一生目覚めなさそう(KONAMI)
──朝になり夢から意識が覚醒する頃、楓は誰かの視線を感じるようになった。
犯人がわかっているからこそ、ほぼ毎日のように観察されてはどうにも落ち着かない。
「しおん……んー、ぅうん?」
寝起きの気だるさからまぶたを閉じたまま気配のする方に体を向けて腕を伸ばす。ぽす、と布に手が当たり、その下にある肌に行く。
「……なんか、かたい。なにこれ」
「そこは私の太ももかなぁ」
「そうですか……わかりました……」
さわさわと寝ぼけたまま擦り続ける楓の髪を、しおんはお返しとばかりにそっと撫でる。
五分かそこらで完全に起きた楓が上体を起こし、枕元の伊達眼鏡を付けて言った。
「おはよう。しおん」
「……ふふ。おはよう、楓くん」
──寝起きでふにゃふにゃした楓の顔を間近で見るのが、いつからかしおんの楽しみの一つになっていることを、しおん本人ですら気付いていなかった。少女はまだ、青年への感情の答えを出せていないでいる。
──ちゃぶ台に向かい合って、朝食を取る。
いつもの光景だが、だからこそ、楓はやや不機嫌であった。
「
「う~ん、そうだねぇ」
「俺だってそう何度も言いたくないが……徹夜は健康に悪いって話はしたよな?」
「とは言っても、私はそんなに寝なくても問題ないから、その分を研究や解読に使う方がよっぽど効率的なんだよねぇ~」
朝食にトーストを焼いていたしおんは、バターを塗り、ザクザクと音を立てて噛み千切る。
特に悪びれた様子はないが、そもそも、しおんの夜更かしと徹夜を心配しているのは楓だけであり、眼前の少女が夜更かしを原因とした体調不良なんかに陥った事は今までで一度も無い。
考えすぎだ、と言えばそこまでだろう。しかし『今までは大丈夫だったから』というのは、心配しない理由にはならないのだ。
トーストが無くなった皿を片付け、食後のココアを作る。パウダーをホットミルクで溶くと、楓がしおんの分をちゃぶ台に置いた。
「──まあ、いつか君の体調が崩れたとしても、それはしおんの責任だからな。それを自業自得と言うんだ。わかるな?」
「…………うん」
若干棘のある言い方をしてしまい、それからすぐにココアを飲み干してため息をつく。
「……ごめん、今のは嫌な言い方だった」
出されたココアのマグカップを見て、ちらりと楓を見上げる。申し訳なさそうに口の端を歪めると、しおんは湯気に息を吹き掛けた。
──昼休憩の時間に、机を挟んで楓の前の席に杏里が座っていた。しおんに対してどこかよそよそしい楓を見て、杏里は昼食を機に人が減った頃を見計らって声を掛けたのだ。
「────と言うわけだ」
「ははぁん。そりゃ小倉が悪いよ」
楓の机に肘を突いている杏里がそう言いながら置かれたパックのジュースのストローを咥えて、行儀が悪いぞと窘められる。
「それは……どうだろうな。別に誰が悪いという話ではないんだと思うが」
「そんなに心配なら、もうちょっと本気で怒った方がいいんじゃない?」
弁当の厚焼き玉子を箸で持ち上げる楓は、そう言われると何も言い返せない。
「本気でと言われても、どうしろと?」
「いやいや、なにも怒鳴れって言ってるわけじゃないからね。
──楓、もしかして小倉に『早く寝ろよ~』とか言ってそれで終わってるでしょ」
「……む、む」
図星だった。
「本当に心配ならさー、ちゃんと顔合わせて、近くで話すべきだと思うわけ。
あ、厚焼き玉子ちょーだい」
「……はしたないぞ」
箸でつまんだままの厚焼き玉子を持ってかれながらも、楓は思考する。確かに、口だけで行動を起こさなかった事も問題か、と。
腕を組んで考え込む楓を楽しそうに観察している杏里は、肘を突いている方とは逆の腕を伸ばして楓の眉間のシワを指で押した。
「そう難しく考えなくてもいいと思うぞ~」
「それは……まあ、そうなんだが……」
妙に渋る楓を見て、杏里はなんとなく、ただ怒っていたり心配しているから小倉を気にかけているのではないのではと察する。
「楓。もしかして、だけど──」
「──楓く~ん」
「……うぉっ!?」
突如として後ろから声が聞こえてくる。肩を震わせた楓が振り返ると、深淵のような暗闇が広がる瞳と視線が交わった。
「しお──お、小倉」
「おーっす小倉。今ちょうど小倉の話をしてたんだよねー」
「……杏里?」
「おっとうっかり」
ぺろ、と舌を出していたずらっぽく笑う。
ふぅん……と言って楓の肩に手を置くと、小倉が小さな声で囁く。
「千代田さんが呼んでたよぉ?」
「……そうか。なら、行ってくるよ」
「ふーん。いってらー」
ひらひらと手を振る杏里を一瞥してから、弁当箱を纏めて鞄に入れて席を立つ。
入れ替わりで楓の席に座った小倉が、杏里と顔を合わせて声を上げた。
「杏里ちゃん、折り入って相談があるんだ~」
「
そうは言いつつ、頼られて悪い気はしない。杏里は座り直して、小倉の言葉を待つ。
「実は楓くんに嫌われたかもしれないんだぁ」
「いやそれは無いでしょ」
