成幸×先生3作目
11月22日に二人が買物する話。水希もちょい出ますが某妹推しの大関が喜ぶ展開ではありません

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寒空の下での遭遇は彼らに【x】を強要するものである

 夕方の一ノ瀬商店街は今日も賑やかだった。

 立ち並ぶ店からは自商品のアピールの声がしきりに飛び交って道行く者の注目を引いている。夕飯の準備に追われた母親たちは我が子の手を引いて忙しなく歩き回り、まだ初々しさを残した学生のカップルは硬さの残る笑顔を見せながら束の間のデートを楽しんでいる。

 冬の風が不意に吹き付けてもその雰囲気を掻き消すことはできない。みな寒そうな仕草を一瞬見せたものの、すぐさま元の様子を取り戻していく。

 唯我成幸にとってもそれは同じだった。首に巻きつけたマフラーの具合を微調整すると、再び歩みを再開する。

 

「ええと、あとは――」

 

 カラオケ店の前で賑やかそうにしている女子高生達の脇を通り過ぎながら、成幸が手元のメモへと目を落とす。水希の筆跡で書かれたそれは今日の夕飯の材料だった。ただ品目を羅列してあるだけでなく、一つ一つにそれぞれ最安値の店を指定しているあたり、唯我家の家計は誰の手によって成り立っているのか一目瞭然といえた。

 と。

 

「うん……?」

 

 視線の先。コンビニからぶらりと出てきたスーツ姿の女性を見て成幸が声を上げた。距離があるため顔はわからない。それでもあの颯爽とした後ろ姿はよくよく見覚えがある。

 

「桐須先生?」

 

 疑問混じりに呟きはしたものの、おそらくはそうだろう。そのまま様子を眺めていると彼女がコンビニ横にあるゴミ箱の前で立ち止まった。手にしたレジ袋から肉まんらしきものが出てきた瞬間、成幸の仮定が確信に変わる。あんなところで食べ始める女性などそうそういるはずもない。

 すたすたと歩いていくと、そのまま背後から声をかけた。

 

「こんにちは。桐須先生」

 

「ひゃっ!!」

 

 突然話しかけられ、先生――桐須真冬――が、びくりと身体を震わせた。はずみで手から滑り落ちた肉まんがぼとりと地面に落ちる。

 

「す、すみません先生! 驚かせるつもりじゃ」

 

「油断……こちらの不注意だもの。別に気にしていないわ」

 

 慌てて謝罪する成幸に冷静に返すと、真冬が地面の肉まんを拾い上げた。下げていたレジ袋ともどもゴミ箱に押し込むと、あらためてこちらに向き直る。

 

「ところで唯我君は何故ここに?」

 

「夕飯の買い物の途中だったんです。たまたまコンビニから先生が出て来るのを見かけたので……肉まん楽しみにしていたのに、台無しにしてしまってすみません」

 

「ご、誤解! 別に楽しみとかじゃないわ。今日は忙しくてお昼が食べられなかったから、小腹を満たそうと思って」

 

「え、そうだったんですか?」

 

「ええそうよ。まったく、君にはいつも変なところを見られてばかり……」 

 

「なんかすみません……」

 

 いわゆる教師の威厳が、というやつだろう。軽く落ち込んだ様子の真冬に成幸がまたも頭を下げる。

 どんよりしかけた空気を振り払うためだろう。こほん、と真冬が咳払いをうつ。

 

「ま、まあ。それも今更だもの。そこまで気にしてはいないわ。寧ろ見られたのが君だけで良かっ――」

 

「……先生?」

 

 急に口をつぐんだ真冬に、気になった成幸が声をかけた。何故か頬を赤くした彼女が、ぷいと顔を逸らす。

 

「……何でもないわ。とりあえずもう一度買い直すから君も何か頼みなさい。唯我君」

 

「え? いやそんな悪いですよ」

 

 そう言って断ろうとした成幸に、真冬が首を振る。

 

「いいの。偽装……二人で一緒に食べていればそんなに不自然には思われないでしょう?」

 

(ええーー!?)

 

 さらりと告げてきた教師に、成幸が思い切り心の中でつっこむ。寒い中コンビニ前で仲良く肉まんを頬張る男女……傍から見れば完全にカップルの構図ではないだろうか?

