八月十五日。
「お化け退治?」
上司に新たに下された依頼に、フレンダが首を捻った。薄暗い『アイテム』専用ステーションワゴンで若い女性の声が響く。
『そう。素性不明、電子セキュリティ無意味、能力不明で最近、たくさんの施設をぶっ壊して世間を騒がせてる幽霊を退治してきて』
「ふざけてるんじゃないでしょうね」
麦野沈利が任務の詳細を語らない上司に不審そうに言う。上司はあからさまに不機嫌になった。物を叩く音が聞こえる。
『こっちが聞きたいっつーの! クライアントにも事情があんの分かるけどさー、もっと情報は子細に教えてくれないと困るのよ!
あー、残ってる施設は二つだけど、アンタらは一つを死守するだけでいいから』
「ひとつ? では、もう片方はどうやって超死守するのでしょう?」
パーカーを羽織った絹旗最愛が質問した。上司の機嫌が最悪になった。
『あーのいけ好かないスクールにも依頼したらしいよ。いい? 絶対、幽霊を退治しなさい。功労者にはボーナス出すから! わかった!?』
音声が切れる。四人が顔を見合わせ、任務についての意見を出し合った。
「製薬会社が依頼とのことでしたが、この幽霊、関係ない施設も超破壊しまくってるみたいですね」
「最大で一晩六軒か。同時刻に起きてる襲撃もあるから、結局、複数犯って見解が有利だったみたいだけど」
「上層部は犯人の目星がついている、ってところかしら。暗部に所属する超能力者二人が任務に駆り出されたのを見ると」
滝壺理后以外の三人が犯人像を推測する。滝壺は黙って三人の会話を聞いていたが、普段から積極的に会話をしないので三人も放置していた。
「麦野と第二位を矢面に立たせないと歯がたたない超強敵ってことでしょうか?」
「でしょうね。でも、具体的にどう対処すればいいかわかってない。とりあえずピンチだから、同等の相手を当てておけーなんて考えてるんじゃない?」
「相手は超能力者?」
フレンダの言葉に麦野がふっと息を吐いた。
「だったら面白いのだけれど。世間の風評通りの性格なら、第三位か第八位かしら」
「ですが、第八位は街中で倒れて入院中という噂を超聞きましたよ」
「面白いじゃない。なら、わたしが第三位を倒せば任務完了ね」
そう言う麦野の微笑に空恐ろしいものを感じて、フレンダと絹旗の背筋に悪寒が走った。
同時刻、御坂美琴と妹達9982号が出会った。
●
午後七時。病室の真理の元を、美琴が再び訪ねた。薄墨が広がった空の果てで、今にも落ちようとする夕陽が白い病室を山吹色に染めている。
美琴は俯いていて、表情が見えない。脇には、書類を抱えていた。
今日の真理は髪を束ねており、その白皙の美貌が顕になっていた。
静謐が病室を包む。真理は美琴の言葉を待って、じっと見据えていた。紫紺の瞳に映る美琴が、ようやく口を開く。
「さっき、あたしのクローンに会った」
語り口は訥々と、振り返る表情は絶望と半信半疑が綯い交ぜになっていて、悲壮に陰っていた。
真理がまだ黙っていたので、美琴が続けた。
「あたし、計画を知っても、まだ信じられなくて、会ってからも何かの間違いじゃないかって。
でも話してみたら、変な子だったけど、ちゃんと生きてるの。自分の意思を持って、普通に生きてて……なのに、他人の利益の為だけに殺される価値しかないのが、悔しくて」
「それで?」
憮然と真理が言う。美琴は、手に持った資料を真理の膝に投げた。
「全部、書いてある。あの子たちが殺される順番、その方法、時間も!」
「そうか。親切な人間がいるんだな」
「……最後に、アンタのことが書いてあった。アンタ原石なんだって?」
真理は資料に手をつけない。沸々と激情が煮え立ち、絶望を凌駕した。
「原石に手を加え、より能力を研磨して、能力者の演算能力と精度を向上させる計画が始まった。
結果は失敗。被験者は虹彩の変色、虹彩筋の弱体化、精神異常を発症した。
被験者の名前は二羽真理――永久機関を実現させておきながら、その理論を解明できなかった、学園都市最初の超能力者」
「懐かしいな。オレがここの頂点だったこともあった。もう何年も前だが」
「誤魔化してんじゃないわよ! こんな資料を作れて、あたしに届ける奴なんて、アンタ以外にありえないつってんのよ!」
真理の胸ぐらを掴み上げ、その異様な双眸を間近で睨みつける。真理は動じず、眉一つ動かさない。
否定も肯定もしない真理に美琴が声を潜めて言った。
「アンタ、あたしに何をさせたいの……? この計画を知らせて、止めさせたかったの? なら、何で自分だけで計画を壊そうとしてるの?
