【完結】遅咲きブーゲンビリア   作:パン de 恵比寿

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投稿が遅れて誠に申し訳ありません!
11月中に投稿するとか宣っておきながら、"明けましておめでとう"さえ遥かに遅いこの時期にまでなだれ込む体たらく。
今年こそは、もっと早い執筆を心掛けていきたい。そんな抱負


未来 後編

「早坂は、うちの大学(スタンフォード)のことをどう思う?」

 サンノゼから戻る車の中。過ぎ行く街並みを窓の外に、ハンドルを握る御行くん(カレ)は唐突にそんなことを聞いてきた。

 どこか要領を得ない曖昧な質問。朝から続くデートではあるが、“行き”に比べて明らかに減ってしまった会話に気を使ったのかもしれない。

 

「どう、とは?」

「いやまあ……あるだろう?大学に抱く印象とか。実際に通学する俺を観ての感想とか、そういうの」

「……そうですね。大変そうだとは」

 

 それは率直にして素直な感想だった。

 大学領内の車道脇には常に百を超える無数のキャンピングカーが停まっている。それらは高額すぎる授業料故に寮を借りるだけの余裕もない苦学生が……或いは、あまりに多忙すぎるスケジュール故に家に帰る時間をも惜しい研究生が、寝泊まりしている仮住まいである。研究棟の灯りは一年を通して消えることは無く、この夏季休暇の時期でさえ変わらず不夜城として廻り続ける有様。

 それだけの過酷さ。そも人並み外れた学力と情報処理能力を持つ御行くんでさえ、毎夜遅くまで身を削り勉学に追われる環境なのだ。

 重圧や怖れ。大学に抱く印象はマイナス寄りであった。

 

 

「……そんな姿しか見せてこられなかったからな。正直、悪いと思ってる」

「そんな。御行くんのせいでは」

「まあそういう予感があったから、今日こうして大学を案内しようと思ったんだがな」

 

 どこか申し訳なさそうに眉を落とすも、交差点を曲がりながら何気なしに呟いてみせる彼。その意図は未だによく掴めない。

 

 木々の生茂る広大な森の向こうには、スタンフォードの象徴であるフーバータワーの巨躯が映る。敷地面積だけでも渋谷区の倍以上あるために、大学に戻ってきたというよりは一つの市街を訪れたような感覚。場所ごとで映る景色も全く異なるために“見慣れた”とは言えないけれど、それでも知った光景ではある。

 そも早坂(わたし)とてこの地に来て約半年になる身。買い出しの際には敷地内のショッピングモールに足を運んでいるのだから、学内のことを全く知らないわけではないのだ。

 だからこそ分からない。彼の目的。このデートの意味。

 御行くんはいったい……今更私に何を見せたいというのだろう。

 

■□■□■□

 

 

 スタンフォード大学病院のすぐ隣。北口第28番駐車場に車を停め校舎内へと足を踏み入れれば、そこには地獄の門が待ち構えている。

 それは別に比喩的な表現でもなんでもなく、まさに文字通り、かの天才彫刻家オーギュスト・ロダンが創り出した傑作『地獄の門』が聳え立っているのだ。

 

 スタンフォード大学が誇る一大美術展『ロディン・スカルプチャー・ガーデン』。その名の示す通りロダン(ロディン)が手掛けた作品を展示する巨大な箱庭は、『カレーの市民』、『考える人』の像をはじめ、日本でもよく知られる彼の代表作を幾つにも取り揃えている。

 

 一般的な美術展とは異なり、屋根や壁もなく、青々とした芝生が生い茂る庭に青銅製の像がデデンッと、それこそ野ざらしに見えるほどの大胆さで飾られているのだから、その存在感に初見の者はまず振り返る。一作あたり何億円もするロダンの像をこの大盤振る舞いなのだから、この大学の資金力にはいい加減眩暈を覚えてもいい頃だろう。

 

 

 ただ、そういう(・・・・)雰囲気もあってか……。

 

 中世の城砦を思わせる重厚な石畳。遥か高く天井まで大理石で覆われた広大な廊下も。ただ其処を歩いているだけで、自然と身を引き締められるような威圧感を感じさせられる。四宮家本邸を訪れた時とどこか似て非なる、荘厳さと厳格さに押し潰されるような感覚。世界最優秀の大学の名は決して伊達ではないのだと……そう無意識に訴えかけるような。

 

 すれ違う研究生たちの表情は、自分とそう年も変わらないはずなのに、酷く大人びて見えた。

 無二の自信を宿した迷いない足取りも。

 己の歩むべき未来をまっすぐに見据えるその瞳も。

 今の自分と比較してしまうようで、どうしようもない焦りを覚えるのだ。

 

 今更ながらに自覚(理解)する。何故自分が日頃大学内へ出向くことに消極的だったのか。

自責やあの子への後ろめたさだけではない。私自身の胸の中にあった惧れ。

 

 

「この手の芸術には明るくないから、どうにも良し悪しがなぁ……。観光客も多いようだし、早めに次に行くか」

 

 そんな私の内心を知ってか知らずか、見学も半ばに足早に美術展を後にしようとする彼。

 道ゆく学生たちと同じ瞳。彼らと同じ視線で、何の気兼ねもなく廊下を歩き進む姿には不思議と安心や頼もしさを覚えて……。人混みの多いなか、逸れないようにと差し出された手を、早坂は自然と握り返していた。

 

 

 

「それにしても、キャンバスボードを掲げている人が多いですね」

「ああ。芸術課の生徒だろう。コンクールが近いうえ、特に今季は死ぬほど課題も出されたそうだから皆必死だ。

 ただ、たとえモデルやポーズを頼まれたからといって安易に了承するな。軽く3時間は付き合わされるぞ」

「付き合わされたんですか?」

「さて、次に向かうメインストリートについてだが……」

「付き合わされたんですね?」

 

