──上半身の無い死体と、体の半分が円形に抉れた背中に翼の生えている死体が、瓦礫と化した一軒家に埋もれている。
くい、と手を捻り、元から何もなかったかのように土地から残骸を消し去りながら、少女──那由多誰何は片手に子供を抱えていた。
『……この子は幼馴染ちゃんの家に預けて、記憶を弄ってからあのボロいアパートに住ませるようにでも誘導しておけばいいかな。確か光闇割引があったし、この子にも適用されるよね』
黒い衣服の内側に幾つもの傷を残しながら、白髪を揺らして顔をしかめる。
『……いたた……羽が刺さるのはまだわかるけど、なんで爆発するのかな……』
子供を抱えるのとは反対の手で首筋をさすり、誰何は恨み節を独りごちる。
『まったく、家を崩す勢いで攻撃してくるんだから。なんでぼくが親の攻撃からこの子を庇わないといけないのさ』
呆れたように表情を崩しながらも、その目には憐憫の情が浮かんでいた。
『桃ちゃんと同じくらいだよね、かわいそうに。せめて最期まで、記憶が甦らないことだけを祈っているよ──秋野楓くん』
──それはそれとして、と頭を切り替えて、誰何は水筒を取り出し口角を緩める。
『ホルスの末裔、凄まじい魔力だ。これならぼくの計画に必要な力を少し賄える』
何もかもがなくなりポッカリと穴が空いたかのように空白となった土地に、ごろりと無機質な死体が二つ。誰何の足がそちらに向かい──
『じゃあ、いただきますっ』
誰に聞かれるでもなく、独りごちた。
──バツンとブレーカーが落ちたような勢いで真っ暗になった視界が元に戻る。
那由多誰何の発言から一拍、気づけば三人は、いつぞやの桜の木の下に居た。
「! 場所が変わった」
「……公園まで逃げてきた。対応を間違えた、話し合えると思った私が馬鹿だったよ」
「────」
「……楓くん! しっかりしてください!」
「────」
二人の隣で項垂れる楓からの返答は無い。シャミ子に肩を揺さぶられても、何も言わない。──楓がまぞくとのハーフであることを、シャミ子と桃はまだ知らないのだ。
「──町の人が悲しまないように記憶を消してるんだけど、桃ちゃんは対象外だったみたい」
「っ! 桃、腕が!」
ハッとして意識を向けたシャミ子は、桃の左腕が無いことに気づく。
血を滴らせながら、顔色を悪くしながらも桃は木の幹を盾にしながら呟く。
「これは自分でやった。あいつに脳みそ干渉されないように……腹の傷は、これから」
「まだ怪我するんですか!? せ、せめて回復のつえで治しましょう!」
「これ回想シーンだから話がおかしくなるからやめて! それより楓の傍に居てあげて、たぶん昔の楓、この時の誰何になにかされたのかも」
項垂れて無反応の楓に顔を向ける桃は誰何の発言と楓の反応から、もしかしたらと内心で推理しながらシャミ子に指示を出す。
「桃ちゃん、さっきのじゃ記憶消しきれないよ。その腕じゃ痛いでしょ? 痛くなくしてあげるから、こっちにおいで。
ついでにぼくも、さっき強めの魔族とやりあったから全身が痛かったりするんだよ」
「なにやってるんですかこの人……」
「知らない。こいつと戦える強いまぞくなんてこの町に居なかった気がするけど」
桃たちからは見えていないが、所々に傷を残している誰何は更に言葉を紡ぐ。
「ぼくは桜ちゃんみたいに牧場を作る根気は無いんだ。時々桃ちゃんみたいな目で見てくる人が居るけど、誤解されたくないから説明するね
──ぼくの願いはこの世全ての『かわいそう』を根絶すること! そのために、見掛けた
「っ……何もかも間違ってる、お姉ちゃんはそんな事のために町を作ったんじゃない!」
誰何のあまりにも身勝手で、それでいて独善的な発言に桃が言い返すも、彼女はきょとんとした声色でさらりと返した。
「間違ってるのは世界の方だよ?」
「……世界?」
「シャミ子、この辺は聞き流していいよ。この人全体的に変だから」
「富む人がいれば貧する人がいる。食べる人がいれば食べられる人が。素敵な出会いがあれば悲しい別れが。始まりがあれば終わりが。
ぐるぐるぐるぐる、ずっと同じことの繰り返し。一ヶ所の不幸を止めるだけじゃダメ」
だから──と一拍置いて語り掛ける誰何の言葉を、桃は耳を塞いで拒絶する。
「この世に感情が無かった頃まで世界を巻き戻したい。具体的には原始海洋って知ってるかな? あそこまで──「あ──聞きたくない聞きたくない聞きたくない!!」
「桃っ!」
かぶりを振って駄々をこねる桃に、誰何がさも仕方がないとでも言いたげに語り掛ける。
「確かに短い期間で見れば、ぼくは悲しみを量産している。昨日行ったお店の人も泣いてたし……だから、何度目かのご褒美で『忘れさせる』力を手に入れた。ほら、忘れてしまえば一旦は『かわいそう』じゃないでしょ?