何か言ってよ。どうしたらいいか、分かんないのよ」
「お前はおれにどうして欲しいんだ? 慰めて欲しいのか? 励まして欲しいのか? 手伝ってくれと言わせたいのか? それとも助けて欲しいのか?」
「質問に答えろ! ……ねえ、全部、アンタの仕業なんでしょ?」
問い質す声は、もう哀願に近かった。真理は、それでも表情ひとつ変えない。
「オレは何もしてない。その資料も知らないし、学園の外に出てもいない。これで満足か?」
「……! もういい」
乱暴に手を離し、美琴が背を向ける。
「あの計画に加担する奴は絶対に許さない。あの子達が殺されなきゃならないのなら、必ず止めてみせる。誰の手も借りない」
美琴が去る。静けさを取り戻した病室で、真理は大仰に嘆息した。
外を見る。既に日は落ちていた。
「すいません、先生。規則を破ります」
話す声は穏やかで、美琴が見れば別人に思えただろう。
――見えなかったものが、見えた気がした。
●
午後七時半。
「ねー絹旗」
「なんでしょうか」
施設の門番として警戒している二人は、暇を持て余していた。中を巡回する麦野と滝壺コンビに対して、二人は前線に配置された。
近接戦闘向きの絹旗の『窒素装甲』は分かるが、罠にはめる作戦が主なフレンダには、この配置が不満だった。
「襲われる施設は結局、ここと向こうの二箇所だけなんでしょ? あっちに目標が行って、あたしたちは待ちぼうけってのもありえるんじゃないの?」
「そうですね、超ありえます。先にあっちでやられて、こっちには来ない可能性も超ありえます」
「うわー。それ最悪じゃん。麦野の機嫌も悪くなるし、お金も入らないし、時間の無駄だし」
頭を抱え、天を仰いだ。彼女のリーダーである麦野沈利は、平素であれば温厚で頭も切れる実力者なのだが、逆上すると誰の手にも負えなくなる。
超能力者で序列をつけられている影響で数字へのコンプレックスも強く、格上の第二位に負けた事実だけで機嫌を損ねかねない。
どうにかして幽霊がこっちに来ないかな、とお化けに祈るフレンダに絹旗は少し呆れた。
小さくため息を零して、目を開けると、雪が降っていた。
「え?」
唖然として空を仰ぐ。真夏の空に雲はなく、青白い月と星空が広がっている。
なのに、大気を滑って雪が降り注いでいた。
「なに!? 何なわけ、これ!?」
事態に気づいたフレンダが動揺して視線を巡らす。よくよく見れば、それは雪ではなく、小さな白い羽根だった。
羽根は見渡す限り、視界の範囲全土に降り注いでおり、その勢いは苛烈に、地面に積もりかねない量になっていた。
ふと、赤い光が視界を塞ぐ。
「わっ!?」
「いったいなにが……」
強烈な発光が収まり、目を開ける。二人が見たものは、地から空へと立ち昇る、一筋の赤い光の柱だった。
あの場所は――『スクール』の連中が警護している施設だ。ということは、幽霊はあっちに出向いたのか。
赤い柱の出現と同時に、さらに異変が生じた。降り注ぐ羽根が、白から赤に変わる。フレンダの混乱が極限に達した。
「ど、どうなってんの!? 結局これって何なわけ!? お化けの呪い!?」
「落ち着いてください! ひとまず、ここは麦野に連絡を――」
「その必要はないわ」
振り向くと、麦野と滝壺が歩いて向かってきていた。フレンダが涙目になって歓迎する。
「麦野!」
「動揺しない。異常気象の原因は、あの光が原因のようね」
今も空に立ち昇る光を、目を細めて麦野が見上げた。
「あの発光は第二位の能力によるものじゃない……ってぇことは、奴らは失敗したってことだ」
確信していると、それを裏付けるように研究施設から爆発音がした。地面が揺れ、もうもうと煙を上げながら崩壊するのが見える。
「ハッ、ざまあないな、第二位。行くよ、あの光が幽霊の居場所だ」
麦野が歩き出したのを見て、絹旗が止めた。
「待ってください。ここの防衛は?」
「ここで迎え撃つか、先に見つけて倒すかの違いしかないでしょ。それに……失敗した第二位様の間抜け面を拝みに行くのも一興じゃない」
あ、これはヤバイ麦野だ。絹旗とフレンダが諦観して、その背中を追おうとしたときだった。
