教室の一角、グシオンに注入された魔力が落ち着いてきた頃、シャミ子と杏里の会話を遠巻きに眺めていた楓はあることに気付いた。
「……やっぱり、視力が上がってる」
伊達眼鏡越しの光景があまりにも鮮明に映りすぎている。壁の張り紙の小さな文字すら読める事実に、ただただ深くため息をこぼす。
そんな楓を見てか、シャミ子と共に近付いてきた杏里が話しかけてくる。
「かーえーでっ、どした?」
「……いや、なんでもない。それよりシャミ子と何を話していたんだ」
「あー……いや、ほら、こないだ誕生日に渡した焼肉のチケット、あれ無料券じゃなくて割引券だったんだよねぇ。失敗しちゃった」
「そうか。それは大変だったな」
ほんとにねー、とぼやく杏里の後ろから顔を覗かせるシャミ子が、ふと楓に問う。
「あの、楓くん、実はですね……」
そう切り出して、シャミ子は楓に言う。なんでもお詫びも兼ねて、いつぞやの体育祭のメンバーと打ち上げに行かないかと誘われたらしい。
それに楓を混ぜてもいいかと聞いたところ許可が降りたため、彼女は楓本人にもその事を伝えたのだ。最後まで聞き終えて、楓は返す。
「俺以外が全員女子のスイーツバイキングか。それは……気まずくないか?」
「まあ大丈夫じゃない? 楓は女子力高いし、7割くらい女子みたいなもんでしょ」
「俺は生物学的にも10割男だが」
そんな会話を挟みつつ、楓は数拍置いてシャミ子に対して頷く。
「……わかった。向こうから許可が出てるなら、誘いに乗らない方が失礼だろうし」
その言葉にホッとした様子のシャミ子の顔を見て、楓は頬を緩める。体育祭の委員会メンバーの打ち上げ日時を聞いてから、店の情報を集めるべく検索するのだった。
──おおよそ男性とは無縁に近いスイーツ店にやってきた楓は、席を決めている面子ことC組の委員会メンバーを見つつ小声で口を開く。
「帰っていいか」
「駄目だぞぉ」
端に座る桃と対面に座る
「あの、楓くん。みんなも歓迎してるから、気にしないでほしい、かな」
「……ありがとう。えっと、鶴牧ちゃん」
「『つる』でいいですよ」
「わかった、つるちゃん」
僅かな隔たりが無くなったような距離感を覚え、早速とスイーツを取りに席を立つ楓は、着いてきたつるに質問を飛ばす。
「……落合ちゃんたちの言う『推し』というのはどういう意味なんだ?」
「あ~~~……簡単に言うとファンって意味ですよ。にゃがとみなみはシャミ子ちゃん推しだし、おっちは千代田さん推しだし」
「わからん文化だな……つるちゃんは?」
「私ですか? 私は……そのぉ」
カチカチとトングを鳴らして気まずそうに、チラチラとミカンと楓を交互に見てから言う。
「私はですねぇ……楓くんとミカンさん、ですかねぇ……特にお二人が一緒にいるところを観察するのが『いい』んですよ……」
「ごめん早口過ぎて聞き取れなかった」
シュバババ、とケーキのコーナーから幾つかを取りながら答えたつるに、楓は困惑で返す。
柑橘系のスイーツを優先して取る楓がトングを戻し、席につくと再度問い掛けようとする。だが、横で盛り上がっている話題が耳に入り、それとなく聞きつつミカンに顔を向けた。
「なあミカン、まぞくを封印すると得点になるんだよな? あとレモン汁を掛けるな」
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
「前に俺が店長と纏めて封印されたときはどれくらいの得点だったのか気になってな」
手元を見ずに伸ばされた手を軽く叩かれたミカンは、それから少し考えると思い出す。
「
「……ふうん」
結局レモン汁を掛けられたオレンジケーキを口に入れながら、楓は思案する。
とどのつまり、その2ポイントとは店長+自分で1つずつなのか、自分はあくまで巻き込まれただけで、店長の得点が2ポイントなのか。
──魔族と言うにはその要素がほとんどない。つまり、秋野楓という人間は、光の一族から魔族とカウントされていない可能性があるのだ。
「……俺は、人間でいいんだな」
「なにか言った?」
「いいや。あとレモン汁を掛けるな」
