12歳の春   作:諸星おじさん

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変人と言うけれど、具体的にどこが普通と違うのか?

次の日、岡崎はやや上機嫌で私の研究室にやってきた。

「先生、できました」

約束通り、岡崎は中間試験用の問題を作って私に見せてくれた。全部で10問。ここから5問選ぶわけだが、甲乙つけがたい。表面上過去問と内容が変わっている。けれど聞いている内容は結局同じ。過去問を見ただけで解けるような問題ではテストの意味がない。かといって、大事なことはそう多くない。本質をつかんでいるかを問える問題は、そうバリエーションがあるわけではないのだ。

その点で岡崎は、一見すると違うことを聞いているようでしっかりと本質を突いた設問をしている。これはとりもなおさず、岡崎本人が高いレベルで物事を理解している証拠だ。

「よし、じゃあこの中から決めることにするよ」

「今決めなくていいんですか?」

「全部いい問題だから、じっくり考えて決めるよ」

「ありがとうございます」

じっくり考える、というのは正確ではない。私だって仮にも大学で教鞭を執っている。良問悪問の区別はすぐにつけられるけれど、すべてが良問に見えた。だから岡崎の目の前で問題の選定をしたくなかっただけ。きっと私は、問題の本質とは全く異なるところで、重箱の隅をつつくような選び方を強いられるはずだから。

 

 

今日の講義も終わり岡崎を見送ると、私は私の仕事をしなければいけない。

「蔵元先生、失礼します」

「入りたまえ」

仰々しい言葉で迎え入れてくれたのは、物理学科長の蔵元先生。専門は統一理論の基礎研究。岡崎が私の研究室に配属になる前、いち早くその才能を見抜き、あの手この手で勧誘をしていた。

「岡崎さんのことだろう?」

「その通りです」

私は先日岡崎が持ってきた論文を差し出した。

「ほう、こりゃまた」

「可能性空間のことはともかく、統一理論のかなり踏み込んだ内容に触れているので、僕だけではちょっと」

「いや恐れ入った。驚異的なペースだね。これで論文何本目だっけ?」

「五本ですね」

「そうか、君も指導教官として大変だろう」

蔵元先生は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、私にくれた。

「普通は在学中に一本仕上げるだけで十分なんだけどねぇ」

「やる気があるうちに、やりたいことをやらせてみようと思いまして」

「熱血だね。君も後藤先生によく似てるよ」

「そうですか?」

「そうとも。指導教官というのは、弟子に人格的影響を与えるものだ。良くも悪くもね。だから君は後藤先生によく似ているよ」

あまり自覚のないことだった。自分は後藤先生などと比べて、目劣りする部分が多々あると、それくらいしか考えたことはない。

「岡崎くんもきっと、君に似ているよ」

「僕に、ですか?」

「そうさ、岡崎くんは君が思っている以上に、君のことを見ている」

身につまされる思いがした。岡崎を『導く』などと思い上がったことを言うつもりはないが、彼女が大成するまでを支えるのが、きっと私の使命なのだろう。岡崎にとって、恥ずかしくない存在でなければならない。

「とにかく、この論文は確かに受け取ったよ。なにぶん忙しくて少し時間がかかるだろうが、必ず返事をする」

「よろしくお願いします」

 

 

 

それからしばらくして、中間試験の日がやってきた。期末試験は全部の講義が同じタイミングで行うが、中間試験をいつ行うかは各々の裁量に任されている。元々この講義は後藤先生の担当で、私はそれを引き継いだ形だ。後藤先生の頃からの慣習で、『統一理論入門』のテストは五月の第三週に行われる。

 

「それでは、始め」

私の合図とともに一斉にペンが走り出す。時代が進んでも、テストと言えば紙と鉛筆だ。私が大学教員になりたての頃、紙をなくそうというキャンペーンが繰り広げられたが、高度な情報社会においては、情報の漏洩を防ぐということもまた課題。紙媒体は漏洩のリスクがデータよりも少ないため、大学という世界はアナログをあえて残している。

ただ、岡崎はこの風潮に否定的。そもそも紙が偉いとされるのは、たった一つの事故のせい。

すべてのやり取りをデータ上で行おうとして、入試でさえもデータのやり取りで行うことになった。そして本来送られないはずの答えのデータまでもが送信されてしまい、国立大学の入試が軒並み中止に追い込まれた。それ以来大学は殊テストという点では『紙』を崇めるようになってしまった。

事故は事故で仕方ないが、それを根本的に解決せず原始的な方法に回帰するのみで議論を先に進めないのは愚かである。と、岡崎はのたまう。私もその通りだとは思うけれども、いざ自分が失敗してしまったらと考えると、改革に踏み出せない程度には私も俗物である。

 

私は教壇から学生たちの様子を見ている。岡崎はTAとして学生たちの机の周りを巡視していた。そんなことをする肝の据わった学生はいないだろうが、一応はカンニング対策のため。けれど、肝心の私は学生たちよりも岡崎に目がいっていた。

