とある一人の真理到達   作:コモド

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天使のオークション

 

 学園都市が色めき立っているのを一般学生の誰もが感じていた。実しやかに語られる都市伝説、使用者のレベルを引き上げる道具、『幻想御手』の存在が認知され始めていたからだ。

 ネット上で飛び交う膨大なデマの中に真実味を帯びた情報が幾つかある。実際に強度が上がった者まで身近で出始めたのを見た生徒は、こぞって『幻想御手』を求めて探索を始めた。

 しかし、急激に力を得たことで増長する者も現れる。それに伴う治安悪化を懸念し、『幻想御手』を取り締まる動きもあった。

 学生による治安組織、『風紀委員(ジャッジメント)』と使用者のイタチごっこが日々、行われていたのである。

 『風紀委員』に所属する黒子と初春は当然として、義憤に駆られた美琴も奔走する中で、二羽真理もまた、何の報奨もない徒労と責務を背負わされてた。

 黒子のように使命を果たそうとしているわけでも、美琴のように己の正義を貫こうとしているわけでもない。超能力者としての有名税を徴税されるように、手頃な第八位を狙う輩が増えてきたのだ。

 その都度、逆上し、返り討ちに合わせるだけの降り懸かる災難に、真理は辟易していた。

 学園都市の超能力者の選定は、強弱で決まるものではない。その能力が如何に利益を齎すか、稀少で、研究対象として有益か、金銭基準でしか評価していない。

 彼らが何人超能力者を打倒しようが、無意味な徒労でしかないのだ。そう、勘違いした凡骨の残骸を真理が幾ら積み上げようとも。

 

「なぜだ……なぜ、こうも馬鹿は減らない? 脳を開発して、演算能力を向上させても、単純な知能を発展させなければ意味がないだろうに、なぜ未だに馬鹿は増え続ける?

 足りないんだ。焦燥が」

 

 平日の昼下がり。無造作に伸ばした蓬髪は、その胡散臭さを誇張させ、一目には浮浪者にしか映らない。

 清掃ロボットによって清潔に保たれた整然とした街並みに、ブツブツと独り言を呟く真理の姿は異様だった。不審な容貌はもとより、纏う雰囲気すら不穏で、陰鬱な怒気を孕んでいる。

 真理の背後の路地裏には、無謀にも超能力者に挑んだ哀れな男たちが昏睡していた。数歩、壁伝いに足を踏み出し、膝を折る。

 殺意につり上がった双眸が力をなくし、俯せに倒れた。湿った風に髪が舞った。

 

 

 佐天涙子は湧き立つ希望に胸を高鳴らせていた。無能力者である劣等感、送り出してくれた両親の期待、これから得る高位能力者への第一歩を叶えてくれる夢のアイテムを胸元で握り締める。

 ネットサーフィンをしている際に偶然入手した、噂の『幻想御手』の音源を携帯音楽機器に入れ、どうして試したものかと思索しては、この手に掴める栄光に動悸が収まらない。

 先日、学園都市の頂点に位置する、レベル5に出会った。それも三人。間近で接して、自分とはかけ離れた存在なのだと、諦観にも似た感傷に消沈した。

 

 二羽真理は言う。強度の代償に友を捨てろ。それは遊ぶ暇を惜しんで努力しろ、なんて生易しいアドバイスではなく、精神に異常を来たしてまで自分と向き合えという、忠告だった。

 美琴は否定したが、操祈は黙して反論しなかった。おそらく、正しいのは真理たちで、美琴は王道を進んできたから、曲がっていないだけなのだと思えた。

 あの不吉な瞳の紋様を見て、一瞬で気圧された。その不自然さの意味することは、凡庸な自分でも理解できた。後天的に変色する程の苛烈な日々を歩んだから、彼は精神性について言及し、普通でいることをすすめたのだ。

 先達の助言だ。説得力もあったし、恐怖も芽生えた。

 それでも、超能力への憧れは捨てきれない。間近で見た超電磁砲の威力と鮮烈なエフェクトが目に焼きついている。

 リモコンひとつで人心を繰り、永遠を生み出す異能の脅威を、今は知っている。憧憬は大きくなるばかりで消えてくれることはない。

 これを使えば、あの人たちに一歩近づける。夢見た力をこの手に掴むことができるのだ。

 早速、初春に自慢しよう。あの子だって低レベルの能力者だ。風紀委員に合格できる特能を持ってはいるけれど、本心では更なる強度を欲しているはず。みんなで上を目指すんだ。