隣の話題が移り、ミカンの手をぺしっと叩きながら聞き耳を立てつつ今度は杏里に問う。
「そういえば、桃が世界を救ったという話題は杏里から聞いたに過ぎないが……そもそも杏里は誰からその噂を聞いたんだ」
「うーん、私も又聞きしたってだけだからなあ……出自は分かんないや」
「すみません、私も噂の出所は……」
杏里に続いてつるも申し訳なさそうに頭を下げる。いやと返して、楓はかぶりを振った。
「気にしなくていいよ。それにしても……魔のものファンクラブってなんなんだ」
「シャミ子ちゃんや千代田さんたちを
実は何人かが楓くんとミカンさんのカップ……絡みを栄養にしている方も居まして」
「そっちの方がまぞくっぽくないかな」
身ぶり手振りで解説するつるに苦笑をこぼす楓。同じく困惑しつつ話に着いていけてないミカンが、聞かないことにしようと自分のケーキに淡々とレモン汁を掛けていた。
自慢気にファンクラブのグループ通話を見せてくるつるに、楓はふと先程の会話を思い出す。
「さっき早口で言ってたのも『それ』関連?」
「へっ? あ、はい、確かに楓くんたちの居る部屋の観葉植物になりたいとは言いましたが」
「いえ恐らく初耳ですが。つるちゃん、君はなにか変な方向に拗らせてないかい?」
聞き取れる筈なのに日本語として認識したがらない耳に渇を入れ、楓はフォークで小さく分けたケーキを口に放り込む。
観葉植物か……と呟き、同居人の顔を想起して、ああと言って続ける。
「うん、観葉植物は駄目だな、娘がいたずらでバラバラにするかもしれない」
「……??? む、むすめ……?」
「ほら、夜中に作業したときのあの子」
「──あー、なるほど……なる、ほど?」
──むすめ……むすめ……と呟くだけの状態になったつるを余所に、楓は時計をちらりと見て、それからシャミ子と妙に距離の近いにゃがの肩をがしりと掴む。
「──うちのシャミ子への過度な接触はご遠慮くださいね……?」
「ひいっ、セコム!?」
「同級生です」
びくりと掴まれた肩を震わせる彼女がこくこくと頷くのを見て、楓は手を離す。
その後はファン数で勝利を納めたと乗り気になったシャミ子の挑発で闇堕ちした桃をどうにか元に戻すべく奮闘し、気付けばバイキングも制限時間となっていた。
──またいつか、と解散したのち、バイキングとは別に買っておいたケーキを食べるウガルルを横目に、楓がミカンの顔を真っ直ぐ見る。
深呼吸を挟み、決心して、おもむろに口を開くと楓は自分の秘密を話した。
「……ミカン、俺は……魔族と人間のハーフらしい。結界の中で、その事を知ったんだ」
「そう──だから、さっきあんなことを聞いたのね。それはシャミ子たちには言ったの?」
「いや、だけど近いうちに話すつもりだ」
……そっか。そういって、ミカンは楓の後頭部に手を回して胸元に顔を引き寄せる。
もう片方の手を背中に回すと、そのままゆっくりとさすりながら優しく言う。
「ありがとう、凄く……すごく勇気が必要なことを話してくれて、嬉しいわ」
「……ミカン」
「私もね……最近ずっと、桃の不穏な気配を感じていたのに、必要以上に突っ掛かって面倒くさいと思われたくなかった。
世界を救ったのも初耳だし、私……あの子のことで知らないことばかりだったの」
楓の頭に顔をうずめてまるで懺悔のように、ミカンはぽつぽつと語る。ミカンの胸元から聞こえる心音が、香る柑橘の匂いが、楓に冷静さを与え──頭を上げた動きに釣られて顔を合わせたミカンは言葉を返された。
「桃に聞きに行こう。昔、あの子に、この町に何が起きたのかを。それを知ることが、きっと俺の過去を明らかにすることにも繋がる筈だ」
「──ええ、そうね」
「んがっ、オレも行くゾ!」
後ろから楓の背中に抱きついてくるウガルルに、二人は頬を緩めて笑みを作る。
──桃の過去から自分の過去を知りたい楓と、昔からの友人の悩みを解決したいミカン。
そして偶然にも、上の部屋ではシャミ子もまた同じ考えに至る。
ばんだ荘の住人たちは、長い、長い夜に身を投じることとなる。果たして──失われた記憶を知ることが幸となるのかは、また別の話。