結界内の掃除を進めて暫く、ある程度片付いた辺りで、それとなくグシオンとアイコンタクトを交わした楓が桃に提案する。
「桃、ちょっと屋根の上を見てきてくれないか? さっきの階段の段差が一つだけ違うような、細かい間違いがあるかもしれない」
「ああ……瓦の枚数が一枚だけ違うとかありそうだからね。分かった、三人は下で待ってて」
何かあったら呼んでね、と付け足して、桃はその身体能力を発揮して屋根へと跳躍した。
「千代田さん、いいよね」
「わかります、ちよだいいですよねちよだ!」
「変なところで同調するんじゃないよ」
運動性能に感銘を受けるグシオンにテンションを上げるシャミ子。彼女はふと、小倉しおんだと思っているグシオンに言った。
「そろそろ千代田さんじゃなくて『桃』って呼んであげませんか? 私も小倉さんのことは『しおんちゃん』って呼びたいです」
「……そうだねぇ、是非
一瞬まぶたを大きく開けて、それからグシオンはシャミ子に笑みを返す。言葉選びの違いに気付かないシャミ子は、元気よく返事をしていた。
「さて、と……じゃあシャミ子ちゃん、最後の間違いを正しに行こうか」
「……へっ、あれ、知ってるんですか?」
「ちよ──桃ちゃんに知られたくなくてねぇ、引き離せるタイミングが欲しかったんだぁ」
おもむろに植木鉢の下から古い鍵を取り出して、チャラチャラと音を立てる。
シャミ子と楓を呼びながら、グシオンは二階のかつてミカンが使っていた部屋に入った。
「あ、ちょっと待てシャミ子」
「はい?」
「その誘導ビーコンは外させてもらう」
部屋に入ろうとしたシャミ子を呼び止めた楓は、胸元のリボンに貼り付いているオレンジの輪切りのようなアクセサリーを剥がす。
そして、それを二階の手すりに貼り付け直してから、改めて部屋へと入った。
「どうして外したんですか? というかここは……特に変わりありませんよね」
「外したことに関してはすぐわかるよ」
「おかしいのは厳密にはここじゃなくて、ここから見える景色なんだよぉ」
「────これ、は」
窓のカーテンを開けたグシオンが、二人に外の景色を見せる。そこには、何もない。町並みすらない、文字通り何もない平原が続いている。
「これが最後の間違い、『千代田桃が世界を救うのを失敗した風景』。あの子が見ちゃうと不味いから、早く消しちゃおう」
「そんな……これは……貴女は、いったい」
「私は智慧と時間と書物を司るまぞく、気軽にグシオンちゃんって呼んでねぇ……ってさっきも言ったんだよねぇ。天丼は駄目だと思う」
「えっ……ええええええ!?」
にこりと、お手本のような笑みを浮かべて、グシオンはそう言った。
「あ、あの……この景色はいったい」
「さっきも言ったけど……これは桃ちゃんが世界を救うのを失敗した場合こうなるよ、っていう可能性の一つ」
「……グシオン、どうして桃にこれを見せてはいけないんだ?」
「桃ちゃんがこれを見ちゃうと色々と凹むからねぇ。そうなると、巡り巡って小倉しおんの生存率が低下しちゃうんだよねぇ」
楓の問いにそう返したグシオンの言葉を聞いて、シャミ子が慌てて奮起する。
「それは良くない、消しましょう!」
「うんうん、ぺしっとやっちゃって~」
「軽い……」
シャミ子の杖を変形させたフォークで窓を突くと、外の景色が一瞬で元に戻る。
全てが解決したと思った刹那、シャミ子が不意に胸を押さえた。
「あれっ……なんだか、胸が……」
「ああ……シャミ子ちゃんの中の桜ちゃんだねぇ。ちょっとお話するねぇ」
胸の痛みを訴えるシャミ子の胸元に顔を近づけ、グシオンは旧友に語り掛けるようにフレンドリーな口調で会話を始めた。
「……うん、久しぶり。ごめんねぇ、暗黒役所は守れなかった……私も一ページだけ逃がせたけど、記憶までは引き継げなかったよぉ」
端から見れば自分の胸と会話している光景に、シャミ子が訴え掛けるように楓を見た。
「…………えーっ、そうした方がいい? 駄目じゃない? こう、歳の差的に。いや、まあ……その方が覚醒の為になるけどさぁ~」
何か悩む様子を見せるグシオンに首をかしげる二人だったが、楓たちは、グシオンの足元が透けていることに気が付いた。
「グシオンさん? なんか透けてますよ!?」
「……あー、よくあるよくある。それはそうと……ちょっといいかな楓くぅん」
「なんだ」
「先に謝っておくよ、ごめんねぇ」
「は────……!?」
気まずそうに上目遣いで見上げるグシオンの言葉に疑問符を浮かべた楓だったが、そんな彼女に胸ぐらを掴まれて引き寄せられ、視界にグシオンの顔が目一杯に映る。唇には柔い感触があり、口内にぬるりとヌメる物体が侵入してきた。
「んむ、ぅお……っ!?」
「あわわわわわわわ……!!?」
「──んっ、っ、はぁ」
顔を赤くして手で隠しながらも、シャミ子は指の隙間からちらちらと覗き込んでいる。
「……なん、のっ、つもりだ!?」
「いい刺激になったでしょぉ?」
「刺激にはなったが……」
足元から腰まで透けていっているグシオンは、悪びれた様子もなく、にこりと笑って楓を見ながらこんなことを問い掛ける。
「ねえ、楓くん。君は、『正義』って、何をもって正義なんだと思う?」
「──躊躇わないこと。例えば、誰かを犠牲にしないといけなくなったとき、自分を真っ先に犠牲にする事を正義と呼ぶんじゃないか」
あっけらかんとそう答える楓に、グシオンは
そして、頬に手を伸ばして慈しむようにそっと撫でると、消滅が早まり上半身を残して消えた体を気にするでもなくポツリと呟く。
「きみはやっぱり、お父さんに似てるねぇ」
「──グシオン、お前……もしかして」
「…………あとは、次世代に任せるよぉ」
答えはしなかったが、それが答えなのだということだけは理解できた。
完全に姿を消して、消滅したグシオンが居た辺りに手を伸ばして、楓は言う。
「……グシオン、お前……俺の父親のことが、好きだったんだな」
「あの、楓くん……大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。なんか体の中で俺のモノじゃない魔力が動き回ってるけど」
「それは大丈夫とは言わないのでは!?」
『なあグシオンちゃん、例えば俺が、未来のために死んでくれって言ったらどうする』
『……受けるよぉ、だって■■さんがそんなことを言うのって、真剣なときだけだし』
『──すまない』
『……いいよぉ、だって、貴方が頼ってくれるだけで嬉しいからねぇ』
『じゃあ、そのうち改めて追って知らせるよ』
『うん。じゃあねぇ』
小倉編は次回でラスト