 美術展エリアを抜けると景色は一転、大きな湖を沿って伸びる公園のハイキングコースのような並木道へと変わる。背の高いヤシの木や落ち葉舞う広葉樹が織りなす木漏れ日の道は日の一番高いこの時間でも涼しく、愛犬の散歩やランニングに精を出す人の姿もチラホラ。

 道中には大学で契約しているチェーン店や、OB・OG(卒業生)が経営する個人商店なども顔を覗かせ、古本屋に自転車の貸出所……少し歩けばゴルフ場があるためだろう、スポーツ用品店なども人気であった。

 

 

「甘い匂い……洋食屋さんですか?」

「いや、美容室」

「美容?でも、ものすごいメイプルシロップの香りですけど」

「順番待ちで並んでる間にワッフルを出してくれる店でな。それがもっぱら旨いと評判なんだよ。いま並んでる客も大半が散髪よりそっち目的らしい」

「はあ。それはまた不思議な」

 

 

 メイプルシロップを整髪料代わりに塗りたくってくる美容師の幻想(すがた)を掻き消しつつ、小洒落た看板の向こう側、店の中でノンビリと談笑に耽る女学生達の姿を見つめる。それは日本にいた頃……秀知院時代、放課後にギャル不良友達と街のファーストフード店で駄弁っていた時の雰囲気と何も変わらない。気だるげで、楽しげで、何気ない日常を何気ないものとして受け止めている姿。

 

 ああも胸に抱いた緊張はなんだったのか、先ほどの厳格さとは一転、どこまでも素朴で長閑な雰囲気に毒気を抜かれる。あまりのギャップに本当に同じ大学内かと疑いたくなるほどだった。

 

「なんか唐突にでっかいトーテムポールも立ってるし」

「どっかの学生の作品らしいんだがな……詳細は分からん。おまけになんか数年前にも一本増えたらしい」

「……ちょっとよく分からない所ですね。此処(スタンフォード)って」

「それなぁ」

 

 インディアン調溢れる全高6メートルにもなる巨大なモニュメント(それ)を見上げながら、半ば理解することを諦めたように笑う彼。

 そんないい加減さで大丈夫なのだろうか?と若干の不安を覚えながらも、陰りもない彼の表情に安堵やら拍子抜けやらで釣られて笑みが溢れる。

 ああ、そんな緩さでもいいのだと。肩書きや先入観に惑わされて、自分もまた大学という場所に要らぬ緊張を抱きすぎていたようだ。

 

 

「惜しいな。いつもだったら此処で演劇サークルがリハーサルしてるんだが」

「そんなサークルがあるんですか?」

「ああ。学内公演や、ボランティアで外の育児施設なんかにも時折出向いてる。米国(こっち)ではそういう社会貢献活動も評価の一環になるからな。……演劇に興味があるのか?」

「別にそういうわけでは……私が別に好きで演技をしているわけじゃないこと、知っているでしょう?」

「……まあな。だが、だからこそソレを『好き』になれたらとも思ったんだよ。自分や他人を騙すためじゃなく純粋に誰かを楽しませるための演技。そこには違った面白さや喜びも見えてくるだろう。早坂の演技力なら、すぐ主役級だってもぎ取れるだろうしな」

「どうでしょう?それこそ、全く違った技術が必要になってくると思いますけど」

 

 疑い気に、けれど胸を擽る妙な気恥ずかしさに、ふいと顔を背ける。“ありえない”と一概に否定しきれないのは、自らの演技力に自信を持っているだけに、淡い期待も抱いてしまっているのか。彼が寄せてくれる言葉や信頼が、純粋に嬉しいという気持ちもあった。

 しかし同じように芽生える躊躇いの感情。四宮家に仕えていた今まででは決して許されなかった選択肢。想像もできなかった漠然的なまでの自由を前に、心は喜び以上に戸惑いを抱いていた。

 

「まあ演劇に限らず、此処は本当に色々なサークルに力を入れてる。テニスやバレー、フェンシングといったスポーツ系サークルについては専用のスタジアムを持つくらいに盛んだし、ブラスバントや演芸といった文化系サークルだって数々の表彰と実績を重ねてきた伝統ある部活ばかりだ」

 

 大学の庇護下にあるとはいえ、社会における(ひとつ)の団体を資金と人材の問題に額を擦り合わせながら運営していく。そんな活動を通すだけでも何より得難い経験となるし、作り上げた人脈(コネクション)は卒業後にだって生きてくる。

 初めはちょっとした趣味を活かしたいと始めたプログラミングサークルが、その時に集まった人材や築いたコネを基礎(もと)に、そのまま会社を立ち上げたという例もあるくらいだ。

 

「それはかなり特殊すぎる例だと思いますけど……。そういう御行くんは何処かサークルに入ったりはしないんです?」

「今は正直余裕がないからな。2期生になってもう少し落ち着いてから選ぶつもりだ。そうだな。手軽に始められて金もかからない……歌唱部あたりにでも」

「やめてください。伝統に終止符を打つつもりですか」

 

 サークルクラッシャー(物理)どころの騒ぎではないと顔を青くしては捲し立てる早坂。

 何故そういつもいつも茨の道を歩こうとするのか。いや、歩くだけならいいが、周りの動植物も丸ごと根絶やしにするような行為は、各方面からいつ苦情が来てもおかしくないのでいい加減止めていただきたい。

 