 待ち合わせ場所への道程を早足で進み――伏臥位で倒れている二羽真理を見つけたのは、目的地に着く直前だった。

 

「あれ……真理さん?」

 

 顔は伺えなかったが、長点上機学園の制服と暑苦しい長髪は見紛えようがない。慌てて駆け寄って抱き起こした。

 

「真理さん!? だ、だいじょうぶですか?」

 

 タブーなのは知っていたが、咄嗟の出来事に頭が働かず、揺り動かす。すると、忽ち反応があった。

 瞼が震え、口が開く。安堵した涙子の顎を、やおら真理の右手が掴み、口を封じられた。

 

「むぐっ!?」

「……佐天、涙子?」

 

 当惑しながらも、名前を呼ばれ、何度も頷く。それでやっと手が離れ、耳元でがなり立てる心臓の音に驚いた。

 膝に頭を乗せていた真理が額に手を当てながら起き上がった。しばし、状況を整理するかのように一点を見つめ、パッと動き出す。電球を想起させる切り替えの速さだった。

 

「いやー、ゴメンね。助けてくれてありがとう。おれってなぜかバッタリ倒れちゃうことがあるんだよね」

「え……? それって大丈夫なんですか? 熱中症とかじゃ」

「心配かけてゴメン。でも平気だよ。ほら、この通り」

 

 空笑いを浮かべ、その場でジャンプする。確かに行動に支障はなさそうだった。

 胸を撫で下ろす涙子の右手に大事そうに抱えた音楽プレイヤーに目敏く真理が指さした。

 

「それ、何か大切なものなの?」

「別に高価なものって訳じゃないんですけど……実は、ネットで噂のあるアイテムをゲットしまして」

「アイテム?」

「はい!」

 

 超能力者の真理も知らない情報を涙子は得意げに語りだす。

 聴くだけでレベルが上がる魔法の道具。それを偶然手に入れたこと。それを今から初春に見せびらかしに行くこと。試しに使ってみようとしていること。

 全てを聞いた真理は、軽く握った手を口元にやり、唐突に言った。

 

「『幻想御手』か……それを超能力者が使ったら、どうなるんだろうね」

「あ、それは興味あります! 真理さんが使ったら、御坂さんを超えたりするんですかね」

 

 真理の提案に涙子も乗った。無能力者ですら格段に強度が上昇するアイテムだ。仮に超能力者が使えば、どれほどの向上が見込めるのか、妄想は尽きない。

 

「貸して貰ってもいいかな?」

「はい」

 

 快く差し出す。生来の人の良さもあるが、涙子は真理に悪い印象は持っていなかった。能力についてのアドバイスは貰えなかったが、人生の助言を授けてくれた。

 自分には仲の良い親友がいる。それは掛け替えの無いものだ。それを再認識する機会をくれた。

 人は失わなければ、その重要性に気付けない。友達がいない、と断言した真理のそれは、悲しいまでの説得力のある言葉で、今も涙子の胸にのしかかっている。

 でも、今は親友に加えて能力まで得られる絶好の好機なのだ。逃せるわけがない。真理なら、それも認めてくれると思えた。

 

「ふーん」

 

 イヤホンを耳に差し込み、視聴し始める。しばし瞑目し、音楽に集中してから、覚束ない手つきで外した。

 

「どうですかっ? パワーアップしてるな~って感じあります?」

 

 身を乗り出して顔を輝かせる涙子に、釈然としない面持ちで真理が言う。

 

「今のところは何も。試してみてなきゃわからないけど、おれの能力は一目で効果に現れるワケじゃないから、断言はできないな」

「そうですかー」

 

 がっくりと肩を落とした。ゲームのように数字でステータスが表示されたり、効果音が鳴って成長するワケがない。

 やはり偽物だったのか――落胆し、身を苛む失望感に居心地が悪くなる。音楽プレイヤーを受け取っても、使用する気も失せていた。

 顔を上げる。真理の瞳と目があった。不自然な配色にぎょっとする。何度見ても慣れない。血色の悪い唇が動く。

 

