〜。」
少し飽きたかの様に、うんざりした様に口を開く相羽。
「ああ…まぁ…一応ね…」
三枝の体はボロボロだった。
口からは血が流れ、体の節々に痛みが走る。
「もう無理しなくていいんじゃないかな?
もう私も飽きちゃったし。」
相羽ういはは淡々と告げる。
その目は真っ直ぐに三枝を見つめていた。
「イヤイヤ…そういう訳にはいかないでしょ…」
そう呟くと、三枝は腕を上にあげる。
「俺の音楽は…まだ終わってないんだから!」
次の瞬間、彼女と三枝を赤い煙幕が包んだ。
それは今までこの戦場に流れたどの血よりも鮮やかな紅色だった。
「なにこれっ?!え?イッタッ!」
その直後相羽ういはが悲鳴を上げる。
観客達からは赤い煙幕に包まれた彼らを視認することは難しい。
「何、ただの唐辛子入りの煙幕だよ…賞味期限切れだけどね…」
声と影だけが蠢く煙の中、三枝は歩み出す。
深紅の世界の中では彼女に三枝の姿が見える事はない。
「痛たた…いや、ほんと洒落になら無いくらい痛いな…」
痛みに顔を歪めながらも、三枝は一歩一歩確実に進んでいく。
拳を強く握りしめ、進んでいく。
拳を振り上げ、三枝は殴り抜ける。
「うわ…やっぱ殴るのって痛いわ。」
自分の拳を見つめる三枝。
そのまま一発、また一発と相羽ういはに拳を打ち込んでいく。
三枝は痛みに悶えながらも、酷く冷静だった。
この異様な状況にすんなりと順応してしまう自分に嫌気がさしていた。
一発打ち込む毎に距離を取り、仕切り直す。
定石かつ慎重な戦略だった。
勝利への階段を着実に踏み締めている筈の三枝。
自身の勝利を確信しつつある三枝。
だが何かがおかしい、頭の中に違和感が
その違和感の正体は直ぐに判明した。
相羽ういはが動かない…
視界を失った人間がその場で静止するなどということがあるだろうか。
彼女は今、三枝の攻撃に晒されている。
そんな人間が居るだろうか…
底知れぬ恐怖が三枝を襲う。
「うぉぉぉぉお!」
三枝はそんな恐怖を振り切るように叫ぶ。
走り、位置を撹乱し、音を忍ばせ、勝負を決めにかける。
唐辛子の煙幕が視界を阻み、死角からの攻撃を避ける術はない。
距離を詰め、拳を振り上げた瞬間、三枝は驚愕した。
相羽ういはが…此方を向いていたのだ。
「なっっ…!」
だがもう三枝は止まれない。
勢いをつけた拳が止まる事はない。
「ハイっ!捕まえた!」
三枝の拳が相羽ういはを捉える前に、相羽の拳が三枝を捉える。
「グハッ…!」
吹っ飛んだ三枝が地面に伏せる。
相羽ういはは目を瞑ったまま、三枝に一歩ずつ近づいてくる。
三枝は血を吐きながらも、相羽の方を向く。
「ういはちゃん…なんで…俺のいる場所がわかったのかな…?」
目に涙を浮かべながらも、相羽ういはは笑っていた。
その涙は悲しみからではない、唐辛子の痛みからだった。
「う〜ん、勘かな〜。」
勘…にじさんじに常人など居ない。
誰もが恐ろしい一面を持つ狂人である。
だからこそ、相羽ういはの勘はえげつない。
「勘…か…
そうか…俺に足りなかったのは…勘なのかな…」
三枝は諦めたように呟いた。
相羽ういはは痛みの引き始めた目をゆっくりと開ける。
「うーん、力かなぁ。」
相羽ういはは伸びをすると、三枝に背を向ける。
「そうかぁ…なら…仕方ないな…」
三枝はゆっくりと目を閉じた。
血の温かみを頬に感じながら、意識を落としていく。
第一回戦、勝者 相羽ういは。