岡崎は机の間を縫って歩いているとき、不意に足を止める。そして学生の答案を上からのぞき込むのだ。学生のプレッシャーは半端ないだろうが、実は岡崎が気に入った回答に対して行う動作。昨年テスト終わりで一緒に採点をしていた時のこと、岡崎は覗き込んだ学生の答案を見つけては「素敵だわ」とうっとりしていた。

きっと今回も、岡崎好みの回答を見つけたのだろう。しかも今回は岡崎が自分で作った問題だから感動もひとしおのはず。あまりに一か所に留まるので私が目くばせをすると、岡崎は少し早足で机の間を潜り抜けていく。夢中になるとすぐこれだ。

 

「それでは30分経ちました。解き終わった人は退席しても構いません。その場合は静かに手を挙げて、答案が回収されるまでは席を動かないように」

テストの決まり文句。なにせ全部やったら2時間たっぷりとってあるテストだ。途中退席くらいは認めなくては。さて、岡崎の渾身の問題を30分で解き終わるような猛者はいないだろうが、さて、一番乗りは誰になるか。

私は椅子に深く座り直し、今一度教室を眺めた。ん? 奥の方で手を挙げている? まさかな。岡崎がすかさずその学生の元に向かうと、学生は静かに席を立ちそのまま荷物を持って退席した。岡崎は事前に打ち合わせた通り、私に答案を持ってきた。ところどころ空欄はあるが、落第はしない程度にちゃんと埋まっている。体調不良でもなさそうだし、これは解ききったということだろう。

名前は……、北白河ちゆり。他の先生が問題児だと言ってたな。テスト嫌いで赤点ギリギリの点数を出してすぐに教室を出るとかなんとか。それだけコントロールできるんだから優秀なんだろうが、ちょっと自信過剰かなと私は思う。けれど、大学はいろんな学生がいるので、別に否定するつもりはない。

一方、岡崎は不服を隠しきれていない表情していた。眉をひそめ、口元を固く結んでいる。まあそうだろう。自分が作った問題にこんな形で応えられたらなんだか虚しくもなる。気持ちはわかるが、一問一問を大事にしてくれるのはむしろ岡崎くらいなんだ。

岡崎はまた学生たちの机の間へと戻った。さっきよりも気迫に満ちている。もしここでカンニングでもしようものなら、殺されるだろうな。自分が学生の立場でなくて良かったと心底思う。

 

一時間ぐらい経ったところで、もう一人別の学生が手を挙げた。今度は満面の笑みで答案を持ってくる岡崎。答案用紙はびっしりと埋まり、一見しただけでもかなり勉強したことが伝わってくる。途端に機嫌がよくなった岡崎は、現在問題を解いている学生の答案をのぞき込むのを隠そうともしない。せめて少しは配慮しろと、私はまた目くばせをする。岡崎は「はいはい」とでも言いたげに視線をそらして教室を静かに練り歩いた。

 

「それでは、鉛筆を置いてください」

結局最期まで残った学生は半分程度。ひねった問題ではないから、勉強している学生にはさして難しくもないはずだ。残り人数もこれくらいが妥当だろう。客観的にも良い問題だった証拠だ。

答案を回収し終わると、岡崎は途中退席の分も含めて一つの大きな封筒に入れ、手さげにしまった。

「おつかれさま」

「お疲れさまでした」

岡崎はまるで自分の子どもかのように大事そうに答案の入った手さげを抱えていた。

「自分が何かしてるわけでもないのに、なんだか疲れました」

「テスト監督も大変だよね」

「お腹すきました」

「じゃあ何か食べようか」

「上田食堂の唐揚げがいいです」

上田食堂とは学校の西門を出てすぐ向かい側にある定食屋。私の学生時代からあり、安くて多くてうまい。

「答案を置いてくるので、先に行っててください」

岡崎は一人研究室に向かう。岡崎には研究室の合鍵を渡していた。事務方からは、防犯の都合上合鍵をつくってはいけないと言われている。だがそういった決まりは、こういうとき何かと不便だ。

 

西門で待っていると、岡崎はすぐにやってきた。小さな体で早歩きをしてやってくると、たったすぐそこなのにもう肩を上下している。その様子を見ていて私は少しばかり不安になった。岡崎よ、いくら何でも運動不足じゃないか? 私がイチゴショートを差し入れすぎたからだろうか、最近は少し『ふくよか』になってきたような。

「先生、どうかしましたか」

「いや、なんでもない。行こう」

こんなこと口が裂けても言えるわけがない。失言を犯さぬうちに、用事を済ませてしまおう。

 

