『ぶ、ごぼ』
──仰向けに地面を転がり、呼吸しようとした口からは二酸化炭素の代わりに液体が漏れる。
『こぽ、ぉえ』
体が動かせず、なんとか持ち上げた左手も指が二本足りない。右の脇腹にはぽっかりと穴が空き、視界も半分塞がっている。
立ち上がろうにも左膝から下に力を入れられず──気付けば楓は、血溜まりに沈む片足の千切れた自分を俯瞰するように見下ろしていた。
楓は自分を見下ろす光景の真意を悟る。ああ、これが──これが、俺の末路か、と。
──杏里からくだんのDVDを受け取った翌日、思い出せない夢に奇妙なリアルさを覚えながら、楓は桃とミカン、ウガルル、シャミ子と共に早速とその映像を再生していた。
「どうして杏里の家から楓宛のDVDが出てくるの? まさかこれも誰何の罠とか……」
「考えすぎじゃないか。流石にDVDを使ったトラップなんて無いだろう」
……多分。と付け加えて、桃の不安を聞きつつ再生する。少しして流れ始めたのは、どこかの一軒家のリビングで──そこに一人の男性が現れ、映像を撮っているカメラの前に座った。
「この人、もしかして楓くんの……」
「……おとーさん、なんでしょうか?」
暗い茶髪混じりの黒髪に、鍛えられた体躯。そして──背中から生えた大きな翼。
誰がどう見ても
『──まず始めに、もしこの映像を見ている者が秋野楓以外である場合、すぐにでも本人に渡すか、渡せないならDVDを破棄をしてほしい』
その警告から一分ほど経過して、男性は映像を見ているのが楓だと判断したのか続けた。
『これを見ているのが、15歳になったお前だと仮定しよう。単刀直入に言うと、この映像を撮っているのは楓から見て10年前……お前が5歳の時だ。小さい方なら、今は寝室で寝ているよ』
ちらりと寝室があるのだろう方向を見て、男性は笑みを浮かべる。その顔はどこか楓と似ていて、なるほど確かに父親なのだろうと、楓以外の桃たちは感慨深いため息をついた。
『……さて、この映像を見ているということは、きっとお前は──いや、楓を含めた君たちはこの町の過去を知ったのだろう。そこに居るのは……たぶん優子ちゃんと桃ちゃん、ミカンちゃんと……ウガルルちゃんかな?』
「っ──!?」
一瞬天井を見上げて、それからピタリと言い当てた。その様子に、テレビ越しであれ、その場の五人は驚愕の表情を浮かべる。
『簡単に言うと、俺はエジプト関連の魔族の末裔だ。とある神様と同じ【目】を引き継いでいて、俺たち一族は文字通り何でも見通せる。
自分や他人の過去・現在・未来から、平行世界の存在まで。当然──いつ、どこで、どうやって、誰が誰に殺されるのかまで……な』
「それじゃあ、父さん……貴方は」
『──俺の方で4年後、お前たちの方で6年前、秋野家を含めた多数の魔族はとある魔法少女……那由多誰何に殺される。そして俺はそうなる未来を見て、こうしてメッセージを残すことにした。
15歳の楓が見るように調整したのは、恐らくこれを見ているのが、ちょうど誰何が何をしてきたのかを見たあとのタイミングだからだ
……そのうえで、俺は今から楓たちに残酷な提案をすることになるだろう』
一拍置いて、男性は表情を苦々しく歪めながらじっと楓たちを見て口を開く。
『那由多誰何を赦してあげてほしい』
男性はそう言い、深く重いため息をつく。そんな男性に──父親に対して楓は声を荒らげるが、その言葉が、テレビの奥の声と重なる。
『「そんなこと……どうして!」……か? お前ならそう言って憤るよな、楓』
「っ……!」
『それでも、敵は誰何じゃない。こればかりはあの子の過去を見た俺にしか言えないが、断言できる。あの子は必ず必要になるんだ』
「────」
男性の声が遠い。耳鳴りがして、視界が遠退く。町に、家族に、桃に、そして自分にしでかした事を呑み込んで、言うに事欠いて『赦してあげてほしい』と、目の前で男性はそう言ったのだ。
『……出来ないか? そりゃあ、そうだよな。
誰何はどの世界線でも俺たちを殺すし、必ずお前たちと衝突する。過去の光景を見たなら尚更許せるわけがない。でもな、誰何はなにも、最初からああだった訳じゃない。
