Fate/Iron-Blooded Orphans《完結》 作:アグニ会幹部
ちょっと短めですが、どうぞ。
私が寝るのを見届けて、彼は部屋を去った。
寝たふりをしたまま、それを見届けた。
もう、寝るワケには行かない。
寝たらあの夢を見る。後一度でも眠ったら、本当におかしくなってしまう気がする。
先輩は自分を捨ててまで、弱くてズルくて汚れた私を信じてくれた。また人を殺したら、もうまっすぐに向き合えなくなる。
もう戻らないほど、彼の心は壊れた。
私が、壊してしまった。
お爺さまを、止めなくちゃ。
私が、私でなくなる前に。
――先輩、ありがとうございました。
彼からは、たくさんのモノ。
挙げればキリがないほど、いっぱい貰った。
――姉さん、ありがとうございました。
とっくに諦めていたのに、もう一度そう呼べた。
本当に、本当に嬉しかった。
――藤村先生、ありがとうございました。
姉のような人だった。
惜しむらくは、約束を守れないコトか。
衛宮邸の鍵を、机の上に置いた。
そして、衛宮邸を後にするべく、玄関から出ると――
「どうするつもりだ、娘」
黄金のサーヴァントが、立っていた。
無遠慮な視線を、こちらに向けている。
「貴様如きがあの羽虫の下へ戻ったとして、何が出来る?」
言外に出来ない、と言っている。
そうかも知れない。私が、お爺さまに敵うなんて思えない。
「…刺し違えてでも――」
「死ぬしか無いと分かっていながら、哀れに生へしがみつくコトしか出来ないような貴様が、誰かと刺し違えるだと? 成る程、あの
…このサーヴァントは、何が言いたいのか。
私を止めたいのだろうか? それとも、ただからかいたいだけなのか。
「貴様が行くのは勝手だ。好きにするが良い。
だが、と黄金のサーヴァントは言って。
「ここを離れるというコトは、貴様を守ると言った男を裏切るというコトだ。ゆめ忘れるな」
◇
士郎は、六時にピッタリ起床する。
桜が眠ったコトを見届けて、部屋に戻ったのはかなり遅かったと言うのに、身体に染み付いた習慣は侮れない。
そして、今日も桜の部屋へと向かう。
「おはよう、桜」
いつも通りの挨拶をしながら、士郎が部屋に入ると――
「――桜?」
部屋に、桜の姿は無く。
机の上には、衛宮邸の鍵だけが残っていた。
「あの娘ならば、もうおらぬぞ」
士郎の背後から、男の声がする。
凛が連れて来た黄金のサーヴァント――「英雄王」ギルガメッシュだ。
「もう、いないって――?」
「決まっておろう。アレは己が主の下へ戻って行ったのだ。あの羽虫の所へな」
羽虫、って――それは、まさか。
間桐邸に、帰ったと言うコトか――!?
「お前、なんで止めなかった!?」
「何故
全く愚かだが、それがアレ自身の選択だ」
ギルガメッシュの言葉を聞き終えるよりも早く、士郎は桜の部屋を飛び出した。玄関へと向かい、靴を急いで履いて、走って家から出る。
向かうべきはただ一ヶ所――間桐邸。
「――さて、運命はどう転ぶか。
間に合うとも思えんが、せいぜい足掻いて見せろよ? 雑種」
残されたギルガメッシュは、口元を吊り上げながら、そう一人ごちた。
◇
桜は数日ぶりに、間桐邸の自室へと帰って来た。
着ていた防寒具を脱ぎ、椅子に掛ける。白いワンピースのみになり、桜は改めて決意する。
お爺さまを止める。
刺し違えるコトになろうとも、絶対に。
その時――部屋の扉を開けて、何者かが入って来た。桜は驚いて身を震えさせ、恐る恐る扉の方を見る。
「――よう、裏切り者。随分遅いお帰りじゃないか」
間桐慎二。
義兄が、そこには立っていた。
「…兄、さん」
「ちょっと持ってみろよ」
感情を宿さない声で言って、慎二はポケットから出した物を桜へ投げ渡す。桜は身構えて、投げられた物をキャッチしながらも、強く目を瞑った。
「危ないモンじゃない」
慎二の言葉で、桜は恐る恐る目を開け、握った拳を開く。
言葉通り、そこには五センチほどの小さな瓶が有り――中に入った液体が、淡くとも確かな緑色の光を放っていた。
「――綺麗…」
その光を見て、桜は率直な感想を呟く。
そして、慎二にその由来を問う。
「これ、兄さんが作ったんですか?」
「…ああ」
「凄い…凄いです、兄さん――私には、こんなの作れません」
心から感嘆を漏らす桜。
一方、慎二はそれを見て――渇いた笑いを浮かべた。
「――桜は凄いなぁ。いつか、遠坂も超えられるんじゃないか?」
え? と、顔を上げた桜の頬を――慎二は、殴りつけた。鈍い音がして、桜の手から零れた小瓶が床に落ちて転がる。
桜は唖然としながら、自分の頬を叩いた慎二に視線を向けた。
「生意気だよ――僕の人形のクセに」
それは最早、兄ではない。
仮面は剥がれ落ち、醜悪な本性がさらけ出されている。
慎二が桜の肩を押すと、桜は抵抗も無く、後ろのベッドへと倒れた。
呆然と脱力して倒れたままの桜に、慎二がのしかかる。
ああ――私、また間違えたんだ。
