【完結】遅咲きブーゲンビリア   作:パン de 恵比寿

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吐露

『あー。あー。マイクテス。皆さん、お待たせして申し訳ない。そして忙しい中、よく集まってくださいました(レディース・アンド・ジェントルメン)

 

 若干ハウリングの混ざる若い男の声が、夜の平原に木霊する。

 ヤシの木が立ち並ぶ川沿いの広場。降り注ぐ星光は明るく、しかしそれ以上に煌々と焚かれた照明が燦然と夜空を照らし返している。

 

(暑っつ……)

 

 日が落ちたとはいえ、まだ7月半ば。夏真っ盛りの時期となれば頬を吹く風は生温い。

 加えてこの熱気だ。幾つにも並べられた木製の丸テーブルやBBQ(バーベキュー)コンロの周りは学生達で溢れかえり、開始を待ちきれないのか既にグラスを傾けている者もチラホラ。

 テーブルの上には交流会としての意向も兼ねてか国色鮮やかな料理が並び、タンドリーチキンにスープカレー、カナダ料理のプーティンにブラジル料理のフェジョアーダ。はたまた日本の寿司もあったりと、鮮やかすぎて若干混沌と化している。純日本人としては、カレールー用のグレイビーボートに白玉ぜんざいが浮かんでいる姿はちょっといただけない。

 

「ミユキ大丈夫?最近思い詰めた顔してるけど……悩みごと?」

「ん?ああいや、ちょっと試験続きで疲れただけだ。しかし、すごい人の数だな」

 

 視界の8割を埋め尽くす人影に思わず溜息が零れる。おまけにその殆どが知らない顔。一期生のみの招待とはいえ、全学科の学生が集まっているのだから当然と言えば当然か。野外フェスもかくやといえるほど高まり過ぎた人口密度。けれど実際は単なるビアガーデンの一角に過ぎず、それも学内施設の一部だというのだから、相も変わらぬ規模の大きさに辟易させられる。東京の地で慣らされていなければ間違いなく人混みに酔っていただろう。

 

『まずは皆さんに“お疲れ様”を一言。スタンフォードに入って初の学期末試験。皆が皆、多くの苦難があったことと思います。』

 

 『飲み会』……といえば、それは社会に出れば誰もが経験するもの。

 日本においては縄文時代後期、海外では紀元前3000年前の古代メソポタミア文明にまで遡ると言われる酒造り。その存在が人類史に与えた影響は言うに及ばず、既に食文化を越えて、良かれ悪しかれ人類社会の基盤にもなっている。「大人の階段を登る」という言葉の持つ漠然的なイメージも、飲酒する姿を想像すれば、ああ、と納得してしまうだろう。

 

 それは社会人予備軍と称される大学生活でも同じこと。サークル活動や学会での懇親会、友人同士の飲みなど理由や機会は様々なれど、今まで触れてこなかった大人(アルコール)の世界に飛び込んでいく機宜でもある。

 

 

『そして何よりアホみたいに難しいテスト問題。広すぎる試験範囲に情け容赦なく繰り出されるレポート。ていうか何だあのC問。あんなの出るとか聞いてねーぞ』

 

 今まで真面目にも手を出さず、初めて口にする酒の味におっかなビックリな初心者も。実は既に隠れてこっそり嗜んでいた有段者も。誰もが年齢的合法という赦しの元、大手を振ってジョッキを掲げられる解放感に、喜び、騒ぎ、時にはハメを外しすぎることだってしばしば。

 己の限界も分からず勢いのまま飲み続け、挙句二日酔いの苦しみに呻きのたうつ者。自身の適度なペースと容量(キャパシティ)を学び、程よい楽しみ方を身につける者。それら苦しみも楽しみも全てを飲み干して、果てなき飲兵衛(のんべえ)の道へと突き進む修羅だっている。

 それもまた、ちょっと熟した青春の1ページ。社会に出る前の予行演習と言えるのかも知れない。

 

 

『勉強を抜きしても多くの苦労があったでしょう。慣れない異国での暮らし。文化の違い、言葉の違い。日常のちょっとした歪みはストレスとして積み重なり、負担になっていく。だから』

 

 もっとも文化圏の違うこの国では、それほど身構える必要はない。日本では一時流行った飲みニケーションの文化とは異なり、アメリカでの飲みはあくまで“遊び”。

 広大な庭先に集まって、巨大な肉を転がすBBQを皆で楽しむ。そんな懇親会とは名ばかりの気軽なパーティーであり、仕事上の関係を持ち込むのは逆に倦厭されがちだ。日本のサラリーマンのように、道端に倒れ伏すまで飲み続けることもなければ、一気飲みの強要で病院に担ぎ込まれることもない。

 

 

『だから……』

 

 ましてやこの場(スタンフォード)に集うのは、やがては世界を背負う選り優りの秀才・天才達。酒に溺れる痴態を晒すようなこともなければ、我を忘れて荒れ騒いだりもしない。

 今夜のパーティーだってそう。あくまで優雅に。穏やかに。ワイングラス片手に談笑と食事を楽しむ、そんな華やかなものであると――

 

 

『だから今日はそんなもん全部忘れて飲み明かすぞオラァァァ!!!』

 

「「「「「YEAHHHHHHHH!!!」」」」

 

 

 

そう……思っていたんだがなぁ

 

 

 

 

 

 

遅咲きブーゲンビリア 第7話 吐露

 

 

 

 

 

「「Yeeeehaaaaw!!」」

「「Ураааааааа!!」」

「ヒーハー!!ヒィィィィヤハァァァァ!!」

「だー、うるっさい!!ちょっとは落ち着いて飲めないの!?」

「ヒハ?」

「まず人語を思い出せ」

 

 怒号とも狂声ともとれない叫び声を上げる学生達に混じり、蛮族さながら大ジョッキを両手に掲げて踊るキリー。ああ、そうなのだ。此処での飲みはまず素のテンションからしてヤッベェのだ。

