「──そこか」
伊達眼鏡の奥にある、黒と紫、濃紺が混ざったマーブル模様の暗い瞳が、せいいき桜ヶ丘の記念公園の枯れ木の根元を見ていた。
青年──秋野 楓の瞳は、いつしか不可思議な力の流れを目視できるようになっていたのだが、
「……次はシャベルでも持ってくるか」
根元に近付き屈むと、楓は指先で土を押す。柔らかい感触だが、その奥には何かがある──と、それだけはなんとなく理解している。
制服を汚さないようにとハンカチで汚れを拭うと、懐から取り出した携帯で時間を確認して、それから改めて学校へと向かった。
「……かれこれ、色々とあったな」
ポツポツと降り始めた雨を避けるべく、傍らに置いていた傘を広げながら、楓はそんな風に呟く。同アパートの知り合いがまぞくで、魔法少女と出会って、紆余曲折を経て、ついこの間封印されたりもしたし、別の魔法少女とも結ばれた。ついでに言うと幼いまぞくに父親扱いされている。
「激動だったなぁ」
そんな言葉が雨音に消え、白んだ吐息に混じって、宙へと吐き出されていた。
──窓辺で物思いにふける少女、シャドウミストレス優子改めシャミ子を見掛けた楓は、幼馴染の佐田杏里と共に声を掛ける。
「シャミ子、どうかしたのか」
「おーっす窓辺系まぞく。お悩みかい?」
「……楓くん、杏里ちゃん」
振り返ったシャミ子の視界に入ってきた友人である二人の男女を前に、彼女は表情を和らげて口を開く。しかして腰から伸びる尻尾は、不安そうにゆらゆらと揺れていた。
「ここ最近で、色々とありましたよね」
「ああ……あったな、色々」
「楓はもうちょい深刻に考えなよ」
他人事のようにあっけらかんと返す楓に苦笑を溢す杏里。なんのことやらと首を傾げる彼に、シャミ子が更に続けて言う。
「事件も多く起きましたし……魔法少女の事でも気になることがありまして……」
「桃に聞けばいいじゃないか」
「……なんとなく聞きづらいんですよ、今より関係が拗れたらと思うと」
そう簡単に関係が悪くなるとは思えないけどな、と、言うは易しかと口をつぐむ楓。腕を組んで悩んでいる様子の楓を横目に、代わって杏里がシャミ子に悩みに答えた。
「そんなもの簡単だぞ~シャミ子。焼肉に誘えばいいんだよ、重苦しい雰囲気になったらカルビを焼けばなんか有耶無耶になるぞ!」
「な、なるほど……!?」
「ついでに言うと誕プレで渡したあの焼肉チケット、期限ギリだからはよ使え!」
「……そういえばそうでした!」
肉屋の娘としてのダイレクトマーケティングに乗せられあれよあれよと予約の話になってゆく。その光景を見て、楓は呟いた。
「なんかちょっと頭の悪い会話になってないか……ああ、シャミ子、難しいようなら俺が代わりに予約するけど」
「だ……いじょうぶです」
──たぶん、おそらく、きっと。と続けるシャミ子に不安感を覚えるが、杏里というカンペ通りに話しているため問題はないだろうと結論付ける。だが、はたと疑問を一つ思い出す。
「──あのチケットって確か……」
……だが、自信満々の杏里を前にして楓も大丈夫かとかぶりを振る。
あれが無料券じゃなく優待券なのは、渡した本人が分かっているだろう、と。
それから楓はシャミ子の予約の完了を確認して、時間を見て教室に戻るのだった。
──後日の土曜昼、楓と恋人のミカン、娘のウガルルが使っている一階の部屋に、千代田桃がどこか焦った様子で訪れていた。
テレビと向き合うように置かれた部屋の隅にあるソファに座るミカンと楓、楓の膝を枕に昼寝しているウガルルを見て、桃は声を出す。
「ねえ、なんか突然シャミ子に焼肉に誘われたんだけど……」
「あらよかったじゃない」
