【完結】遅咲きブーゲンビリア   作:パン de 恵比寿

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※本作品には赤坂アカ先生作『IB-インスタントバレット』のネタバレを含んでいます。


古い砂に込めた夢 中

 

 

 

 物語の開始(はじまり)を告げる低いブザー音と共に、暗がりに浮かんでいたオレンジ灯がゆっくりと落ちていく。

 

 

 視界いっぱいを覆う巨大スクリーン。階段状に並んだホール(シート)の脇には、熱いコーヒーと山盛りのポップコーンが相席し、開演の時を今か今かと待ち侘びている。

 

 帷が落ちていくほどに少しずつ高まっていく期待。スクリーンの奥に広がる別世界へと引き込まれていくような幻想的な錯覚。それはこの空間だからこそ味わえる、誰もが最も近しき非日常への入口。

 

 

 

『——映画?』

『はい。以前からずっと観たいと思っていたものがあるんですけど、中々時間が取れなくて』

『まあ、そうだろうな……。そんなに面白い映画なのか?』

『話題沸騰。感動必至。実話を元にした等身大ラブストーリー物だそうです』

『んー、割と使い古された謳い文句』

『私もネタバレになるのは嫌なので、あまり詳しくは調べていないんですけど……魔法に目覚めた主人公たちが、世界の危機を前に仲間たちと一緒に何やかんやする話だそうです』

『何やかんやって。というか魔法が出てくる時点で実話を唄うのは厳しくないか?』

 

 本当に大丈夫かその映画と、明らかに不信顔を浮かべる彼。

 私自身、事前情報の曖昧さや上映時間の関係で1日の大半が潰されてしまうことから、当初のデートプランに組み込むことを避けていた。

 

けれど

 

“――どうせ早坂(あの子)のこと。今日もメソメソ泣きながら帰ってくるに決まってるわ”

 

 

『ちなみに原作者は『恋は甘口(こいあま)』と同じ人ですよ』

『そいつは期待できるなっ!』

 

 

 それでも、この映画を見ることを選んだのは、この映画を視聴した多くの人が語った感想が、かの恋愛漫画と同じ……『恋をしたくなった』というものだったからだ。

 

 今日という日の本当の目的。彼に手紙を出した時から、ずっと胸の中で燻っていた気持ち。

 

 臆病に揺れる心を、そっと後押ししてもらうために。

どうかこの映画が終わる頃には……私のこの決意(おもい)が固まっていますようにとーー

 

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 まだ先も見えない。

 未来すら描けない少年少女(子供たち)の手に発現した20の魔法。

 

 時に『創造』を。

 時に『破壊』を。

 或いは『時間』そのものを。

 

 人智を凌駕する異能は、世界の法則をも書き換えるほどの力で。けれどそれらは決して、望まれて生まれ出でたものでは無かった。

 

 力が目覚めたのは皆、棄てられ、忌み嫌われ、愛されることの温もりも忘れ果てた子供達。

 何を望めども叶わない。純粋だった心は街に蔓延る悪意に歪まされて。ただただ呪われた自身の運命を。斯様な理不尽を強いる世界の不条理を恨み、怒り、声にもならない慟哭を挙げることしか出来なかった子供達。

 

 魔法と呼ぶにはあまりに生易しい。

 それは“世界を壊したい”と願うほどの、呪いにも等しい悪意の力。世界に弓弾くために放たれた使い棄ての20の弾丸(インスタント・バレット)

 

 そのうちの一つ。未来を見通す瞳を持ち、自らを“魔女”と名乗った少女は告げる。

 

 遠くない未来。世界はこの『IB(魔法)』の力によって滅びを迎えると。

 

 

“――ハッ、上等じゃないか。だったら私が壊してやるよこんな世界”

 

 

 滅亡の未来を回避するため互いに手を取り合う……そんな愛着も、余裕も、今の彼らには無くて。寧ろ望んで世界を終わらせようと、魔法を行使し始める。それは主人公と呼ばれた少年でさえ同じこと。復讐を果たせる世界(相手)は一つしかないからこそ……世界を終わらせるのは俺だと。時に敵対し、時に共謀し、まるで競り合うように、破滅への秒針を回し始める少年たち。

 

 全ては憎むこの世界を終わらせるため。

 彼らの胸の内に微かに残った良心。

 終わりが約束されているならば

 救いが無い世界というのならば、せめて……最期くらいは、自分の描く『優しい終わり』が、世界に訪れますようにと。

 