何時かの何処か、もしタイミングや立場が違えば、お前たちや俺も、あの子と同じ人生を歩む可能性があった。あの子だけが悪いんじゃない。
そこで区切る男性の顔は、どうしようもなく父親で、子供を持つ親だからこそ──少女に僅かばかりでも救いがあったならと考えてしまう。
『……楓、お前なら那由多誰何の
「……父さん」
『すぐには受け入れられないだろう。簡単には飲み込めないだろう。だから……俺の頼みは無理に聞き入れなくても構わない。どちらにせよ、その時が来れば嫌でも那由多誰何との戦いを避けることは出来ないし、なにより──』
おもむろに口角を上げて、イタズラっぽく笑いながら、男性はあっけらかんと言った。
『どうせお前、俺が赦してやれって言っても言わなくても、結局はあの子を助けるんだろ? 散々
「……は?」
『これを見てる世界線の楓は誰と付き合ってるんだ? 優子ちゃんか桃ちゃん……いや、ミカンちゃんか杏里ちゃんだろ。たまぁにグシ……小倉ちゃんやリコちゃんともくっつくんだよな』
「おい。何を言っている」
『あーあ、こういう馬鹿みたいな話は目の前のお前としたかったんだけどなぁ』
「……父さん、父さん?」
『なあ、楓』
突如として堅苦しい雰囲気が崩れた男性を前に、横の少女らの困惑以上に頭を混乱させつつも楓は届かないと分かっていながら声をかける。すると、一瞬で意識を切り替えた男性が言った。
『楓、楓。俺たちの可愛い一人息子。もうお前の未来を見ることでしか、お前の幸せを享受出来ない。だって4年後に死ぬんだから。──9年間の思い出を、お前は忘れてしまうのだから』
「────」
『本当なら那由多誰何がいつ町に来るのか、どんな過去があったのか、どうすれば和解できるのか、その全てを話してしまいたい。
だけど恐らく、結界の中でグシ…………眼鏡のお姉さんから言われたんだろう? 『未来を知ること自体が未来を歪める』って。だから言えない。言えないんだよ……っ』
男性は声を震わせて続ける。
『……【目】で見る未来じゃない、俺自身の両の目で、お前の将来を見届けたかった。誰かと愛を育むお前を、いつまでも支えたかった。
せめて妻だけはと願った。俺を慕う子にまでみんなが死ぬことを伝えてしまった。見なければ良かったと、何度も後悔したよ』
男性はそこで一度言葉を区切ると、目元を手のひらで覆って俯きながら言う。
『──楓、お前はこの【目】を継いでいるが、魔族の血が薄いせいで十全に力を使えない。
当然だが相手や自分の過去現在未来は見ることが出来ない。精々視力が高くなるか、魔力を視認できる程度。もしかしたら
いいか、絶対にお前だけは死ぬな。楓が死なないでいることが、皆の生存に繋がるんだ』
顔を上げて前を見て、最後にと続けると、男性は──楓の父は、優しい声色で語りかけた。
『──10年分愛してる。楓、お前はみんなに愛されているんだ。だから、あの子のことも……ほんのちょっとだけ愛してやってくれ』
──じゃあな。
そう言って、手を
「……その、楓くん……?」
「──まあ、なんだ。ここまでお膳立てされて、やらないとは言えないだろう」
振り返り、涙を拭う暇もなく、楓は桃を、シャミ子を、ミカンとウガルルを見て──
「それでも父さんに言われたから、とか。そうしないと格好が付かないから、とかじゃない。俺が、俺の意思で決めたんだ。
俺は那由多誰何を赦す為に戦う。戦力にはならないかもしれないが、もしよかったら……手伝ってくれないか?」
桃は自分が傷つけられた事を記憶に刻んでいながら、それでもと、楓を見る。
シャミ子は桃の遠い過去を、誰何の嘆きを共有した者として、ぐっと頷く。
ミカンは仕方がないと言わんばかりに、呆れた表情を浮かべながらもウガルルの肩に手を置いて、恋人の覚悟に自分達もと決意を固める。
『──勿論!』
「……ありがとう」
楓の言葉に、全員がそう返す。那由多誰何にリベンジするためのスタートラインに、青年はようやく立つことが出来たのだった。
DLC2→単行本7巻が出たら