 日頃彼女が口にしている教師と生徒の関係の線引きがますますわからなくなっていく。

 が。

 

(まったくこの人は……)

 

 さも「名案ね」とばかりに満足げな顔をしている彼女を見て、成幸は考えるのを止めた。そもそもこの先生と過ごす時間は決して嫌いではないのだ。こうして彼女のペースに引き込まれていくのも、まあ「今更」だろう。

 

「ええ、わかりました」

 

 苦笑をこぼしながら、承諾する成幸だった。

 

 

「ごちそうさまでした。寒くなってくるとこういうのが美味しいですよね」

 

 およそ十分後。慌ただしく通り過ぎ行く人々を見ながら仲良く肉まんを頬張る教師と生徒の姿があった。

 一足先に平らげた成幸が、隣にいる真冬に礼を告げる。

 

「そうね。でも、だからといって学校帰りでの買い食いは禁止よ」

 

「そういうところ、やっぱりカタイですよね。先生」

 

 苦笑しながらはずみで軽口を叩く成幸。案の定軽く睨まれてしまったものの、それが本気でないことは彼女の目を見ればわかる。すみませんと呟けば、呆れられながらもすぐに頷き返してくれた。

 そんなやりとりを交わしているうちに、真冬の方も肉まんを食べ終える。

 

「ふう……感謝。付き合わせてしまって申し訳なかったわね。唯我君」

 

「いえ、こちらこそ逆におごってもらっちゃってすみません。先生はこのまま家に?」

 

「少し寄り道するけど、そのつもりよ。唯我君はまだ買い物が残っていることだし、そろそろお開きにしましょう。帰ったらしっかり勉強するように」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 最後に挨拶を交わし、真冬のもとを離れていく成幸。さて、と意識を切り換えると雑踏の中へと飛び込んでいく。子供の頃から通っているこの商店街は、今や自宅の庭のようなものだ。

 買い物を最短で終わらせるためのルートを急ぎ組み立てると、足を早めた。

 

 

「ふう……やっと確保できたな」

 

 真冬と別れてからおよそ三十分。スーパーカワイの店内にて最後の特売キャベツを手にした成幸は、満足げな表情で呟いた。

 ぎりぎりのところだった。先程までいた「月に一度の激安セールコーナー」は今や殺伐とした戦場と化し、生鮮食品にいたってはまさに瞬殺だった。

 今も背中越しに聞こえる悲鳴や怒号に苦笑いをしつつ、レジに向かう。

 

「……っと、随分混んでるな」

 

 レジ周りの様子が見えるやいなや、成幸が声をあげた。月に一度のセールということもあって、正面入口のレジはどれも長蛇の列だ。

 このぶんだと離れにあるセルフレジを使った方が早いだろう。判断するや成幸が踵を返す。セルフレジへの近道となるインスタント食品コーナーを通り抜けようとして。

 

「ふっ……くっ……!」

 

(先生?)

 

 成幸が驚く。目の前には先程別れたはずの教師が必死に背伸びをしながら棚に手を伸ばしていた。

 成り行きを見るに、どうやらお目当ては最上段にあるカップ麺のようだった。あと少しのところで手をすり抜けては眉をしかめる彼女に苦笑すると、すたすたと距離を詰めていく。

 

「僅少……あと少しで」

 

「これですか?」

 

「し、謝辞。ありがとう……って、唯我君?」

 

 受け取ったカップ麺を片手に目を丸くする真冬に、成幸が軽く会釈をする。

 

「今日はよく会いますよね。それって夜食の買い出しとかですか?」

 

「相違。夜食にカップ麺を食べるなんて不健康なことをするわけないでしょう」

 

「それもそうですね」

 

 成幸が納得する。元は伝説とまで言われたほどのフィギュア選手だ。その辺りの食事管理は流石にしっかりしているのだろう。

 が。

 

「これは夕飯用よ。カゴに入ってるのが明日の昼と夜用ね」

 

「そっちの方が余程不健康でしょ!」

 

 僅か数秒で前言をひっくり返してきた教師にたまらず成幸がつっこむ。

 流石に自覚はあったのか、真冬が顔を赤くしなから抗弁してきた。

 

「ご、誤解! 決していつもそんな調子ではないわ。ここ最近時間の余裕が無いだけで」

 

「いやまあ、忙しいのはわかりますが……」

 

 釈然としない様子で、成幸。期末テストの準備もあるうえに進路指導ならこの時期は何かと多忙なのだろう。それにしたって極端過ぎるとは思うが。

 

「とにかく取ってくれて礼を言うわ。それじゃあ」

 

「あ、そっちは混んでるから避けた方が。ただでさえ大荷物ですし」

 

 真冬の買い物カゴの中身に気付いた成幸が慌てて忠告する。カップ麺の下には山ほど――それこそ彼女が持って帰れるか疑問視する量の――荷物が詰められていた。

 彼女が調理実習の代理を引き受けた時の事を思い出して、急に不安になってくる。

 