 そのまま幾度かのドタバタを重ねながらも、彼につれられるままスタンフォードの名所、珍所と学内巡りは続いた。

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 フーバータワーを仰ぐ広大な大通り。その中央には、高々と水を吹き上げる石膏造りの噴水があり、数多くの観光客が足を休める憩いの場にもなっている。雲一つない青空の下、悠然と聳え立つタワーを背後に満然と噴きあがる噴水は、それだけで一枚の絵になるような美しさであり、傍にひっそりと立つ野外演説用のスピーチ台も含め、観光客が熱心に写真を収める絶好の撮影スポットにもなっていた。

 

 これが卒業シーズンにもなれば、真っ黒なマントに加え、お馴染み頂上に四角い板が乗ったような帽子……通称スクエアアカデミックキャップを被った学生達の姿で溢れかえり、これまでの健闘とこれからの門出を讃え合う卒業披露宴が行われる。

 

「あのスピーチ台に主席として立った学生は、願いが叶う。なりたい自分に必ずなれる、なんて言い伝えもあってな」

「また随分使い古された学校あるあるですね。じゃあ、もし御行くんがあそこに立ったら何か叶えたい願いってあるんですか?」

「有るには有る……だが、どうだろうな。一人で叶えられるようなものじゃないし、そんなジンクスに頼るべきものでも」

「……そんな勿体ぶった言い方して、どうせ願いそのもの(本当のこと)は恥ずかしくて言えないんですよね?」

 

 冷ややかな視線(ジト目)を送ると、逃げるようにそっぽを向いてしまう彼。耳まで赤くした顔は隠す気があるのか無いのか。

 

「そもそも順番が逆じゃないですか?ここを主席で卒業できるようほどの才覚と忍耐を合わせ持った生徒なら、なりたい自分にだって当然なれるでしょう」

「そう言われると身もふたもないんだが……。まあ頑張って此処(そこ)に立ったからこそ、生まれてくる自信ってものもあるんだろう」

 

 勉学も努力も、大学を卒業してそれで終わりではない。社会という荒波に放り出されて、目を覆いたくなるような現実に直面して、それでも夢を叶えられるかどうかはその人の持つ運否天賦も大きく関わってくる。

 だからこそ、だ。ソレがたとえ過去の勲章であったとしても、「この場所に立った」という事実(かこ)は、折れてしまいそうな心を支える一つの柱になる。覚束ない言い伝えの一つが、瀬戸際で踏ん張るための確かな足がかりになることだってあるのだ。

 

 

「"人生は時に人をレンガで殴る。それでも信念を放り投げちゃいけない。

 将来をあらかじめ見据えて点と点をつなぎあわせることなどできず、できるのは後からつなぎ合わせることだけ。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない"」

「……それは――」

 

 紡がれる彼の言葉に、再び演説台を仰ぎ見る。

 

 およそ数年前。現Apple社の創始者にして、在りし日の天才。スティーブ・ジョブスがスピーチを行なったのも、この演説台だった。

 

 『ハングリーであれ。愚か者であれ』

 

 繰り返す成功と失敗の狭間、病魔に犯された彼がその生涯を通して語り得た、己自身の生き方を説いたあまりにも有名な演説(ことば)

 

 

 

 

「……御行くんは、卒業したあとは博士課程まで進まれるんですか?」

「いいや。その気はない」

 

 何気なく聞いた問いであったが、しかし予想以上にきっぱりと返ってきた答えに目を丸くする。

 

「理系なら修士・博士に進んで当然って声もあるがな。実際には修士課程で2年。博士課程で更にもう2年と、それだけ社会に出るのが遅れることになるし、専門的な分野にのみ注力する分、かえって他の道を選べない……未来への選択肢を狭めることにも繋がる」

 

 勿論、修士博士を卒後()ないと就けない職種もあるがなと、遠くフーバータワーの姿に目を細め呟く彼。

 

「大学はあくまで研究機関の一つだ。その設備は確かに一級品ではあるけれど、市場競争の最前線に立つ企業の開発力も決して負けているわけじゃない。大学で新たに発見された技術が、とある企業では数年前に確立されていたという例もある」

 

 企業と大学が共同開発をする話は間々ある話だが、ソレはあくまで企業側に研究設備や人材が不足している場合。そも自社の要ともなる大切な技術を、情報漏洩や利権争いの危険もある他所へとイタズラに放ったりはしないものだ。大学の研究が日の目は浴びるのは、あくまで学会という閉じた世界でだけ。ソレが社会に活きるカタチとなるまでには、どうしても企業の力が必要となる。

 

「要は、なにも大学に固執する必要はないってことだ。研究の方法やそのノウハウを学べたなら、今度は企業(社会)の中で生かし、より多くの経験を積んでいけばいい。

 それでも博士課程に進み大学に残りたいって人は、本当に研究が好きで好きでたまらなくて……大学(ここ)でしか続けられない研究がある。博士号の称号を得てからしか社会に出たくないって、そんな確固たる意志を持つ人達だ。

 少なくとも、”周りが行っているから”なんて甘い考えで選んでいい道じゃない」

 

 語る口調は穏やかで、けれど芯の籠もった言葉は自分に言い聞かせているようでもあった。

 

 胸の中に広がる驚き。まさか彼がそこまで将来のことを見据えているとは思わなかった。

勉学に追われる毎日で……とてもそんな余裕など無いように見えていたから。

 

「まあ実際にどうなるかは分からない。数年後には気持ちも変わってるかもしれないし、卒業時の社会情勢だってよく鑑みる必要がある。

 ……それにな。大学についてこうも言ったが、実際に研究を続ける先輩たちの姿を見てると、大学(ここ)に残りたいって気持ちも分からないでもないんだ」

 

 マジメな表情から一転、どこか困ったような微笑を零しながら、大通り沿いに在るコロニアル様式の建物前で立ち止まる彼。その懐から徐に板状の何か……ガラスケースで覆われた一枚のカードキーを取り出す。

