「どこだ……ここ……」
見渡す限り樹木に覆われたこの世界はまるで御伽噺に出てくるような世界だった。七色の樹木は果てしなく続いており、一点に向かって伸びているが、どこから生えているかは分からない。
足元には海が広がっており、遠方には青く光る橋のようなものが見える。
空を見上げてみれば青空ではなく、星のようなものが散りばめられており、少年には幻想的ではなく、恐ろしく思えた。
ここまでなんとか分析出来ていたが、彼は極度の緊張状態にあった。
世界は創り替えられ、今まであったはずのものがなくなった。
学校も、友人も、家も。なんの前触れもなく変化した世界で冷静でいられるわけはない。周囲を見渡した時点で、認めなくてはならなくなってしまった。
ここが、これまでの世界とは違うと。
「うっ……」
思わず口を抑えて蹲る。吐き気がして仕方がない。ここで胃液をぶちまけてしまえばどれだけ楽か――。
それでも吐き出さなかったのは、この世界が元に戻るという可能性を否定してしまう気がしたから。それだけは嫌だった。
「世界はきっと……」
戻るのだと。なんの根拠もないが、そう思うしかない。そうじゃないと、気が狂ってしまいそうだった。
橋の方に向かって気が遠くなるようなほど歩いた。これまで歩いたどんな道よりも長く遠く。
恐怖で震える足を引きずるのも限界で、吐き気が酷くなってきた。吐かないようにするのも、不安を押し殺すのも精一杯。
それでもなんとか歩みを進めて少し経った頃……
二つの大きな球体を両脇に抱え、中央には軟体動物のようなシルエットが見えるが、これまでに見たことがある生物のどれよりもずっと大きい。
十メートルを越えるであろう巨体と、その異形なシルエットが相まって生物ではないようにしか見えない。無機物のような冷たさしか感じないのだ。
見れば橋の上を進んでいるようで、あの得体の知れない生物が発しているように見える様々な色の光が見えた。その光の色は、この世界を構成している樹木に含まれている色だと気が付いたとき、彼は世界をこんな風に変えてしまったのはあの異形の怪物だと直感的に考えた。
しかし、彼は特別な力を持たない。ましてや強靭な精神を持っているわけでもないのだから、彼は黙っている見ている他ないというのに、彼は行動した。してしまった。せめて近くに行って、現状を確認しなければ――そう思って。
それが、彼の運命を大きく変えてしまうとは知らずに。
他の樹木と比べ、比較的高い樹木の上でしゃがみ込む。歩き疲れたというのもあるが、観察するためだ。
人とは、未知に対して知ろうと行動を第一にしてしまう生き物であり、彼もまた無意識下でそれに従い行動していた。馬鹿と猿は高いところが好き、とはよく言ったものだが、傍から見れば確かに彼はソレだった。
しかし、危険だと分かっていても行動したおかげでいくつか情報を得ることが出来た。
まずひとつはあの異形の怪物は橋を直進していること。何故かは分からないが、あの身体に見合わない橋の上をご丁寧に橋に沿って侵攻している。あの怪物に知性があるのか、それとも単純に道があるからそれに沿っているだけなのか。
二つ目だが……あの異形が発していたと思っていた三色の光は別の発生源らしいことだ。
どうやらあの光は足元に居る小さな存在で、少年のいる位置からは顔を確認する事はできないものの、人間だったらしい。人数は……三名。
「良かった……他にも人は居たんだ……!」
少年の恐怖心の根底にあったものは、一人でこの理不尽な状況に立たされていたもの。今まで見たものといえば、変わり果てた世界とあの異形の怪物だけ。
彼の胸中にはこの世界には自分の他に人間は居ないんじゃないだろうかという不安があった。だが、確実に人が居る。運がよければここについて聞けるかもしれない。そのおかげで少しだけ希望の光が見えたように思えた。
しかし、安心したのも束の間。どうやらあの三人は怪物と戦っているらしい。
もし、あれに近付こうものならここについて聞くどころか自分の身すら危険だ。
その事実を自覚した瞬間、
「うそでしょ……」
その事実が信じられなくて、思わず漏れ出た声。つまり、あの異形の怪物はあの三人の相手をしても、こちらを見る余力があるということ。
まさか攻撃するつもりなのでは、そう思った瞬間には既に球体が迫っていた。
「くっ……」
弾かれるように近くの樹木に飛び移ると、先ほどまで居た樹木は水で覆われ、着弾した周囲はまるで生気を失ったように色褪せてしまった。
あれに当たれば自分の身がどうなるか分かったものではない!
他の人間に任せてしまうのは心苦しいが、あの異形に立ち向かえるほどの力は彼にはないのだ。そのことを、ようやく自覚した。
早くここを離れなければならない。あの異形の次の攻撃が来る前に。……きっと次はない。考えろ、生き抜く方法を。隣の樹木はさっきよりも間隔が大きい。また跳躍して飛び移るのは彼には難しい。どうしよう……どうすれば……。
「っ……」
まだ死にたくない。その僅かで、しかし確実な生への執着が彼の足を鈍らせた。
「なんで……」
足が震えて動かなくなってしまった。これではアレに殺されてしまう!