 

「なんだあんだお前らぁ!こんなときまで真面目ちゃんかぁ!?酒も全然進んでねぇじゃねえか、ほれほれ!」

「なっ!?ワインの上からテキーラ注ぐバカがあるか!」

「あっれー、間違えちったぁ!?ぶひゃひゃひゃひゃ!!」

「こいつ……っ」

「落ち着けエイス。これが酒飲みのペースだ。惑わされたら禄な事にならん……というかお前が本気で殴りにいったら、それこそ洒落にならんから」

「ミユキも元気ねーぞぉ!あれかぁ!?毎日あの可愛い彼女とヤりまくって疲れてんのかぁ!?羨ましいってもんじゃねぇぞコンチクショー!?」

「よし構わん。思いっきりひっぱたいてやれ」

 

 スパァンっ!と頭をはたく軽快な音が鳴り響くも、誰一人として振りかえる者はいない。皆が皆、苦しみから解放された喜びに声を上げ、中にはテーブル突っ伏して嗚咽混じりに泣き荒ぶ者もいる。

 

 まあ気持ちはわかる。

 過酷と熾烈を極めた学期末試験。米国の大学は入学(はい)ることより卒業()ることの方が難しいと聞くけれど、それを思い知らせるかの如く次々と課される無理難題に、誰もが心をすり減らす日々であった。

 

――え?なにあの先生、いつもニコニコしてるのにこんなエグい問題出すの?

――恐ろしく巧妙な引っ掛け。俺でなきゃ見逃しちゃうね……てか、ここテストには出ないからって授業中に飛ばしたところじゃなかった?

――問題が!まず問題が専門用語だらけで意味分からないんですけどぉ!?

 

 まるで殺意が込められているのではと疑わしくなるほどの難易度。自らの学力に対する絶対の自信を持ち、初めての試験ということもあり余裕の表情を崩さなかった天才達も、しかし2日目を過ぎた頃には「これはヤバい」と察したのか、皆こぞって駆込み寺のごとく図書館へと集まる始末。中には寝袋を持ち込んだり図書館前にテントを張ったりと、職員から注意を受ける生徒もいた。

 

 なにせ必修科目においては、成績が悪い(赤点) = 即留年が決まってしまうのだ。加えてこれは学力競争の場。秀知院学園時代がそうであったように、其処には必然、化かし合い(ダーティプレイ)というのも生まれてくるのである。

 

 権謀術数による腹の探り合い、嘘の付き合いなど序の序。敢えて内容を改竄した資料を提供し勉学を遅らせたり、図書館の資料の独占することで他者の学習を妨害したりと、手腕や方法もまたグローバル。

 特に酷かったのは、テスト形式や出題範囲について大幅な変更があったというデマを流し周る輩が出たことだ。

 

 テストの「形式」「範囲」言えば、勉強する上でまず押さえておかなければならない重要なファクター。いま学習しているところは本当にテストに出るのか?全く見当違いのところに時間を浪費しているのではないか?そんな不安が頭に過ぎっていては満足に集中出来るはずもない。

 加えてタチの悪いことに、その噂は正しい情報もあれば間違いなものもあったりと、清濁入り混じった内容であったため、疑心暗鬼による更なる混乱を助長することになった。

 

 正確な情報を確かめようにも、頼みの綱である掲示板もあてにならない。仔細の書かれた掲示物()が既に剥がされてしまっているため、正誤確認のしようがないのだ。勉学に追い詰められたノイローゼ一歩手前の学生が、学内全てのゴミ箱をひっくり返す珍事件があったが、それも全て徒労に終わったそうだ。

 過去に遡るか、或いは日々変化する掲示板の様子をマメに写真や映像として残していない限り、正答を知ることは出来なくなってしまっていた。

 

 ……まあ、そういう背景もあってか

 

「お?おおぉう?ミユキが5人に増えて丁寧丁寧丁寧にステップ踏んでる」

「飲み過ぎだよ」

「いいや間違いなくオメーに叩かれたせいだよ。痛ってーくそ、脛まで思いっきり蹴飛ばしやがって、」

「?なにそれ。叩いたのは頭だけだよ」

「しっかし、ほんと助けられたぜSHIROGANE☆CHANNELには。あれが無かったら俺たち全員足のひっぱり合いで共倒れになってたぜ?」

「ほんと顎向けて寝られねーよ」

「足な。あと動画化したの俺じゃないし」

 

 慣れない仕草で拝むように両手を合わせては、貢物と言わんばかりに焼けたばかりの肉を次々と白銀の皿へと盛っていくクラスメイト達。SHIROGANE☆CHANNNELとは、その名が示すとおり、白銀御行が撮影した動画をほぼ無編集、ノーカットで垂れ流しただけのチャンネルである。白銀がその携帯で撮ったもの……

 

 

『あと複素数関数応用と、海洋物質学と制御工学と――』

『待て待てちょっと多い。

 まとめて動画で送るから、自分で確認してくれ』

 

 

 

「どうりで、日に日に撮影箇所やアングルに注文が増えていくと思った」

「いいじゃねえかよぉ、減るもんじゃあるめぇし。というか聞いて?あんだけ頑張って動画上げたのに、商法目的は許さないとかで大学側からストップ入って、結局俺のところには一銭も入って来なかったんだぜ!?許されるかこんな横暴!?」

「完全に自業自得だろうに」

「俺はなぁ!この情報化社会にありながら未だに掲示板なんて古典的システムに頼る大学の体制に一石を投じるべくだなぁ!」

「はいはい」

 

 御行が毎日足繁く通っては、動画に納めていた日々の掲示板の様子。それは図らずもクラスの全員が渇望するものであり、動画(チャンネル)の存在は瞬く間に学内中に知れ渡ることとなった。……いいや、むしろその価値に目をつけ、某動画サイトに勝手にアップロードし、再生数欲しさにいたずらに宣伝しまくった輩がいたのだ。