「この間予約してたな、あの子」
なにか問題が? とでも言いたげな目線×2を前に、桃はだってと言い、続ける。
「最近シャミ子、よくスマホ見てるし……なにか情報教材とか買わされてそう」
「なんて酷い風評被害なんだ……」
「というか、楓くんから聞いてたけれど、それ杏里の助言でやったことよ?」
「……そうなの?」
目線を向けられた楓は、こくりと頷いて肯定する。それからミカンが言った。
「恐らくだけれど……これはガチなやつよ」
「────ガチ、とは……?」
「自分でも何を言ってるのかしら。ニュアンスで感じ取ってちょうだい」
ソファに座り足を組み、キメ顔でしれっとそう言いきったミカンに、桃は困惑する。
「ちなみにミカンは……ガチったことある?」
「………………ないわね」
「………………ないな」
「その間はなに?」
楓とミカンが顔を見合わせ、若干気まずそうに目を逸らし合う。
何があったかいまいち分かっていない桃は眉をひそめるが、それからミカンに問う。
「ミカン……服貸して!」
「嫌ですけど……?」
「なんで!?」
「煙でクリーニングが大変だからよ」
自身のファッションセンスが無いことを理解している桃はミカンの服を借りようとするが、当然ながら焼肉の煙や匂いを吸うと大変なため貸すことを良しとしない。
「俺もそういうのは得意ではないからな……この際だから服を買ってくればいいじゃないか。良ちゃんとか清子さんならアドバイスをくれると思うし、そっちを頼ってみたらいい」
「それはまあ……そうだけど……」
真っ当な返答に口をつぐむ桃。その直後、ウガルルを起こさないようにと慎重にソファから立ち上がる楓を見てミカンが疑問を口にする。
「楓くん、どこか用事?」
「ん? ああ……まあ、ちょっとね」
「そ、気を付けてね。行ってらっしゃい」
「ん」
携帯と財布だけを手に、上着を羽織って部屋を出て行く楓。
それから一応とばかりに、他の知り合いのアドバイスを受けに二人もまた部屋を出た。
シャミ子の妹・良子、母・清子、まぞくのリコと元魔法少女の朱紅玉と巡るが、さりとて有益な情報は得られない。いかんせん、そもそも知識が無いか女子力が無いかのどちらかなのだ。ついでに言うと清子は酔っていた。
頭に獣の耳を生やし、ライオットシールドを片手に寅柄のシャツを着た桃が、服も売っているショッピングセンター・マルマに向かう背中を見送ると、改まってリコと共にアドバイスをしてくれた紅玉がミカンに声をかけて会話を再開した。
「なあミカンちゃん」
「……どうしたの、紅玉さん」
「いや、あー……楓くんの事でちっとな」
店に戻ったリコを見てから、言いづらそうに口を動かしてから、おずおずと続けた。
「──楓くんって、
「──は?」
「……別にキモいって訳やないんよ? 寧ろいい子やん、誰にも優しいんは美徳や」
一瞬で額に青筋を浮かべて暗い表情をするミカンに弁明するように捲し立てる。そして、けどなあ……と続けて紅玉は口を開く。
「アタシに封印された件でなぁんも言わんのはどうにも変やろ。
あのあと怒鳴られんのも覚悟しとったのに恨み言も無いし、気にしてもいない。
そもそも怒ってすらいないなんて『優しいから』で片付けてええんやろか」
「──それ、は……」
「楓くん、今までも色んな問題に巻き込まれてるんやろ? これまでの問題に対して、一言でも文句を言ったりしてたんか?」
外から来て日が浅い紅玉だからこそ気付ける、楓という青年への違和感。楓は不自然なほど優しく、不自然なほど
同様に外から戻ってきて一年も経過していないミカンですら、言われてみれば確かにと、楓に対する違和感が湧いてくる。