「それもそうね。あっちのセルフレジの方がいいのかしら」

 

「その方が早いと思いますよ。あ、セルフレジの使い方はわかりますか?」

 

「疑問。君は私を何だと思っているの」

 

 世話が焼ける先生です、と言いかけたのは流石に飲み込んで。

 たっぷり圧をかけてくる教師から目を反らした成幸は、足早にセルフレジへと先行した。

 

 

「謝辞……持ってもらって悪いわね。唯我君」

 

「いえ、こうなることは予期してましたから」

 

 真冬の荷物を片手にぶら下げ、成幸は努めて朗らかに告げた。

 あの後、スーパーでレジを通し終えた真冬の前に現れたのは、彼女一人では到底運べないような荷物の束だった。予想通りの展開に、成幸は事前に想定したとおりに彼女の荷物運びを買って出た。

 店を出てからこっち、未だ申し訳無さそうにしている彼女と連れ立って歩く。

 と。

 

「あ、そういえば」

 

 肉屋の看板が前方に見えた瞬間、成幸の記憶が蘇った。懐からメモを取り出すと、確認する。

 

「すみません先生。ちょっと買い忘れたものがあるんで待っててもらえますか?」

 

「え、ええ……」

 

 近くのベンチに荷物と真冬を座らせて、成幸が肉屋へと足を運ぶ。普段世話になってる店ではないのが気にはなったが、水希のことだ。きっと特別セールの情報でも耳に入れたのだろう。リストに牛肉と書いてあるのが何よりの証拠だ。

 唯我家の貴重なタンパク質摂取の機会に、店に着いた成幸は浮足だった表情で店長らしき中年の男に訊ねる。

 

「すみません。牛肉はありますか」

 

「おう、特売の情報を見てくれたんだね。けど買い物に来てるのは兄さん一人だけかい?」

 

「え?」

 

 何のことだと疑問符を浮かべていると、店長が今日の特売についての説明をする。

 聞き終えた成幸は「すみません」とことわるとそのまま踵を返した。

 

 

「すみません先生。お待たせしました」

 

「いやに早かったわね。無事に買うことができたの?」

 

「あ、いや、それが――」

 

 成幸が店長に告げられた内容を説明する。確かにお目当ての牛肉は存在していたのだが……問題はセールの内容。もっと言えば、割引の為の条件が設定されていたのだ。

 

「――要約。つまり今日は特別な日にちなんで相手が必要ってことかしら」

 

「はい。今日は11月22日でいい夫婦の日ってことなんで……ペアで買いに来ないと割引価格にならないらしくって」

 

 説明を終えると再度胸元からメモを取り出し、納得する。わざわざ他の買い物リストから離して書いてあったのはそういうことだったらしい。

 目の前に牛肉が羽を生やして飛んで行く幻影が見えた。がくっと気落ちする成幸に、真冬が気遣わしげに声をかける。

 

「唯我君」

 

「あ、大丈夫です……遅くならないうちに帰りましょうか」

 

「その……私でもいいなら」

 

「え?」

 

 訊き返した成幸に真冬が赤くなりながら告げた。

 

「き、協力。説明を聞くに、男女二人で買いに行けば問題無いのでしょう?」

 

「は、はい……で、でもいいんですか?」

 

「返礼。荷物を持ってくれているのだし、その埋め合わせだと思いなさい」

 

 ぷいと顔を反らした真冬が横目でこちらを見やり、「どうする?」と問いかける。

 少し悩んだ成幸だったが……やはりこの機会を逃すのは惜しい。

 素直に彼女の申し出を受けることにした。

 

 

「いらっしゃい! お、さっきの兄さんじゃないか」

 

「はい。さっきの牛肉を買いに来ました」

 

「良いのかい? 相手がいないと普通の価格になっちまうぞ」

 

「あ、それなら大丈夫です」

 

 成幸がそう言うと、後ろに控えていた真冬が横に並び出た。彼女の顔をまじまじと見つめた店長が小さく口笛を吹くと、笑顔を見せる。

 

「なんだ。ちゃんと相手がいたんだな。凄い美人な姉さん女房じゃないか。兄さんやるなあ」

 

「そ、相違! 私達はあくまできょう――もがっ」

 

 例のセリフを言いかけた真冬の口を、成幸がすんでのところで押さえた。尚も口をもがもがする彼女の耳元に急いで囁きかける。

 

(教師と生徒がこんな場所に来てる方が余程不自然ですよ。このまま話を合わせた方が得策です)