だから酷いコトされるんだ。
初めてではないし、さほど珍しいコトでもない。慎二は桜を慰み物としている。
いつものコトだ。
大丈夫。
いつもみたいに、少し我慢するだけ。
我慢して。我慢して。
我慢して我慢して我慢して――
『桜』
――桜の脳裏に、優しい彼の声が響いた。
その瞬間、いつものコトであるハズのその行為が、ものすごく嫌になって。
桜は、慎二の手をはねのけていた。
「――は?」
「嫌です――私はもう、先輩のモノです!」
その反抗は、慎二の癪に障った。
自分の人形が。衛宮のせいで、逆らった。
「ッ――随分、手懐けられたモンだな!」
力強くで押し倒し、白いワンピースを引き裂く。腕力で桜が慎二に勝てる訳もなく、桜は泣き叫びながらも、服を破られて肌を晒させられて行く。
「嫌ァッ!!」
桜は逃げようとするも、慎二に上に乗られている以上、不可能だった。そして、その反抗が更に慎二の神経を逆撫でる。
ずっと前から思っていた。
ずっと前から、恨んでいたんだ。
――私の周りに有る世界は、どうしてこんなにも、私を嫌っているんだろう。
「ハハ…ああ、衛宮にも教えてやらないとな。今までお前が、どれくらい僕にすがりついて来て――」
慎二が耳元で囁いた言葉に、桜は潤んだ目を見開く。怯えるように息を呑んだ桜を見下ろして、慎二は更に叫ぶ。
「どれくらい汚らしく、交わったかってコトをさァッ!!!」
こんな人――いなければいいのに。
桜の中で、何かが壊れた。
いや――何かが嵌まった、と言うべきか。
突如として飛び出した「影」の手が、笑っている慎二の喉笛を正確、かつ無慈悲に引き裂いた。
「ハ―――」
血飛沫が飛ぶ。
事切れた慎二の身体が、桜へ倒れ込んだ。
「―――え?」
しばらく桜は、何が起こったか分からなかった。
けれど、赤く染まって行く自身と、急速に温度を失って行く慎二を見て――ようやく、事実を認識した。
「兄、さん――?」
桜は確かに思った。
慎二なんて、いなければいいと。
そしてその通りに、慎二はいなくなった。
殺した。
無意識下でやっていた今までとは違う。
桜が桜の意思で「影」を動かし、慎二を殺したのだ。
「
暗黒の蟲蔵で、老人が哄笑する。
灰色の日に照らされていた桜の部屋が、床下から広がって来た黒い影によって塗り潰されて行く。
「あ…ああ、あ―――」
桜の影から、黒い人形が現れる。
のっぺりとしたそれは幾つも現れ、慎二の死体の上で輪になって踊り出す。輪に入り損ねた人形は、他の人形によって跳ね飛ばされた。
「――あは。あはは、あははは」
楽しい。たのしい。タノシイ。
くすくすと笑う。からからと笑う。
壊れた。壊れていた。
初めから、間桐桜は壊れていた。
十一年前のあの日から。ずっと。ずっと。
殺していたのは自分だ。幾多の夜に見た夢。
あの
可笑しいですね――なんて、簡単なんだろう。
部屋は暗黒に覆われた。
やがて赤い光に、桜は照らされる。
人形の一体が桜の肩にまで上って来て、天井を指し示す。
見上げると、そこには――影が有り、花が開くかのようにゆっくりと、桜に向かって降りて来ていた。
「桜―――!!!」
間桐邸へと駆けながら叫ぶ士郎の声は、桜には届かない。
やがて桜は、影に覆い尽くされた。
桜を中心に、魔力が吹き荒れる。
踊っていた黒い人形達が吹き飛ばされ、床に叩き落とされた人形が、何かを崇め讃えるかのように両手を上げる。
人形が見上げる先には――
――影を纏った、間桐桜がいた。
全身で影を覆われた彼女は、ワンピースを着ているかのようだ。紫だった髪は白く染まり、眼は血のように赤く淀んでいる。
マキリの杯は、遂に完成を遂げた。
大聖杯と直結し、その呪われた泥を浴びて。影を受け入れ、同化し変わり果てた彼女は。
「あはははははは。はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――!!!」
口元を歪めて、笑っていた。
あわれみを下さい
堕ちた小鳥にそっと触れるような
かなしみを下さい
そんな風に懇願する必要なんて、もう無い。
わたしは誰よりも強くなった。
今この世界で、わたしがいちばん強い。
ねえ 輪になって踊りましょう
目障りな有象無象は全て
たべてしまいましょ
スパイスは堪え難いくらいがいいわ
今までの苦しみがウソのよう。
身体も心も軽い。タノシイ。タノシイ。
lie, lie, it's a lie, not a lie,
もう辛い
散々傷ついて
やさしいせかいに
誰だって行きたいわ
もう無力じゃない。もう弱い私はいない。
全能感と歓喜に満たされて、彼女は艶めかしく、影に染まった肢体を震わせる。
ひとつに溶けてしまいましょ
憎しみも愛情もむしゃむしゃと
頬張ってしまいましょ
混沌の 甘い甘い壺の中で―――
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