……他にも色々出来る。誰も苦しめず悲しませず、静かに終わらせるのが拘りですっ」
見えていないにも関わらず、にこりと笑みを作りながら誰何は語る。
「だから、桃ちゃんが苦しんでるのは申し訳ないと思うし、かわいそうで愛おしいと思う」
「……は?」
その言葉に、遂にはシャミ子が反応した。楓の頭を胸元に抱き寄せ、庇うように背中に腕を回して力を入れながら怒声を上げた。
「きさま、さっきからず──っとおかしいぞ! もし桃だけじゃなく、本当に楓くんに何かしていたのなら……こうして苦しんでるのを見ても尚、自分の行動が正しいと言えるんですか!?」
「シャミ子! これ回想だから干渉できない!」
「ぬが──もどかしい!!」
ぎゅう、と楓を抱きしめ、安心させるように背中をさするシャミ子。
その横で壺からカードを一枚取り出す桃と同時に、語りながら誰何もカードを翳す。
「まあ、わかってくれないか。でもぼくは呑んできた魔族のことは一人も忘れたことはない。……ウリエルから木の下に何が埋まってるかも全部聞いてるよ、ねえ──『桜ちゃんが育てたもの、ぼくにちょうだい?』」
「『こいつに抵抗する力をください』」
パキンとカードが砕け、見えない魔力がせめぎ合う。そしてお互いの願いが相殺され、誰何は呆れた声色と共に槍を向ける。
「抵抗しちゃうか~、まあそうだよね! わかるわかる! でも無駄に貯蓄を使われちゃうのは困るなぁ、今の完全に無駄……無駄じゃない?
死なせた魔族に申し訳ないよ、ぼくは桃ちゃんと話し合いたい……なっ!」
ドンッ!! という衝撃。
木の幹を抉りながら迫った攻撃が桃に直撃し、ようやく意識が外に向いた楓の目に、下半身が消し飛んだ少女の姿が映り込む。
「──桃!」
「桃っ!!」
「ぼくこういうやり方嫌いだから、早めに折れて、それ持ってきてね」
「っ……嫌だ……!」
変身が解除されて私服に戻った桃の下に焦燥した様子の楓と慌てたシャミ子が駆け寄る。
完全に自分のペースにあると思っている誰何の呑気な声が、楓の額に青筋を浮かべさせた。
「桜ちゃん、どれくらい溜め込んでるの? どうしようかな~っ」
「誰何…………!」
「……この状況で町を守るには、方法は一つしかなかった。
血まみれの手を散らばるカードに重ねて、幼い桃は目尻に涙を貯めて続けた。
「わかったのはシャミ子に会ってからだった。このカードはヨシュアさんを封印した時のポイントで──それに今わかった、こいつはきっと、楓の家族まで……ごめんね……二人とも」
「──そんなことはどうでもいい。町を守るためだったんだろう? それなら躊躇うな!」
「ごちゃごちゃ悩んでないでさっさと使え──い! おとーさんも私も! 封印がどうのこうのとか小さいことで怒りません!」
自分に勝るとも劣らない過去を知りながらも、そんな二人がカードの行使を躊躇わない。桃はそっか、と呟いて涙を落とす。
「そっか。私の悩み、ちっさいか。はは…………メタ子、アイツを
「────えっ……あ……ああ、あああああああああああああああ!!!」
壺の中身全てを使って、桃は誰何に願いを向ける。ざらざらと体が崩れ、地面の染みのようになった誰何の残骸から、黒い結晶が現れた。
「……ひどい、ひどくない?
……どうして殺さないのかな」
「姉はそうしないと思ったから。コアを割ればあなたは空に散らばって、いつか人に戻る」
下半身が無いままに、桃は血を垂れ流しながらぽつぽつと息も絶え絶えに話す。
「ぼくが何千年、どんな思いで頑張ってきたか……いくつの犠牲を重ねて本当の幸せについて考えてきたか……きみにわかる?」
残骸から黒い影のような手が伸び、顔があった辺りからは涙のようなものが零れる。知りませんと切り捨てて、桃はパンとコアを砕いた。
「……せめて、目の前の人を幸せに出来てから言ってくださいよ」
ちらりと、自分を見下ろして心配そうにしている楓たちを見ながら、そう呟いた。
「終わった、のか?」
「これで決着ですか?」
『まだだ! 時来てないぞ!』
「えっ」
傍らに座るメタ子が、虚空に向けて威嚇をする。瞬間、魔力が渦巻いて、空中にいびつな輪郭の真っ黒な誰何を形作った。
【ごほうびの使い方が上手くないね。言い回しで効果が変わるから覚えておくといい】
その手に水筒を持ち、ノイズのような声で彼女はなおも笑う。
【たべのこしがあってよかった。まだ神は
「なっ…………ひっ!?」
思わずその身を幹から出した桃の体に一瞬でまとわりつくと、誰何はみるみるうちに怪我を治した。
【やっと出てきてくれたね。その傷治してあげるよ、痛そうで気になってたんだ。……これで1からやり直し。でも
──あと、と続けて、ヘドロのような形状の誰何は
【さっきから覗いてるツノの魔族、よくもその子を巻き込んだな。お前はまた来ていつか殺す】
「え、私ですか!?」
「────」
明確にシャミ子を、そして楓を見て言った言葉。そしてその場から影も形も消し去って、那由多誰何は完全に町から居なくなった。
「い、今のなに!?」
「……やっぱり、俺たちを認識していたのか」
「やっぱり!?」
「……全然わからない。でも、本来の記憶とは食い違うけど、これで誰何の話はおしまい」
一旦起きて仕切り直そう、と締めくくって、桃は治った下半身の調子を確かめながら立つ。
楓の隣にいるシャミ子に、じとっとした目を向けながら彼女は呟いた。
「シャミ子、私が一番悩んでた所をあっさり流したよね」
「ど、どの辺ですか? すいません見直します!」
「この記憶に巻き戻し機能はあるのか?」