 

 

「さて、ここからがようやく今日のメイン。一般の人では立入り出来ない学部生専用の研究施設エリアだ。見学の際には関係者の引率が常に必要だから、側を離れないでくれ」

 

 

 念を押すような言葉と共にIDを壁の機械へとかざすと、短い電子音の後に左右へと扉が開く。

 出迎えるのはホテルのエントランスを思わせる広大なロビー。中央の壁にはスタンフォードを紹介するためのイメージPVを流すモニターが掛けられ、来客用に備えてかソファーや観葉植物も並べられていたりと、その内装は中々にお洒落だった。

 

 しかし、にもかかわらずだ。たった一枚の扉を隔てて足を踏み入れた屋内は、色彩も、纏う雰囲気も、全く別物へと変わっていくのを早坂は感じた。美術展で感じたものと同じ、目には見えない何かが建物の奥から溢れ出してくるような、異質な緊張感。

 

 

 早坂が抱いた印象は正しく、彼に連れられるまま奥へと進めば、世界はまた一変する。

 

 西洋風建築物の洒脱な外見とは似ても似つかぬ重厚な鉄筋コンクリートの壁。どこから聞こえてくるのか唸り声のような機械の重低音。敷き詰められた淡緑色のタイルは照明を反射するほど磨き上げられ、埃ひとつない清潔感漂う空気が屋内全体を包みこんでいる。

 装飾系の品など一切ない実用性一点張りの内装空間。俗にクリーンルームと呼ばれるその部屋は、各々が独立するよう格子状に配置され、外部からでも中の様子が確認できるよう、一部ガラス張りの作りとなっていた。

 

 

 

「学生にはそれぞれ研究のための個室が与えられていて、自分が取り組むテーマに則する実験を行なっている。ここは主に小規模な機材を取り扱うための共同スペース。実験で必要な資材を加工したり、装置の雛形を作成したりする……まあ、個人保有の工房みたいなものだな。今はみんな研究室のゼミで席を外しているが、周りの物には一切触れないよう頼む」

「こ、これで小規模なんですか」

「ああ。大型の設備にもなれば、ロケットの打ち上げ台よろしく数階建ての棟を丸ごとぶち抜いて設置されているから、正直デカすぎて全容がまるで見えてこない。

 どんな研究を行っているのか見学するだけなら此処(こっち)の方が分かりやすいし、見応えもあるだろう」

 

 

 そう言ってはガラスの向こうに所狭しと並ぶ機械の数々を指し示す彼。しかし、それらについても壁一面を覆う大きさの物もあれば、作成途中なのかパーツが露出しているもの。どうやっているのか宙に浮いて見えるものまであったりと、いったい何のための機械なのか、どんな動きをするのかもイマイチ想像できない。唯一見当がついたのは3Dプリンターあたりだろうか。

 

「学生ごとで扱う研究テーマは異なるから、当然使用する装置もそれぞれ別個の、より専門的な物になってくる。そうだな。簡単なのから紹介していくと……左手にあるあの円形の機械。あれはリチウム電池内部のグラファイトを整形する装置で、主にバッテリーの長寿命化や高出力化のための研究に使われている。

 その向こうの小さなボード状の機械は、発生した音波を特定の座標に集結することで、何もない空中に『感触』を生み出す立体音響装置だ」

「……は、はあ」

 

 もっと気の利いた返事もあっただろうに、しかし目の前の光景に圧倒されて、間の抜けた言葉しか返すことの出来ない早坂。話の内容が理解できないわけではない。しかし自分が思い浮かべていた“天文学”の研究室の姿より、ずっと物物しく機械機械(ゴテゴテ)していて、イメージと照らし合わせるのに時間がかかっていた。

 なんというか、自分の想像ではもっとこう……

 

 

「もうちょっと詳しく紹介出来ればいいんだが……此処だけでも28人も研究生がいるから、俺も自分が手伝った研究(テーマ)の物しか把握出来ていないんだ」

「い、いえ。ただ少し驚いたというか……天文学の研究って、こんな事もするんですね」

 

 戸惑ったような早坂の言葉に、白銀は数秒の沈黙の後、納得したように「ああ」と息を溢した。

 

 

「早坂は、『天文学』が何を研究する学問か知っているか?」

「そう、ですね。やっぱり星座の位置や天体の状態を観察する……学問、でしょうか」

 

 1番に思い浮かぶのは、やはり昼にも話題に挙がった『天文台』のように、巨大な天体望遠鏡を覗いては宇宙の様子を観察する姿だろうか。

 

 この太陽系。この銀河。宇宙に存在する無数の星々。それらの年代を観察や地球との距離換算から算出し、天体図へと記録していく。

 そういった研究は、星が占星術として用いられた遥か遠くの時代から脈々と受け継がれ、今は誰もが知る“一年の周期”、“地球は丸い”なんていう常識も、そうした長きに及ぶ研鑽の果てに求められた真実()であった。

 現代でも、時折日蝕が起こったり、彗星が接近したり、また新しい星団を発見した研究者などが現れれば、その功績や命名が大々的ニュースとして取り上げられ、一躍話題になる。

 

 ただ、正直……。

 身も蓋もない、酷く失礼な言い方をしてしまえば。

 “天文学の研究“と聞いた限りでは、四六時中天文台に引きこもっては望遠鏡の観察結果を記録し続ける……そんなどこか地味な研究風景を想像してしまっていた。

 

 

 

