小倉編は短く何話かに分けます
「──あぁあやっぱり磨り減ってるよぉ……!」
吉田家の扉に張り付いてそう呟く小倉しおんを前にして、楓と良子は顔を見合わせて苦笑をこぼす。ある日そんなことを言い出した小倉に、代表して楓が話しかける。
「確か桜さんが吉田家に使った魔法少女避けの結界のことだろう?」
「そうだねぇ……見てよこれ、どう見ても前より磨り減ってる。結界が決壊……ふふ」
「冗談言ってる場合か」
「そうなんだよぉ! これが無いと色々困るからせめて応急処置したいんだけど今現在暗黒役所が機能してないんだよぉ……せめて杖があればいいのに千代田さんがマークしてるしぃ……」
虚空に独りごつ小倉に、楓はため息をこぼして手すりに寄り掛かる。
「駄目だな、いつもの癖が出た」
「お兄、大丈夫かな……」
「大丈夫だよ、なんだかんだ言って小倉は頭いいし優秀だからね」
そっと良子の頭に手を置き、割れ物を触れるように優しく撫でる。意識がこちらに戻ってきた小倉に頼まれて道具を取りに行った良子を置いて、残された楓と二人で会話を再開した。
「……この結界の紙、前はもっとあったよな。もしかして、シャミ子たちが魔法少女と会うたびに磨り減っていたのか?」
「そうなるかなぁ」
「……この結界、少なくとも桃と会う前からすり減っていたぞ」
「えっ、そうなの?」
ということはつまり、と続けて、楓は幾重にも折り重なっている結界の魔力を目にしてくらりと眩暈を起こしつつ言った。
「──桜さんが結界を貼ったあとに、桃より前にシャミ子たちに会おうとした奴が居る」
「……どうかなぁ、とにかく今は結界の応急処置が必至だからそっちに意識を向けないと」
「小倉さんっ、持ってきたよ」
天井裏の部屋から小倉の指示通りに道具を持ってきた良子からそれを受け取り、小倉は扉の結界に処置しようと対応する。
──だが、楓の目は、絶妙なバランスで保っていた魔力が
それは例えるなら、崩れる寸前のジェンガから1本を引き抜いたようなものだった。
「──小倉っ!」
「あっこれやば──」
「お兄っ、小倉さん!」
咄嗟に駆け寄った楓が小倉の腹に後ろから腕を回して下がろうとするが、それ以上の力で小倉が、そして楓が扉の結界に引き寄せられる。
近づこうとした良子を片手で制止して、その足元に自分の携帯を投げた。
「良ちゃん! すぐにシャミ子と桃を、呼んで、くれ────」
パッと光が溢れたその直後、顔を腕で覆った良子の視界からは、二人の姿が消えていた。
──再び目を覚ました楓が最初に視界に納めたのは、自分を見下ろす小倉の姿。
「…………よく寝てたねぇ」
「
自分を膝枕していたらしい小倉から離れると、楓は、神妙な面持ちでさらりと聞いた。
「──お前は誰だ? 小倉ではないな」
「あー、やっぱり気付くかぁ。割合的には8割くらい、2割は……目が発達しなかったのかな? 外のことはよく分からないからなぁ」
「……お前は、誰だ」
どこか雰囲気が違う小倉に、楓は数歩後ずさる。そんな楓に、小倉はあっけらかんと返す。
「今この場では君から信用を得ないことには始まらないから言ってしまうけど、私は君の言う『小倉しおん』ではないよぉ」
「……そうなのか」
「あの子は私の最後の一頁。そして私は、この世界に辛うじて逃げ込めた死に損ない」
何もかもを諦めたような、達観した表情で、口角と目尻を緩めて薄く笑うと彼女は続けた。
「──私は智慧と時間と書物を司るまぞく、気軽にグシオンちゃんって呼んでねぇ」
「……グシオン……?」
──ズキ、と楓の頭が痛む。
「つまり、ドッペルゲンガー?」
「全然違うよぉ。分身、かな」
「じゃあ小倉もまぞくなのか?」
「まあ、厳密にはそうなるのかな? 本人は知らないだろうけどね」
くつくつと笑う小倉──グシオンに、楓は警戒心を僅かに緩めつつも辺りを見回して聞く。
「俺と一緒にここに来ている筈の小倉が居ないのはどうしてだ?」
「ああ……訳あって白兵戦になったから、拘束して仕舞ってあるよぉ」
「………………そうか……」
頭痛とは別の意味で頭を押さえ、改めて楓はグシオンに質問を続ける。
「どうせあとでシャミ子たちが来るだろうから、今は俺の用件を優先させてもらうが」
「いいよぉ、といっても、君が知らないだけで、色んな時間のなかで私と君はこうした会話をしているんだけれどねぇ……」
手元に取り出した本をパラパラとめくって、それを閉じたグシオンは笑う。
「……つまり?」
「平行世界、パラレルワールド、マルチバース……メディアミックス……は違うかな。
要するに、ここもまた分岐した世界の一つなんだよぉ。こうしてグシオンと出会った楓くんがいれば、出会わなかった楓くんも、それ以前の何処かで死んでしまった楓くんもいるの」
「……俺は、俺が気づいていないだけで、同じ質問を既に何回もしているのか」
「その通り~」
本を虚空に消して、グシオンはピンポーン、といって両手で
「なら、俺が何を聞きたいかもわかっているんだろう? 教えてくれ、俺は『何』なんだ」
「──『何を忘れているのかすら忘れている』『魔力を視認できるようになった瞳』『喜怒哀楽からなにかが欠けている』そりゃあ怖いよねぇ、恐ろしいよねぇ。わかるよぉ」
「……俺は、人間では、ないのか」
グシオンは眼鏡の奥で目尻を緩め、哀れむように、同情するように、それでいてあっけらかんと、聞かれたことに淡々と返した。
「そりゃあだって、君は魔族の血を引いてるからねぇ。厳密には純人間では無いねぇ」
「────そうか」
「薄々分かってたんじゃない? そもそも君は、ずっと前から、『魔族と魔法少女用のアパートで暮らしている』んだもん」
──気にしなかった、否……気にしないように
「……なら、俺は、『何』のまぞくなんだ?」
「──目に関する魔族、としか言えないかなぁ。ヒントとしては、エジプトの、目がキーワードの神様の、その力を引き継いだ末裔」
さあ、なーんだ?
そう言って、グシオンは、笑っていた。