なんとか動かそうと躍起になるが、まるで石になったように動かない。
「動いて……動いてよ……っ」
少年がそんな状態になっているのを怪物が見逃すはずもなく、無慈悲にも先ほどと同等、いやそれ以上の弾が飛んでくる。あれではたとえ足が動いても──少年は絶望し、諦めた。元より近付いた時点でこの結末は決まっていたのだ。それでも行動をしてしまった少年は自らを恨んだ。
気付くには、あまりに遅すぎた――。
目を閉じて、ただ死の時を待つ。
(死ぬって、どんな感じなのかな。痛くないと、いいな……)
ところが、どれだけ待っても痛みはやってこない。不思議に思い、目を開いてみると……。
少年は、空を翔けていた。
しかし、彼自身がやったわけではない。誰かに支えられている。その証拠に二本の腕が彼の体を包んでいる。
そんな体勢を疑問に思い、恐れながらも視線を上に向けてみると──。
「鷲尾……さん……?」
級友の、鷲尾須美だった。
随分高く跳躍していたようで、目を開いてからも数秒は浮いたままだった。そこから何度も跳躍しているが……まるで人間ではないような跳躍力に、瑞己は困惑する。彼女が人間でないわけがないのだ。
それに、体育の授業を通してだが、時折彼女の身体能力を見てきたがここまで秀でていたわけではなかったはず。だったらいったいどうして──。
質問しようとして、また鷲尾の方を見て……敵の攻撃が迫っていることに気がつく。
「鷲尾さん! 敵の攻撃が……!」
「っ!」
瑞月の声が聞こえたのだろう、次着地した際に横に跳んでなんとか回避する。
「葵さん、動けたんですか!?」
「そうみたいだけど……でも
それではまるで、他の人間がここに居ない理由が分かっているようではないか。瑞月の予想は、あまり当たってほしくない人物によって当たってしまった。
「ここではみんな動けないはずなの! 私たち三人以外は!」
「他の二人は!?」
「三ノ輪さんと乃木さんよ! 二人とも戦ってくれているわ!」
その言葉を聞いて困惑する。どうやらこの世界の真実を知っているらしい人物は、鷲尾の他に三ノ輪と乃木も居るようだ。いったいなんの繋がりが――。
少し思案して、とあることに思い当たる。そういえば、乃木といえば大赦の中でも大きな家だったはず。鷲尾と三ノ輪という名字にも心当たりがある。どの家も大赦の中でも上位の家柄だったはず。
そしてこれは彼は知らないことだが、四国と本土を繋ぐ大橋、その防御柵に書かれた数家のうちの三家でもある。
つまり、これは大赦の
そう結論付けて鷲尾を見る。御役目、というのは内容こそ世間に公表されないものの、重要なことである。大赦がこの土地をよりよくするための政治の一つ、といっても過言ではないかもしれない。
その内容は多種多様に渡るものの、共通しているのは大赦の中でも一部の人間にしか授けられず、授けられないまま大赦を退職していく人間も少なくない。それほどまでに大変名誉なことなのである。
それを少女のうちに授かっているとすれば、素晴らしいことなのではないかと瑞月は思った。
何度も跳躍を繰り返し、随分と遠方まで来た。こちらに攻撃が来ないところを見ると、三ノ輪と乃木はまだ戦っているのかもしれない。
「……多分、ここまでくれば大丈夫」
「ありがとう鷲尾さん」
「いえ……私の矢は敵に通じないし、このくらいは……」
「……?」
小声でなにかを呟いたが、誤魔化すように微笑を浮かべる。苦笑といってもいいかもしれない。
「……なんでもないわ。それより、私は行かなきゃ……」
「あっ……待って……」
最後に一言声をかける間もなく、彼女は行ってしまった。
ここで待っていろ、ということだろうか。
それもそうだ。彼が居たところで事態は変化しないどころか悪化しかしないのだから。それに、鷲尾須美という人間は学友を見殺しにするような人間ではない。彼の安全を確保するためにもあそこにずっと居させてはならないという判断があってここに連れてこられたのだ。打算的な理由では決してないことは、瑞月にも理解出来た。
「あとはここで待っているしかないかな……」
思わず拳に力が入る。自分の無力さが憎くてたまらない。どうしようもない無力感と苛立ちに苛まれながらもジッとする。
もし、自分に力があったなら、きっと彼女たちの横で戦えるのだろうか。もし、自分に力があれば護られなくていいのだろうか。もし自分に力があったら――。
ありえないことだとは分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
やがて世界には花弁が舞い踊り、眩い光に包まれ、元の世界に帰ってこれた。あの世界が夢だったのか、現実だったのか……それは隣に居る少女たちの傷を見れば分かることだった。
そうして、ここから始まってしまうのだ。得るものなどなにもない戦いが。
前回、今回と原作キャラの出番少ないのは導入部分だからです。
全体を通してこういうわけじゃないので許して……。