 加えてこの男(キリー)がチャンネルの価値を上げるために、例の誤情報(デマ)を流しまくった裏も既に抑えてある。

 

「……いや実際、バレたらクラス全員から袋叩き確定なんで、どうか内密にお願い致します(ヒソヒソ)」

「状況的に共犯疑われるから言い出せんだろ……というか完全にソレ狙いで俺の名前でチャンネル作ったろう」

「いえいえ?ミユキさんがクラスに打ち解けるための、ちょっとお手伝いをネ?」

「オマエほんといつか刺されても知らんぞ」

 

 

「あーあ、いいよなぁ他所の学部は。試験全部終わって、あとはもう夏季休暇にむけてまっしぐらなんだろ?」

「俺らも『情電』さえ無けりゃなぁ。アレが残ってるせいで、試験はまだ終わってないんだって水差されてる気分だぜ。宴会の楽しさも半減」

「結局いつに延期になったんだっけ?」

「9月10日。夏季休暇真っ只中。

 何が悲しくて休みに入ってまで試験問題に怯えなきゃならんのか」

「まあ毎年“留年生産機”とか言われるほどクソ難らしい『情報電子学』の勉強期間が延びたって考えれば、ちょっとはマシな気持ちになるけど」

「それな」

「はぁ……。もう面倒くさいことは全部忘れよう。とりあえず、お互いよく今日まで頑張りましたってことで、うい、乾杯」

「「「「うえーい」」」」

 

 やる気のない音頭と共に再びグラスを掲げる学友たち。なんとも気怠い。普段はあんなにも凛々しい彼らがこのあり様とは、やはり酒の力は恐ろしい。

しかし秀知院時代においても、こんなに仲間うちで駄弁る経験(機会)もなかった御行にとっては、不思議と悪くはない。寧ろどこか安心を抱ける時間だった。

飛び交う愚痴に悩み話。いかに天才の集まりとはいえ、皆まだ二十歳も届かぬ者達。思えばなにを警戒をしていたのか、皆それぞれに苦労や悩みを抱えているのだと……そんな当たり前のことを知る夜だった。

 

 

 

■□■□■□■□

 

 

 

「いやいやオマエ、ウイスキーはそんなグビグビ煽るようなもんじゃねぇよ死ぬぞ?」

「うーん??ダイジョーブ僕あれだから。強いから。腕にエタノール塗っても全然赤くなんなかったから」

「その検査方法わりと眉唾で信じちゃダメなやつ!おい水持ってこい、早く止めろこのバカ!」

「なあ……こいつ(エイス)今まで友達できなかったの従姉妹のせいにしてるけど、割とこいつ自身も結構アレなんじゃ……」

「言ってやるな。アイデンティティ壊れちゃうから」

「一つ飲んでは父のため。二つ飲んでは母のため。三つ飲んでは……なんだっけ?」

「ガンバレ♡(男)ガンバレ♡(男)」

「やだぁ!?なんか野太い声援が聞こえるぅ!?」

 

 それから宴もたけなわ。

酔いの勢いに任されるまま制御(かじ)を失った話題は、何故か“誰が一番酒に強いか”に始まり……

 

「辛っら!?これ辛っら!?なに考えてんのお前ん(とこ)の料理!?」

「いやそっちこそ、何をどう血迷ったらパイから大量の魚の頭が生えてくんだよ。夢に出そうで怖えーよ」

「ヘイ、ワッツ ディス(なんぞこれ)?」

イッツ ジャパニーズ スシ(おまえ、これ寿司やで)

ポイズン(フグ)!?」

ノット ポイズン(フグではない)

「そういや日本人以外が海藻食うと腹壊すって聞くけど、あれどうなん?」

「炙ってない生の海苔はダメらしいけど、まずそんなの食べる機会ないから」

「うちの親父が乾燥わかめを腹一杯食いまくって、水飲んだら死にかけたって……」

「それきっと別の理由」

 

 郷土料理の食べ比べに飛躍し

 

「じゃ、じゃあ題問18の……(3)は?」

「B」

「Bだったな」

「いやB以外あるか?あそこ」

「終わったぁ!もう全部終わったぁ!留年確定!!」

「大丈夫だって、他が全部合ってる可能性も」

「そこ一番自信あったとこだよぉ!」

 

 

 試験問題の答え合わせを経由して

 

 

「もう元気出せってグエン。元々無理して付き合ってたんだろ?だったら別れられて良かったじゃねぇか。」

「そんな簡単に割り切れるかよ……。3年だぞ3年。それが突然、こんな終わり方……納得できるかよ」

「なぁに忘れた方が楽になる。人生なんて結局、削れ朽ちる岩肌みたいなもんなんだから」

「その心は?」

「あ、ごめん。それっぽいこと言いたかっただけ」

「正直かよ」

 

 最後には、失恋に泣き暮れるクラスメイトを慰める会へと軟着陸するに至った。

 

 それはもうさめざめと。元々泣き上戸だったのか、あるいはずっと押さえ込んでいたものが酒の力で決壊してしまったのか、テーブルに突っ伏して泣き荒ぶグエンと呼ばれた青年を周りの皆で励ましている。

 と言っても既にかなり酒も回っているため、割と空気はぐだぐだ。適当にヤジを飛ばすものが大半で真面目に聞いているのも2,3人がいいところ。隣で真剣に相槌を打っているように見えるエイスも、実は眠気に誘われうつらうつらしているだけだったりする。

 

「……」

 

 御行としては……酷く耳に痛く、居たたまれない。

今日まであまり話す機会の無かった(グエン)ではあったが、しかしどこか自信と似た境遇、同じ心の傷を抱える者同士としてか、その背中には少なからずのシンパシーを感じてしまっていた。