 本当は、ただ気付いていただけなのかもしれない。

 誰よりもまざまざと、“それ”に晒されてきた彼らだからこそ。

 自分達の身に宿す魔法なんて、世界を包む悪意(それ)に比べたらいかに矮小(ちっぽけ)で。たとえ 自分たちの存在なんてものが無かったとしても、世界はどうせ、どうしようもなく悲惨で残酷な最期を迎えるだろうことも。

 

 

“変わりたいと思うだけで変われたのなら……

 優しくなりたいと願うだけで優しくなれたなら、どれだけ良かっただろう”

 

 彼ら自身、きっと想像もしなかったこと。

 世界を呪う異常を。この世界の終わりを望む、誰もが危険視した思想を。けれど恨みのまま、感情のままにぶつけ晒し合う。そんなことでしか分かり合えない瑕があった。争うという行為もまた、互いの孤独()に触れ合う繋がりであったこと。

 

 

“この方法ならきっと……もうこれ以上私みたいな子も生まれてこないで済む”

 

 たとえ歪な形であっても、孤独に打ち震えた生涯において、誰かと()の繋がりがいかに得難いものであったか。

 

 決して癒えはしない心の傷。1人で抱えるにはあまりに大きすぎる、懺悔と後悔。

 

 誰もが、初めから終わりを望んでいたわけではなかった。

 多くのものに憧れて。けれどそれ以上に多くのものに裏切られて。

 かつては正しいと思った良心(おもい)さえ、現実の前に醜く歪まされていく。

 

”ああ、そうさ。どれだけ望んでも優しくもなれない。誰かを傷つける生き方しか選べ(でき)ないというのなら、私は――生まれてきたくなんてなかった”

 

 どうして全てに絶望しなければならなかったのか。

 どうして、“世界を壊したい”なんて……そんな哀しい願いを抱かなければならなかったのか。

 

 何かを壊すことしか出来ない両腕。

 呪いを吐くことしかできないその口で。

 本当はいったい何を願い。何が欲しいと叫んでいたのか。

 

 

 

『クロ君。君はその力で、この先多くの人を救うよ』

 

 

 破滅の未来は変えられない。

 ハッピーエンドなんて都合の良いものは無く、世界は怒りと哀しみに満ち溢れている。

 それでも、終わりへと続くこの世界で。

 辛くとも、哀しくとも、鼓動が続く限りは生きて行かなければならないこの現実で、それでも。

 

 

『遠くない未来――そんな君に、私は恋をしてしまうんだってさ』

 

 

 それでも救いを願うというのならば、“()たち”は――

 

 

 

 

 

 

□■□■

 

 

 

 

 

 淡い光の灯るスクリーンに映る2人の影。

 遠い未来をも見透す異能を持ち、その歪んだ力ゆえに自らを魔女と語った少女。

 けれど今は……。人々の行き交う街角。想い人を待つこの時間(いま)だけは、なんの陰りもない、年相応の少女に戻ったかのようで。

 

 

≪“ねえ、聞かせて“≫

 

 一度覗いて(見て)しまった未来は、収束する因果により二度と変えることは出来ない。世界を包む誓約。避けられない滅亡の未来を前に誰よりも抗おうと足掻き、そして打ちのめされてきたのも彼女だった。

 

 幼い頃より幾度となく見せつけられてきた世界の終わり。たとえ望まずとも。どれだけ拒もうとも、その光景は悪夢として現れては、少女の心を蝕んでいく。

 

 それは、自分自身の最期(おわり)

 渇いた銃声と共に血の海へと沈みゆく、死の光景さえも。

 

 止まってはくれない時計。変えられない未来に、いくつの夜を、怯え震えながら過ごしたことだろう。

 その瞬間(とき)だって………もう数時間後にまで迫っている。

 

 

≪”今、あなたは幸せ?“≫

 

 何一つ報われなかった一生。自分以外助けてくれる者はなく、誰に愛されることもなかった。愛という言葉の意味さえ、知るにはあまりに短すぎる生涯。

 

 それでも

 

 

 問いかけに、微笑みを返す少女。

 言葉もなく、ただそれが全てだというように。花の咲くような、誰もが羨む眩い笑顔で。

 

 

 未来を見透す瞳を持つからこそ。ずっと夢見てきた、遠い過去に抱いた初恋。

 ずっと憧れ続けてきた、遠い未来に抱く初恋。

 

