時間の流れ速くない?
「……ん、んー」
布団から覗かせた顔に刺さる肌寒さに、佐田杏里は目を覚ます。上半身を起こして体を伸ばし、関節を鳴らして寝ぼけ眼で隣を見る。
「……んふふふ」
杏里が起きたことで共有している布団が捲られて、寒さから部屋の主である青年──楓が体を丸める。背中を見せるように体を横向きにした楓へと、杏里はしなだれ掛かりながら耳元で言う。
「かーえーでー。そろそろ起きろー」
横っ腹に体を乗せて顔を耳元に近付けて囁くと、楓は身じろぎして重さを感じ取りながらまぶたを開く。数秒ぼーっとしてから、寝起きの掠れた声で杏里に言葉を返した。
「…………むり」
「休日だからって怠けるのはいかんぞー」
「…………ううん、うん。うん……」
わかった、とでも言いたげな声だが、少しして楓の寝息が聞こえてくる。呆れたような顔をして、それから杏里は肩を揺すった。
「こらこら、寝るんじゃないの。……ほんっとに楓って冬に弱いよね~熊かなんか?」
「…………寒いのが苦手なんだよ」
「あー、『秋野楓』だけに?」
「…………寒いぞ、冬だけに」
「あっはっは。ほらほら起きて」
楓がもぞもぞと布団のなかで蠢くと、数分してようやく起床した。敷布団の上で座り込み、おもむろに隣に座った杏里を抱き締める。
「……杏里は暖かいな」
「んん……えへっ、役得役得」
温もりを求めて互いに抱き締め合い、片手間にタイマーで消えていた暖房を点け直して部屋が暖まるのを待つ。暫くして朝食を取り、テレビで天気予報を見ていると、座椅子に座る楓の膝の間に収まる杏里がもたれ掛かりながら問いかけた。
「そう言えば、今日は世間一般ではクリスマスなわけですが。私たちは何もしないの?」
「クリスマスだから何かしないといけないという訳ではあるまい。この時期の外は目がチカチカするから、あまり好きではないんだよね」
「まぁ……そうだけどさ」
ぽす、と胸に頭を預けて杏里は口をつぐむ。彼女の悲哀漂う気配に罪悪感を覚えたのか、顎の下に来る頭に顔をうずめて楓が言い直す。
「──杏里の所の肉屋で鶏肉を買って、マルマでケーキでも買うか。今年は二人だけでクリスマスを楽しもう。……どうかな?」
「……楓はさー、そうやってさぁーっ」
顔を上げた杏里が、体をよじって楓の首に腕を回す。座椅子を倒して寝転がった楓の上に乗ると、頬を擦り寄せて杏里はニコニコと笑う。
「ねっ、ねっ。早く買いに行こっ」
「んー、んんー。わかった、わかったから」
猫だったらこれでもかと喉を鳴らしているだろう勢いで甘える杏里を、楓は苦笑を浮かべながら受け止める。外の寒さを想像し、内心でげんなりとしながら、楓は杏里と共に手早く着替えた。
「帰らないか」
「玄関出て5秒も経ってないぞー」
「宅配で済ませないか」
「あまりにも風情がないぞー」
寒空の下に出た楓は、踵を返して部屋に戻ろうとする。しかし杏里に腕を組まれ、目的の店に向かわざるを得なくなった。
白い吐息が空気に混じり、じんわりと杏里の腕から熱が伝わる。
「まっ、私も冬は好きじゃないかなぁ」
「……なんで?」
「ほら、寒いから脚出せないし」
足を止めて、冬用のストッキングに覆われたその足の片方を蹴り上げる。黒い生地に包まれた足は、テニス部の活動で鍛えられ、筋肉もありながらすらりと細長い。
「これはこれで、俺はいいと思うぞ」
「素直だねぇ。……さあ、テンション上がったんなら早いところ買い物済ませちゃおうよ。鶏肉買っても調理に時間取られるし」
ああ、と言って楓は歩く速さを上げる。
「……鶏肉買ってからケーキ買うより、ケーキを買った帰りに鶏肉を買う方がいいか」
「あっ……それもそうだね」
買い物の順番を脳内で切り替え、足早にショッピングセンターマルマへと向かい、二人は小さなホールケーキを購入する。その帰りに杏里の親が経営している精肉店に向かうと、当然ではあるが、楓は店主こと杏里の母親と顔を合わせた。