いつにもまして感傷的な気分になってしまうのは、自分も酔いが回っているからか、それとも……

 

 

「やっぱり、初恋なんて上手くいかねぇのかな……」

 

 ポツリと。力なく呟かれた言葉に、ぎゅっと唇をかむ。

 

「何だそれ?」

「あれ、お前のとこはないの?この常套句。イタリア(うち)は有るぞ」

「というか、その年で初恋だったんかよオマエ」

「…悪ィかよ。お前らだって似たようなもんだろ。ここ(スタンフォード)に来るまでの間、勉強漬けでまともな青春なんて送ってこれなかった筈だ」

 

 グラスを傾ければカランと崩れる氷の姿をうつろな瞳が追う。その滲んだ光沢の向こうに、遠い誰かの陰を思い出すように。

 

「そりゃ俺自身、高嶺の花だと思ってたし、彼女に合わせるため色々無茶もしたよ。

 けれどそうやって……彼女にふさわしい人間になろうと踏ん張る自分も、嫌いじゃなかった」

「……」

「忘れた方が楽だってこともわかってる。けど次の彼女を見つけて、心移りして……そんな簡単に捨ててしまえるのなら今までの想いは何だったんだよ。

 自分の“本気”さえ、否定してしまえる奴に……次に誰かを本気で好きになることなんて出来るのかよ。」

 

 言葉の途中にもかかわらず、崩れるようにまた突っ伏してしまう彼。酔いつぶれしまったのか、あるいは泣き疲れてしまったのか、そのまま微かに聞こえ始めた寝息にやれやれと肩を竦める友人達。

 

 

 ああ、けれど分かる。わかってしまう。

 

 自分にもいたのだ。見栄を張り、無理を重ね。自身の全てを懸けてでも、隣に立ちたいと想える人が。

 

 重ねてきた想いが強く大きいからこそ、手放してしまうことがまるで自分の身を切り落とすようで。嘘と捨て、思い出と忘れてしまう心が欠陥品のようで恐ろしくなる。

 あれだけ本気と嘯いていながら、それを"違う誰か"に向けることが酷く軽薄なことに思えて。

また同じ。また繰り返し。どんなに真摯に愛を叫ぼうとも容易く(わすれ)てしまえること想いに、はたして価値はあるのか。そんな想いしか紡げない自分に……"誰か"を本気で愛することなんて出来るのか。

 

 それが潔さの欠片もない、醜い執着だってことも分かってる。

それでも考えずにはいられない。答えを見つけずには進めないのだ。

 

 そうしなければ自分もまた――

 

 

『恋愛感情は永遠ではないの』

 

 

 あの人と同じ。いつか本当に大切な人さえ、切り棄てられる人間(じぶん)になってしまいそうで。

 

 

 

「……ま、初恋なんてそんなもんだわな。恋に恋するっつーか。経験不足っつーの?自分と相手の心に振り回されるまま、お互い必死になりすぎていつか擦れちまう。本当に幸せになれるのは、そんな肩肘張った関係じゃない。弱いところも汚いとこも認め合って、一緒に居て安心できる人じゃなきゃな」

「なんだ、ずいぶん語るじゃん。流石、伊達に振られ慣れてないわ」

「8人に告白して10人に振られた逸話の持ち主だわ」

「告白する前に振られるとか何そのレジェンド」

「……あれだ。女なんて全世界の半分、35億人もいるんだから切り替えて次目指せ、次」

「それ幼女から老婆まで全部カウントしてるけどな」

「流石のストライクゾーンの広さだわ」

「お前ら逐一茶々入れるのやめてくんない?」

 

 寝息を立てる本人を他所にやんやと盛り上がるキリーたち。

しかし先ほどまでは居心地のよかった筈の盛況がどこか息苦しく感じて、背を向けるように一人席を立つ。

 

「飲みすぎたな……ちょっと風に当たってくる」

「うん……?人多いから迷わないよう気を付けてね」

 

 心配そうに覗くエイスの瞳が酷く申し訳なく思えて、その視線から逃げるように足早に人混みへと紛れ去っていく。

いったい何を後ろめたさを感じているのか、誰に言い訳をしたいのか。暗濁と揺れ動く自分の気持ちに胸を押さえながら。

 

ただ……瞼を閉じれば自然と浮かぶ彼女の横顔に、また胸がズキリと痛みを生んだ。

 

 

 

■□■□■□■□

 

 

「おい、どこの馬鹿だ、網を鶏肉で埋め尽くしやがったのは。焼けるのに時間かかるでしょーが!?」

「こっち火ぃ消えかかってんぞ!豚バラ持ってこい豚バラ!」

「うっわ…なによこの、赤くてやたらグロいソーセージ」

「ちょっと血が多めに入ってるだけだ。マスタードと一緒に抱きしめてやれ」

「ジン♪ジン♪ジンギスカーン♪ふーんふふ、ふんふるふっふ、ふーんふふ、ふんふるふっふ♪」

「サビ覚えてねのーかよ」

「サビなのかここ?」

「うぐ……えぐっ……」

「ちょっと何この子。なんで泣きながらご飯頬張ってるの」

「ああ、そいつの生まれ英国だから。こっち来て初めて食の素晴らしさに目覚めたとかで」

「プリプリの身に油に塗れてないサクサクの衣……こんな美味しいフィッシュ&チップスがあるなんて……」

「ああ、うん……もっとゆっくりお食べな」

 

 耳に入ってくる様々な会話を聞き流しながら、人々の合間を縫うように歩いていくこと数分。相も変わらず人に溢れた会場内は、屋外だというのに酸欠の不安が頭に浮かぶほどのごった返しぶりだ。涼めそうな場所は見つからず、ともすれば押し寄せる人波に本当に迷子になってしまいそうになる。

 

「……?」

 