 

 その呪われた一生で。もし彼女の心を救ってくれるものがあったとしたら……それは、この(一瞬)だけだったのだと

 

 

 

 

 

「………」

 

 物語も佳境だ。スクリーンから溢れる光を浴びながら、時折聞こえる啜り泣くような声に観客席を見れば、先の展開が分かってしまうのだろう、既に涙を流す人の姿も多くあった。

 

 それは隣に座る彼も同じこと。どこか、私たちとよく似た容姿の登場人物達(彼ら)。だからこそより深く感情移入してしまうか。切なくて、悲しくて。薄氷のように歩くような脆く繊細(不安定)な感情は、懸命に生きる彼らの想いがそのまま伝わってくるようで……

 

 

 ああ、けれど誰もが涙する物語を前に。

 恋に心を救われた、少女の笑顔を前に……。

 

 

 私は知らず、貴方の横顔を見つめていた。

 

 

 

 

 

 胸に手を当てれば、トクン、トクンと早鳴る心臓の音。

 

 

『――あの子は仮面を外せない。あの子の仮面は自分を守るためのもの。

 でも本当に誰かを好きになったら、“その場限り”でなんて居られないでしょう?』

 

 耳に蘇るかぐや(あの子)の言葉。

 酷い憤りを覚えたのは、ソレが否定のしようのない事実だったから。

 

 全ては自分が傷つかないため。いつしか両手ですら抱えきれなくなった仮面の数々。

 けれど本当にその人を大切に想いたいというのなら……将来を誓い、いつかは家庭を築いて。本当にその人(貴方)と一緒に在り続けたいと望むのなら、もう“その場限り”なんて言い訳は通用しない。偽りの自分を晒し続ける不誠実に、きっと自分自身が耐えられなくなっていく。

 

 

『――人は演じなければ愛してもらえない』

 

 それでも、人の生き方(考え方)は簡単になんて変わってくれなくて。

 隠してきたものが大きすぎるからこそ……誰よりも自分という人間を知っているからこそ。本心を明かすことは今でも恐ろしいと思う。

 必死に抱いてきた仮面の全てを手放して、弱い心も、この醜い本性も、全て晒け出さなければならないと思うと、込み上げる恐怖に全身が竦んでしまう。こんな私を受け入れてもらえるのだろうかと……たまらない懼れに、逃げ出したくなる。

 

 

(……。けれど……)

 

 

 未だ残る温もりを求めるように、触れる自身の髪。

 

 

 

『……そっか』

 

 クシャリと頭を撫でる、ごつごつとした貴方の手の感触。

強くもなく弱くもなく。ほんの微かに伝わる震えは、慣れないことをする緊張を必死に隠すようで……

 

 

 本当は気づいていた。その行為の真意も。

 私と同じくらいに臆病で。私以上に不器用な貴方が……それでも、懸命に伝えようとしてくれた本心(想い)にだって。

 

 

 かぐや(あの子)の近従として、これからも四宮家に仕えることを告白した私。

 

 それは同時に、今まで通り。弱い自分を押し殺して。泣きたい心に嘘を吐いて。いつ報われるとも分からない険しく孤独な道を、また歩み続けるということ。映画館の入口でも見た、友人達と一緒に屈託なく笑いあう女学生たち。そんな年相応とは真逆……睡眠の時間さえ碌に取れない。責任と重圧ばかりが圧し掛かる毎日だ。

 

 ああ、その辛さを知っていたからこそ。

 その厳しさも、誇りも、誰より理解する貴方だからこそ。

 

 

――無理をしすぎるな、と

 

――辛くなったら頼れ、と

 

 

 貴方らしくない、不格好で突拍子もない行為の裏には、そんな優しさが溢れていたこと。

 

 

「……」

 

 ホールチェアの手すりに置かれた、貴方の手に目を奪われる。少し手を伸ばせば……ほんの少しの勇気を出せれば、重ねられる距離。

 

 あの誘拐事件の終わり。帰りのリムジン車の中。自ら隠してきた咎を、電話であの子に明かす間……留めどなく溢れる罪悪感に、糾弾されることへの恐怖に……怖くて(哀しくて)、逃げ出したくて。泣き続ける私の手を勇気づけるように、ずっと握り続けてくれた貴方の手。忘れもしないその温もりに、想いを馳せる。

 

『どうか覚えていて。愛という字は”心を受け入れる”と書くの』

 