「おっ、杏里と楓くん。なぁに~デートの帰り? 今日クリスマスだもんねえ、肉買うなら数量限定で丸焼き用の鶏肉あるよ?」
「畳み掛けてくるな……」
「お母さん、丸焼き用の鶏肉一つ」
「はいよー、娘割引は無いからね」
杏里の母は、鶏肉を袋に詰めながら快活そうに笑う。楓が料金を支払いケーキの袋を握る手の反対で受け取ると、杏里の母が不意に問う。
「杏里が迷惑掛けてない?」
「いえいえ、迷惑ではないですよ」
「そう? ほら、杏里って結構独占欲強いし」
「本人の目の前で言うかね普通」
呆れた顔で、杏里は母にじとっとした目を向ける。杏里の母はそれでも尚続けた。
「知ってる? 幼い頃から身近にいる異性って、恋愛感情抱きにくいのよ。こういう心理は、幼馴染も例外ではないらしいのよね」
「へぇ…………。ううん?」
「どしたの?」
じっと杏里の顔を見て、不思議そうに首をかしげると、楓はあっけらかんとした顔で返す。
「──杏里のことは昔から好きだったし、俺に限っては例外なんでしょうね」
「ヴッ」
「……おぉう……今のは強いわ」
「はい?」
ぎゅっと顔をしかめて杏里が呻く。杏里の母も、楓の言葉に悶える娘に同情していた。
「……まあいいわ。仲睦まじいならそれに越したことはないし、喧嘩するよりマシよ」
「喧嘩か……昔からしたこと無いよな?」
「無いねえ」
顔を見合わせて思い返し、喧嘩した記憶が無いことを互いに確かめる。
少しして時間を見ると、鶏肉の調理にちょうどいい時間帯になっていることを知った。
「おっと、そろそろ帰りますね」
「ん。悪いね時間取らせて」
「じゃあお母さん、今度の休みに一回帰ってくるから、帰るとき連絡いれるね」
「はいはい」
手を振って二人を見送った杏里の母は、ショーケースに肘を突いて思案する。
「……あれ、楓くんのご両親って……こういう時も帰ってこないのかしら」
──鶏の丸焼きにケーキという小さくも豪華な食事を終えた二人は、夜道を歩いて商店街に向かう。クリスマス限定のツリーが爛々と輝き、楓と杏里以外にも家族やカップル、魔法少女とまぞく、狐とバクなどが集まっていた。
眼鏡越しに電飾で飾られたクリスマスツリーを眺める楓の瞳を見上げる杏里は、どうしてか──不可思議な不安に駆られる。
「……ねえ、楓」
「なんだ?」
きゅっ、と手を握り、出来る限り強く、強くその手を掴む。
「あっ……ごめん、なんか……なんだか、さ。楓が、どっか行っちゃう気がして」
「なんで恋人を置いてどこかに行かなきゃならないんだ……。まあでも、こう幸せが続くと不安感を覚えるものだよな。分かるよ」
手をほどいて、握られていたその手を杏里の腰に回して自分の方にぐっと寄せる。
「どこにも行かないよ。
大丈夫、俺は……杏里やシャミ子、桃にミカン、良ちゃんや清子さん、それにリコと店長の居るこの町角に、ずっと居るから」
「……うん。そっか」
そう言い終えて、肩を寄せ合いツリーを見上げる。幼い頃からの隣人が恋人となり、きっと、この先何十年と隣を歩むのだろう。
どこか老成した雰囲気の、どことなく枯れている青年は、いつまでもこの町で幼馴染や友人と共に歳を重ねて行くのだろう。
「ね、楓」
「うん?」
「今……幸せ?」
「──そうだな……」
少し考える素振りを見せて、楓は目尻を緩めながら杏里を見ると言った。
「これ以上ないくらい、かな」
「──ぇへ、そっかぁ」
楓の黒に紫と藍色が混ざった、星の無い宇宙のような瞳が杏里を映す。
聖なる夜、二人は幸福を確かめ合った。どんなことがあっても揺らがないだろうという、小さくも確かな確信を得ながら。
ifエンドシリーズもここらで区切り、DLC『那由多誰何』の方も単行本6巻が出て5巻以降の情報が纏まるまでは更新を止めます。
まちカドまぞくRTAの走者増えろ……(遺言)