在るべき死に場所を探して   作:開屋

18 / 24
 


無上の感情

 その時の僕は言葉よりも先に動いた。一直線に少しやつれた面影へ走り出した。人目も憚ることなく。

 

 周辺の視線がこちらの方に一身に集まるのが感じ取れた。世界が信じられないほどゆっくりと動いている。僕と僕を取り巻く速度の差に酔いそうな程に。

 

 お母さん、と叫ぶ。虚ろな表情を浮かべるその女性は顔をこちらに向ける。果たして僕がどう見えているんだろう。

 

 距離が近くなるほどにその顔は鮮明に見える。その面影は僕の中でどんどん大きくなっていく。母が僕を褒めてくれたこと、母が作ってくれた料理、母が父から僕を守ってくれたこと、その全てが僕の頭の中を駆け巡る。

 

 飛び付いて抱きついた。傍から見れば異常だろう。だがそんなことは構わない。不意に涙が溢れ出す。

 

 遺された手紙を読んだ時のことを思い出した。あの時の絶望と今の上手く表現できない気持ちはどっちの方が強いだろうか?

 

 ダメだ、気持ちの整理がつかない。今の僕はどうしたいんだろう。母に何と言えばいいのだろう。言いたいことが多すぎて一言では纏め切れない。

 

 抱きついて頬を埋めていた僕は顔を上げる。涙と鼻水できっとひどい顔をしているに違いない。だがそんなことも気にならなかった。

 

 どんな形とはいえ僕の気持ちに対して母からの何らかの愛が欲しかった。

 

 

 

 ....母は何も言わなかった。僕の顔は見ているがなぜ何も言わないんだ....?もしかすると今の僕と同じで言葉を探しているのだろうか。

 

 もう一度お母さん、と呼んだ。それでも何も返してこなかった。

 

 

 

 

 こんな現実認めてたまるもんか、まさかそんなことがある訳無い。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ―

 

 

 

 

 僕を憐れむような周りからの視線を感じた。そこから今全力で走っている今の今までに至る経緯は僕の記憶の中から一切合切抜け落ちていた。

 

 そこにあるのは僕の服と拳が赤黒く染まっているという事実だけであった。でもそんなことはどうだっていい。どっちにしろ僕が心から慕っていた人物はすでにもう思い出の中でしか存在していない。例えどれだけ考えたとしても、思い出を数えても何もかも無駄でしかない。

 

 日が暮れても僕は走り続けた。この絶望を自分の中から払拭できるまで僕は立ち止まろうとしなかった。

 

 

 

 

 どれだけの時間を走っただろうか、僕はようやく足を止めた。忘れることが出来たからではなかった。単に走ることにうんざりしたからである。

 

 どうせこうなるとは分かっていた。諦めなければ状況が変わることはないということも上辺では理解しているつもりではあった。

 

 出来るもんか。最初に新聞で母のことを知り、可能性に懸けた僕がどれだけ今日という日を待ち詫びたか。

 

 その最高の瞬間に僕に示された答えは、この上なく残酷な答えとそれに伴う絶望であった。

 

 あれも無駄、それもこれもどれも何もかも僕の取ってきた行動はぜーんぶ無駄。おしまい。完成した芸術作品をメチャクチャにされたような喪失感が胸中だけでなく脳の髄まで支配していくのがわかる。

 

 そういや僕が最初にここに来たときは死ぬことを考えていたな。それなら結局今のこのシチュエーションと変わらないじゃないか。様々な工程を挟むことにはなったが、結果変わらないなら別に迷うこともない。どうやらここは僕がこの世界に来たときに最初にいた森のようだ。

 

 その辺に落ちていた尖った木の棒を拾って思い切り胸に突き立ててみた。そうするとほんの一瞬だけの激痛の後、何事も感じなくなっていた。外傷もない。何度も何度も繰り返したが、結果が変わることもなかった。

 

 最初に死に場所を探した僕はありとあらゆるものを失った挙句、とうとう死に場所までも失ってしまったらしい。無様で哀れが過ぎて乾いた高笑いが止まらなかった。

 

 この世界に来る前のことをふと思い出す。最後にいたのは地元の森の中だったと思う。それが今はこんなよく分からない場所に来て。

 

 そしてまた僕は死にたがっている。こんなに死にたがっているのなら僕なんか生まれてこなければよかったのに。

 

 時が経つにつれ空虚な感情から、根を張るかの如く万物への憎悪が芽生えた。

 

 目についた小動物や虫やらはできるだけ苦痛を与えて殺した。ここには人がいないというのが残念だ。

 

 ....ふと聞き覚えのある声がした。幻聴か?

 

「....るー、すぐるー!」

 

 アイツか。ここに来て初めて動物や虫なんかとは違った獲物が来た。

 

「お前....なにやってんだよ!けーね先生も、大ちゃんもみんな心配してるんだぞ!」

 

 チルノの言ったことに僕はなにも言葉を返さなかった。代わりといっては何だが、今の僕の虚ろな、なのに些か狂気を孕んだ視線をチルノの方へ向けた。

 

「....!」

 

 それを見たチルノは顔色を青くした。どうやら酷く怯えている。

 

 やがて僕は気違いのような声を張り上げてチルノの方へ一直線に向かった。何かを感じ取ったチルノは飛んで僕をかわす。勢い余った僕はその辺りに生えていた木に激突する。痛みは感じなかった。

 

 間髪入れず僕はもう一度チルノの方へ向かう。結果は1回目と同じだ。気に食わない。

 

「おい....お前どうしちゃったんだよ!」

 

 チルノの声は僕の耳には届かなかった。声というよりも音としか僕は捉えることが出来なかった。

 

「....絶対に元のお前にもどしてやるからな!」

 

 数度の攻防の末、そう言い残してチルノは飛び去っていった。やはり普通の人間ではないと獲物にするにはあまりにも苦しい。

 

 森を歩き回っては生物を見つけ次第殺していく。そんな生活が何日か続いた。生憎ヒトや妖怪はまだだが。

 

 やがてもうそれだけでは満たされなくなってきた。こんなちっぽけな殺戮では楽しくない。もう我慢できない。

 

 

 

 里に降りよう


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。