 

 脆く。幼く。明かすことさえ恐ろしいこの心。それでも

 

 

 

 本心を知ってなお……今日という日も、変わらず接してくれる貴方。

 強い私も。弱い私も。当たり前のように認めてくれた、貴方だからこそ。

 

 

(貴方になら……)

 

 

 ううん。どうか貴方にだけは。

 

 

 この心を受け入れてほしいと

 

 そう願わずにはいられない私がいる

 

 

 

≪”恋にはワクワクとドキドキが大事なんだから“≫

 

 

 

 淡い光の灯るスクリーンで続いていく物語。

 誰もが救いを願い求める、”終わる世界”の物語。

 

 それでも私はずっと……貴方の横顔から、目を離せないでいた。

 

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 暖房の効いた映画館から(そと)へと出た途端、冬の冷たい風が頬を吹いた。

 頭上に広がる雲ひとつない透き通った夜空。溢れる都会の照明にあいにくと星の光は見えなかったけれど、ぼんやりと浮かぶ十五夜の月明かりが柔らかに揺らめいていた。

 

 

「もう。今朝あれだけ強がっていた人はどこに行っちゃったんです?」

「しょうがないだろ……あんな結末(ラスト)……泣くなって言う方が人間としてどうかしてる」

 

 映画を見終わってからというもの、彼はずっと涙目(こんな調子 )で。

 本当に不思議。今日1日だけで千年の恋も冷めるような姿など幾度も見ている筈なのに、この胸は淡く焦がれるような想いで満ち満ちている。

 

 

「ほら。急がないと、お店閉まっちゃいますよ?」

「ん……ああ、そうだったな」

 

 喫茶店、時計屋、ビデオレンタルショップ。街道に面した店から溢れる明かりを浴びながら、本日の最終目的地である自転車屋へと向かう。

 思い出すように息を零す彼は、それだけ今日という日に夢中になってくれたのか。嬉しいと思う気持ちを上辺では取り繕いながらも、そんな彼に朱色に染まったこの頬を悟られないよう、その肩口……彼の体が作る影へとそっと身を寄り添う。

 

 トクン、トクンと、一歩足を踏み出す度に早まっていく鼓動。その高鳴りをより一層強く感じるのは、自身の中に溢れるこの想いを自覚したから。

 頭の中ではこのあと貴方に言うべきこと……貴方へと伝えたい告白の言葉が、幾つもの旋律になって鳴り響いていた。

 

(――ずっと貴方のことを想っていました)

 

 駄目、淡白(シンプル)すぎる。

 

(――その横顔を、これからはもっと近くで見させてください)

 

 ううん、これじゃ婉曲(キザった)すぎ。

 

 様々な形で、音色で。けれどたった2文字の想いを伝えるために、幾つにも浮かんでは消えていく告白の言葉。頭の中の難しい顔を浮かべた私が、あれは違うこれも違う。もっとちゃんと言葉で想いを伝えたいと、何度も台詞を選び直しているけれど……

 

 けれど心に浮かぶ言葉の、そのどれもが偽りのない本心で。

 募り積もりゆく想いの丈。胸の奥から溢れて止まない、叫び出したくなるような想いの徒波に、フワフワと浮き立つような淡く恍惚とした心地に包まれていく。

 

 こんな気持ち、初めてのことで。

 ふと店のガラスに反射する自身の姿を見れば、そこにはいつの日か、貴方にも見せた表情。

 今は何の仮面も被っていないのに……そんな余裕さえない筈なのに。そこに()るのは、恋に恥じらう少女の顔そのもので。

 

 

(嗚呼――こんなにも)

 

 今更に実感する、胸の中に秘めていた想いの大きさ。

 それでも、未だいつまで経っても告白の言葉を決めきれないのは、きっと私の心に恐れが残っているから。頭の中で難しい顔をしていた私も、今や目尻に涙を溜めながらフルフルと顔を真っ赤にして、ともすれば緊張と羞恥に耐えかねて逃げ出してしまいそう。

 想いを強く抱くほどに鼓動は増して。時折隣にいる彼を見上げては、その横顔により頬を赤くして俯く。そんなことばかりを繰り返している。

 

 あれだけ映画に勇気を貰っていながら。こんなにも前準備と用意を重ねていながら、未だ臆病を拭いきれない自身の心に大きな溜息が漏れた。

 

 

 それでも、決して難しくはない筈なのだ。

 

 

 

――どうしてそう思うの?