「いや、その認識は間違ってない。今ある天体図や太陽系の惑星相関図だって、そうしたひたすらに地味で弛まぬ努力(研究)の果てに解き明かされてきたものだ。

 ただ、それらは『位置天文学』や『天体力学』と呼ばれていて、現在では“古典”天文学にあたる分野でな。

 対して、いま俺たちが学んでいる近代天文学は、別名『天体物理学』……宇宙の存在と事象を解明する学問と言われている」

 

 

 天文学の研究には主に2つの側面が存在する。

 一つは、宇宙という無限にも思しき広大な空間において、人類がどのような立ち位置にあるかを識ること。

 そしてもう一つが、宇宙空間という地上とは全く異なる極限状態において、我々の知る物理法則が適応できるかを検証すること、だ。

 

 『天体物理学』はまさに後者。宇宙空間で起こる様々な現象、天体同士が互いに及ぼし合う作用を、物理学的な知見を持って解明することに重きを置いている。

 宇宙空間という地上とは全く異なる環境。人の何億倍もの寿命を持つ星々。距離、時間、大きさ、すべてにおいて地球の物差しではとても計れない規模(スケール)。未だ人類が足を踏み入れたばかりの異教の大地で、果たして我々の知る物理法則(常識)は通用するのか。

 

「隣にある実験室だってそうだ。電磁力や真空状態を利用して、宇宙空間を擬似的に再現する(・・・・・・・・)ことで、無重力環境下での物質の状態変異を視ている。

 宇宙での物体変化。物理法則の検証。

 そんな研究が何のために行われているか。どこで活かされるかといえば……」

 

 徐に“上”を指差した彼に促されるまま、天井を見上げる早坂。

 照明が光る白い天板。2階。屋上。

 いいやそんなものではない。彼が指しているのはその遥か先。雲も。大気圏も。全て超えて浮かぶ世界最頂点の人工物。

 

 

「――ISS(アイエスエス)

「そう。『国際宇宙ステーション』。あれもまた微小重力環境下で研究を行うための、宇宙に浮かぶ一つの実験棟だ」

 

 

 地上から遠く離れた大気圏外。宇宙空間という極限環境でしか生まれ出でないものを見つけ出すために打ち上げられた、最先端にして世界最高空の有人実験棟。

 その存在意義は、やはり宇宙空間だからこそ成し得る『極微重力』『極微対流』にある。

 

 

 たとえば例として、地上で2つの金属を混ぜ合わせ、“合金”を作るとしよう。

 鉄にニッケルやクロムを混ぜ合わせることで耐食性を向上させた“ステンレス鋼”が有名なように、特定圧力、特定温度で混ざり合った金属は、配合方法や原子同士の結合状態の差異で、強度・性質も異なる新たな金属へと結び変わる。

 しかしその過程。原子という極極微小の世界(単位)を取り扱う上では、重力や対流というほんの僅かな外因(外からの力)でも避けることはできず、重力により沈殿した原子、対流により移動してしまった原子は、結合を阻害されてしまうために、うまく混ざり合うことが出来ない。

 

 ではもし仮に、これを宇宙空間で。重力も対流も存在しない、完全な静止状態で行えたとしたらーー

 

 

『知ってますか先輩。ガンダムが宇宙製なのって、その素材であるガンダリウム合金が宇宙重力化でしか作れないからなんですよ』

『いや、それはいいが石上。テスト期間中に生徒会室で堂々とゲームするのはどうなんだ。俺はいいが、四宮や伊井野がなんと言うか……あ…。』

『そんなのを生産できるコロニーを丸ごと地球に落としちゃうなんて、発想がぶっ飛んでますよねー』

『いや来てる。コロニーやガンダムよりもっと怖いものがすぐ後ろに来てるから石上』

 

 

 重量同一化による新合金の研究。

 タンパク質結晶化実験による医療新薬の開発。

 各国のISSで行われた実験は数知れず、導き出された研究結果は人類発展のための貴重な礎となっている。そも人間が宇宙空間に長期滞在するというだけで、そこからは将来人類が宇宙に進出するための莫大なデータが得られるのだ。

 

 一方で注視されるのがリスクとコストの問題。

 地上とは全く異なる物理環境、極閉鎖環境である宇宙において何の前準備も無しに実験を行えば、そこには地上では到底想定し得ない未知の事故が起こる恐れもある。

 地上では100℃で沸騰する水も、宇宙ではわずか23℃で沸騰を始め、加えて無重力下であるために一度暴露すれば微細な球状となって辺りへと飛び始める。水ならばまだいいが、実験で扱うのはどれも塩酸などの危険化学物が主。一歩外に出れば酸素もない死の世界が広がる宇宙ステーション内での事故の危険度は言うに及ばず、だからこそ、地上の擬似空間による事前予測と前プロセスの組立が何より重要視される。

 

 加えて、地上での実験には“完全な宇宙空間の再現”という目的もある。

 宇宙空間での実験と、地上の擬似空間での実験。仮に両者で全く同じ結果が得られたとしたら、地上施設は“完全な宇宙空間を再現できた”ことになり、その技術を確立すれば以降は生産拠点を地球へと移し、宇宙にまで物資をもっていくリスクもコストも払わなくてよくなる。

 

「ISSだけじゃない。今や天体顕微鏡だって宇宙に飛ばす時代だ。

 人工衛星と一体になった“衛星顕微鏡”による実観測。各々の星が出す電磁波スペクトルの解析による計観測。宇宙の観測法はもはや天文台による地上からのアプローチに留まらない。

 こうやって聞くと『天文学』っていうより、『宇宙工学』や『宇宙航空学』って感じがするだろう?実際それらは切っても切れない関係にあるし、そもスタンフォード大学には『天文学部』という学部は存在しないんだ。

 在るのは『自然科学科』という大まかな括りのみ。だから極めようとさえすれば、国立天文台の役員として働くことも。宇宙船を創りだすエンジニアになることも、さらには実際にISSや他惑星へと飛び立つ宇宙飛行士を目指すことだって出来る。