 

 咄嗟に思いついた理由だったが、それなりに説得力はあったらしい。もがもがを止めた真冬が首を縦に振る。

 安堵すると、二人で店長の方へと向き直った。

 

「どうしたんだ? 夫婦喧嘩かい」

 

「あーまあ……そんなところです」

 

 適当に流した成幸が横目で真冬を見やる。流石に反応はしていなかったが、さっさと済ませるに越したことはないだろう。早速メモに書いてあった分量を店員に伝える。

 

「了解。けどその前に、一つチャレンジしてもらう事があるんだ」

 

「チャレンジ?」

 

「ああ、夫婦の日にちなんでな。なあに、互いに日頃の気持ちを伝え合って最後に“好き”と伝えるだけだ。内容が良けりゃオマケも付けるから頑張ってくれよ」

 

(ええーー!)

 

 爽やかにサムズアップをかます店長に、成幸が心で叫ぶ。流石にそれは教師と生徒的にまずいだろう。

 愛してるゲームでしこたま怒られた時のことを思い出していると、店長が更に話し掛けてくる。

 

「ま、最初は皆恥ずかしがるもんだ。さっきチャレンジしたのは親子だったが、お互い日頃の感謝を伝え合ったら良い雰囲気になって帰っていったよ」

 

 はははと快活に笑いだした店長を見ながら成幸が胸を撫で下ろす。どうやら“好き”は恋愛的なそれでなくても良いらしい。真冬の方も理解したのか、ほっと息を吐くのが見えた。

 とはいえ。

 

「あ……その」

 

 店長に促されて真冬と向かい合う。教師だからか、はたまたこれが大人の女性の余裕なのか、彼女に動じている様子はない。それがかえって緊張を生むのか、なかなか思うように言葉が出てこない。

 

(茶番。嘘でも何でも良いから適当に言いなさい)

 

(あ、はい)

 

 真冬からの助言で成幸が気付く。こんなのは試験でも何でもないのだ。わざわざ真面目に考えなくてもクリアは可能だろう。

 

「ええと、いつも――」

 

 “感謝しています” “ありがとうございます” そんな当たり障りのないワードが候補に並ぶ。

 彼女の目を見つめながら、さっさと続きを言おうとして。

 

 ――生徒に良く思われようとは微塵も思っていないわ

 

 ――私はどう思われようと構わないわ。疎まれようと。蔑まれようと

 

「いつも……」

 

 不意に思い出してしまう。目の前の彼女はそうしていつも孤独を選んでいることを。

 本当に不器用な、面倒くさい人で。

 だから、自分は。

 

「――どうしてああも短期間で部屋が散らかるんですか。ゴミ袋にはきちんとまとめてるんですから、あとは収集日に出すだけでしょ」

 

「なっ……!」

 

「おまけに何かとズボラで、意地っ張りで、ドジを踏むことも多くて」

 

「し、辛辣! いくらなんでも――」

 

「けど」

 

 抗弁しようとする真冬に成幸が声を重ねた。

 

「いつも人(生徒)を思いやって、努力家で、厳しそうに見えても本当は優しくて、影でずっと応援してくれていて、悩んでいた時にはいつも助けてくれる。だから、俺は好きです――真冬さん」

 

 すんでのところで夫婦設定を思い出した成幸が最後に付け加え、にこりとする。

 長所も短所も。等身大の彼女を自分は好きであり、尊敬している。そのことをあらためて彼女に知ってもらう良い機会だった。

 

「し、羞恥。本当に君はいつもそんなことばかり……」

 

 ストレートな言葉に、顔を赤らめた真冬がさっと顔を背けた。

 耳の辺りまで真っ赤になりながら沈黙を続けたあと、「でも」と繋ぐ。

 

「返礼。こちらこそ、いつも助けてくれて本当に感謝しているわ。真面目で、努力家で、真っ直ぐな君のことが……す、好きよ。成幸……君」

 

 横目でこちらを見ながら恥ずかしそうに告げた真冬に、成幸が思わずどきりとする。一瞬、まるで本当の恋人や夫婦になったかと錯覚したほどだ。

 互いに顔を伏せたまま沈黙が続く。だがそれは決して悪くない時間ではあった。

 が。

 

「……お二人さん」

 

 横目から届いた野太い声に、引き戻された二人がはっと店長へと振り向く。

 彼は――泣いていた。それはもう、豪快に。

 

「合格、大合格だ! 互いに相手を思いやっている気持ちがぐいぐい伝わってきたよ。まったく。俺も兄さんたちのように、もっと嫁を大切にしないとな」

 