 

 

(……?だってそうでしょう?)

 

 

 ざわりと。不意に胸の内から湧き出た問いに応える。

 

 そう。少なくとも私は、あの子のように理由を並べていつまでも告白から逃げたりはしない。

 自分の想いを否定もしなければ……”好きになるのは相手から“なんて。そんな無意なプライドで意地になったりなんかしない。

 

 たとえどれだけ緊張に心が揺れていても……そう。最悪、今だけは本心をさらけ出すことが出来なくても。私なら……仮面さえ被ってさえしまえば、問題なく言葉(想い)を伝えられるのだから。

 

 

 

――ダメ

 

 

 

(大丈夫。ちゃんと伝えられる)

 

 不安を振り払うように顔を上げる。その視界の端……ぼんやりと明かりの漏れる、街角の一店舗を目に映しながら。

 いつもと同じように。何も物怖じする必要なんてないと、自らを勇気づけるように。

 

 

 

――ダメ……!

 

 

 

 

 そう。だってこれは経験済みのこと。

 

 かつて、一度は乗り越えてしまった試練。

 

 

 彼への告白だって

 

 決してこれが―――『初めて』ではないのだから

 

 

 

 

 

 

その場所を―――目にして(思い出して)はいけない

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーー」

 

 

 

 一陣の凍てつく風が通り過ぎる。

 

 浮かれていた心も。

 灯っていた胸の熱も。

 全て、奪い去っていくように。

 

 耳に蘇る呪いの言葉。

 思い出したくもなかった、かつての記憶。

 

 夜風が過ぎ去り、夢も覚めた(魔法が解けた)あと。その胸には――

 

 

 ただ一色。どうしようもないだけの後悔が残されていた。

 

 

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 

「では、こちらが防犯登録の書類になります。」

 

 夜遅く、閉店時間ギリギリの訪問だったにも関わらず、快く対応してくれた店員さんに礼を述べながら店を後にする白銀。

 新しく購入した自転車は信じられないくらいの軽さで。何より今まで手動でライトのオンオフを切り替えていた白銀にとっては、オートライトで車輪が重くならないというだけで画期的だった。

だがそんな感動も心半ばに、急くように駆け出していく。

 

「すまん、待っただろう」

 

 店の外、ベンチに腰掛け待っていた早坂の元へと駆け寄る。

 なるべく急いで選んだつもりではあったが……それでもこの寒空の下1人待っていた彼女の頬は血の気が失せたように白く色を無くしていた。

 

 もともとお洒落に気を遣っての薄着だ。外で待つより暖房の効いた店内で一緒に選ぼうと再三にわたって呼び掛けたのだが……まるで何かを取り繕うように。何かを恐れるように決して首を縦には振ってくれなかった彼女。

 どうしたのかと問う声にも曖昧な言葉で誤魔化すばかりで……。映画を見た直後、楽しげに笑っていた頃とは真逆の様子を見せる早坂に、いつまでもその理由(原因)を見つけられないでいた。

 

「良いのは、選べましたか?」

「……ああ、お陰様でな。」

 

 よかった、と。力なく微笑む。その表情だって、この薄い月明かりの下では酷く滲んで見える。そっと手を触れれば、氷のように凍えた小さな手のひら。彼女の演技をよく知る白銀だからこそ分かる(感じる)。その顔は寧ろ――

 

「………」

「………」

 

 間を包む沈黙。時計を見れば既に午後10時、月も空高くに登り行く頃。気温はますますと下がり、ジャケットを羽織っていてなお身が凍えるほど。ふと携帯を覗けば、帰りの遅い(自分)に対する怒りのメールが既に数多く届いていた。

 

 お互いに決して暇ではない身の上だ。目的を終え次に行く宛も無いならば、もう解散(終わり)を切り出すべきなのだろう。

 そう頭では分かっていながら……けれど少年も、そして少女も。いつまでも続く沈黙を互いに破れないでいた。

 

「……早坂」

 

 何も返してはくれない少女にそっと声をかける。俯いた髪の合間に見える空色の瞳は……今にも泣き出してしまいそうなほど、熱く潤んでいて。振り払うこともなく、指だけで力なく握りかえされた手。寒さなどが原因ではない……その指端から伝わる震え。

 

 俯く少女の姿と、記憶に残るリムジンでの光景を目に……白銀は一つため息を吐いた。

 