一言二言、軽いジャブ程度の会話で、勘のいい杏里は一瞬で理解した。
──ああこれが両片思いって奴かぁ、と。
「嫌われたって考えるなら、原因が自分で、何が理由かも分かってるんだよね?」
「……そうだねぇ。正直に言うと、私は寝なくても長時間集中出来たりするから、よく徹夜で作業してるんだけど──楓くんがそれをあまりよく思ってなくて……」
「昔っから健康には気を遣うタイプだからな~。言っても聞かずに何日も徹夜してたら……そりゃあそうなるよ」
両手の五指全ての先端を合わせて、人差し指から順にくるくる回す脳トレのような動きをしている小倉は、会話の片手間でそれを行えるだけの集中力が確かにあるのだろう。
「……ふぅ~~~ん?」
「な、なにかなぁ……?」
「うんにゃ。小倉って前までは、人に嫌われるのも気にしないって顔してたからさ。
楓に嫌われたかも~って相談するようなタイプではなかったじゃん」
杏里からすれば、小倉は変人の類いだろう。シャミ子こと吉田優子がまぞくに覚醒する前からの付き合いではあるが──ぶっちゃけ人を人とも思わなそうな顔をしていたのは確かだった。
それが今では、一人の青年に嫌われることを恐れた少女の顔をしている。
いい変化かなぁ、と考えて、杏里は幼馴染みと友人の恋路を応援することにした。
──夜、23時を回った辺りで布団を広げた楓は、作業に没頭するしおんを見ていた。
やはり言っても聞かないんだな、と考えてから、杏里の言葉を思い出す。
『本当に心配ならさー、ちゃんと顔合わせて、近くで話すべきだと思うわけ』
──ふぅ、と小さく息を吐き出して、専用のスペースに座って机にかじりつくしおんに近付く。灰がかったパジャマに髪を下ろして、ゆったりとしながら本を捲るしおんは、楓の足音に気付いて顔を上げると小首を傾げる。
「……楓くん」
「しおん、ちょっと来て」
「えっ? …………えっ?」
片手を掴んで立つよう促す楓に従い、しおんは立ち上がる。そのまま引かれて布団の上まで来ると、今度は座るよう目配せされた。
「──ど、どうしたのぉ?」
「……こうして、真っ正面から、きちんと話せばよかったんだよね」
数回深呼吸して、まるで告白するかのような真剣な表情を作ると、楓は目の前に座るしおんの両手を握り、顔を合わせて言う。
「──これからは、俺と一緒に寝よう。
君の健康のためだなんだと言い訳してたけど──本当は、本当は……ただ、しおんに……隣に居て欲しいだけなんだ」
「……楓くん……」
ふと、静寂が部屋を包む。
まぶたを閉じて思案するしおんは、きゅっ、と楓の手を優しく握り返すと──
「……うん、いいよぉ」
そう言って、表情を綻ばせた。
──明かりを消して、薄暗い部屋の中に、二つの呼吸音だけが小さく響いている。
布団の間の隙間を埋めて、しおんは楓の被る掛け布団の中に手を伸ばしてそっと握る。
なんだかんだで、二人が並んで眠るのはこれが初めてであった。
「ねえ、楓くん。さっきのアレって、告白──という事でいいのかなぁ?」
「……俺はそのつもりで言ったよ」
「──そっかぁ」
楓の手を握るしおんの手に力が入る。
弱々しいそれの体温が増した気がして、照れているのだと悟った。
「……そっちに、行ってもいい?」
「──いいよ、おいで、しおん」
逡巡した楓は、若干勢い任せに行動していた。布団を片手で捲り、端に寄ってしおんを受け入れる体勢に入る。
──二人分の体温が一つに混ざるような感覚。自然な動きでしおんに腕枕をする楓は、割れ物に触れるように優しく抱き締めた。
「ひ、ぅ」
「……しおん」
「は、はい」
「暗闇が怖いって言ったら、笑う?」
「──ううん。その気持ちは、わかるよ」
そう言うや否や、布団を頭まで被って擬似的な暗闇を作る。熱が混ざって、匂いが混ざって、腕の中のしおんが楓を抱き締め返す。
「でも、大丈夫だよぉ。私が、楓くんと一緒にどこまでも──どこまでも、溶けて……蕩けて、堕ちてあげるからね」
「……ありがとう」
「~~~♪」
布団の中という暗闇に、しおんの鼻唄が染み渡る。猛烈な眠気にうとうとと船を漕ぐ楓は、ものの数秒で眠りに落ちる。
逆に自分の胸元に楓の頭が来るように体の向きを変えたしおんは──暗闇の中で尚漆黒に輝く瞳を楓へと向けて言った。
「私の身と心は、貴方のモノ。
──未来永劫…………ね?」
その胸に掻き抱き、足を絡め、強く抱き締める。誰にも渡さないという、確かで強い、醜くもどこか綺麗な所有権を主張するように。
楓は夢を見ることもないまま、朝まで深い眠りに就いていた。しおんの言葉はその耳には届いていなかったが、それを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは、神のみぞ知る。
楓くんと二人きりの時は地の文でもしおんと呼び、学校のシーンでは小倉と呼ぶ。
こうすることで、楓くんの小倉への名前呼びの特別感を演出しているんですね(微ガトンコイン)