「──私は今、とても不機嫌です」
「さいですか」
あぐらを掻いて座椅子に座る青年の脚の間に座り、少女は丈の長いスカートの下から伸びた尻尾の先端を畳に打ち付けてぺしんと音を立てる。
ふわふわとした背中まである髪を青年の指で梳されながら、側頭部から生えている巻き角をグリグリと胸元に押し付けていた。
ちゃぶ台を挟んだ対面で湯気の立つお茶を飲んでいる客人の少女は、一息ついてむすっとしている質問待ちの少女に問い掛ける。
「それで──シャミ子は何に怒ってるのさ。とっておいたおかず取られたの?」
「ちーがーいーまーす! 今日のお昼、楓くんとデートをしていたら
ぺしん、ぺしんと床を叩く。
「毎度の事に神経質なんじゃないか? 俺は気にしてないぞ?」
「気にしてくださいよ! ……もう」
やや癖のある髪は意外にも指に絡まない。手櫛で梳されている動きに絆されそうになりながらも、シャミ子は照れた様子で続けた。
「一応楓くんは私の、かっ、か……れし、ですし。もう少し、気にしてほしい……です」
猫じゃらしのように尻尾を畳の上で左右させ、指で楓の胸と腹の間をつつく。
「とは言っても、シャミ子小さいからなぁ」
「小さいよね。あれから2年経つけど、一センチも伸びてないんじゃない?」
二人に言われ、うぐっ、と落ち込むシャミ子。ロングスカートと縦リブのニットというゆったりした大人しい格好をしてはいるが、いかんせん楓の恋人と名乗るには身長が足りなかった。
「まあでも、今より背が高いシャミ子もそれはそれで違和感あるよなぁ。充分可愛いんだから君は変わらないでくれ……」
「懇願するほどかな……」
対面に座る桃が呆れているが、それでも可愛いと言われれば嬉しいのだろう、満足げな雰囲気でシャミ子は楓に甘えるようにすり寄る。
足の間に収まり、体を擦り付ける様子は、桃の脳裏に猫を想起させる。シャミ子に猫耳──は角と被るか、等と考え頭を振った。
「楓の彼女として見られたいなら、もう背中にプラカードでも貼り付けとけば?」
「貴様なげやりにも程があるぞ」
「なんなら、一回やってみる?」
「私はともかく楓くんが変な目で見られるからやめましょう」
背中に看板を張り付けて歩く自分を想像して、シャミ子は苦い顔をする。それから数分して、桃が不意に立ち上がった。
「どうした?」
「いや、そろそろ自室に帰ろうかなって。あとは恋人同士ゆっくりしてなよ」
湯呑みのお茶を飲み干して、桃はそそくさと楓の部屋から出て行く。
気を遣われた──と嫌でも察した楓は、シャミ子を強く抱き締めて頭に顎を置く。
「他人に兄妹だと思われても、俺がちゃんと君を彼女だと思っていればそれでいいんじゃないか? どうして、シャミ子は周りにもそう思われたいんだ?」
「……だって、デートの度に道行く人から『お兄ちゃんとお買い物? 偉いねー』とか言われるんですよ? どうにかして楓くんの彼女だと思われたいのは当然じゃないですか」
楓は想像より切実な理由だったことを理解して口をつぐむ。そしてふと、気になったことを思い付いてシャミ子に声を掛けた。
「つまりシャミ子は大人として見られたいってことでいいんだよね?」
「そう……なるのでしょうか。ええ、まあ、恐らくそうですね。でも大人っぽさはどうすれば身に付くのですか?」
「いや知らないよ。そもそも俺たちは未成年だからね」
誤魔化すようにシャミ子の髪をわしゃわしゃと掻き乱す。きゃあきゃあとはしゃぐシャミ子は、身をよじって左半身を楓に預けるように座り直した。
「……シャミ子」
「っ、んぅ、ん」
しっとりと首筋に汗を滲ませるシャミ子を見て、楓は額に唇を落とした。
目尻、頬、首筋と位置をずらして数回口を付けると、優しく髪を撫でてから続ける。
「ゆっくりでいいよ。まだこれからがあるんだから、ゆっくり大人になっていこう」
「……はい。
ごめんなさい、私すこし焦ってました」
静かに片手を繋ぎ、指を絡める。
