あの日から数日。その間、瑞己に大赦からの指示はなく、ただ平穏な日々を過ごしていた。まるで、あの出来事は嘘だったかのようにすら思える。しかし、確かにあの出来事はあったのだと、確かに記憶に残っていた。
「鷲尾さん、おはよう」
「おはようございます葵さん」
不気味すぎるほど大赦からはなにも言われない。気になって聞いてみても待ってくれの一点張りでこちらの話を聞こうとすらしていない。取り付く島もないとはこのことだ。
勇者三人に聞こうと思ったが、話してくれるかどうか。
あまりに自分が知っていることが少ないことに不安を感じている。
彼の父親の口振りから察するに、他の人間と比較して御役目の適性があるのは間違いないのだろう。あの世界で動けたのだ。説明がなくとも、なにかあるのは理解していた。
だというのに大赦は踏み込むなという。鍛錬すらも禁止だと言われた。それは、彼の力が出来上がるまで妙なクセを付けられては困るといった理由もあるだろうが……きっと他にも理由はある。
確かに、あの三人に大きな力を与えた根源――その調整は、個々に合わせたものにするため一筋縄ではいかないと言われた。
しかし、調整をするといってもなんの進展もないのはおかしい。
そんなことをぼんやりと考えながら授業を受けて帰宅する。それが、ここ最近の瑞己だった。
「んー……」
しかし、やはりというか……どれだけ考えても分からない。大赦の人たちはなにをしているんだろう。そればかり考えている。三人が傷つくのが嫌で勇者になることを決意したのにこれではまた役立たずのままだ。
「どうにかならないかなぁ……」
そう独り言を呟いても答えてくれる人はいない。
「葵さん」
「なに?」
「さっきから横でうんうん唸られていると……その……気になるのですが……」
はて、自分は唸っていただろうか。たしかに考え事をしていたのは間違いないが、考えるときに声を出すような癖はなかったはず……。瑞己はそう思っていたのだが、わざわざ鷲尾が指摘してきたところを見るに、間違いないようで――。
「唸ってた……?」
「はい」
うわぁ……と自責しながら頭を抱えてしまう。まさか考えているときにずっと唸っていたとは……。瑞己は傍から見ても分かるほど、その頬を赤く染めて自分の行動を恥じる。そんな彼を、鷲尾は眺める。その視線に込められた意味を探ることはしなかったが、不思議さや物珍しさが含まれていた。
「ごめんね……」
もう少し周りに気をつけなくてはならないと自らを戒める。一人の時ならともかく、休み時間とはいえここは教室。周りには間違いなく人は居るわけだ。年齢に見合わず、妙にしかつめらしい――真面目と言い換えた方が適切だが――彼女がわざわざ指摘してきたのだ。かなりの時間そうしていたのだろう。
「そこまで気にしなくても……」
「そう?」
鷲尾本人としても、少し気になった程度だったのだろう。とはいえ、あまりよいことではないため、今後気をつけるようにしようと、静かに反省した。
それはそれなのですが、と改めたようにして鷲尾は瑞己を見る。その瞳の中には、少しだけ迷ったような色があった。
「なにか気になることがあるの?」
「んー……」
話すべきか、悩む。大赦から遠回しに余計なことをするな、と言われている手前、下手な行動は出来ない。少なくとも、そんな考えは彼の中にはなかった。
「なんでもないよ」
だから、彼が出来ることといえば精々が笑顔を見せて誤魔化すことだけだった。
その日の日程が全て終わり、いつも通り帰ろうと教室を出ようとすると、担任に呼び止められた。どうやら勇者システムの調整の一環として、とある病院で検査することになっていたらしい。その話は一切が瑞己には伝わっておらず、両親と大赦の間で取り決められたことだった。
当事者であるはずなのに、自分はなにも知らない現状に若干の歯がゆさを覚えながら、神樹館の駐車場に停車していた車に乗り込む。深々とは腰をかけず、少し浅めにシートに身を寄せてから運転席に座る人物に挨拶をしようとして、その人物を認識した。
「約一週間ぶりでございます、瑞己様」
ルームミラー越しに視線だけで挨拶してくる妙に平坦な声には覚えがある。大赦には仮面をずっと着ける決まりでもあるのか、仮面はつけたままだが……以前樹海化が起こった際に、大赦の本部で父親の元に案内してくれた人間だ。
なにか返事をするべきだろうか。少しの間思案して、気の利いたことも言えそうになかったため最低限の礼節だけ通すことにした。
「……今回も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そう言って男が車のキーを入れて捻るとエンジンに命が灯り、微かな振動が身体を揺らす。しばらくすると、エンジンは呼吸を安定させ、振動も小さくなった。