 一旦戻ろうかと思案していた折、ふと視界の隅、すし詰め状態の会場内でポッカリと、穴の開いたように誰もいない空間が広がっていることに気付く。

 誰かがもどして(・・・・)しまった痕を清掃しているのか?と飲み会ではよくあるトラブルを思いかべもしたが、原因は別にあると直ぐに解った。というより、その後姿を見収めた途端、「ああ、なるほど」と納得してしまう人物がいた。

 

 野外広間に沿うように並び建つ店舗の一つ。色取り取りの酒瓶を棚に並べたスタンドバーにて、脚の高いスツール席に腰掛けては悠々と晩酌を傾ける一人の女性。特徴的なウェーブのかかった髪を揺らし、喧騒を嫌うように会場へ背を向けては何事かをバーテンダーに注文している。

 

 いったい何をすればあそこまで恐れられるのか。彼女を中心に半径10m。まるで恐怖を本能に刷り込まれたかのように如実に距離をとり、空洞を形作る他の学生達。もう十分酔いの回っている頃合いだろうに、それでも畏怖が勝るというように頑なにデッドラインを越えようとはしないのだ。

 

 彼女についての悪評(うわさ)は耳に届いている。というよりその1番の被害者であろう友人が積極的に届けてくる。曰く、彼女の口はパンドラの箱。一度開くだけで世にあらゆる厄災を齎し、会話するだけで内臓年齢が10歳年老い、グッとガッツポーズしただけで相手が吐いて倒れただの……ほんと、いったい何処を目指しているのか。

 

「What's the hell!?何をしているジャパニーズ!ナンパをするなら相手を選べ!!」

「カミカゼトッコー!?」

 

 彼女に近づこうとするだけで、こうも周りが騒めきだす始末。静かに話がしたいという願いも到底望めそうになかった。

 

 

「何の用よ」

 

 カランとグラスの中の氷を鳴らしては、振り返りもせずに呟くベツィー。

 

「後ろに目でもついているのか?」

「こんだけ周りが騒いでれば馬鹿でも気が付くわよこの………ちっ、飲みすぎたわね。良い罵倒の言葉が浮かんでこないじゃないの」

「浮かばんでよろしい」

 

 こちらを向く彼女の表情は、それこそ道端のゴミでも見下ろすような邪険に満ちた顔。

もう随分飲んでいるのか、頬は朱色に染まり普段の威圧感も削がれているというのに、蛇の様に絡みつく視線は変わらない。よくもまあ、これだけ正直(まっすぐ)に人へ悪意をぶつけられるものだと、感心させられそうになりながらも気圧されないよう一歩踏み出す。

 

「で何よ。なんか話でもあるわけ?一緒にいて、仲良いとか思われるの恥ずかしいんだけど」

「……なに。会場を歩いていたら寂しそうな背中が見えたんでな。寮の方はどうだ?いい加減、相方は見つかったのか?」

「アンタそれを誰から……ああ、なるほどエイスね?上等よ。あとで今日胃に入れたもの全部吐き出させてやる」

 

 安易に挑発に乗ってしまったこともそうだが、友人への思わぬ飛び火に「しまった」と後悔を浮かべる白銀。

 正直に明かせば、彼女との接し方は未だによくわかっていなかった。

なにせ善意を持って接すれば、(そこ)を突き込むように一気に心を崩しにかかってくるし、逆に悪意を持って臨めば何倍にも増幅して跳ね返してくるのだ。ホントいったいどうしろというのか。

 

 けれと同時に、彼女が話し相手に飢えているであろうことは、なんとなく察しが付いていた。

別段、参加を強制されていない本日の交流会。それでも彼女がこの場に足を運んだということは、少くとも人類に対して対話を望もうという意思は残っているのだ。

 もっとも現状を見る限り、その試みは上手くはいかなかったようだが……そう考えると、腹立たしげに見える彼女の表情にも納得ができた。

 

 

「今日は……まあ、なんだ。一言、礼を言いに来た」

「あぁ?礼だぁ?」

 

 心底信用ならないと言った顔でこちらを睨み返すベツィー。礼を言われることにこれだけ疑いを示すとは、どれほど自身に対する評価が低いのか。いや、高いのか。

 

「何よ。あんたそっち(・・・)の気でもあったわけ?じゃあ無視させてもらうわ。私の信条は本当に相手が嫌がることだけを――」

「いや違う、そうじゃない。というかそんな歪んだ信条聞きたくない。俺が言っているのは試験前のことだ」

 

 そう。試験が始まる前に図書館で彼女と交わした会話。

ベツィーからすればそれは一方的な罵倒であったかもしれないが、白銀の心を酷く傷つけると同時に、かつての気概を取り戻す確かな火種にもなったのだ。

 アレがなければ、おそらく今の自分はなかった。きっと今頃なけなしの自信さえも砕かれて、潰れていただろう。

 

「ハッ、何が礼よ憎たらしい。やっぱり酒どころか自分に酔ってる奴は考えることが違うわ。

 言ったでしょう?私がするのは相手が心底嫌がることだけ。少なくともあの時のアンタは、そう(・・)すれば潰れてくれると思った。

 そうならなかったのは、ただアンタの努力が――」

 

 言葉の途中、ちっ、と不機嫌そうに顔を歪めてはグラスをカウンターに手放すベツィー。

 

「やっぱりダメね。色んなの混ぜて(ちゃんぽんして)飲むもんじゃないわ……何よそういうアンタは殆どシラフじゃないの」

「い、いや。味は嫌いではないんだがな……どうにも精神的な嫌悪が」

 

 グラスの中、金麦色に透き通るソレに思い出してしまうのは、幼い頃より見てきた、だらしなく家で飲んだくれる父の姿。

定職にもつかず、普段何をしてるかもわからないのに、晩酌だけはしっかりとるその姿に、ああは成ってはいけないと、無意識下にブレーキが効いているのかもしれない。

 

「はぁ?それで食わず嫌いって、一番情けないパターンじゃないのよ。アンタこれから社交界に出ていく上でパーティーマナーがどれだけ重要になるか分かってる?

