とある一人の真理到達   作:コモド

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Bohemian Rhapsody

「先生! レベル5の患者が……!」

「ん?」

 

 カエル顔の医者の元に息せき切って駆けつけた看護師が告げた報告に、医者は目を丸くした。

 覚醒めるはずがない。彼の症状は他の幻想御手の被害者同様に昏睡状態だった。

 意識が戻る保証はなく、事件が解決するまで回復の兆しは全く見られず、自発的な覚醒の可能性は皆無だった。だのに、病室は蛻の殻で、剥がされた最新の医療機器の電子音が虚しく響いていた。

 

「彼の能力はたしか、『状態保存(クリアマテリアル)』だったね?」

「いえ……『流転抑止(アンチマテリアル)』だったかと」

 

 訂正され、ふむ、と唸る。これ以前にも何度か、検診を頼まれた覚えがある。

 そのときは、心療内科と精神科の両方を受診した。名前も憶えている。

 

「二羽真理くんだったかな? 探さなければいけないね?」

「あの、先生……」

 

 看護師が告げる言葉に、医者の眉が顰められた。

 

 

 

 

 

 

 

(電流のような不定形の攻撃は消されてしまう。なら、これで!)

 

 美琴の発する磁力でアンチスキルが携帯していた銃火器が宙に浮かび、木山を包囲した。

 全方位を塞ぐように展開する銃火器で逃げ場がなくなる。木山はそれを首を巡らせて見つめるだけだった。

 

「なるほど、直接的な手段に出たか」

 

 木山の頭上を中心に発生させた磁力に引かれ、一斉に銃火器が加速する。約十キロ近い重量の物質が重力も加わって凄まじい速度で飛来する。

 扉を殴打したような鈍い音が何重奏にもなって轟く。直撃していれば、大怪我では済まない。だが、銃火器が磁力を失い、落下すると、健在の木山が何事も無かったように立っていた。

 傷を負うどころか、一歩も動いていない。

 

「借り物の力で言うのもなんだが、単純であるが故に応用力に優れた君の能力と、限定的に超常の力を生み出す彼の能力では、この場において彼我の差は歴然としているよ。

 やはり、君では傷ひとつつけられない」

「その能力を持っている奴は、人の神経を逆撫でするようになるのかしら」

 

 淡々と話すのが余計に癪に障る。柳眉をしかめて嘯くが、内心は焦りで困惑していた。

 これでも無傷では、超電磁砲の威力に頼るしかない。だが、直撃を避け、風圧で気絶させる程度の火力で木山の正体不明の守りを突破できるのか。

 不安要素が多すぎる。思索の坩堝に溺れる美琴とは違い、木山は戦場に不釣合いな余裕がある。

 

「どうした? 打つ手なしか? なら、こちらから行くぞ」

「――ッ!?」

 

 電磁波が高速で迫り来る巨大な塊を感知する。回避すると尋常ではない風圧が美琴を襲った。

 美琴の華奢な肢体が僅かに浮く。身動きがとれなくなったその隙に、二撃目が放たれ、美琴を直撃した。

 

「が……あ、ぐっ」

 

 全身を強かに打ち付け、五メートルほど吹き飛ばれた。肺から空気を吐き出され、呼吸が困難になる。

 密度の異常な突風のような攻撃だった。局所的な大気の密度の変化が美琴でも肌で実感できるほどだ。威力は『空力使い』の強能力者程度だろうか。

 しかし、その原理は『空力使い』とは完全に異なる。まるで次元の違う場所から発生したかのようだ。

 起き上がろうとするが、膝が震えて力が入らなかった。這い蹲る美琴に木山が悠々と肉薄する。

 

「呆気無いな。他の能力を用いるまでもないとは。いや、副次的な能力に過ぎないこれで第三位を圧倒できる『流転抑止』が秀でているのか」

 

 ヒールの音が近くなる。接近されると拙い。『流転抑止』はAIM拡散力場を麻痺させる機能まで持つ。

 最悪、能力の行使不能までありえる。そうなれば、もう打つ手が無い。

 美琴はコインを取り出し、木山に狙いを定めた。それまでとは一線を画する規模の電流の凄烈さに足を止め、満身創痍の美琴を見つめる。

 

「噂の超電磁砲か。文字通り、最後の切り札だな」

 

 後が無い。加減を忘れ、最大出力で木山に目掛け、コインを射出する。

 眩いばかりの閃光が一面を染め上げ、逆巻く颶風が美琴を中心に発生した。

 その莫大なエネルギーでさえ、本筋の余波でしかない。一筋の閃光が木山に炸裂した。

 美琴が視認できたのは、そこまでだった。塵埃が舞い、視界が塞がる。

 もし直撃したのなら、肉片が残っているかもわからない。だが、あの防御が美琴の予想通りのものなら、怪我はしているだろうが命に別状はないはずだ。

 それ以上のものなら――ようやく感覚が回復してきたので、覚束ない足取りながらも立ち上がる。

 土埃が晴れ、目を凝らした美琴の顔が、絶望に染まった。

 