尻尾を腕に巻き付けて、先端で掠めるように楓の腕を撫でた。
「────」
不意に腕を上げて、巻き付いた尻尾を改めてまじまじと見つめる楓。シャミ子は恥ずかしそうにしながらほどいて、絡めた指に力を入れる。
「な、なんですか突然」
「──結構前にシャミ子の尻尾は先端の方の感覚が鈍いって聞いたんだけど……」
「ええ、はい。冷たいとか熱いとか、触られたとかを感じるのに間がありますよ?」
ふうん、と呟いて、楓は無言で尻尾の先をなぞる。一瞬の間が空いて、座ったままのシャミ子がわずかに腰を震わせた。
「っ……楓くん……!?」
「ごめん、気になって」
流石のシャミ子でも、突然の行動にジトっとした目を向けた。そのまま目線を左右に動かし、ほぅ、と息を吐いて上目遣いで言う。
「……根元の方も、触ってみますか?」
「──あ、はい。ありがとう……?」
──がらりと、雰囲気が切り替わった。
周りからは身長のせいで子供扱いをされているし、桃や楓もシャミ子を子供のように見ている。しかし、曲がりなりにも彼女はまぞくである。
未熟な現時点ですら、本能的に人を魅了するだけの素質がある。汗と素の体臭が鼻をくすぐり、一挙一動は楓の目を釘付けにした。
絡めていた手を離して、楓の手首を掴み、尻尾に沿ってロングスカートの中にその手を誘う。
「──いつか」
「……え?」
楓に尻尾を触らせ、根元に近づかせながら、シャミ子は小さく言った。
「いつか、桜さんやおとーさんを解放できた時、私たちの間には……子供が居たりするのでしょうね。なんだか、自分のことなのに想像つきません」
「桜さんは別として、ダンボールから出てこられたヨシュアさん的には孫が出来てることになるんだけどね。大丈夫かな、驚きそうだけど」
くつくつと笑い、楓の胸元に頭をおいて深く呼吸をする。畳と、洗剤と、男の体臭。しかし、シャミ子にとっては甘美な香りだった。
手が半ばまで伸びて、尻尾の生暖かさが手のひらにじんわりと広がる。
ちらりと窓のカーテンが閉まっているのを確認し、鍵を掛け忘れたのを思い出す。だがここで一度中断するという考えは無かった。
いっそ見られてでも続けようとすら考え、シャミ子の頭頂部に顔を預けて、シャンプーとリンスと、何処と無く桜の花びらが混ざった匂いを鼻腔いっぱいに吸い込む。
「君と付き合うことになる前までは、いつか君を幸せにする人が現れるんだろうな──って考えていたんだよ。そこに、俺は居なかった」
「──はい」
片腕で抱き締めて、力を入れて離さないと暗に伝える。それを言葉にするなら、独占欲か。
「でも、他でもない俺が君を幸せにしたいと考えたら、もうそれ以外の事は考えられなかった。シャミ子の隣には、俺が立っていたいと思ったんだ」
「……はい」
自分を抱き締める腕に手を添えて、楓の言葉を待った。頭の上から降ってくる声が、シャミ子の耳に届いて染み込む。
「──君の
「──もう、私のかぞくじゃないですか」
つうっ、と。指が尻尾の根元──尾てい骨の辺りに到達して、一際シャミ子の腰が跳ねた。先端とは真逆に、かなり敏感だったらしい。
「……いい話だったのに、台無しです。私を子供みたいに扱うくせに
「こんな男は、嫌い?」
「楓くんだから、許します」
ふにゃりと笑い、シャミ子は楓の腕を掴むと手のひらを顔に持ってきて口を付ける。
音を立てて数回繰り返すと、指の間から楓を見上げる。もう、きっと、彼女を子供扱いすることはしない──出来ないだろう。
尻尾の付け根を指で撫でられ楽しそうに腰を震わせる少女は、まるで主人に甘える猫のようだと。楓はそう考えながら、蠱惑的な顔で自分を見てくるシャミ子の尻尾から手を離そうとし──
「……やめないで。やめちゃ、だめ」
そう懇願してくるシャミ子の雰囲気に呑まれ、飲み込むのを忘れた唾液を飲み込む。そして楓は尻尾を掴む手に、きゅっと力を入れた。
シャミ子って未亡人感あるよね。
そうかな……そうかも……
R-18に続く。