「キミさ、発育が良いよね。つい最近まで小学生だったとは思えないくらい」

「はい?」

 

 慮外のセクハラ発言に目が点になる。本当に真理が発したものか、周りに人もいないのに疑いたくなった。

 

「女の子はね、男の子に比べて成長が早いから、自分が先に大人になった気になって、上のものに夢見がちだ。

 年上の男性だったり、大人びたファッションだったり、好奇心旺盛で思慮が足りない。甘い言葉に乗せられて食い物にされる、そんな子どもをたくさん見てきたよ。キミもその一人だね」

「真理、さん?」

 

 矢継ぎ早に語る真理の意図が読めず、狼狽する涙子をよそに、真理は言葉を止めない。

 

「この『幻想御手』だっけ? 例えば、これに副作用があったらどうする? 電子ドラッグ紛いの代物で、音によって脳に刺激を与えて演算力を向上させる代わりに廃人になる――とか。

 そこまで考えなかった? 危険なものだって考えは及ばなかった?」

「あ……」

 

 浮かれていたから、危険性にまで頭が回らなかった。実際に真理の挙げた効用があるとしたら、視聴した真理の身に危険が及ぶ。

 青褪める涙子に真理が微笑んだ。

 

「分かればいいんだ。説教臭くなっちゃったね」

「え? でも、真理さんにそれで何かあったら……」

「それはオレの自業自得だから。正直言うとね、オレも興味あったんだよ。強度を上げるアイテム」

 

 悪戯っ子のように唇を釣り上げる真理に涙子の心が軽くなった。

 世間話をしながら、初春との待ち合わせ場所に同行する。饒舌な真理に少し戸惑うも、話好きの涙子には楽しい時間だった。

 こんな凄い人と並んで歩けることに優越感を懐いた。なぜ御坂さんと白井さんは、この人を目の敵のように接するのだろう。

 学園都市で八人しかいない超能力者なのに、無能力者に過ぎない自分にも目線を合わせて気遣ってくれるくらい優しい。確かに不気味なところもあるけど、それも魅力に映るのはアバタにえくぼなのだろうか。

 

「あ、初春だ!」

 

 親友の姿を見つけ、スカートを捲りに駆け出す。真理の目は、じゃれ合う二人を見つめているようで――何も映していなかった。

 

 

 一行が喫茶店に向かう道程で、ファミレスで話し込んでいる美琴と黒子、そして研究者の女性、木山春生を見つけた。

 件の幻想御手事件について相談に乗ってもらっている三人に勝手に混ざる。美琴と黒子の隣、木山の対面に真理が座った。黒子が露骨に嫌な顔をしたが、取り合わなかった。

 黒子が幻想御手の使用者を保護する旨を口にすると、額に汗を浮かべる涙子を庇うように真理が進言した。

 

「幻想御手についてなら知ってるよ」

「アンタが?」

 

 半信半疑の美琴に真理が頷いた。涙子に一瞬目配せし、言外に黙っているよう抑える。

 

「幻想御手は聴覚から刺激を与えることで脳の演算機能を向上させる音楽ファイルだ。原理は不明だけど、この方法で強度が上がる。回数に制限はなし。だから又聞きで使用者は爆発的に増えるって寸法だ」

「音楽ファイル? 聴くだけで強度が上がるなんてありえるの?」

「俄には信じ難い話だが……二羽くん、随分と詳しいな。もしや」

「あぁ、聴いたよ」

 

 それに涙子以外の目の色が変わる。目を細める木山と愕然とする三人。美琴が立ち上がる。

 

「どこで手に入れたの!?」

「オレを襲ってきた能力者から取り上げて、あまり効果がなかったから返したよ。だから現物は持ってない」

「効かなかったんですか?」

 

 多分に好奇心の含まれた声で初春が尋ねる。真理は声の主を探してか、僅かに間を置いて答えた。

 

