ギリギリ14日なので初投稿です。
2月14日のお昼時、自室で寛いでいた楓は玄関のドアをノックする音に気が付いた。
「はいはい、どなた?」
「おはかえ~」
「……『おはシャミ』にバリエーションを持たせなくていいから。それで、どうした」
扉の前に立っていたのは杏里だった。
制服ではないラフな格好で、ショルダーバッグを提げている。
「まあおはようって時間でもないけど。
それに、『どうした』って……楓は今日がなんの日か覚えてないの?」
「2月14日はにぼしの日だろ」
「…………あげないよ」
「冗談だ」
とぼけた様子で杏里を部屋に招く楓は電気ケトルに水を入れる。レモンティーのパックを棚から出しながら、横目で畳に座って傍らにバッグを置く杏里を見ていた。
「──ん、なぁに?」
「いや、なんでもない。ああそうだ、このあとミカンも来るぞ」
「……なんで?」
トーンが下がった杏里の声を合図にケトルの水が沸く。カップにパックを入れてお湯を注ぎ、レモンティーが完成したのを待ってパックを捨てる。
「渡したいものがあるって言ってたからなぁ。杏里と同じ理由じゃないか?」
「……ふ~~~ん」
面白くない話を聞かされているような声色で聞き流す杏里。渡された湯気の立つレモンティーを一口飲んで、ちらりとバッグを見た。
それから数分もしない内にドアがノックされた。楓が出ると、橙の髪を揺らす少女──ミカンが手に箱を持って現れる。
「こんにちは、楓くん。誰か来てるの?」
「杏里が遊びに来たんだよ。ほら入って」
ミカンを招き入れると、レモンティーをちびちびと飲んでいる杏里とミカンの視線がかち合う。
「杏里も同じ理由で来たの?」
「……ん。そうだと思うけど」
余分に作っていたレモンティーをミカンに渡すと、喜んだ様子で飲む。楓の部屋のちゃぶ台を囲んで三人で座り、一息つくと杏里がバッグから荷物を取り出した。
「はい、本命チョコ」
「……え゛っ!?」
「杏里の毎年の冗談だよ」
可愛らしくラッピングされた箱を楓に渡して愉快そうに笑う杏里に、ミカンは激しく動揺する。
「……えっへっへ、騙されちゃった? そもそも楓以外に男友達なんて居ないからね~、必然的に渡す相手が楓だけなんだよ」
「人前でもこの冗談を言うんだから勘弁してくれ、勘違いされたら杏里も嫌だろう?」
「────はぁ」
受け取った楓にそう返されて、露骨に膨れっ面を見せる。冗談混じりに本音を言っていたが──と言うことだろうとミカンは察した。
そして、思い付いたようにイタズラっ子のような顔をして杏里と同じように箱を渡して言う。
「じゃあ、はい。私も本命チョコあげる」
「……あのなぁ」
呆れつつも、貰えること自体は嬉しいのだろう。楓は二つの箱を受け取って、お礼を言いながらその口角を緩める。
「ありがとう。両方とも開けていい?」
「いいとも~。というか食べてもらわないと作った甲斐がないじゃんよ」
「二つも食べたら血圧上がらないかしら」
半分ずつ食べるよ、と言って楓はそれぞれの箱を手早く開ける。
杏里の方はドライフルーツに溶かしたチョコをかけたもので、ミカンの物はスライスしたオレンジに同じようにチョコを掛けたものだった。
「……あらら」
「なんだか被っちゃったわね」
「大分違うと思うが」
ドライフルーツのチョコをつまんで口に放り込む。果物の甘さがあるからか、チョコレートは苦味が強い物を使っているようだった。
「うん、旨い」
「毎年同じ感想言うよね」
「君も同じ口上で渡してくるでしょ」
「そりゃそうだ」
軽口を言い合い、杏里の不機嫌な態度は無くなる。些細な事とはいえ、横でホッとしているミカンが自分のバレンタインチョコを勧めた。
「このチョコ料理が何か知ってる?」
「柑橘類関連の料理で俺に質問とは……オランジェットだろ?」
「……なにそれ?」
聞き覚えの無いお菓子の名前に首を傾げる杏里。楓がミカンに言ってから更に続ける。