 

 

「え……?」

 

 ふわりと。少女の肩に掛けられる、今日買ったばかりの少年のジャケット。戸惑いの目を浮かべる早坂に対し、白銀はポンポンと自身の後ろ、自転車の荷台を手で叩く。

 

 

「せっかく買った新車だ。今のうちに慣らしておきたい。

 

 悪いが、もう少しだけ付き合ってもらうぞ、早坂」

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 

 

 郊外に向かって駆けていく一つの明かり。

 風を切る自転車に騎乗するのは2つの影。冷たい風に煽られるように、荷台に腰掛けた少女の靡く髪が月明かりに煌めいている。

 向かうのは山間の方角か、2人乗りに加えて結構な上り坂だというのに自転車は平地と変わらぬスピードでグングンと前へと進んでいく。

 

 先頭を漕ぐ少年がバランスを崩さぬよう……そっと身を預けるように、背中に寄り添う少女。

 道路を行く車の数は少なく、照らすのは等間隔に立ったハイウェイ灯と微かに注ぐ月明かりだけ。

 何処に行くつもりなのか。いつまで走り続けるのかも知らされていない。街の灯りはどんどん離れていくのに……けれど不思議と不安な気持ちは湧いてこなくて。

 

 きっと行先を聞いてしまえば、この時間も終わってしまう。

 ああ、寧ろ胸の中ではそんなことを知らず恐れている自分がいる。

 

 体を吹き抜ける冷たい夜風に、彼から預かったジャケットをキュッと握る。代わりに薄着になった彼は寒くないだろうかと顔を覗けば、この上り坂のせいだろう。伝わる体温は温かく、その額には微かに汗も浮かんでいた。

 

 

 ……思い出してしまう。

 誘拐事件のさなか。遮光プラドに覆われたあの暗く狭い車の中。唯一の心の頼りだった四宮家との繋がりも断たれ、助けさえ望めない状況で……けれど遠く、小さく。サイドミラーに映る貴方の姿をずっと求め続けていた。どれだけ離れても、追い続けて来てくれる貴方のその姿に……ずっと心を救われていた。

 

「っ――……」

 

 ギュッと、また熱を帯びる瞼に息を零しながら、彼の背中へと額を埋める。

 こうしている間だけは……胸に奔る鋭い痛みも、忘れられる気がしたから。

 

 その温もりにすがるように。

 ああ、叶うことなら、どうか。この時間がいつまでも終わらないで欲しいと……そんな意味のない願いを抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1時間ほど自転車を走らせ、ようやくたどり着いた山間の道。神社へと続くような長い石階段のふもとへと自転車を止めた彼。

 街灯は数えるほどしかなく周囲には鬱蒼と木々が生い茂っているため、ぽっかりと口を開けた階段の入り口だけがぼんやりと闇夜に浮かび上がっていた。

 

「ここを登るんですか……。御行くんは……その、虫とかは大丈夫なんです?」

「この季節だから大丈夫、のはず。もし気を失ったら蹴り入れて叩き起こしてくれ」

「何一つ大丈夫には聞こえないんですけど」

 

 やっぱり知り合い以外とは来られないな、と。そんなことをボヤキながら、しかし慣れた足取りで階段を上り始める彼。自然と繋いだ手に引かれ後に続けば、石段の続く先、かすかに光の漏れる遠い頂上の様子が垣間見えた。

 それでも途中に(あかり)などはなく、微かにあった月明かりも石段を登るほどに木々へと隠され、視界は暗闇へ染まっていく。

 耳に届く微かな虫の音。お互いの口から溢れる吐息。時間の感覚を忘れる、長い様な短い様な時間。繋いだ手の……そこから伝わる温もりだけが、互いの存在知らせる唯一の拠り所だった。

 

 

「さあ、もう少しだ」

 

 差し込む月明りと共に、丘の上に吹く澄んだ空気が肺を満たす。

木のトンネルを抜け、階段を登り終えた先。目の前に飛び込んで来た光景に、思わず言葉を失っていた。

 

 

 夜空一面に広がる星の大海。散りばめた宝石のように瞬く、都会の明かりから解放された純粋な耀きに揺れる星々。一筋の淡い白波が揺蕩うような、光の帯を成す冬の天ノ川。

 それだけではない。今は遥か遠い地表。

都会に連なるビル群がなす光の山岳。小さな流れ星のように、街へと続く曲がりくねった道を進む無数のヘッドライト。一際大きな光を放つ港には、信号を送りあうように明滅する明かりを纏った輸送船がゆっくりと入港し――

