まだ15歳のこの少女は、無償の善意に耐える事が出来るのでしょうか?それではご覧下さい。
『楓、あのさ──』
それは一ヶ月前、眠れなくて夜空を見ようと楓が外に出たときの言葉。
雲ひとつ無い、月明かりが照らす下で──桃はすがるように言った。
『──私のそばに、居てほしい』
その言葉を告白と受け取るには、桃の感情はあまりにも独占的であった。
──しかし楓もまた、確かに今助けを求めている桃を放っておくことなど出来ない。
真夜中の丑三つ時、楓は返事の代わりとばかりに──桃の体を静かに抱き寄せた。
──ばんだ荘の敷地を箒で払って掃除している楓は、一区切りして箒を仕舞うと左の手首を右手で揉んでいた。それを見かけたミカンが、心配した様子で近づいてくる。
「楓くん、どうかしたの?」
「ああいや、手首がちょっとね」
「えっ? ……うわっ、なにこれ手形……!?」
楓の手首には細い指が絡み付いたような跡が出来ている。かなり強く握ったのか、くっきりとわかりやすく浮き出ていた。
「桃が俺の部屋を使うようになってから、ずっと俺の手首を握ったまま寝るようになってさ。夜中に起きても動けないんだよね」
「えぇ……」
呆れた顔をして顔を片手で覆うミカンに、楓も小さくため息を漏らして快晴を仰ぐ。
「正直、楓くんが桃と付き合うことになったって報告してきたのは夢かなにかだと思ったわ。
あのダウナー系でガサツで面倒くさがりの桃が、よりによって楓くんとだなんて……って」
「言い過ぎでは」
「楓くんはいいの? 桃って生活力低いのに」
楓は知ってます……と諦めたような顔で言う。朝からフルマラソンをするのに早起きなのは構わないのだが、桃は料理が出来ないし、なんなら洗濯も出来ない。
出来合いの料理ばかり食べているのに何故あの体型を維持できているのか。
「まあ、アレでも可愛いところはあるんだよ。寝顔とか、猫好きなところとか」
「ピンポイントね……」
そうして話していると、二人の後ろの出入口から一人が入ってくる。
振り返るとそこにいたのは──灰色のパーカーにジーンズとラフな格好をした桃だった。
「……二人で何話してるの」
「えっ? いやぁ、単なる……世間話?」
「ふーん」
じとっとした目付きでミカンを見た桃は、ふて腐れた顔を隠そうともせず楓の腕を引いて部屋に入って行く。ミカンはそれを見て苦笑をこぼした。
「別に取ったりしないのに」
千代田桜が居なくなってから何に対してもドライになりつつあった桃が、特定の何かに執着しているのを見るのは初めてだった。
「──そりゃ、好きな人が他の女と話してたら面白くないわよね~」
そう呟いて、ミカンは一人で部屋に戻った。前よりも少女らしい顔をするようになった友人の顔を思い出して、口角を緩めながら。
──炊飯器に研いだ米を入れて数分、炊き上がるまでの時間を二人で過ごす楓と桃は、畳んだ布団に背中を預けてゆったりと座っていた。
「……ねえ」
「ん~?」
「これ、何が楽しいの?」
伸ばした足の間に収まる桃の腹に手を置いて、楓は静かにまさぐるように動かす。
楓の手が左の脇腹に近付くと、桃の体がビクリと震えて反応する。
「っ、なんで、古傷を触りたがるのかな。シャミ子じゃないんだからさ……」
「これが意外と癖になる」
「楓は変態さんなのかな?」
違いますー。と言って否定しつつも、楓の指はするりと服の下に入り込む。
指の先が古傷に触れて、若干ざらついた感触が伝わってくる。小さく吐息を漏らして身じろぎする桃はくすぐったそうにしているが、やめさせようとはしない。
「古傷を触るくらいじゃあ別に変態でもないと思うんだけどね」
「この前寝ぼけながら腕の古傷に延々とキスしてきたのは違うの?」
「…………はい」
「はいじゃなくてさ」
楓が触るのをやめた隙に、桃は楓と向き合うように座る姿勢を反転する。
自分のものではないTシャツからは玉のような肌が見える。しかし、色白の肌とは裏腹に──歪な古傷が所々に残っていた。
「──このまま寝ていい?」
「このあと晩御飯なんですが」
「炊けたら起こして」
胸元に顔を埋めてまぶたを閉じる桃。
体を左右に揺らして邪魔をするも、桃はやがて穏やかに寝息を立て始める。
「……まったく」
安心しきった幼子のような顔で寝られては、さしもの楓も口を出せなかった。
──それから暫くして、炊飯器が炊き上がる合図の音を出す。軽く仮眠したからか、再度体を揺らしたときの桃はすんなりと起きた。
「今日のご飯なに?」
「サバの味噌煮」
「おー」
「米はどれくらい食べる?」
「普通くらい」
淡々と準備を終わらせて向かい合って座る二人は、テレビのニュース番組を聞き流しながら食事を進める。楓は手首の跡を見て、間を置いてから切り出した。
「桃」
「ん」
「──どうして俺の手首を握りながら寝るんだ? お陰で夜中に起きても動けないんだが」