「砂糖漬けのオレンジの皮とかスライスしたものにチョコレートをかけた料理だよ。確かフランス発祥だったかな」
楓は一枚を指でつまむと、一口で食べる。
ドライフルーツチョコとは逆に、オレンジの苦味に対してチョコレートは甘いものを使っているらしい。旨そうに食べる楓を見て、杏里の好奇心が湧いた。
「オランジェットねぇ~」
「食べたいの?」
「食べてみたいけど……それ楓のだし」
ふうん。と言って、少し考えてからミカンに問う。
「ミカン、杏里にも分けていい?」
「楓くんがいいなら私からは何も言わないわよ。でも折角だし、私もドライフルーツのチョコを一つもらっていいかしら?」
「あ、うん。どうぞ……」
楓が貰ったチョコを一つずつ交換して、杏里とミカンはそれぞれを同時に食べる。未知の甘味に、二人は表情をふにゃりと和らげた。
──杏里がミカンに対して何らかの理由から、何かに対して嫉妬を抱くことがあることは楓でも理解していた。それでもこうして仲好さげに顔を合わせているのなら、喜ばしい限りだろう。
ふと、そういえばと思い出す。
「シャミ子と桃って今何してるの?」
「二人で商店街に遊びに行ってるわよ」
「あの二人ならデートじゃないの」
バレンタインだしなぁと納得するも、楓の脳裏には、嫌な予感が渦巻いていた。
「桃はバレンタインとか興味なさそうだけど、シャミ子は大丈夫なのか……?」
──夕方になり、ミカンが自室に帰った。杏里を家に送り届けてから楓がばんだ荘に帰ってくると、露骨な態度で怒っているシャミ子と鉢合わせる。
「……シャミ子、桃と出掛けてたんじゃ?」
「あ、楓くん! 聞いてください!」
尻尾が不機嫌なときの猫のように揺らめいている。湯気が出ていそうな程に顔を怒りで赤くしながら楓に詰め寄ってきた。
「桃が商店街のバレンタインセールで売っていたチョコを見ながら『バレンタインなんて所詮はお菓子企業の販売戦略でしょ? わざわざ板チョコを溶かして型に固めるなんて効率悪くない?』とか言ってきたんですよ!?」
「……あー、うーん。酷い話だな」
「あんまりな言い方だったので、思わず一人で帰ってきたんです」
「まあ、それは桃が悪いよ」
──『絶対言うと思った』とは、口が裂けても言えない。苦い思いをする者も居るのだから、バレンタインとは趣があるな──と、楓は自分の部屋でシャミ子を胡座をかいた足の間に入れて慰めながら、内心でそんな事を考えていた。
「……ミカンと杏里から貰ったチョコ、よかったら食べるか?」
こくりと無言で頷くシャミ子の口に、つまんだチョコを放り込む。
桃のロマンの無さに対する苛立ちと、酷い態度のまま帰って来た事への後悔から、楓に甘えるようにもたれ掛かる。
「明日、ちゃんと桃に謝れる?」
「……はい」
「桃だって言い方が悪かったって思ってるはずだし、許してあげような」
またも頷くシャミ子。楓は小さく笑ってから、再度口にチョコを入れる。
顎の下に頭がある低身長と背中を向けて座るせいで顔は見えないが、纏う空気からもう機嫌が悪くなることは無いだろうと考えた。
「──あ、そうでした。楓くん、これを受け取ってください」
「珍しいな。シャミ子が手作りなんて」
「今までは金銭的にもそんな余裕がありませんでしたから。なのでこれが初バレンタインです」
傍らの鞄から、シャミ子は初めてやったのだろうぐちゃぐちゃのラッピングがされた箱を取り出す。
「ありがとう、嬉しいよ」
「……本当は桃の分もあるんですよ」
「なら、後で渡しに行ったら?」
「──そうですね。でも今は、もう少しこのままでいいですか?」
貰った箱をちゃぶ台に置いて、横向きに座り直したシャミ子を抱き締める。
くすぐったそうにしながらも、シャミ子は楓の胸元に頬擦りする。角がめり込んで痛そうにするが、楓はいつものように我慢していた。
短くてもいいだろお前番外編だぞ