「まだ試してないから、何とも言えないけどね。永遠の先に何があるかって、どう試せばいいのかな? 宇宙の果てに何があるか考えるのと同じで意味ないと思うがね」

「性格が凶暴に……って、もともと放し飼いの狂犬みたいなものでしたね」

 

 黒子の毒舌にも真理は悠然としている。木山はフム、とテーブルの上で組んだ手で口元を隠して言った。

 

「興味深いな。聴覚を刺激するだけで能力が向上するプログラムか」

「本当にそれだけで上がるの? アンタの憶測じゃない?」

「あ、なら聴覚を利用して強度を上げるアイテムで。聴覚を刺激なんて簡単な方法で強度が上がるなら、実験大好きな学園都市の研究者が気づいてない訳無いからな。

 ――ね、先生」

 

 呼びかけに木山も視線を上げて応じた。

 

「そうだな。聴覚に限らず、学園都市では多種多様な実験が日々行われている。五感に訴えかける類の実験などやり尽くされているだろう。

 だが、特定パターンの波長を聴かせることで脳の成長を促すのかもしれないな。私のような大人ならともかく、君たち学生の脳は日々成長しているからな」

 

 含みをもたせた発言に真理が小さく笑いを零した。美琴が真理を訝り、注視する。

 ――コイツ、こんな態度とるヤツだったっけ?

 

「しかし、仮に君の聴いた幻想御手が本物だったとして、それで君の能力に成長が見られないのは変だな。その持ち主は強度が上がっていたんだろう?

 何の変化も見られないのか? イチ研究者として、超能力者の中でも曰くつきの君の能力は非常に興味があるんだが」

「私の『定温保存(サーマルハンド)』の完全上位互換なんですよね。羨ましいです。同じ系統の能力で何もかも上回った方がいると、少し悔しくなっちゃうんで」

 

 初春が刺のある声で言った。全ての精神系能力者が束になっても敵わない『精神掌握』同様に、学園都市を探せば真理に似た能力者もいる。

 もしかして、真理も複数の能力を併せ持つ能力者なのではないか?

 過去にも閃いた推論を美琴が思索する横で、木山が手を組み直した。

 

「レアな能力だ。大事にするといい。超能力者は彼女もそうだが、軍事的利用価値の高い能力者ばかりで、他分野に役立つ能力は希少なんだ。

 特に医療関係などでは、君の能力は貢献するよ。状態を保つというのは、一概には容易に思えるが、外的要因、対象の変化も考慮しなければならないから、特に複雑な計算式が必要になる。

 だからこそ、それらを排して永遠を付与できる君の能力が注目されたんだが」

 

 濃い隈が不健康な印象を与える瞳に真理が映る。見つめられた真理は、小さく肩を竦めた。

 

「買い被り過ぎです。それに永遠なんて軽々しく言いますけど、オレが死亡しても効果が残るとは限らないでしょう?」

「だが、言い換えれば、君の脳髄が保つ限り、不変が約束されるということだ」

 

 物騒な言葉が口を衝く木山に美琴と真理以外の女子が怯んだ。

 科学者の悪癖なのか、没頭すると周囲に目がいかなくなるようだ。木山の声が不穏な響きを孕ませ、目つきも尋常ではなくなってくる。

 

「永遠は、ヒトの歩みに終生付き纏う命題だ。ヒトが文明を築いた頃から始まって、今に至るまで誰も答えを出せていない。錬金術、黒魔術といったオカルトで脚光を浴び、医学、科学の発展でヒトとモノの寿命は飛躍的に伸びた。

 それでも一世紀だ。ヒトの歴史の千分の一にも届かない。細胞の劣化、老化、死滅を防ぎ、不変性を得る秘密はどこにある? 酸化か? 化合しないよう処理するのか? ならば生体反応はどうする? 生物に付与できない鍵はどこにあるんだ?」

「専門の科学者でわからないことをオレが判るわけないじゃないですか」

 

 茶化す真理に木山が肩の力を抜いた。同時に空気も弛緩する。

 手を解き、背もたれに体を預けた木山は深く息を吐いた。

 

「すまない。熱くなってしまった」

「研究熱心な人なんですね」

 

 皮肉混じりに話す真理に木山も自嘲して笑った。額に手を当てる。気分を落ち着け、余裕を取り戻した木山は、再びテーブルで手を組んだ。

 