 主宰に“楽しんでない”ってのが伝わればそれだけでアウトなのよ?それを病気ならまだしも精神的嫌悪とか言い訳に飲まないとか、下戸以前にただの愚図で――」

「(やっべ、一気にスイッチ入った)」

「マスター。こいつにジム=ビーム一つ。ストレートで」

「ちょ、ちょっと待て!あんまり強いのは――!」

「40度以下なら全部水と同じよ。ロックなんて甘えてんじゃないわよ。飲んで吐いて飲んで吐いて。そして強くなるのよ」

 

 完全に飲兵衛(のんべえ)の理論であるが、既にその瞳にロックオンされ、首根っこを掴み抑えられている以上逃げようがなかった。こんなに酒癖の悪い奴だったとは。いいや、蛇といえばウワバミであると相場は決まっているのだから見誤ってしまったのは此方の失態か。その様は“大学の嫌な先輩に絡まれている図”そのものであった。

 

 

■□■□■□■□

 

 

「いいわー。アンタただでさえ青白い顔してるんだから、それぐらい真っ赤になったほうが丁度良いのよ。目も据わって更に目つき悪く……あん?なにガン垂れてんのよアンタ」

「ひゃれてない」

 

 そのまま何が地雷になるかわからない彼女に飲まされ続けること数十分。

『人を虐めている時が一番輝いた顔をする女』というのがエイスの談であったが、正に今の彼女は麗かな水辺で戯れる少女の如く、眩しく美しい笑みを浮かべているのだった。

やっていることは大の男の顎を鷲掴み、無理やりグラスの中身を流し込むことであったが。

 

 軽く話すだけのつもりだったのに、どうしてこんなことになっているのか。疑問に抱くには遅く、既に足元さえ覚えつかなくなっていることに気づく。

ああ、頭が痛いし世界がグルグルと回っている。心配になるほど大きく聞こえる鼓動。呂律の方も既に怪しく、味以前に脳がアルコールを拒んでいるとわかる。

 

「ーー……。 …」

「?」

 

 そんな折、ふと耳に届いた嗚咽混じりの泣き声。

振り向くと10mの間隔を開けた先、自分と同じようにテーブルに突っ伏する学生が目に止まる。

周りの浮かれた空気とは一線を画すように暗い表情を浮かべた彼らは、悔しさか悲しさか、目元を深く歪ませては陰鬱に顔を沈みこませていた。

 

「……気にすることないわよ。あいつらは、もう諦めた連中だから」

「諦めた……?」

「そ。今回の試験で留年が確定して、自主退学を決意した連中」

「———っ」

 

 ベツィーの言葉に、冷水を浴びせられたかのように酔いが冷めていく。

 

「まあ大方今回のことで、自分のレベルがこの大学には及ばないって心折れたんでしょうね。

 別に珍しい話じゃないわ。毎年必ず数人は出てくる……。何よその目。別にアタシは何もしてないわよ。

 ただでさえ忙しいって時に、そう誰彼かまわず苛めに行ったりするもんですか」

 

本当だろうかと白銀の視線を不機嫌そうに睨み返しながら、クッ、とまた一杯グラスを飲み干す。

 

「正直な話をすればね……留年自体もそう特別な(こと)ではないわ。実際、この大学でも毎年4割近い生徒が留年して卒業を先延ばしにしている。

それほどに此処(スタンフォード)での修学は険しく厳しい……アンタだって嫌って程思い知ったでしょう?」

「……そうだな」

 

 少し前の自分。全力を出すことを恐れ、"身の丈に合った努力”なんて、そんな甘い言葉を吐いていた己を、殴り倒したくなるほどには。

 ……けれどせっかくスタンフォードに入ったのに、そんなに早く諦められるものだろうか。

中退が就活に与えるリスクを考えれば、踏ん張ってでも来年に賭けるべきなのでは

 

「納得が出来ていたなら、あんな悔しそうな顔浮かべないでしょうよ。

 そりゃね。留年して、もう一年しっかり勉強すれば、来年には合格する可能性だって確かにありうる。

 でも物事はそう簡単じゃないでしょう?大学(ここ)に居続けるには、毎年莫大なまでの授業料を納めなければならないし、生活費や教科書代だけでも相当な額になる。

 経済的に裕福な学生は家に泣きつけばいいけど、そんな家庭ばかりでもない。ま、特別奨学金が出てるアンタには関係の無い話でしょうけどね」

「そんなことあるか。奨学金と言っても、結局は体のいい借金みたいなものだ。

 卒業後には働いて返さなければならないし、その返済に何年も苦しむ人だっている」

「……そうね。だからこそ、よ。極端な話、高い授業料を払い続けるよりも、早めに中退して社会で働き出した方がずっと稼げることだってある。バイトをして授業料を賄おうとする生徒もいるけど、ただでさえ講義やレポートで追われる日々にそんな余裕があるかも疑わしい。そんな計画性や甲斐性のある人間なら、初めからこんな問題に悩まされたりしない。結局ズブズブと成績を落としていって、何年もして退学を言い渡されるのがオチ。残酷な話……こんなところで心折れるような奴に、この先を歩いていけるとも到底思えない」

 

 ベツィーの語る生々しいまでの現実に、押し黙るしかない白銀。

大学生が社会人予備軍といわれる所以。資金、生活、将来。そんな生きていくうえでは避けて通れない問題を、己の力で越えていかなければならない。

学生の本分は勉強というけれど、もはやそれだけに注力していればいい身分ではないのだ。

 

