その日の夜、僕は奇妙な胸の昂りのせいであまり眠ることはできなかった。突然書置きを残して消えた母、勢い余って手に掛けた父、死に場所を探してフラフラと彷徨った森....全てをはっきりとは覚えているわけではないが、ここに来た密過ぎる日が何故かつい昨日の事のように思えた。
なぜだろう、母という存在が僕にとってより近いものだとチラつかされているように思えるからだろうか、もしもここに神様がいるというのならそんな運命の気まぐれなどどうでもいいから早く母に会わせてほしい。もっとも神様なんて存在する由もないかな、だが幸か不幸かここは今までの考え方では測ることのできない世界である。
もしも存在するというのなら今すぐにでも顔を拝んで頼み込みたいものだ。『今すぐに母を見つけ出してほしい』と。
なんて逸れたことを考えているうちにいつの間にか僕は眠っていたらしい。
翌日、僕は自分の授業が終わり慧音と少し話していた。
「慧音さん、少し気になることがあるんですけどいいですか?」
「何だい?」
「幻想郷って、神様っているんですか?」
「ああ、いるさ」
本当にいるのかよ、と言いたいところではあったが言葉を飲みこんで
「どんな感じですか?僕のイメージするような、なんかこう、すごい感じなんですか?」
「どうだろうね、確かに強い力は持っているだろうけど君の思うような物凄い神々しい存在かどうかと言われれば少し違うかもしれないな。神様とは言ってもどこか天の上とかに坐して私たちを見守るような存在ではないしな。」
「と言うと?」
「神様自身が信仰を集めるために自分から行動を起こすことだってある。たまに緑色の髪をした少女が何か演説をしているのを見たことはないか?」
何となく心当たりがある。その頃は大分荒んでいた時分なので馬鹿馬鹿しいとしか思っていなかったが。
「彼女だって一応神様だぞ」
「え!?」
慧音の言っていることが僕にはよく分からない。
「まぁ神様と言っても人間だが、いわゆる『現人神』と呼ばれるものだ。彼女が里に下りて何をしているのも信仰集めのためだ」
最初は不思議に感じたが、思想を広めるために遠い場所に行くなんてそこら辺で聖書を持って何かを語っている人と変わらないじゃん、そんな風に思えて少し可笑しく感じた。
「神様の力は信仰あってのものだから彼女らも必死なんだろう、....まぁ色々的外れなことをしていたこともあったからな」
慧音も僕につられたのか少し笑う。
「だから何か成し遂げようとして神頼みをする、というのも悪い事とは言えないが彼女らが目的のために動くという存在なら、イタズラに神頼みだけをするのはきっと意味のない事だろう。せいぜい気休めにしかならんさ。」
「まぁ、そんなもんですよね」
「まぁ何かを成し遂げるとは言っても気の持ちようは大切だからな。今度里に下りて来た時にほとぼりが冷めたらお守りの一つ二つ拾って帰ってもきっと罰は当たらないさ。彼女自身奇跡を起こせるらしいからな」
「奇跡ですか?」
「まぁ細かいことはよく分からないし、それに過剰に期待しすぎるのも良くないからな。『為せば成る為さねば成らぬ何事も』という言葉があるくらいだ、元々は君の世界で誰かの遺した言葉だろう?」
「そうですね、僕自身が動かないとやはりこれはどうにもならないから....」
「まぁ思い詰め過ぎることもない、無理は禁物だからな。とはいえ私だって君の味方だ。何かあったら頼ってくれても構わない」
「慧音さん....ありがとうございます。」
僕が動かないと、このことは解決しない。例え避けたくなるようなことでも僕はしなければならないんだ、話を聞いて僕はそう感じた。
「あれ?貴方は先日の....」
避けたい。すぐに道を譲ってでも彼女と話すのは避けたい。
「記者さんが何の用ですか。用が無いなら先を行きますよ」
キツめの口調で射命丸に言う。あまり彼女とは話したくない。