 

 ああ、まるで空にも大地にも、星の海が続いていくような。

 光の息吹脈打つ幻想的な光景が、其処には広がっていた。

 

 

「……東京の近場に、こんなところがあったんですね」

「ああ。天体好きでもなければ知らない穴場だ」

 

 龍珠あたりは知ってるかもしれないが、と何かを探すように長く伸びた草むらを掻き分ける彼。

風景を一望できる位置にポツリと立つ、石造りのベンチが顔を出した。

 

(以前)に来てた頃は、こんなに荒れてはいなかったんだが……」

「昔、というと?」

「ん。秀知院に入ったばかり……いいや、その生徒会会長(トップ)を目指し始めた頃か。

 周りとの(生まれ)の差や、才能の差。どれだけ勉学を重ねてもなかなか埋まらない学力に、色々なことが嫌になって……その度、自転車を思い切り飛ばすストレス解消がてら、この景色に慰められに来てた」

 

 あの家で泣こうものならアパート中に響き渡るからなぁ、と。照れの混じる困ったような笑いを浮かべては、ベンチの汚れを手で払って腰かける彼。

 懐かしむような口調や、この場所の現状を見ても、彼自身訪れるのは随分久しぶりのようだった。

 

 当然か。彼は長く嶮しい道のりの末、見事その頂へと登り詰めたのだから。

 

 そっと彼の隣に腰をかければ、差し出される缶コーヒー。

今日一日を互いに労うように。遠いいつか、彼と学園屋上で談話した時のことを思い出すようだった。

 

「……どうして、私をここに?」

「さあ。今日一日楽しませてくれたことへのお(かえし)と……まああと半分は自慢だな。

 この綺麗な景色を、誰かに覚えて(知って)おいて欲しかった。

 忘れられてしまうには、あまり勿体ない場所だろう?」

「……そうですね」

 

 この冬空の下、コーヒーから手に伝わる温もりは温かく。ほう、と。一口の後に溢れる白い吐息が、星の海を背後に消えていく。そんな情景さえ何処か幻想的で……。きっとこの先、どれだけ歳を重ねても自分はこの景色を覚えているだろうと。自然とそう思えてしまうほどに、心を揺らす美しい光景だった。

 

けれど

 

(……嘘つき)

 

 それが本音(すべて)ではないこと。

 

 本当は、誰に向けてのエールだったのか。

 泣きそうな顔で俯いていた、誰を、勇気付けようとしてくれたものであったか。

 バレバレの照れ隠しをする貴方がうらめしくて……イジらしくて、ついジっと睨んでしまう。

 

 そんな私の瞳に「嘘じゃないさ」と。心境を察したかのように笑いを零しては、立ち上がる彼。

 

 

「俺自身、もう一度見に来ておきたかったってのもある。

 最後にもう一度だけ、勇気をもらいに。

 

 きっとしばらくは……帰っては来られないだろうから」

 

 

「———」

 

 囁くように紡がれた言葉に、目を見開く。

 力の抜けていく指に、危うくコーヒーを取り零しそうになりながら……それでも構わないというように、愕然と貴方の横顔をただ見つめる。

 この星空を越え、遥かな大海も越え、どこまでも遠くを見据える貴方の瞳。

 

 ああ、今更ながらに気付く。どうして彼が壊れてしまった自転車をすぐに買い直そうとしなかったのか。

どうして、その必要が無かったのか。

 

 秀知院学園の推薦制度により、スタンフォード大学への飛び級での留学を決めた彼。

 長い長い苦難の果て、ようやく掴んだ夢の(きざはし)

 今はこうして隣で話している彼も。

 さっきまでずっと手を繋いでいてくれた貴方も……僅か数ヶ月には、もう手の届かない遠い地へと行ってしまうのだと――。

 

 

 その事実を知らない筈がなかった。

 覚えていないわけがなかった。

 

 それでも、認めたくないこの心が――知らず記憶の隅へと追いやっていた。

 

 

 

(……言わ、なきゃ)

 

ドクン、と。再び熱を灯す心。

すぐ傍まで迫った瀬戸際(刻限)に、無理やり勇気を絞り出すように。

 

(伝えなきゃ……)

 

そう、今だけなのだ。彼が此処にいてくれるも。その手に触れられるのも。

もうこんな機会は巡っては来ない。

彼に想いを告げられるチャンスは……もうこの瞬間しか残されていないのだ。

 

 

「――――、――」

 

 

 ああ、なのにどうして

 

 どれほど声を出そうとしても。どれほど胸の中で勇気を振り絞っても。凍えるように固まった喉が、唇が、言葉を紡いでくれない。

 怯えに染まりきった心が、意志さえも押し殺して……どうにも出来ない想いに、目に涙ばかりが浮かんでいく。

 

 

(どう、して……っ!)