「ま、どうあれ選択するのは本人の意志よ。それを否定することなんて誰にもできない。大学で習えることなんかよりも、社会に出てから学ぶことの方がずっと多いわけだしね」

「…随分優しい意見だな。もっと」

「もっと貶すものと思った?そうね。少し前の私なら、この無精者。落第野郎と散々に罵り倒していたでしょうね。実際今も7割がたそう思ってるわ」

 

 半分以上じゃん、とげんなり視線を送る白銀の声に、くっくと笑いながらもまたカランとグラスを鳴らす彼女。

 

「他人を甘やかすのなんて大が付くほど嫌いだけどね、それでも多少の社交性は見せておかないといけない。此処にいる人間の殆どは、地元を離れ知己の友人一人いない身の上。そんな中で情報交換もできなければ上とのコネクションも築けない“ぼっち”でいることは、冗談抜きで致命的なのよ。

 各研究室の内情や、今回の試験にしてもそう。人伝いでしか得られない情報が大学(ここ)には在り溢れている。今までのようにプライドの高さに(かま)けて孤高を演じたところで、後に待つのは取り返しのつかない負債だけ……アンタの方は、そこんところ上手くやってるみたいだけどね」

「ああ。アンタの従兄弟にも、いつも助けられてるよ」

「そ。ぶっちゃけソレはどうでもいいわ。

 重要なのは“今までの自分のままでいい”なんて考えてる奴に、成長なんかできないってこと。莫大な資金や時間。そういう代償を払ってまで此処に残り続ける限りは、この環境で成長し、誰にも真似できない理想の自分にならなければならない。そんな覚悟が必要なんだって……学ばされただけよ」

「……その割に言動は変わってない気がするんだが」

「しょうがないでしょ。癖なんだから」

「癖で人の心を折らんでくれ」

 

 なんだとコラと再び酒を注ぎ始めたベツィーを他所目に、テーブルで泣き暮れる彼らへと視線を戻す。

彼らだって、そういう(・・・・)夢を持って、スタンフォードへと足を踏み入れたのだ。一般枠という狭き門を潜り抜けた彼らの実力は、推薦枠で通った自分のソレよりも遥かに上だったかもしれない。

それでもこの結果に至った。周囲の環境か。一人で生きていかなければならない重圧か。日々見えない何かに心を摩り減らされて、本来の自分を見失ってしまった。

 

 ……ああ。もし自分にも『彼女』という存在が居てくれなかったなら、きっとあそこと同じ場所に立っていただろう。

 

 改めて思う。自身を取り巻く恵まれた環境。

同時に――それが"異常"とも言い換えれてしまうこと。

 

 長年連れ添った夫婦というわけでもない。まだ学生の身分だというのに、自分という人間の一番の理解者が傍で支えてくれる生活など、普通では考えられない。

 もう半年近くにもなる早坂との同棲。けれど、その対価として彼女が求めた“スタンフォード合格までの家庭教師”も、今やカタチだけのものになりつつあった。

 元々努力家の彼女だ。買い物以外ではあまり外には出ようとはせず、家事以外の殆どの時間を勉学に費やしている彼女に、自分が教えられるものなど殆ど残されていなかった。

 それでも、頑なに必ず2人の時間を守ろうとする早坂。高校時代までなら、御洒落や流行りのものを求めて街に繰り出すことも嫌いではなかった筈なのに……何かに遠慮するように。ソレが義務だというように。

 

 家事に勤しむ合間や夕食の折、今日一日の出来事を語る姿はとても楽しそうに見える。

それでも、その約束が彼女を家に縛り付けているようで。本来得るはずだった幸福を奪い取っているようで、どうしようもなく居たたまれない気持ちになる時がある。

 

 

 本当は分かっていた。早坂には何か別の思惑があること。

スタンフォードに入学したいなんて……そんな理由さえ嘘だということも。

 

『なあ、アンタ本当は―――四宮のために来たんじゃないか』

 

 彼女が初めて家に訪れた時に聞いた問い……聞くべきだった問い。

けれどそれは未だ胸の奥にしまい込まれたまま、彼女と過ごす時間が増えるほどに、告げることが難しくなっていく。ソレを聞いてしまえば最期。この温かな時間の全ても崩れ去ってしまいそうで。

 ただ勉学に都合のいい環境だからではない。

 ふとした折、彼女が見せる柔らかな微笑みを思うほどに、大きくなっていく想い。

 

『多くの人が、貴方の姿を“綺麗だ”と感じたんです。』

 

 胸の中へと芽生ていく感情の名前。早坂愛という一人の女性へと抱く想い。

 

 ああ。それを分かっていながら……未だに気持ちの整理もできないまま、答えを出すことを恐れている、この卑怯な心も。

 

 

 

「ったく、人が飲んでる横で辛気臭い顔浮かべんじゃないわよ。酒が不味くなるわ」

 

 顔を向ければ、心底不機嫌そうなベツィーの憤懣顔が飛び込んでくる。投げられる視線に遠慮など微塵もなく、その舌先に覗くのは一切の情け容赦なく相手を切り刻む鉄の剃刀。

 

「……一つ、いいか」

 

 ああ。けれど今は……そんな彼女だからこそ、だろうか。酔いを言い訳にするように。初めからソレが目的だったというように、自然と口は言葉を紡いでいた。

怪訝そうに眉をひそめたベツィーは、しかし続く白銀の言葉に心底驚いたように瞳を丸くする。

 

「はあ?アンタ……まじ?