「……私たちって、楓くんのことを……殆ど知らないんじゃないかしら……」
「アタシは来たばかりだからしゃーないけど、ミカンちゃん達がわからないとなるとお手上げやんな。本人に聞いたらアカンの?」
「──なんとなく、そういう質問はしないようにしていたわ」
シャミ子も、桃も、ミカンも、全員が家族間に問題を抱えている。
だからこそ、恋人とはいえ楓のプライバシーに踏み込むことはしなかった。ゆえに、気づいた頃には聞くタイミングを逃していたのだ。
『貴方のご両親はなにをしているの?』と。
たった一人で光闇関係の人が暮らすのに使うアパートに居る違和感に、疑問をぶつける事が出来ないでいた。もしや、自身の呪いと自分以上に向き合ってくれた恩人を疑う事が憚られたのか。
「──でも、大丈夫だと思うの。
私も楓くんも、シャミ子たちも、まだまだこれからがあるのだから」
「……せやなぁ」
ふう、と息を吐いて後ろ手に髪をガシガシと掻いて紅玉はミカンに返した。
「余計なこと言ってもうて悪かったなあ」
「いいのよ、ちゃんと解決しないといけない問題なことに変わりはないもの」
それから夕食の準備もあるからと紅玉と別れるミカン。手を振って見送った彼女は、薄暗くなるのが早くなってきた空を見上げて独りごつ。
「それにしても……どこに行ったのかしら」
愛しの恋人がどこに出掛けたのかと気になるミカンは、一人静かに呟いて首をかしげていた。
──シャミ子が桃と焼肉しながら語らうという計画を失敗に終わらせている裏で、楓はばんだ荘の倉庫から持ち出したシャベルを肩に担いだまま記念公園に訪れていた。
誰もいないのをいいことに、楓は根を傷つけないようにと気を付けながら、瞳が捉える力の塊を掘り返そうとシャベルを地面に突き刺す。
少しして、ガツっと固いものと刃先がぶつかり、その周囲を掘り返して中身を取り出した。
「……壺……?」
それは、中身の無い空の壺だった。しかし、その壺に残る力の残滓は濃密で、
「────っ」
「まだ時ではない」
「……メタ子……」
壺を掘り返した楓の元に、しゃがれた声の老猫──メタ子が、いつの間にか背後に座っていた。楓にはメタ子の表情の機微は悟れぬが、その顔はまるで、憐れんでいるように見える。
「時ではないのか」
「そうだ。まだ時ではない」
「なら、何時がその時なんだ?」
「……まだ、時ではない」
「──なあメタ子、お前はそれしか
「……まだ時ではない」
押し問答か、と脳裏で呟き、分かったとだけ言って楓は壺を埋め直す。
これで楓の頭の中には疑問が出来た。すなわち壺には何が入っていたのか、なぜ今は何も入っていないのか、これを誰に相談するべきなのか。
「……ああ、くそっ、別の疑問が増えるなんて、想定出来るわけないだろ……っ」
ザクッザクッと土を被せながら、うわ言のようにぼやく楓。
それを後ろでじっと見つめるメタ子が、何を考えているのかなど分かるわけもなく。
埋め終えた楓は、シャベルを片手に、空いた片手でメタ子を持上げて踵を返す。
「ほら、帰るぞメタ子」
「なぁう」
腕の中で、とぼけたような声色で鳴くメタ子。楓は呆れたような表情を浮かべて、すっかり暗くなった道を歩いて行く。
「──なあ、メタ子。変に聞こえるだろうけどさ、俺って……怒れないんだ」
「なぁお」
「人を恨めないし、怒りを抱けない。だけどもし、この問題が人災だったとしたら──」
──俺はその人を恨まないでいられるのだろうか。その質問に返答する者は、居なかった。
楓くんの最近の悩み
・嘘かマジか判別出来ないトーンでウガルルに「パパ」と呼ばれること