そのごのまぞく 1
ある休日の午後、ミカンが自室の荷物を段ボールに詰めて部屋から出しているのを、偶然にもシャミ子が見付けて慌てて駆け寄っていた。
「み、ミカンさん!?」
「あらシャミ子、どうしたの?」
「その荷物、もしかして……ばんだ荘を出ていってしまうんですか?」
シャミ子の言葉に、ミカンは一瞬ポカンとして、遅れて小さく噴き出すように笑う。
「ふ、ふふっ……! 違うわよ。引っ越しとかじゃなくて、下の部屋に荷物を移すの。
楓くんの部屋をウガルルと三人で使うことにしたから、ここに来たときの段ボールを再利用してるだけよ」
「……そうでしたか……」
早とちりだったと知りシャミ子は頬を染める。クスクスとひとしきり笑ったあと、ミカンが手元の段ボールに蓋をして持ち上げた。
「よいしょっ、と」
「手伝いますよミカンさん」
「あらそう? なら、小さいやつをお願い」
「ふっふっふ、ガッテン!」
全く無い筋肉を見せつけるように力こぶを作るシャミ子。ウガルルを助け出してから母性が滲み出ているような気がするミカンは、慈しむようにまぶたを細めて見ている。
何往復かして荷物を扉の前に移した二人は、額に汗を滲ませていた。扉を開けようとしてまだ合鍵を持っていないことを思い出し、肩に垂らしていたタオルで額を拭う。
「そろそろ合鍵も届く頃だと思うのだけど……」
「合鍵でしたら、私が持ってますよ?」
「…………え?」
シャミ子の言葉に、一拍遅れてミカンが反応する。ほら、と言って見せてきたその鍵は、確かに楓の持っている鍵と形が似ていた。
「──どうして持っているの……?」
「結構前、私がまだまぞくとして覚醒していなかった時におかーさんと楓くんが合鍵を交換したんですよ。私が部屋で一人の時に体調を崩したら危ないから──と」
「……あぁ、なるほどね……」
ざわ、と胸に何かが渦巻いたミカンはそれが霧散するのを感じた。邪推した方の意味ではなかったとホッとしているが、それでいて、どことなく自分の中に醜さを見つける。
「ですが楓くんが居ないのに勝手に入るのはダメですし、電話でもして帰りを待ってましょうか」
「ええ、そうしましょう」
なるべく穏やかに微笑むミカンは、傍らで楓に連絡を取ろうとしているシャミ子を見て心臓をバクバクと鳴らしていた。
「──あ、もしもし楓くんですか?」
『……シャミ子、どうかしたのか?』
「いえ、実はミカンさんのプチお引っ越しを手伝っていたのですが、楓くんが部屋にいなかったのでどうしたものかと」
「楓くん、今どこに居るの?」
スピーカーにして二人の間に持ってきた携帯に話し掛けるミカンの声に、件の楓が少し驚いた様子で声色を変える。
『ミカン? ああ……ごめんね、ウガルルと一緒に商店街に来てたんだよ。ほらウガルル、ミカンから電話来てるよ』
『んが! ミカン?』
「あら……ウガルルまでいないと思ったら」
『ウガルルがどうしてもってねだるからつい、ね。もう少ししたら帰るから、シャミ子に渡してある合鍵使って入ってていいよ』
季節も冬が近付き空気が肌寒いなか、外で待たせるのはまずいだろう。楓はそう考えたようで、ミカンとシャミ子は言われた通りにしようとする。──が、電話を切る直前に聞こえてきた別の声が、再度ミカンの胸の内をざわめかせた。
『それじゃあまたあとで』
『あれっ、楓とウガルルちゃんじゃん。どしたのさ、買い物?』
『そんな感じ。豚肉置いてある?』
『まいどあり~』
「…………」
「ミカンさん、顔がものすごいですよ」
「──はぁ。駄目ね、私ったら」
──心配からか二人で待とうと提案するシャミ子を帰らせたミカンは、手早く荷物を片付けてぼんやりとちゃぶ台に突っ伏す。
「……う~~~ん」
自身の持つ
自覚しているのと実際にジェラシーを感じることは大分違うらしく、体感したことがそうそうない感覚に、ミカンはどうしても戸惑う。