 自分で言うのもなんだけど、わたし相手に恋愛相談とか、正気の沙汰じゃないわよ」

 

 まな板の上で自ら腹を開くようなものだと語るベツィーだが、それでも白銀の瞳を見ると「勝手にしなさい」と頬杖をついては、また2杯、酒をマスターへと注文した。

 

 熱気と喧騒に包まれる会場内。しかしソレを忘れるように、互いに琥珀色に染まるグラスを揺らしながら、密談は続いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「お、いたいた。ほら向こう(あそこ)だ。やっぱ別の誰かと飲んでるんじゃねーか」

「なにが“帰りが遅いから探しにいこう”だよ。ミユキだって子供じゃねーんだぞ」

「だってなんか思いつめた顔してたし……」

「こんな気ぃ弱ぇくせに、一度も吐かずに飲み続けるんだもんな。人は見かけによらない……いや、よるのか?」

「てか、ミユキも隅におけねーな。話してる相手女じゃねーか。彼女いるくせに」

「いやそれ本人は否定してるから。ていうか相手は誰ズエェアェアア!!?」

「ギャアアっ!?おっま、こんなところで吐くとか、ふざけんなよマジで!?」

「あー……ありゃベツィーだ。こいつのトラウマ。視界に入れさすべきじゃなかったな」

「しかしまた珍しい組み合わせだな。ミユキとあの傷舐め剃刀がねぇ……おまけに結構いい雰囲気じゃね?」

「いやいや無いだろ、あいつに限って」

「はっ、やっぱり女心ってものが分かってねぇなグエン。どんなに突っ撥ねてたって不意に寂しくなる時はあるんだぜ?そのタイミングを見逃さず、心の隙間に入り込むように声をかけることがナンパ成功の秘訣だ。そこんとこミユキはよく分かって――痛ったあ!!だから脛蹴るんじゃねーよエイス!!」

「いやエイス気絶してるから」

「てかお前ら冷静に話してないで、ちったあ介抱しろ!」

 

 

 

■□■□■□■□

 

 

 

『よーし、それじゃ今日はこれでお開きだ。バスで帰る奴は早く乗れー。他のも間違っても飲酒運転なんかすんじゃねぇぞ。バレりゃ一発退学だからなー』

 

 約一時間後。最初の真面目な雰囲気は何処へやら。すっかり出来上がってしまった司会の終了の言葉とともに、交流会は終わりを迎えた。眠りこけた友人を起こす者や、まだまだ飲み足りないと街への凱旋を話し合う者など、未だ宴の熱も冷めやらないなか、皆のろのろと覚束ない足取りで会場を後にし始める。

 

「……」

 

 そんな学生たちを傍目に、自らが酔い潰した青年を隣にカウンター席で一人、琥珀色のグラスどこかが名残惜しげに見つめるベツィー。なんとまあ柄にもないことをしてしまったと、くすぐったさを胸に残しながら。

 

「何の用よ」

「……後ろに目でもついているんですか?」

 

 後ろから近付いてきた気配に一言。

 またこのやり取りかと振り返れば、そこには帽子を被った鳶色の瞳の少年が佇んでいた。

いいや。一見ならばまず騙されてしまうだろうが、瞳の色はカラーコンタクトだし、帽子の中には纏めた髪が結っているであろうことが分かる。

 まったく、わざわざこんな変装までして、ご苦労なことだ。

 

「飲んでる最中もあれだけ視線を向けられれば嫌でも気付くわよ。ったく、鬱陶しい。心配しなくても別に盗りゃしないわよ、こんな奴」

 

 隣でテーブルに突っ伏して眠る白銀の頭を肘で小突きながら、呆れ気味に呟く。その所作が気に触ったのか、あるいは初めから負の感情でも持ち合わせていたか、少年は纏う空気をより張り埋めさせてはこちらを睨みつける。

 しかしそんな敵意などどこ吹く風。これくらいの敵愾心など日常茶飯事だと涼しい顔をしては、未だ起きない青年の頭をガシガシと揺する。

 

「ほら、いい加減起きなさい。愛しい彼女が迎えに来てるわよ」

「……ち、がう。早坂、は……」

「——」

 

 口元から零れ出た囁きにも満たない声に、けれど瞳を伏せてぎゅっと唇噛む少年。

 

「ひっどい顔ね。悲しみもしなけりゃ喜びも出来ない、雁字搦めもいいところ。

 こいつが散々悩むのも分かるわ」

「……」

「なにを話したか聞かないの?」

「……そんな下賤なことはしません」

「そ。アンタもこいつに負けず劣らず、難儀な性格してるのね」

 

 呆れの溜息をつくのと同時、少年の10メートルほど後方から近づいてい来る数人の影があることに気付く。あれは確か……御行の友人(ツレ)か。その中には、おそらく自分の姿を視界に入れまいと、目隠ししたまま歩いてくる従兄弟(アホ)の姿もあった。

 目的はこの少年(おんな)と同じ、御行の回収だろう。しかし少年の方は、正体がバレるのを嫌ったか、踵を返すようにその場を後にしようとするのだった。

 

「待ちなさい。一つだけ忠告よ」

「……忠告?」

「そ。アンタがどんな目的でコイツと一緒に居るかは知らないけどね。……それに気づかないほどコイツは馬鹿じゃない。

 嘘を通して、何かを我慢して。そんな生活を続けていたところで……いずれ間違いなく破綻するわよ」

 

 

 こちらの言葉に何を返すこともなく、ただ唇を噛みしては振り返り背を向ける少年。

そんな事、言われなくても分かっているというように。

それでも……どうしようもないのだと嘆くように。

 

 

「ああ……本当に難儀だこと」

 

 エイスたちと入れ替わりに人混みへと紛れ消えていく背中。その小さく、今にも泣きだしてしまいそうな影を、ベツィーの瞳はいつまでも追い続けていた。

 

 

 

 

 




あとがき

な、なんとか投稿完了できました……(瀕死
お待ち頂いていた皆様にほんと申し訳ありません。
あと3、4話くらいで本編の方は終わる予定なので、もう暫くお付き合いください。
ああ、月日が経つの早すぎるよマザー。一年歳を負うごとに三倍くらい早くなってる気がするよファザー。
絶対フロリダでプッチ神父がなんかしてるって
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