微かに足音がする。小さいが、確かな足音に全員が足を止めた。
「まさか、幽霊からこっちに出向いてくれたのかしら?」
麦野が大胆不敵に微笑する。絹旗とフレンダが臨戦態勢を取った。
暗闇の奥から、徐々にそのシルエットが明らかになる。
「……お化けだ」
その偉容は、滝壺の表現以外に形容しようがなかった。
●
「何が起きてんのよ……」
殺害を止めようと実験場に向かう美琴が、真夏に降る雪を見て、足を止めた。
部活帰りと思われる生徒や通行人も足を止めて、その異常現象を見て各々、驚きや感嘆の声を上げている。
そして突如、学園都市を赤い光が覆い、一筋の光の柱が遠くに見えた。
「何だって言うのよ……!」
体の震えが収まらない。絶対能力進化計画、妹達、真理。不明瞭な出来事が多すぎた。
頭がこんがらがって、感情が制御できなくなる。暗澹と胸で濁る、この感情を何と呼べばいい。
ふと、雪の色が変色していることに気づいた。赤い雪はどんどん勢いを増し、学園都市全土に降り積もってゆく。
それに気づいた途端に、美琴の周囲の人物が、全員倒れた。
「ちょっと……」
恐る恐る触れてみる。意識がない。揺さぶってみても反応がなく、この症状には憶えが会った。
忘れるはずがない。鮮烈に残った記憶が、幻想御手を想起させる。
だが、幻想御手のツールは、もうない。しかも一度に何十人も同時に昏睡するなど、以前の幻想御手では例がない。
この赤い雪が原因なのか。
「でも……ごめん」
美琴は、倒れる見ず知らずの人よりも、今にも殺されようとしている人を優先した。
唇を噛み締め、走りだす。実験はもう始まろうとしていた。
「……どうしたンだァ、オイ」
人気のない絶対能力進化計画実験場で、一方通行は怪訝に眉をひそめた。
彼の視線の先では、『妹達』9982号が眠っている。
真夏に雪が降る異常気象と立ち昇る赤い柱の怪現象に目を留めていたら、実験相手の彼女が倒れていた。
呼びかけても反応がない。この赤い雪のような羽根が原因なのだろうか。
だが、体に触れたベクトルからその本質まで逆算する彼の能力でも、その性質が理解できなかった。
しかし、反射する程の害もなく、放っておいてもいいと判断したのに、肝心のモルモットが倒れては意味が無い。
彼の実験は、『妹達』と二万回戦闘を繰り返し、それを虐殺することで成立するのだ。
無抵抗の相手を倒しても効果が無い。歩み寄り、その頭をつま先で小突く。
「聞こえてンのか、アァ? テメエが寝てたら意味ねェだろうが」
ベクトル操作で強制的に覚醒を促すが、全身を痙攣させただけで意識の回復の兆しは見られなかった。
舌打ちし、今後の予定を上層部に尋ねようとすると、そこに美琴が駆けつけてしまった。
「なンだ、いるじゃねェか」
「……あ、」
赤い羽根が、9982号の上に降り積もり、肢体を隠す。頭部を一方通行に蹴られる光景が、美琴には殺されたあとに見えた。
「ああああああああッ!」
雷撃の槍が一方通行の細身目掛けて迸り――放った雷撃が、時間を巻き戻したかのように逆流し、美琴の真横を通過した。
命中したのに、一方通行は不思議そうに美琴の顔を眺めて、耳の穴を掻いている。
「あァ、変だと思った。お前、オリジナルか」
この理不尽なまでに強大な力を振るう存在は、前にも出会った。だが、この男には理性が備わっているのか怪しい。
二万人を殺す狂気の実験を顔色ひとつ変えずに実行する人倫を逸した第一位の超能力者。美琴の手に負える生き物なのか。
「この場合はどうすンだ? 予定外の殺人はダメなンだっけかな? つーか、この異常気象はなンなンだァ?」
狂人じみた悍ましい笑みで美琴を値踏みする。こいつは、自分と『妹達』を大差ない存在としか認識していない。
その絶望的な実力差は、彼にとって加減しようのない何気ない動作で済んでしまうほどに開いている。
美琴の心に諦念が過ぎる。そこに、
「本当に、危機感のない馬鹿ばかりでイライラする……」
「あァ?」
「何で……」
長点上機の制服を着た真理が、コンテナに手をついて体重を支えながら現れた。
美琴の顔が涙で曇る。