「いらっしゃいませ」

上田食堂のおばちゃんは愛想よく私たちを迎えてくれた。お昼時をやや過ぎた店内はちらほらと空席がある。

「唐揚げ定食を下さい」

「僕は生姜焼き定食を」

「はい、かしこまりました」

隣の学生3人組は全員ご飯を大盛で頼んでいる。大盛もおかわりも無料、学生には天国のような店だ。私が学生の頃は、割烹着のおばちゃんもお姉さんであったから、天国そのものだった。あの頃のおばちゃんはいわゆる看板娘で、私たち学生の間でひそかにファンクラブがあったほど。

「先生、どうしたんですか?」

「ああ、おかみさんがね、相変わらず美人だなと思って」

「先生が学生の頃からここってあるんでしたっけ?」

「そうだよ。あの頃から学生に大人気だった」

「へぇ、よく来てたんですか?」

「週で一回は来てたかな。時々、僕も後藤先生に連れてきてもらったりしてたよ」

 

「はい、お待ちどうさまでした」

頼んで5分としないうちに食事はやってきた。岡崎の唐揚げは握りこぶしくらいあって、それが4つ。昔は私も食べてたが、今の私だったら食べきれないだろうな。対して私の生姜焼き定食は、ご飯が少なめ。学生と年配の先生が同時に来ることが多い食堂ならではの配慮だ。

「いただきます」

岡崎は少し食べるのが早い。これは完全なる私の私見だが、勉強ができる人は大食いで早食いだ。健康のために、あえて速度と量を調整することはあっても本来はそう。頭を使うにはスポーツ選手顔負けのカロリーが必要だし、食事を済ませて次の勉強に取り掛かりたいという気持ちが無意識に働いているのだろう。私はそう考えている。

 

私たちはほぼ同時に食べ終わると、すぐに席を立った。会計はもちろん私。岡崎は会釈を一つ。

「1500円ね」

私がお金を渡すと、岡崎はおばちゃんを興味深そうに見つめていた。

「おばちゃんは、『先生』のことって覚えてますか?」

「おばちゃんね、年は取ってるけど、お客さんのことだけは忘れないわよ」

快活な返答だった。

「じゃあ、学生の頃の『先生』はどんな人でしたか?」

「いつも目つきの怖いおじいちゃんに怒られてた」

後藤先生のことだ。後藤先生は左目に斜視が入っていたので、目つきが悪く思われがちだった。

「あんまり恥ずかしいこと言わないでくださいよ」

「ごめんね、けど今でも来てくれて嬉しいわ」

「ここはいつもおいしいですから」

 

店の外に出ると、春の陽気でつい眠くなってしまう。岡崎は腕を空へ上げて背中を伸ばしていた。

不意にケータイが鳴る。相手は……事務室からだ。

「はい、はい、えぇ、あぁ、わかりました」

「どうしたんですか」

「事務室に行かなくちゃ」

「また面倒な用事ですか」

「この前の研究費の申請書類に不備があったから来てくれって」

岡崎はややうつむいて、口元をすぼめた。手続きをするのは私なのだけれど、私の研究費の内実をよく知っている岡崎は、この手の出来事にこうして同情を示してくれる。

「じゃあちょっと行ってくるから、先に部屋に戻ってて」

「はい」

私は岡崎と別れ、事務室のある中央棟へと向かった。岡崎もまた、早歩きで物理棟へ進んでいく。

 

 

 

……

…………

………………

 

私は、エレベーターの数字が増えるのをじっと見ていた。物理学科のある4階まではすぐなのに、今日はいつもより長く感じてしまう。ポーンと音が鳴り扉が開いた。走らないように、でもなるべく急いで、『先生』の研究室へ向かう。合鍵はいつもスカートの右ポケット。素早く取り出しガチャリと回せば、ここは学問の間。たった八畳だけれど、世界と通じている。

 

「ふぅ」

ついため息が出た。まだ『先生』はいないけど、ここは私にとって特別な場所。空気がまるで違う。ここだけが現世と切り離されてるような、そんな気分。

私は『先生』の机に陣取ると、少しわくわくした気分で封筒を開けた。さっき実施した中間テストの答案が入っている。空欄も下らない誤答もたくさんあるけど、やっぱり簡潔な答えが書いてあったらそれだけで舞い上がるほど嬉しい。わかってくれたのかな、そんな気分になる。

逆に、誤答の中には、一体どうしてそんな考えになったのか、一人一人呼び出して問い詰めたいものもあった。

ああ、イライラする。この人はどうしてこうバカなんだろう。

お前はどうして物理科にいるのか問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。

『先生』だったら、そんなこと気にするなって言うんだろうな。あの人優しいから。けど、つい怒っちゃうのよね。私って、短気なのかな?

でも『先生』は、短気なのは悪いことじゃないって言ってた。だって、それだけ勉強に熱意があるってことだから。短気でも良いなんて、普通言わないよね。

この部屋の空気が違うのは、もしかしてそれが理由かも。ここは、短気になってもいい場所。私が自分の好きなことに、一番一生懸命になれる場所。

 

 

 

 

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