「少し前までは、こんなこと考えなかったのに」
仲がいい筈の相手にこんなことを考えるなんて、と。そう自己嫌悪しながら、ミカンは突っ伏したまま、ゆっくりとまぶたを閉じる。
──気が付けば眠っていたのか、座ったままの姿勢で体が固まっていた。
肩には薄手の毛布が掛けられていて、眼前に自分と同じ姿勢でじっとこちらを観察しているウガルルと視線が重なった。
「──わっ!?」
「起きたカ?」
「……え、ええ。私、寝てたのね……いつ帰ってきたの?」
「さっきだゾ。楓が寝てるなら起こさない方がいいっテ、今メシ作ってル」
体の節々を伸ばして関節を鳴らし、微睡みから目覚めたミカンは向かいに座るウガルルの顎を撫でる。猫のように手にすり寄るウガルルを見て、ふぅとため息をつく。
「……ちょっと楓くんを手伝ってくるから、テーブルを綺麗に拭いておいてくれる?」
「んが、任せロ!」
頼られて嬉しいのか、ニコニコと笑みを浮かべてアルコールシートを取りに行く。それを見送りながら台所まで歩いて行くミカンが、フライパンの火加減を見ている楓の背中を見つけた。
「楓くん」
「……ん、ミカン。起きたのか」
「ええ……夕食を作ってるの?」
「うん。──ああそうだ、荷物を移すの、手伝えなくてごめんね」
火を止めて余熱に任せた楓が、振り返った先からするりと懐に潜り込み抱き付いてきたミカンを受け止める。
「どうしたんだ」
「……楓くんには、他の娘の近くにいてほしくないって、嫉妬してるの」
「──そっか」
エプロン越しに胸元に顔を押し当てるミカンの背中を擦り、何を言うでもなく続きを待った。
「こんなことを考えるようになるなんて──私、すごく、醜い」
「……別に、そんなことはないと思うけどね。なにせ、俺だって学校で他の男子生徒と仲良くされたらなんか嫌だなぁって思うよ」
そっと抱き締め返して、頭に顔を置く。
トントンと背中を軽く叩いて、ミカンから離れると楓は言う。
「ついこの間まで友達だった相手に嫉妬するのは……自分で言うのもなんだけど、恋人として自然な感情なんじゃないかな。
俺はシャミ子や桃たちとの交遊を続けるけど一番の最優先は常に君だし、向こうもそれを考えて距離を保ってくれるさ」
「──そう、かしら」
それ以上は続けなかったが、代わりとばかりに微笑を浮かべる。全てが杞憂であったと悟り、ミカンもまた安心したように笑った。
「──かーえーデー! 腹減っタ!」
「あっ。そうだったね、ご飯出来たよ」
「そういえば楓くん、何を作ったの?」
「豚のしょうが焼きだけど」
「あら、そうなの……」
まだ余っている少量の豚肉を見ると返す。
「レモンドレッシングに浸けてから焼くとけっこう美味しいのだけど……」
「ウガルルの舌には刺激が強いだろうからダメ。また今度にしてあげるから」
「そんなぁ」
「……ぬ、ぐ……」
甘えるように見上げられ、涙目で懇願されては、楓に勝ち目はないだろう。残りの豚肉がレモン風味のしょうが焼きになったことと、意外にも合ったことは言うまでもない。
──夜、いつぞやと同じように二つの布団の間に寝ている楓は、ミカンと向き合うように寝転がってその頭を掻き抱かれていた。
「ミカン、正直に言うと少し寝づらい」
「んー……だぁめ。今日はこのまま」
「そうか……まあ、仕方ない……のか?」
後ろではウガルルが鼻提灯を浮かべて眠り、肌掛けを腹に被せている。
ミカンのシャミ子と同等の
しかし暖房を点けると暑く、消すと寒い微妙な気温の室内では、人肌の温もりは程よく眠気を誘う。恋人同士となり、恥が消えた距離感はより密接となる。
「じゃあ──お休み、楓くん」
「ああ……お休み、ミカン」
ミカンの心音を聞きながら、楓はまぶたを閉じる。ただただ静かな平穏が、いつまでもそこに広がっていた。