「それだけ君の能力が魅力的ということだよ。子どもでも夢想したことがある筈だ。不老不死、永遠の時を生きる妄想をね。年をとり、老いや死を間近に感じるほど、その存在を夢見るものだ。

 人間は死に恐怖を感じるようにできている。高齢になるに連れて死を受け入れるものだが……中には、その時間さえ与えられない幼い子どももいる。突発的な事故で命を落とす子どもが減る。それは、馬鹿らしいが、素晴らしいことではないかね」

 

 木山の言葉の意味を真に理解できた者はいなかった。

 彼女たちが年若く、身近で死を感じたことがなかったからだ。

 

 

 木山と別れ、涙子に真理が釘をさし、情報を整理するために支部に戻った風紀委員組とも別れたあとで、美琴と真理が二人きりになった。

 どうも調子が狂う。おかしいのはいつものことだが、今日の真理は輪にかけて変だった。

 甘くない砂糖を舐めてしまったような、かみ合わない感覚に顔が歪む。哲学的な木山の言葉に触発されて、先日の真理の部屋に一件が思い浮かんだ。

 バレてはいないと安堵して忘れていたが、そもそもコイツがあの部屋で生活しているかすら怪しい。生活感は皆無で、就寝以外の用途に用いられている形跡がなかった。

 あったのは、西洋のオカルト本だけ。美琴は内心、小馬鹿にしながらも口を開いた。

 

「ねえ、アンタって神様とか信じてるの?」

 

 真理が振り返る。薄墨を流したような藍色の空、紫眼が陰っていた。真理は、フッと嘲笑した。

 

「なに? お前、十字教にでも入信したいの?」

「違う! アンタがオカルト好きだから訊いてみただけよ!」

 

 激昂し、放電する美琴にも真理は動じなかった。確信する。コイツは美琴に『素養格付』の存在を匂わせた人格だ。

 美琴は既に真理を多重人格者だと断定していた。記憶の食い違い、言動の差異からしてそれ以外の何物でもない。

 真理の発言は参考にならない。美琴はこの人格を問い質すことにした。

 

「ねえ、さっきの話だけど――」

「神はいない。だが、神になろうとしている人間はいる。天使もいる。聖人も、使徒も、聖遺物も、天啓も、奇跡も実在する。

 オレたちの存在意義は、人が天使を創る為の小さな、小さな細胞としての役割に過ぎない。

 これで満足か?」

 

 美琴の言葉を遮って、真理が理解不能な言葉を宣う。知ったふうな口を聞いて、勿体つけた言動に怒りは募るばかり。

 目を眇めた美琴は、低い声で言う。

 

「『素養格付』について、この数ヶ月調べた。でも、学園都市の主だった施設には、そんな情報は一切ない」

「あるわけねえだろ。馬鹿じゃねえの」

「――ンの……!」

 

 歯を剥き出しにして美琴が怒りを顕にした。要するに、デマを掴まされたのだ。手のひらで踊らされていた事実が美琴をさらに苛立たせる。

 地団駄を踏む美琴に真理は冷徹な声で続けた。

 

「オレから忠告してやる。言っておくが、これは誂うつもりは微塵もない、純粋な善意からだ。

 無知は罪だが、知らないことが幸せなこともある。人を最も傷つけるのは、いつだって真実だ。だから、あまり首を突っ込むな」

「……それって矛盾してない? 思わせぶりなことだけ言って、こっちが関心示したら誤魔化して。

 アンタのやってることって、ジョーカーを見せつけて置きながら、別のカードを取れって言ってるようなものよ」

 

 チッ、と真理が舌打ちし、片手で顔を覆った。指の隙間から紫眼が覗く。

 これ見よがしに真理は大仰に嘆息した。

 

「オカルトに興味のないお前でも、神に近づいた人間の末路くらい知ってるだろう。一人は楽園を追われ、消えることのない罪を背負い、一人は蝋の翼を溶かされて地に墜ちた。

 人間のピラミッドの最下層は、ある意味で幸せじゃないか? 無知で酷使させられる底辺だが、彼らは数も自由もある。

 お前はそこに金も、地位も、名誉も持って暮らしているんだ。日々を享受して真っ当に生きるのが幸せだと思うがな」

「生憎だけど間に合ってるわ。あたしはね、目の前に餌をぶら下げられて黙っていられる性質じゃないの」

 