「いえ、先日は貴方を記事にするつもりはないと言いましたが....あなたのことで気になることがありまして」
「何ですか?どんなガセネタを拾い聞きしたんですか?」
「人聞きが悪いですねぇ....私自身貴方の探し人について興味はあったのですが」
無視して進もうと思った矢先に、聞き捨てならない言葉が聞こえて僕は足を止める。
「....その話はどこで?」
「天狗の情報網を甘く見てもらっては困ります」
やはり人間ではなかったか。まぁ空飛ぶ人間だなんてそうそう居る筈もないのだが。
しかし彼女は天狗か。いや、そんなことはどうだっていい。問い質したところでどうせ情報元の口を割るとも思えないし、何より彼女にデマゴギーでも流されて話があちこち飛んで行ったりでもした日には、随分な遠回りを強いられることになるに違いない。
とはいえどうやってこの場面を切り抜けようか。妖精なんかと違い射命丸を出し抜くのは至難の業だろう。というか多分僕にはできない気がする。
しかし沈黙を保ったところで解決に事が運ぶとは思えない。クソ、どう立ち振る舞えばいいだろうか—
「....へぇ、あんた天狗だったのか」
「そういえば私のことは名前と記者ということしかご存じではありませんでしたか」
「まぁ、うん。なんかこう天狗って鼻が長いやつとかのイメージしかなかったから。へぇ、ここって天狗もいるんだなぁ」
「....ちゃんと考えてモノ話してくださいよ。そこまで私との会話を避けようとしなくたっていいじゃないですか」
やっぱりダメか。素面で射命丸と話すとなると相当にカロリーを消費しそうである。
「そんで、何を聞きに?都合のいい言質でも取りに?」
「まったく、信頼無いですねぇ。場合によっては協力も考えているのですが....」
この発言に僕はピクリを身を揺らす。
「第一この件で嘘の情報を流したところで私には何のメリットもありませんし、それならいっそ『感動の再会』を記事にした方がよっぽどネタにもなりますから」
やはり彼女の発言には何か人を腹立たせる要因がある。とはいえここでそれをぶつけたところできっと向こうの思う壺なんだろう。
「はぁ....協力って?」
「それは貴方次第です。あなたが『母親を探している』ということを私が記事にすれば、今よりもよっぽど多くの人の目にこの事が触れるでしょう」
確かにそういう利用の方法もあるだろう。だが、やはりどうも彼女を信用しきれない。
「そんなこと言って変なことを載せるんじゃないだろうな」
「はぁ、しつこいですね....分かりました。今回のこの件に関しては貴方のフィルターを通した上で書かせていただきますから。それなら構わないでしょう?」
「検閲みたいなもんか?」
自分で言うには少し気が引ける。
「ええ、こちらとしても少し不本意ではありますが。それなら構わないでしょう?」
少し考えてみる。前に『できれば内密にしてほしい』といった手前ではこれを呑んで記事にしてもらうのは少し決まりも悪い。それにできれば手を組みたくない相手でもある。とはいえ今の母がどこにいるかも知れない手探りの状況よりは手掛かりがある方がよっぽどに捜索も出来そうである。
このまま僕自身が俯瞰した立ち位置のままではきっと物事は中々進まないだろう。しばらく考えた上で
「分かった」
僕は首を縦に振った。
「では早速、貴方の母親についての特徴などを教えていただけませんか?」
「それなら一番手っ取り早い方法がある」
そういって僕は鈴奈庵へ向かった。
「....というわけで、この新聞記事の顔写真を使わせてくれないか?」
それは僕が前に盗んだ新聞記事だ。幸いその記事には母の写真が小さく載っていた。
「そうですね、この辺りのものはあまり他のお客さんの目にも触れませんし、それにこの状況なら役にも立ちそうですから....いいですよ」
事態を理解した小鈴は二つ返事をくれた。