「では、車を動かしますね」
こちらに仮面を向け、宣言するとクラッチから足を離す。直後、タイヤが地面を擦る音が耳に届き、車が走り出す。
同級生は指を差してこちらになにかを――他の三人と違い、瑞己のことは同級生に伝わっていないため――言っていたが、気にしないようにドアの窓から外を眺める。過ぎ去っていく景色、人々。徒歩ならば絶対に出せないであろう速度を維持して、車は進んでいく。
車に揺られて数分、到着したのは大赦本部、その敷地内だった。また父親と話すことになるのだろうか。そう思っていた瑞己だったが、運転手の男に案内されたのは、大赦本部の一角……様々な機械やモノが所狭しと並び立てられた一室だった。
部屋の中に居る人間の多くは科学者のような白衣を着ていたが、ごく少数、大赦の装束を身にまとっている人間も居た。
「瑞己様にはこれより勇者システム適合のため、試験をしていただきます」
「試験……ですか……」
案内してきた男が仮面をつけたまま、今回の目的についての説明に入る。
試験、と聞くとどうにも筆記試験が先に出てきてしまうが、そんなことをするとは思えない。勇者、そのお役目は強大な敵と戦うこと。筆記試験が関係するとは思えない。
「試験、と言いましても筆記試験ではございません。勇者システムを瑞己様に合わせるためのものです」
「つまり、調整……?」
「そう考えていただいて間違いないかと」
試験、と難しい表現をしたが結局のところ瑞己に対応した勇者システムを実用前にテストしたい、というのが今回の趣旨だ。
もし、実戦で急に変化がキャンセルされ、勇者ではなくただの人間の状態に戻ってしまえば、その人間が犠牲になるだけでなく周囲の人間の戦意にも影響してしまう。
ただの人間があの場に居ることで及ぶ影響は前回の戦いで痛感している。だからこそ、その反省を次に活かそうと、こうして瑞己のシステムを調整しようとしているというわけだ。
「あまり緊張なさらぬようお願いします。……調整にも、影響しますので」
「そう言われても……」
知らない大勢の人間に囲まれた一室に居るというこの状況だけで相当のストレスになる。それに加えて、相手のほとんどが仮面をつけて顔が見えないのが、少なからず彼の精神に影響を与えていた。
「いきなり連れてこられて、大勢の人間に囲まれて、不安になるのも無理はありませんが、ここに居るのは全員が大赦の者。警戒する必要はないかと」
不器用な言い回しだが、少し辿々しくなっているところを見るに男なりに瑞己のことを安心させようとしているのは伝わってきた。あまり駄々をこねても仕方がないと一度深呼吸をして落ち着く。
「落ち着かれたようで安心いたしました。それでは、始めましょう」
言いながらひとつの端末を差し出してくる。
「これって……」
「はい。一般に普及している、ごく一般的な携帯端末です」
少しこちらで改造していますが、と付け加えられたが瑞己にはあまり聞こえてはいない。
人類を護るお役目に際して調整がしたいからと連れてこられて渡されたのはそこらでもよく見かける携帯端末。
(特別さがまったくない……)
静かに肩を落とす。
「……起動していただけますか?」
「わかりました」
促されて渋々起動すると、様々なアプリが入っていることがわかる。その中に一つ、気になるものが。
「この勇者システムっていうのはなんですか?」
「そのアプリこそ、瑞己様に神樹様が与えてくださる力です」
端的に説明されたせいで理解が及ばない。説明を要求する前に仮面の奥にある顎が少し動く。
「通常、神の力をその身に宿すことは不可能です」
そこで一旦言葉を区切り、瑞己の耳元に顔を近づけ、小声で囁く。
「……神の力はあまりに大きく、あまりに無配慮で、あまりに残酷」
ですが、と付け加えるように瑞己の手元に収まる携帯端末を指差す。その様があまりに機械的で、瑞己は本能的に恐怖を覚えた。
「それが、人間にも神の力が扱えるようになるのです。そして、その力こそ我々人類に残された最後の希望。我々が世界を保つには、必要不可欠なものです」
「……人間に神様の力が使えるようになるのはすごいと思います」
大和神話だけではなく、かつての世界に存在したありとあらゆる神様は強大な力を保持していた。その力の一端でも使えるならば、確かに素晴らしいことだろう。あの三人があの異形に立ち向えたのも納得出来る。だからこそ、彼の胸中にはひとつの疑問が生じていたが、それを胸の奥にそっとしまう。
その言葉を口にしてはいけない。なんとなく、そう思ったから。