 パキ、とどこからか乾いた音が響いた。小枝が折れる音……いや、ガラスに罅が入った甲高い音が近い。

 明らかに温度が下がった。夕暮でアスファルトを焼く熱が冷めたわけではない。殺伐とした空気が肌寒くすらある。

 

「お前には理解できないだろうが、念のため言っておく。オレはお前の為を思って教えてやっているんだ。そこを測り違えるな」

「超能力者以外は見下しているアンタが? 薄ら寒いんだけど」

「違うね。オレは物事を冷徹に俯瞰しているだけさ」

「斜に構えて、現実を直視しないでいるだけじゃないの?」

 

 またどこかで音が鳴った。軋む音が耳に障る。睨み合った両者。幾度、こうした事態に発展したか定かではないが、衝突することはあっても殺し合いに及ぶことはなかった。

 それは今回も同様で、

 

「な、なんだ。やけに物騒だな」

「上条」

 

 腰が引け気味の当麻が恐々と呟いた声に真理が乗った。美琴から視線を上条の精彩を欠いた顔に移す。

 先日、無為な追いかけっこを繰り広げた相手と遭遇したことと、真理の優先順位が自分より高いことにむかっ腹がたった。

 

「よう、二羽。大変そうだな」

「そっちもな。いつになく顔が疲れてるぞ」

「あぁ。今朝から災難続きで……二羽は宗教に詳しいんだろ? 教会ってそんなに凄いものなのか?」

「聖霊が宿る聖なる場所だから、宗教的にかなり重要なポストを占めるな。大雑把に言えば、三位一体のひとつだ」

「へぇ」

 

 よくわかってない、気の抜けた返事で相槌を打つ。良くも悪くも普通の男子高校生の当麻には、宗教の話など寝耳に水だった。

 美琴を無視して話し込む二人に、額に青筋が浮かぶ。

 

「ちょっと――」

「宗教の勧誘でも受けたのか?」

「いんや。厄介事に巻き込まれたというか、天災が降ってきたというか」

「おい――」

「困ったことがあるなら、いつでも言えよ。金ならたんまりある」

「ありがたいけど、友人同士で金の話はしない方がいいと上条さんは思うんですよ」

「そうか?」

「あぁ」

「あたしを無視すんなやゴラァッ!」

 

 電流が迸り、周囲一帯の電子機器を軒並み破壊した。肩で息をする美琴と青褪める当麻、嘆息する真理。

 赤色を見た闘牛のような美琴を真理が諌める。

 

「学習しないな。昨日、無辜な一般市民に数十億の損害を与えたことを忘れたのか、第三位様は」

「アンタらが! あたしを揃って無視するのが悪いんでしょうがッ!」

「か、上条さんは関係ないですよね?」

 

 停電に加えて破損した電化製品の額を想像するだけで恐ろしい。金銭感覚が常軌を逸している超能力者に対して、しがない高校生に過ぎない当麻はあたふたと滝のような汗を流した。

 

「もう我慢できない。勝負よ! いつまでも逃げられてたまるもんですか! 今日こそは白黒つけてやるわ!」

 

 ビシっと指をさされた当麻は、それどころじゃないと首を巡らした。百二十万の警備ロボが、ものの見事にショートしていた。

 

「うわああああああ! 俺は悪くねえええええええ!」

「あ、ちょ!」

 

 一目散に駆け出す当麻に手を伸ばすが、宜なるかな。隙を突かれ、逃亡を許した美琴の手は空を切り、真理とともに取り残される。

 真理の白けた視線が痛い。

 

「本当にお前は学習しないな。押してダメなら引いてみろ。猿だって目的の為に道具を使うくらいの知恵はあるぞ、第三位様」

「……」

 

 八つ当たり気味に勃発した第三位と第八位の、喧嘩と呼ぶには派手すぎる衝突は、風紀委員の仲裁で幕を下ろした。

 

 


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