 実際、今俺がいま手伝わせてもらっている研究だって、どちらかと言えばエンジニア向けに行っているものだ」

 

 先に紹介したリチウムイオン電池だってそう。将来的には次世代電源バッテリーとして、ISSで使用することを目的とした研究。

 

 

 此処はそういう(・・・・)場所だ。

 宇宙や星のことを夢見がちでしか語れなかった、外の世界とは違う。

 研究やアプローチの方法は異なれど、誰もが同じ志のもと、日々研鑽を重ね宇宙へと手を伸ばす……そんな願いが集う場所。

 

 

 

『いまは顕微鏡を覗くより熱中できることがある』

 

 昼間、何気なく聞いた言葉。その真意を今更ながらに理解し息をのむ早坂。

 

 ああ、知らなかった。まさかこんなにも―――

 

 

「……と。ここからは耳栓が必須だから注意してくれ。あと絶対口は開けっ放しにしておくように」

 

 廊下の突き当たり。見るからに重厚な金属製の扉の前に立ち止まっては、ウレタン製の大きな耳栓を手渡してくる彼。

 ”実験中“を示す赤色のランプを隣に描かれた部屋の名は『防音室』。その名が物語るように重く厚い扉が四重にも続いては道を塞ぎ、中からは今も唸り声のような重低音が響き、それは一つ扉を潜り抜けるごとに大きくなっていく。 研究室に足を踏み入れた時から聞こえていた音は此処から漏れ出ていたのか。最後の扉を開け放つころには、頬を打ちつけるほどの爆音が溢れ出てきた。

 

 

『はいストップ!!エンジンストーーップ!!!実験止めッッッ!!!』

 

 そんな爆音に負けないくらいに轟く拡声器越しの女性の声。その声を皮切りにウゥゥゥン……と低い駆動音を残し、音の波が次第に引いていく。

 鉄製の階段をカンカンと忙しそうに降りてくる足音と共に、A4大のタブレットを片手に持った亜麻色の長い髪の女性が、御行たちの前へと顔を出した。

 

「あら?ミユキじゃない。今日はお休みじゃなかったの?」

 あー…そういえば研究室の紹介、今日って言ってたわね。ゴメンね、何のおもてなしも出来なくて」

「いえ、勝手に押しかけているだけですから。新しい実験の方はどんな具合ですか?」

「んー、あんまり芳しくないわねー。所定出力の70%も出てないもの。やっぱりヒドラジンの濃度を下げるのは良くないかしら。でも宇宙環境での噴出安定性を確保するには粘度も必要だし……」

 

 タブレットを弄りながらブツブツと、その端正な顔をいかにも悩ましげに歪める女性。年は3つか4つ上。顔立ちからしてカナダ系だろうか。くっきりとした目元には若干の疲れの跡を残し、化粧も殆ど乗せていないようだったけれど、それでもスラリと伸びた長い脚といい相当な美人であることがわかった。

 亜麻色の髪をペンでクルクルと巻きながら、途中、ヘーゼル色の双眸が早坂の姿を捉える。

 

「あら、その子がお客さん?ゴールドブロンドにサファイア・アイ……え、じゃあこの子がミユキの言ってた?あらあら、まあまあ。超絶可愛い子じゃないの。やるわねーミユキも」

「マリー……アンタその言い方、親戚の叔母さんみたいよ?てかいい加減早くサンプル回収してくんない。こっちは昼飯抜きで付き合ってんだからさ」

 

 上から聞こえてきた声に顔を上げれば、今度はロシア系、銀髪を輝かせるボブカットの女性が2階のフェンスから顔を覗かせていた。

 

「ああミユキ丁度良かった。悪いんだけど今日の実験で取った観測データ、またパソコンの方に送っておくからフィルタリングと解析かけといてくれない?来週中でいいから」

「条件の方は?」

「あとでメモって机に置いとくからソレで。それと今度の学会で泊まる――」

「ホテルなら飛行機のチケットと合わせてもう予約してます」

「会場までは?」

「徒歩5分。チップは不要です」

「夜食は?」

「一つ星フレンチの店が向かいに。コースは好物のカニ料理で」

「OK。パーフェクトよミユキ」

「なによ。普段は散々人に頼るなとか言うくせに、貴女だって相当甘えてるじゃないの」

「いいのよ、ウチのやり方に早く慣れて貰うって思えば。こんなに使え……将来有望な子を他所の研究室にとられたら勿体ないでしょ?」

「ほら聞いた?アレがあの子の本性よ。無駄に良い顔で後輩を誑かしては、散々コキ使ってこの間も学生一人を潰しちゃったんだから。ミユキも気をつけなさい。あとついでにインフルエンザにも。最近、他棟で相当流行ってるみたいだから」

 

 そう捲し立てるように言い残しては、実験室の奥へとパタパタ走り去ってしまうマリーと呼ばれた女生。その先にある巨大な機械の塊……おそらく先程の轟音の発生元であろう、ロケットエンジンの周りをぐるぐると歩き回っては、何事かをタブレットに書き収めている。

 その姿は見るからに忙しそうで、銀髪の女性の方も伝えたいことだけ伝えて満足したのか、いつのまにか2階から姿を消していた。

 

「……とまあ、見てもらった通り。此処はロケットエンジンに使用する液体燃料、およびバーニアノズル形状組成の研究場で、あの二人はチームを組んで共同研究している。

 今の時代、ロケットエンジンといえば固形燃料を使うのが主流なんだがな……それでも生産性と誘導制御に優れる。何より液体こそロマンだろうと研究を推しているのがあの二人だ」