 

 

 

 

 

 

 

当然だ。

 

 

だって知っているのだ。私は。

 

 

その言葉の結果(続き)を――

 

 

 

 

 

『ごめん――俺、好きな人がいるから』

 

 

 

 

 

 まだ『ハーサカ』として、近従としての立場を明かしてはいなかった……

本当の名前さえ、貴方に伝えていない頃に果たした――果たしてしまった告白。

 

 けれどその結果(言葉)は、今でも鮮烈なまでに耳に焼き付いて。離れてくれなくて

 

 

 分かっている。あの時とは何もかもが違うこと。

 お互いの強い所も弱い所も知って、認め合って。

 私の心も……きっと、あなたの心だって。「あの時」からは、大きく変わってくれているかもしれない。

 

 けれど、そんな”もしかしたら”なんて淡い期待も。

あの本屋(場所)を目にしてしまった瞬間……氷よりも冷たい風となって、灯る熱のすべてを奪い去ってしまった。

 

 

 

 ああ、そうだ。仮面で言い訳が出来ていた「あの時」とは違う。

恋を知って。この胸に宿る想いを自覚して。

 

 本心から受けいれて欲しいと願ったからこそ――拒絶されることの恐怖は……想いを断られることの恐怖は、あの時と比較にならない畏怖となって心を苛んでいく。

どれほど胸を奮い立たせても、期待なんかよりも遥かに鮮明な過去(リアル)が、容易く心を折ってしまう。

 

 もう演技だったから、なんて言い訳はできない。

あの子の命令だったからなんて……そんな卑怯な言い訳で自分を騙すこともできない。

 

 心からの想いを伝えて。

 もしもう一度、貴方にあの言葉を言われてしまったらと想像する(おもう)と――胸を抉る恐怖に声を出すことさえ叶わなくなってしまう

 

 

 そう……本当は、分かっていたのだ。

 

 貴方の想いは、未だ(変わらず)あの子に向いていること。

 スタンフォードへの留学。日本で過ごせるこの最後の時間に……貴方はきっと、あの子への告白を果たすだろうことも。

 

 それはずっと変わらない……変えられないこと。

私と出会う以前から、貴方の瞳にはあの子の姿が在って。

 ああ、初めから…………二人の間に入る隙間なんて、何処にも無かったということも。

 

 

 

 そんなこと、全部、全部、わかっていた筈なのに――

 

 

 

 それでも諦めきれない。

ようやく見つけられたこの想いを、棄てることなんて出来ない心は、意味のない空想ばかりを募ってしまう。

 

 あんな出会い(始まり方)でさえなければ

 あんな告白の言葉でさえなければ―――もっと違う別の未来(結果)もあったんじゃないか、なんて。

そんな在りもしない幻想を抱いてしまう。

 

けれど、どれだけ願っても、どれだけ後悔しても、記憶の中(かつて)の私は言葉を変えてはくれない。

 

 

 

『試しに私と付き合ってみない?』

 

 

そんな言葉で伝えたいんじゃなかった。

 

 

『友達9割っていうキープ的な彼女でいいから――』

 

 

貴方に抱くこの想いは……そんな軽い気持ちなんかじゃなかったのに

 

 

――子供だったんだ。

 

恋を知らず。愛を知ろうともせず。

 

――愚かだったんだ。

 

演じなければ愛されないなんて言い訳に、本当の自分を晒す勇気からも逃げて。

 

 

 

嗚呼……知らなかったんだ。

 

 

 

 こんなにも

 

 こんなにも――

 

 

 誰か(あなた)を好きになる日が来るだなんて

 

 

(ああ……こんなのってない)

 

 

 

 弱く幼い心に、ようやく芽生えた(初恋)

 

けれどそれは、一度開けば散ることが約束された……

 

 

決して、咲かせてはいけない花だったのだ。

 

 

 

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