天界に最も近く人界の首都に位置し天高く聳え立つ塔セントラル・カセドラルの支配者アドミニストレータ。
数年前に円卓の騎士を召喚して以来、惰性の限りを尽くした支配者の生活習慣を一変させ、半泣きになりながら政務に勤しんでいた彼女だが、本日はサボりぎみの彼女を監視する鬼の騎士が塔を留守にしているにも関わらず、神妙な顔をして下界を見下ろしていた。
「た、大変ですぞい!猊下!暗黒騎士の軍団がすぐそこまで!」
「黙りなさい!そんな事は分かっています!」
転がり込むようにして彼女の視界に入り込んだ肉だるまを冷たく叱咤し爪を噛んだ。
(最終負荷実験までまだ時間はあった筈、何故、奴らはこんなに早く動けた!)
乱雑に髪を掻きむしる。
彼女にとってそれは円卓の騎士の狂った精神性以上に想定外なものだった。
―――数時間。
人界と暗黒界を隔てる壁が何の脈絡もなく消滅したのだ。
「皆さん落ち着いて、落ち着いてください!」
「我々がセントリアまで皆さんの安全を守ります!」
アドミニストレータの怠慢な政治により腐敗した貴族達は円卓の知将アグラヴェインによって幾分か解消され、数年前から本来の姿を取り戻し始めた守備軍の存在によって『門』周辺にあった村の住人の避難は比較的早くに済ませる事が出来た。
「……そんな、僕達の村が」
「村なんて何度でも建て直せばいいのよ。前を向いてユージオ」
馬車に揺られた少年少女が呆然としながら見つめる先にあるのは、消滅した門の奥から暴れ出た山ゴブリン達とそれを抑える守備軍の前衛部隊が衝突する村の中。
獣のような怒号と硬質な鉄の塊がぶつかり合う金属音、何かの合図を知らせるラッパ音。既に戦禍は火の手を上げ、ゴウゴウと燃え盛る村の建造物は次々に倒れていく、
「……くそっ」
「…………」
少年は無意識に拳を強く握りしめ、言葉では元気つけようとするも内心の戸惑いに心の整理がつかない少女は悲しげな顔をして俯かせた。
《セントラル・カセドラル》
管理権限で己を上回れる事を忌避して下界に降りる事を禁止した円卓の騎士を超緊急的な例外的処置として最果ての山脈に出払った今、手元に残ったのは性欲魔人のデブと一部の殲滅戦向きではない神器を得物とする整合騎士のみ。
「被害状況は?」
「最果ての山脈より進軍するゴブリン兵に周辺の村は壊滅、守備軍の働きにより幸いにも、人的被害は最小限に抑える事が出来ましたが、最終避難場所である央都セントリアだけで全ての村人を賄えるだけの食料を確保出来るのは、二ヶ月が限界でしょう」
フラクトライトの記憶ホルダーから容量の無駄だからと随分前に消去した見に覚えのない下位整合騎士から話を聞く。
(二ヶ月……。円卓が手に入るまで、本戦に使おうと使おうと思っていたソードゴーレムの素材に変えるか……。
いえ、円卓の反感を買うのは不味い。今最も避けなければならないのは、内部分裂。多少の実害は飲み込むべきだわ。それに食糧は増やそうと思えば増やせるのだし、円卓をリセットして万が一、ソードゴーレムでも太刀打ち出来ない存在が出てこられたらその時点で終わりなのよ)
彼女は自分さえ幸せなら他の何者が不幸のドン底へと落ちようと微塵も心を痛めない自己愛主義者だ。
それ故、平時ならこのような考えには至らない。自分が誰かの為に努力することが嫌で、例えそれが片手間で済むようなことであっても、食糧を創造する為に神聖術を使うなど人界の全ての人間に頭を下げられたとて論議の余地なく断る冷酷非道な人間である。
しかし、空が落ちるだとか地面が失くなるだとか世界中が一瞬にして真空になる等と言う、杞憂と云われる絶対にあり得ない事が起きた状況化では話も変わる。
これは、
荒廃した紅い大地で闊歩する褐色の肌を持つ人間やゴブリンやオークなどの化け物が住む暗黒界から、人界の豊かな資源を求めて侵略を開始した総じて亜人と呼ばれる侵略者から国や領土を守る単純な話ではない。
砕ける筈のない……少なくとも後十年は持つ筈であった『門』を砕いた何者かへ対処するための布石なのだ。
アドミニストレータはチュデルキンの方へ視線を向ける。
「暗黒騎士の対処はどうなの?」
「ミ、ミニオンを向かわせましたが!全く時間稼ぎにもなりしませんでございます!」
小さく舌を弾いて、整合騎士を向かわせるまで持たせろと命令した彼女は震えるデブと下位整合騎士を出払う。
そして黒い台を操作する彼女は【エラー】その三文字を映し出した板を叩く。
「くそっ!」
退路は塞がれてしまった。
もう戦うしか道がないのは分かりきっている、それに上位の整合騎士にすら遅れをとる暗黒騎士がいくら集まろうと己に勝てる訳がないのも彼女は理解している。
―――だが、姿の見えない何者かが此方に手を伸ばしているという空想が彼女の心を恐怖に侵食する。
「円卓の誰か一人でも残すべきだった」
後悔しても遅い。
それでも、アルトリアがいれば、アグラヴェインが、トリスタン、ランスロッド、モードレッド、ベディヴィエール。
彼らの中で一人でも残っていればこの不安を紛らわす事が出来たのに…………そう考えずにはいられなかった。
『成る程、お前がアドミニストレータか』
「何!!?」
空間ごと切り離したアドミニストレータの広い私室から黒い闇が溢れだす。