「……綺麗な女性(ひと)たちでしたね」

「そうだな。日本では少し珍しいかもしれないが、こっちでは女性の博士や教授も大勢いるから努力と実力次第でいくらでも活躍の場がもてる。あの二人だって、肝の太さだけでも男勢の数倍は勝っているから、毎朝のように教授と論争を繰り広げる有様だ」

 

 振り回される周りとしては困ったものだと、苦笑混じりに呟く彼の表情は、しかしどこか楽しげでもある。半年前、此処(スタンフォード)を訪れた時からは想像も出来ない晴々とした面持ち。

それをとても嬉しく思う反面……ズキリと、胸の奥に痛みを覚える自分がいた。

 

 

 その後、ゼミから戻ってきた学生たちにより研究室は途端に慌ただしくなり、学生達の手で各々の研究の紹介が成された。

 宇宙服が破れた際に緊急で気化し、空気を供給する液体酸素の機構。

 プログラムにより特定の動作を行い、飛行士を補助する小型のマニピュレーター。

 映画ベイマッ○スに感化されて作りだしたという月面調査用直立2足歩行ロボットなど、扱う分野や研究対象も本当に様々で。

 自身の研究のことを話す学生たちの表情は、少し恥ずかしげではあったけれど、それでも自身と誇らしさに満ちていた。

 

 発想は奔放でまだまだ荒削り。コストも度外視なうえ実用に足るものは殆どなかったけれど。

 そこには確かに、眩しくも果てない“未来”の姿があった。

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 日も落ち始め、茜色から瑠璃色へと移りゆく空に星が瞬く頃。肌寒さを感じるそよ風を頬に、早坂は3階建て研究棟屋上から階下を見下ろしていた。視線の先には、研究棟地下の搬送庫から身を乗り出し、今まさに大学を発たんとする巨大トレーラーの姿。此処で作った実験モデルを、しかしスタンフォードにある設備だけでは検証に限界があるため、共同研究先であるハーバードへと搬送する(うつす)ところだ。

 

アレ(・・)に、御行くんの研究も乗っているんですね」

「ああ。『ソーラーパネル鶴翼展開時、重心変化に対して衛星軌道を自動修正するためのプログラムとそのモデル』……と言っても、出来ているのはまだ本当に雛形にも満たない、蕾みたいな案だが」

 

 それでも研究とはトライ&エラーの繰り返し。

 幾度もの失敗。数多もの改修を重ね、少しずつ少しずつ葉を広げては、いずれはカタチあるものへと芽吹いていく。今世界にある常識も、革新的と言われた技術も、全てそうした研鑽無くしては生まれてはこなかった。

 

 

 

「———どうだった?今日一日、大学を見て」

 

 沈みゆく夕日を目に、徐に囁く白銀。

 屋上には二人だけ。別に他の誰も居ないというのに、抑えられた声はその自信のなさを表すようでもあった。

 

 ……なにせ今日やったことといえば、街や大学を歩いて回ることや、彼女にとっては何の面白みも無かったかもしれない、一方的な研究室紹介。

 以前、早坂がしてくれたように……相手の好きなことだけを詰め込んだデートプランを立てられればよかっただろうに……。

 そうしなかったのは、ただ彼女に見て貰いたかったから。いま自分が見ている世界。このスタンフォードという場所で、出来ることを。

 

 

 

「そうですね……正直、驚きました」

 

 振り返る1日の記憶に、ふっと柔らかな息を溢す少女。

 

 貴方が手掛けていたもの。貴方が目指したものを目の当たりにして、胸に芽生えた感情は驚愕か、感心か。ただ宇宙という想像以上に雄大な(せかい)を前に、知らず圧倒されてしまっていたことは確かだ。

 

「結局、御行くんは将来エンジニアになるのが夢なんですか?」

「いいや、まだハッキリと決めたわけじゃない。先にも言った通り、此処は本当に何にでも成れる……何を目指すことも出来る場所だ」

 

 スティーブ・ジョブスの言葉ではないが……将来をあらかじめ見据えることなんてできない。それでも重ねてきた努力が、築き上げてきた一つ一つの点が、いずれ人生を結ぶ掛け替えのないものへと変わることもあるように……歩んできた時間は、決して人を裏切らないと信じるしかない。

 たとえ一つの夢に敗れたとしても、身につけた技術が、経験が、また新たな夢へと歩み出す架橋となるように。一度挫折した自分が、あの輝かしい思い出をもとに、また立ち上がれたように。

 

「だから今はより多くの点を作るために、いまこの時間にしか重ねられない努力を、決して惜しまず続けていくつもりだ。より多くの未来を描くため。秀知院時代(むかし)の自分でさえ想像もしえなかった、理想の自分になるために」

 

 まるで己自身へと誓うような言葉。

 隣に立つ白銀の相貌。日も落ちかけ、明かりも乏しくなった屋上でなおハッキリと映る瞳には、灯り始めた星々の明かりが映り込んでいる。

 

 その横顔を、早坂は眩しいものを見るようにふっと目を細め見つめていた。

 挫折を味わい、それでも立ち上がった彼の姿は、とても心強く、頼もしく―――。研究室の人達だってそう。まだ知りあって間もないだろうに、まるで引っ張りダコのように彼に研究の手伝いを頼む様は、それだけ多くの人の信頼を勝ち得ている証だった。

 

 ああ、元々彼はそういう人だった。

 決して他人を軽んじず。自ら歩むための努力を惜しまない。口にするのは容易く、けれど成し得るのはあまりに難しい。誰もが正しいと思いながらも諦めてしまう理想。今ある姿とて、ただ彼が重ねてきた努力にまわりの評価が追いついたに過ぎない。

 