「うそ……」

「ふむ。思った程ではなかったな。これなら、後発組の暗部を相手にしても楽勝だろう」

 

 塵一つ、白衣にかかってはいない。木山は一歩も動いた気配すらなかった。

 超電磁砲を防がれたことなら、上条当麻の右手で経験がある。だが、あれは彼の不可思議な右手の異能があってこその芸当だ。

 なのに、木山はどうだ。両手をポケットに入れたままで、全力の美琴を相手にして涼しい顔をしている。

 自分を前座としか見ていない。このような扱いを受けたのは、超能力者になってから初めてだった。

 戦慄し、怪我によるものではない震えが止まらない。慄く美琴を木山が睨めつける。

 

「攻撃手段はすべて無効化されて、頼みの綱の超電磁砲も届かない。チェックメイトだ。

 わたしの邪魔をしないなら、いたずらに甚振ったりもしない。退きなさい」

「……冗談言ってんじゃないわよ!」

 

 だが、美琴は退かなかった。万策尽き、満身創痍でありながら戦意を失わず、木山の前に立ち塞がった。

 木山が嘆息する。

 

「……子供を痛めつけるのは趣味じゃない。だが、君ほどの高位能力者になると、優しく失神させてあげることもできない。

 諦めの悪い子だ。すまないが、わたしが目的を果たすまで眠っていてくれ」

 

 また、軋む音がする。美琴が対抗策を練るが、何も浮かばない。万事休す、と美琴が目を伏せようとした。そのときだった。

 車のドリフト音が聞こえる。徐々に大きくなるエンジン音に木山が視線を上げ、美琴もたまらず振り返った。

 猛進してくるタクシーが見えた。一般人を巻き込むことを木山が気後れしたのか、手を出そうとしない。

 タクシーは二人の五十メートルほど手前で止まり、人が降りる。その人物に二人が目を剥いた。

 

「……どういうことだ」

「アンタ、何で」

 

 タクシーが引き返し、唖然と孤立する人影を見つめる。乱れた長髪の下の相貌が鬼気迫る禍々しいものではあったが、見間違うはずがない。

 能力を奪われ、昏睡しているはずの真理だった。傍目にも病状は思わしくなく、今にも倒れそうなほど弱々しかったが、真理本人だ。

 患者服を着た真理は近づきながら、消え入りそうな声でつぶやく。

 

「オレのだ……かえ、せ」

 

 木山は、信じられないと我が目を疑いながらも、無理矢理に自分を納得させた。

 

「超能力者であるがゆえのイレギュラーか……? いや、能力はわたしが握っている。……自分の意識に『流転抑止』を使った? なら、仮説は完璧だったことになるが」

「ば……何で来たのよ! そんな状態で来られても足手まといにしか……来るな!」

 

 美琴の口から悪態がついて出た。もう自分には打つ手が無い。そこに無手の病人が来ても、どうしようもない。

 怪我をする者が増えるだけだ。そう訴えるが、真理は聞こえていないのか、ふらふらと肉薄してくる。

 

「……君の脳機能の大半は、わたしが使用している。能力の使用権も、わたしが握っている。

 なのに意識を保てるのか。やはり『流転抑止』は、概念にまで効力がある……ということなのか」

 

 吟味するように思慮に耽る木山をよそに、真理は美琴に並んだ。美琴の声は届いてない。

 真理はさらに歩を進め、木山に迫る。

 

「何かできるとも思えないが……不安だ。念には念を入れて、気絶してもらうことにしよう」

 

 木山が手をかざすと、突風が真理を襲い――命中する直前に、美琴が真理を押し倒して回避した。

 下にいる真理に触れてみて、今の真理の病状を察する。体温が異常に冷たい。まるで零下にいる人肌のようだ。

 木山を睥睨するが、圧倒的に有利な状況にいる彼女を怯ませることはない。そして、真理が万全に本来の能力を行使できるとしても、今の木山を打倒できるとは思えない。

 それほどに木山が振り翳す『流転抑止』は、超能力の常識を超越していた。この戦闘力すら副産物に過ぎないと言う、本質は何なのか。

 超能力者ふたりを見下す木山は、右手で額を押さえ、目を背けた。

 

「……わたしには、君が眩しい。無償で他人を救ける、か。その気概を、まっすぐに見られなくなったのは、いつからだったんだろうな」

 

 感傷に浸る余裕がある。美琴には抵抗手段がなく、このまま嬲られるしか未来はないのだ。

 苦渋に満ちた表情で睨むことしかできない美琴が、ふと真理が小さい声で喋っているのに気づいた。背で庇っている真理が、木山に手を伸ばす。

 