 涙を拭うと、またも店長が笑い始める。異様な雰囲気を察したのか周囲を歩いてた者が何だ何だと視線を向けてきた。

 恥ずかしげに顔を伏せた二人は、一刻も早くこの場から離れたいと願うのだった。

 

 

「すみません先生、付き合わせてしまって。それに……」

 

「演技。その為にさっきは名前で呼んだのでしょう? わかっているしお互い様だから早く忘れなさい」

 

「は、はい……」

 

 真冬にたしなめられて成幸が頷く。

 あれから――無事に肉を購入してから十分ほどが過ぎた。オマケの一つに何故かコーヒーが付いてきたため、今は近くのベンチに座って飲んでいる。

 冷ましがてら、くるくると手の中の紙コップを持ち替えていると、彼女がこちらに視線を向けていることに気付いた。

 

「でも」

 

「?」

 

「君に告げたことは……嘘ではないから」

 

「え?」

 

 どきりとした成幸がどういう意味かと訊ねかけたその時、不意の突風が二人の間を吹き抜けた。

 きゃあ、と真冬の声。見ればベンチに置いていた彼女のショルダーバッグが地面に吹き飛ばされていた。

 

「拾いに行ってきます!」

 

 バッグの中身が四方八方へと飛び散るさまに、成幸がすぐさま席を立った。近くに転がっていた物――確か温泉たまごが簡単に作れる代物――は後回しにして、軽くて一番遠くまで飛んでいったクリアファイルの回収に向かう。

 またも風が吹く直前、間一髪で拾い上げた彼の目にファイルの中身が映った。

 

「これは――」

 

 成幸の表情が驚きに変わる。ファイルの中身は色んな大学の出題傾向をまとめたと思わしき手作りのレポートだった。大学別に付箋が貼られており、志願しているであろう生徒の名前が記入されている。古橋、緒方……自身の名前もその中にあった。

 

 

 ――ご、誤解! 決していつもそんな調子ではないわ。ここ最近時間の余裕が無いだけで

 

「先生……」

 

 こみ上げるものをぐっと我慢して、成幸は踵を返す。振り返った視線の先にはまたも吹き飛んだバッグの中身を必死に拾う真冬の姿。家でも外でも、彼女は何かとトラブルに見舞われている。

 でも。

 

「落ち着いて下さい先生。まずはまた飛んでいかないよう軽いものから拾い集めましょう」

 

「か、感謝。いつも悪いわね。唯我くん」

 

「いや……俺の方こそですよ」

 

「……?」

 

 こうして顔を合わせる度に彼女の姿が見えてくる。可愛くて、ズボラで、ちょっとドジで、いつも自分の目指す姿を見せてくれるかけがえの無い先生。

 だからこそ、自分は嫌いではないのだ。彼女と過ごす時間が。

 寒空の下、中腰の姿勢でひょいひょいと手を動かし続ける成幸。

 その心には、確かに暖かいものが宿っていた。

 

 

 作戦は完璧だった。

 

 今日の日のために予てから準備をしてきた。食費をきりつめ、セールを理由に兄には何日も前からこの日は買い出しに行ってもらうようスケジュールを調整してもらっている。

 全ては例の肉屋に一緒に行くためだった。事前情報であそこの催しはきっちりと把握しているのだから。

 ふふっと笑みが溢れる。几帳面な兄のことだ。メモを見て必ずやあの肉屋に行き、そこで内容を聞くだろう。そうしてがっかりしながら帰宅した兄にこう告げるのだ。「なら、私が一緒に行ってあげる」

 完璧だった。何の不自然もない。やがてあの肉屋で兄は私への気持ちを語り、最後に好きだと告げる。誰も邪魔することのない、シスターエンディングストーリーの完成だ。

 

「早く帰ってこないかなあ。お兄ちゃん」

 

 弟妹がドン引きしているなか、またも水希が不気味に笑う。

 彼女は知らなかった。兄が常日頃から相手にしている女性はいつもの二人や憧れの先輩、たまに顔を出す小柄な女性だけではないことに。教師だと母から告げられたあの女性は、色んな意味で兄と近しい距離にいることに。

 爽やかな笑顔で牛肉を買って帰ってきた兄の姿に水希が血反吐を吐いて倒れるまで、あと二十分を切ろうとしていた。

 

 




前2作がEDっぽい話だったので今回は日常回っぽいのにしました。
もうすぐ連載も終わりそうな感じですが、願わくばこの二人の掛け合いをもっと見てみたいですね

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