 いつしか、助ける側だと……支える側だと勝手に思い込んでいた私の想い(自惚れ)など遠く追い越して、彼はしっかりと自分の未来を見つめていたのだ。

 その姿が眩しく、羨ましい。

 

 未来なんて描くことも出来なくて。

 どうしようもない現状に、ただただ、我儘な抵抗を続ける自分とは大違いで……

 

 ああ、きっと彼ならば……本来、私の手など借りずとも、自分の足だけで立ち上がれていただろうと、そう確信して(おもえて)しまうほどに―――

 

 

 

「早坂のおかげだ」

 

 すぐ近く。気が付けば手も届くほどの距離から聞こえてきた声に、はっと顔を上げる少女。

 何を言われたのか分からないというような、戸惑いの表情を浮かべながら。

 

「今見えるこの景色も。今あるこの(じぶん)も。早坂がいたからこそ気づけた。君がいなければ、決して辿り着けなかった場所だ」

「……そんな、ことは「そんなことはない、と。そう否定するんだろう」

 

 拒絶しようとする彼女の言葉に哀し気に目を落としながら、けれどそれは紛れもない事実だと呟く白銀。

 

 

『早坂は、うちの大学(スタンフォード)のことをどう思う?』

 

 それはかつて、自分自身にも投げかけた問いだった。

 早坂が来る以前。自分にとって大学という場所は、まさに彼女が語ったように、恐怖の対象でしかなかった。

 荘厳かつ広大すぎるキャンパス。自分より遥かに優れて見える同級生たち。気持ちの余裕など持てず、焦燥と緊張に追いやられるまま、見えない重圧に押しつぶされていくかのような日々だった。

 誰が悪いかもわからず、どうすれば良いかもわからず。ただ弱い自分を呪うだけの毎日だった。

 

「けれど君が来て……側で支えてくれて。俺はようやく、自分というものに向き合うことができた」

 

 見栄と嘘に塗り固められた自分。迷いや違和感を覚えながらも意地で貫くしかなかった生き方。けれどそんな生き方(じぶん)でもいいのだと―――そう認めてくれる人がいた。

 

 逃げたい己を必死になって言い聞かせていた高校時代(いぜん)とは違う。本当の意味で白銀御行(自分自身)という人間の在り方を、赦すことができたのだ。

 心の余裕は視野の広がりに。自分自身を見張っていた目が外へと向けられたことで、映る世界はより鮮明に、より輝かしいものへと変わっていった。

 恐怖のイメージで塗り固められていた大学も、夢を描き叶えるための場所なのだと気が付くことができた。

 

 かつては見上げることしかできなかった星。憧れることしかできなかった輝きも……今は、手を伸ばせば届く場所に立っている。

 

 

 だから何度でも言おう。たとえ早坂自身が否定しても。

 白銀御行は、早坂愛という女性に救われたのだ。

 

 

「そう。そんな君だからこそ―――どうか、自分の未来()を見つけてほしいと思った。」

 

 かつて君が、自分にそうしてくれたように。

 俺が、この場所で幸せを見つけられたように。

 多くの夢と可能性が集い、自分自身の道を切り開くことのできるこの学び舎だからこそ、どうか自分の喜びというものを見つけて欲しかった。

 

 無論、それが簡単ではないということも分かっている。入学するまでも。入学した後も、スタンフォードで夢を叶えようとする限りは、多くの困難が伴うであろう。

 けれど、それでも。彼女自身が持つ溢れある才を無碍にしたくはなかった。今まで多くの努力を重ね、多くの涙を流してきたからこそ在る実力()を……彼女自身に否定して欲しくはなかった。

 

 多忙さに追われ、青春さえ碌に謳歌できず、自分の夢を描くことすら叶わなかった彼女だからこそ。

 

「どうして……ですか」

「……?」

「気付いているのでしょう?スタンフォードに入りたいなんて、私の願いは――」

 

 未だ彼女を囚える見えない呪縛。明かせぬ嘘と葛藤(後ろめたさ)に、顔を俯かせる君だからこそ。

 

「たとえ、その始まりが嘘でもいい」

 

 サークルでも。研究でも。

 君自身が打ち込めるもの。夢中になれるものを見つけて欲しかった。

 遊園地を一緒にまわること。ラスベガスへの旅行。君が心から笑えるものがあるのなら……なんだってよかった。

 

「後ろめたさを感じる必要なんて無い。それ以上のものを……もうとても返せないようなものを、俺は貰ってしまっているから」

 

 だから自分が求めるものは一つ。

 噴水に投げかけるようものでもなければ、一人で叶えられるものでもない。

 

 いま(じぶん)が望む願いは、たった一つ。

 

 

「早坂———どうか君に、幸せになって欲しい」

 

 

 

 

 

■□■□

 

 

 

 

 唄う彼の言葉が耳を打つ。

 何よりも望んでいた言葉が、目の奥に熱を灯らせる。

 

 

”———■■してはいけない”

 

 

 ともすれば告白より恥ずかしいその物言い。

 それを告げるまでにどれだけの葛藤があったか。

 どれだけの勇気を振り絞ってくれたか。

 それは明かりの乏しくなった夜空の下でなお朱色と分かる彼の表情を見れば、容易に想像することができた。

 

 いったいどれだけ……私のことを大切に想ってくれているかも

 

 

”———期待してはいけない”

 

 

 頷いてしまえればどれだけ楽だろう。

 信じて。迷いや不安さえもかなぐり捨てて。

 その胸の中に飛び込めてしまえたら、どんなに幸福なことだろう。

 

 

(ああ……それでも)

 

 

 

 

 

”その花を―――咲かせてはいけない”

 

 

 

 

 

それでも、私は―――

 

 

 

 

 

 

 













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