「……ehunjamk覚hnrdas」

「――え?」

 

 疑問の声は、その聞き取れない声と、同時に起きた異変によって生じたものだった。

 

「ぐぅ……あぁぁッ!」

 

 苦悶の悲鳴をあげ、木山が右目を抑えた。体を振り乱しながら、絶叫をあげて当然の激痛を懸命に堪えている。

 呆然とする美琴が真理を見るが、真理は意識はあるものの、顔を伏せていて様子が確認できない。

 ついに木山が膝をつき、美琴たちを睨んだ。絶句する。二人を睨む木山の褐色の瞳が、紫紺に変色している。

 激しく息を乱し、滝のように汗を流す木山は、正常な判断力が残っているのか、美琴から見ても危うかった。

 呻き声のように、木山が話す。

 

「馬鹿、な……一万人の脳を使っても……まだ、キャパシティが足りないのか……!?」

 

 木山の手が痙攣を起こし、立て続けに嘔吐した。美琴は変化についていけず、唖然と見つめるだけだった。

 木山は気力を振り絞り、その異常を抑えつけようと試みているようだが、手遅れだった。

 

「演算を……いや、これ、は、別、の……!?」

 

 ぐるりと木山の目が白目を剥く。失神した木山の頭上に、小さな光の玉が発生した。

 初めはひとつだった光は、二つ、三つと増殖を繰り返し、終には無数の瞬きとなり、収束する。

 

「なによ、これ」

 

 ――果たして、光から生まれたのは、顔のない赤子だった。

 生後間もない赤ん坊と変わらない大きさで、まっさらな面貌の奇怪な赤ん坊が、宙空に浮かんでいる。

 美琴の声に反応したのか。赤子の頬に紫の瞳が生えた。

 

「ひっ」

 

 その異様な光景に怯んだのも束の間。美琴を見つめる瞳を皮切りに、赤子が変異を繰り返してゆく。

 肋が肌を突き破り、背中からは無数の羽根が生えた。童女の笑い声がどこからともなく響く。その不気味さに、美琴を生理的嫌悪が襲った。

 

「うああああああああ!」

 

 反射的に電撃の槍を放つ。だが、それも不可視の壁に阻まれた。

 

「こいつも、『流転抑止』を使えるの……?」

 

 絶望感が全身を侵した。突然生まれた怪異な赤子。それが『流転抑止』を使う。

 気丈な美琴も足が竦んだ。赤子は、成長しているのだろうか。口ができると、歌を口ずさみ始めた。

 

『Adeste Fideles Laeti triumphantes Venite, venite in Bethlehem Natum videte Regem angelorum.Venite adoremus, Venite adoremus,Venite adoremus, Dominum』

「歌ってる……」

 

 怪物が童女の声で歌を謳う。その調べは、この凄惨な戦場で流れるには、あまりに優しい歌だった。

 美琴には聞いたことがない。だが、耳障りが良く、やけに記憶に残る。

 忘我として聴き惚れる美琴の脳裏に、記憶の奔流が飛来した。

 苦手な子供、教え子としての子供、最後の笑顔、血塗れの――

 

「木山、先生?」

 

 美琴が木山を見る。彼女は俯せに倒れており、完全に気を失っている。

 再度、赤子を見た。

 

「こいつが見せているの……?」

 

 そして流れこむ記憶の断片が、美琴の目を暗ませた。知らない景色が見える。

 途切れ途切れのシャシンは、いったい誰のものか。白衣を着た老夫妻、外国語で綴られた分厚い本、幼い食蜂操祈、白い独房、大事そうに小さな手に握りしめられたロケットペンダント――

 

「今の――」

 

 意識が戻る。見えたものは、真理の記憶だった。だが、何か違和感があった。

 決定的な間違いがあったはずなのに、それを掴む前に夢のように薄れてゆく。

 

『Cantet nunc io Chorus angelorum.Cantet nunc aula caelestium Gloria, Gloria In excelsis Deo Venite adoremus, Venite adoremus,Venite adoremus, Dominum』

 

 赤子は、変異を繰り返した後に、ピタリと動きを止めた。

 肉体の端から、空気に溶けるように実体を失ってゆく。全貌が透明に変化し、最後に断末魔の光と悲鳴を轟かせ、花火の如く弾けた。

 虚脱感が節々から力を奪い、美琴の腰が抜ける。呆けたように赤子がいた場所を見上げて、美琴が声を漏らした。

 

「なんなのよ……」

 

 それに答える者はいなかった。『幻想御手』事件は、首謀者木山春生の逮捕で幕を下ろす。

 そして、これをきっかけとして、学園都市を揺るがす最悪の事件が、幕を開けた。

 

 

 

 


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