「……さあ?」
「『さあ』じゃなくてさ」
桃はとぼけた様子で味噌煮を口に放り込む。答えるつもりが無いのか、楓と目を合わせず食べ終えるまで無言を貫いていた。
「じゃあ、お風呂入るから」
「……わかった」
食器を流しに置いて、桃はそのまま着替えを取り出して浴室に向かう。扉に手を伸ばした桃は、ふと振り返っていたずらっぽく楓に言った。
「一緒に入る?」
「今日はいい」
「……ふーん」
一瞬まぶたを細めるが、桃はさっさと浴室に入って行く。見送った楓が食べ終えた自分の皿を流しに置くと、今まで黙りを決め込んでいたメタトロンが膝に乗り込んで鳴き声を出す。
「時は来た」
「来てるかなぁ」
「時、来てるぞ」
「……そうか」
数分程顎を撫でられゴロゴロと鳴くメタトロンの重さを感じながら、楓は決意する。
「──もう少し、踏み込んでみるか」
「なにに?」
「うぉっ!?」
座ったまま跳ねるように驚く楓が振り返ると、肩にタオルを乗せて髪に水気を滴らせる桃が立っていた。硬直していた楓は、呆れたようにため息をついてタンスからバスタオルを取り出す。
「出るの早……じゃなくて、ちゃんと髪の毛乾かしなよ……」
「…………拭いて」
「──しかたないなぁ」
気を遣ったのか、膝から離れたメタトロンに代わって楓の目の前に背中を向けて桃が座る。
肌から湯気が立ち上る桃の髪にバスタオルを被せて慎重に拭うと、猫背気味にうつ向いた桃が小さい声で楓に言った。
「今日は、普通に寝るから」
「……ん?」
「手、握らないで寝る」
「……そうか」
消え入りそうな声は、楓に桃を心配させる。幼子のような──という比喩は、あながち間違いではないのかもしれない。
──夜中の肌寒さが、楓の眠気を覚ました。
夜に言っていた通りに、桃は楓を背中から包むようにせず、手首を掴むことなく楓の横で体を丸めて眠っている。
尿意の解消の為にトイレに向かう楓は、桃を起こさないようにそっと布団から出る。
二分か三分か、手を洗ってから戻ってきた楓は自分の布団の上に座り込む人影を見た。
間違いなくその人影は桃なのだが、明らかに雰囲気が違っていた。
そしてなにより──。
「……なんで闇堕ちしてるの」
「──楓」
桃はいつぞやの黒い衣装に身を包み、暗い表情で楓を見上げていた。
「体に異常は?」
「……特に無い」
「シャミ子……は夜中だし迷惑か、小倉ならまだ起きてるかな?」
「小倉だけはやめて。私がこうなったの、弁当の件よりしょうもないから」
楓は側に座って頬に手を伸ばす。
猫のようにその手に頬擦りする桃は、自分の手を重ねて温もりを確かめる。
「……俺を離さないで眠っていたことと、なにか関係があるんだよね?」
「──うん」
少なからず魔力を消費するからか、桃の額に汗が滲む。
「……私は、ずっと誰かに甘えたかった。姉とのほんの数年の関わりで、人に触れて眠ることの温もりが忘れられなかったんだよ」
ぽつぽつと話始め、視線が下を向く。
「シャミ子と出会って、楓とも知り合って、どんどんこの感情が大きくなっていって──抑えられなくなってたのかも。
だから、私の側に居てくれるなら誰でもよかった。あの場に楓が居たから、楓を選んだだけ。きっとミカンでもシャミ子でも、同じ事を言ったと思う」
「誰でもよかったんだ」
「……うん。初めは、そうだった」
「──初めは?」
顔を上げた桃は、楓の肩を押して布団に倒す。そのまま肩を掴んで押し留める桃に抵抗しようとするが、闇堕ちして力加減が効かない状態での抵抗は無意味だと悟った。
「気付いたら、純粋に君を好きになってた。離れたくなかった。
──離したくなかった」
楓の頬に水滴が落ちる。
それは、桃の涙だった。
「……不器用な子だな、桃は」
「──えっ?」
力が緩んだ一瞬の内に、楓は桃を抱き締めながら横向きに寝転がった。ミニスカートの足の間に膝が割り込み、胸元に桃の顔が埋まる。
「手を離したからって、俺は君から離れたりなんかしないよ」
背中に手が回り、ぐっと桃を自分の方に寄せる。桃の頭の上から楓の声が届き、部屋に静かに木霊した。
「──俺のそばに、居てほしい」
「──うん。うん……っ」
桃の手が楓の背中に回る。自分から更に楓に近寄り、足を絡めて顔を埋める。
闇堕ちしてぐちゃぐちゃになっていた感情が整理され、心がすっと軽くなる。
──桃が一方的に楓を押さえつける必要なんて無かった。ただ、二人を繋ぎ止める熱さえあればそれでよかったのだ。
後ろから拘束するのではなく、向き合って、抱き合って、互いの熱を確かめ合う。
──それだけでよかったのだ。
「…………あたたかいね」
──眠気まなこで、舌っ足らずの声色で、少女は染み入るようにそう言う。肌寒い秋の夜、こうして桃色は暖かさを知った。
なんだってテメェはそう更新頻度に対して根性がねぇんだ!(ヒゲクマ)
オラッ!毎秒投稿しろ豚野郎!(自虐)