グシオンが消えた直後、扉を蹴破って簀巻きにされた小倉を抱えた桃が部屋に入ってきた。
「シャミ子! 楓! 本物の小倉は眼鏡を置いてきてるからそいつは偽物──」
振り返った二人が桃たちを見るが、そこにはもうグシオンの姿は無かった。
「……あれ、偽小倉は?」
「あー……き、消えました?」
「そう……ちなみにこっちの小倉は本物なの? 証明できる?」
簀巻きの状態から楓に紐をほどかれ解放された小倉が、桃の問いに気を落として答える。
「哲学的な質問だねぇ……私ってなんなんだろう、本物とは、偽物とは……私より強かったあの小倉がもしかして本物なのかもねぇ……」
「この面倒くささは本物だね」
「酷い判定方法だな……」
腹にある違和感から、どこかげんなりした様子の楓がそういうと、眼鏡が無く視力が壊滅的な小倉が、楓の肩を支えにしながら言った。
「というか、早く脱出しないとこの世界爆発しちゃうんだよねぇ」
「……なんだって?」
「結界の清掃が終わると爆発します」
「……なんで?」
淡々と告げられて、部屋から出た楓が剥がしたミカンのビーコンを回収してシャミ子に返しながら、反射的に聞き返す。
「何故か偽の私が手伝ったみたいだけど、データの削除が終わったんだよねぇ? そうすると、この世界の支えが無くなっちゃうんだよぉ」
「なんで先に言わないのかな!?」
「だって言ったら来ないと思って……」
「楓も巻き込まれたんだから行くわ!」
「あ、そっかぁ……」
桃の声にきょとんとして、それから楓を見ると手を叩いた。小倉のぼやけた視界では見えないが、彼はとても複雑そうな顔をしている。
それからどうやって逃げるかを話し合っていると、遠くから魔力の矢と、それに繋がれたリリスの邪神像が結界内の地面に突き刺さった。
「ごせんぞ!?」
「話は聞かせてもらった! シャミ子よ、今の余ならレシーバーになれる、使うがよい」
「ごせんぞ……すみません、便利な小道具として扱ってしまって……!」
「いいのだ、もう慣れた」
シャミ子が邪神像を使ってミカンと連絡を取ると、矢に繋げたロープを伝って戻ってくるようにと提案される。しかしその先を見上げると、明らかに小倉の計算から遠くかけ離れた位置に穴が空いていた。楓は自分の中のグシオンの微量の魔力と、シャミ子の携帯に入り込んでいる何かが、小倉の計算を狂わせていると察した。
「よし……三人とも今から覚醒して走り幅跳び500メートルの選手になって!」
「無茶を言うな」
「じゃあ……ミカン! ウガルル! そっちから引っ張れない!?」
『魔力すっからかんで無理!』
『腹減っタ。栄養足りなイ!』
わなわなと体を震わせて、桃は絞り出すように怨嗟のように呟く。
「どぉぉぉしてこういう時のためにみんな筋トレをやっておかないのかなぁ……!?」
「あと45秒~」
「カウントすなっ!!」
崩壊が始まり、謎の破片の崩落も始まるなかで、苦渋の決断をするように桃は続けた。
「仕方ない……私が全員担いでロープを伝って逃げる! シャミ子と小倉は脇に担ぐから、楓は背中にしがみついて!」
「あと30秒~」
「どうするんだ? この距離を逃げるには時間が足りないぞ、小倉はカウントをやめろ」
楓が律儀にカウントを続ける小倉の頬を指で引っ張ると、その横で、シャミ子を前にして、桃はフォームを切り換えるべく叫んだ。
「変身っ……ハートフルチャージ──セカンドハーヴェストフォーム!!」
「……あれかあ」
「……それですか」
「どれぇ? 見えないからわかんない……」
すん、と表情が死んだ二人と状況を理解していない小倉を余所に、三人を抱えた桃は改造学ランのような格好で、ローラースケートを利用してロープを伝い──文字通り滑るように駆け抜けた。
崩壊して行く世界の一部に空いたひび割れた穴に飛び込み──見慣れた風景と嗅ぎ慣れた空気の、いつもの敷地内に着地する。
「みんなっ──無事でよか……ぁっ、無事で、よかっ……たわ、うん」
「うん。このフォームクソダサイけどクソ速いから。お陰さまでクソ滑ったよ」
「なにその言い方……」
「眼鏡ください……眼鏡……」
「……俺たちは帰ってこれたんだよな?」
「そのはずですが……」
混沌とした空気のなかで、小倉は眼鏡を返されて、ようやく視認できた桃のセカンドハーヴェストフォームの機能美に興奮する。
巻き込まれないように離れた楓に、おもむろにミカンが近付いてきた。
「──楓くん」
「ミカン。ごめん、心配させたね」
シャミ子から返されたのだろうビーコンを片手に、ミカンは複雑そうに口を開く。
「……貴方はいったい誰? どうしてビーコンを外したの? 偽の小倉さんが、何か関係しているの? お願い、私に嘘をつかないで……」
自分の恋人を疑う行為に罪悪感を覚えるミカンは、どうせならと一息に質問をした。
嫌われたらどうしようという心理が、ミカンの顔に怯えた子犬のような表情をさせる。
「──色々だよ。俺自身、出来ることなら謎を明らかにしたかった。でも、余計に謎が増えて……ごめん、俺も頭を整理したいんだ」
「楓くん……」
「きっと必ず、俺の謎が、このまちの謎が解き明かされる時が来る。その時は、一緒に
疲れきったような、憔悴した人の作るいびつな笑み。そんな顔を見てしまったミカンに、これ以上の追求は出来なくて──。
「──ええ、わかったわ」
小倉と楓の救出には成功したのに、みんなの中に新たな謎が出来た。グシオンと小倉、本物と偽物、楓と──その父親。
──俺は魔族の子供だったんだ。さらりとそう言えたなら、どれだけよかったか。楓は、悲痛な表情のミカンを見ることしか出来なかった。