「何で来たのよ……」
「いいか? これから起こることを良く見ておけ。馬鹿の末路だ」
美琴を追い越して、一方通行に向かってゆく。止めようと手を伸ばした。見えない壁に触れて、道が遮られる。
「おいおい。目撃者はどうするンだっけ? あー……ダメだ。起きねえンだっけ。
じゃあ――殺しても構わねえよなァ!」
大地を爆散させ、一方通行が疾駆する。音速を超えて真理に肉薄し、その過剰な威力を喪失なく真理に炸裂させた。
一方通行の両手が真理の腹に触れ、真理が倒れる。
「まりっ!!」
美琴が走る。真理の能力による障壁は、真理が倒れると同時に消えた。
それが意味することは――それが分かっていて、なお走る。倒れた真理を抱き起こそうとして、その刹那、澄んだ金属音がした。
軽い金属が地面に落ちる音。美琴と一方通行の目が同時に引き寄せられる。
そこには、いつか夢で見た、真理のロケットペンダントが落ちていた。
●
――『アイテム』と幽霊の遭遇から、時間を少し遡る。
未だ研究員が働いている施設内への侵入を防ぐべく、『スクール』の三人が侵入者と対峙していた。
狙撃手の一人は別棟から機会を伺っており、侵入者と直接対峙するのは垣根帝督と『心理定規』の少女、そしてゴーグルの少年の三人だ。
だが、『心理定規』の少女は、侵入者を見るやいなや、早々に背を向けた。剥き出しの背中が露見する。
「あたしパス」
「あ? 何故だ」
特に怒っている様子はなく、ただ純粋に疑問だったらしい。平静な声で質す帝督に少女は素っ気なく言った。
「彼、心がないもの。読めないとかじゃなくて、元からないの。だからあたしは役に立てないんで抜けるわ」
「……まあ、まともな生き物とは思えねえが」
少女が『彼』と表現した侵入者を見る。それを何と形容すればいいのか。
人の体の凹凸を削いで、存在感を希薄にしたのっぺら坊という表現が一番近い。
顔がなく、肉体に起伏がないため男性か女性かさえ判別がつかない。その不気味な姿にゴーグルの少年は顔から血の気が引いていた。
帝督はポケットに手を突っ込んだままで相対する。
「学園都市が作った新兵器か? 依頼もムカつくが、こんなものの後始末をしなければいけない自分にもムカつくな」
未元物質を行使しようと演算を開始する。が、異変が起きた。ゴーグルの少年が、何の前触れもなく倒れた。そのまま反応がない。
(……なんだ?)
それを皮切りに、『彼』に変化が生じた。右腕に電流が走ったかと思うと、指が生えた。
それは生々しい人間の人差し指で、肌や爪、シワの一本一本まで細緻に構成された生体だった。
帝督の顔が真剣味を帯びる。
「どうやら三流研究者の失敗作じゃねえみたいだな」
合図を送ると、スナイパーが発砲した。狙いは数分違わず、標的の頭部と腹部に命中する。
だが、何の反応もない。飲み込まれた銃弾がどうなったのかさえ判らない。
とうとう垣根帝督が六翼を展開する。その凄烈なAIM拡散力場に反応して、『彼』が動いた。
生身の人差し指を振るう。すると、彼の背中の右肩甲骨付近から、白い翼が生えた。帝督が顔をしかめる。
「猿真似か。ちょっとムカついた」
嘲るのも、次の瞬間には驚愕に変わった。『彼』の翼が羽根をばら撒いたからだ。
警戒し、四枚の翼で防御したが、攻撃ではなかった。ばら撒かれた羽根は夜空に昇り、上空まで届いたかと思うと、忽ち増殖、拡散を繰り返して学園都市全土に羽根を散布した。
(……何がしたいんだ?)
意図が読めず、かと言って手の内も読めないので手出しできない。
攻め手を欠く帝督が様子見に徹していると、『彼』に変化が生じた。
全身が罅割れ、中身が露出する。ヒトガタの内部はがらん堂で、人工物らしき逆三角形の部品が忙しなく回転している。
帝督の整った顔立ちが凄惨に歪んだ。
「上層部……いや、アレイスターか。こんな悪趣味な道具を作り出す奴は」
この学園都市を作り上げた魔術師の存在が脳裏を過ぎる。だが、好都合だ。
この暴走している道具を回収し、その秘密を暴いて情報を得れば、アレイスターとの交渉権を獲得できるかもしれない。
先ずは壊さない程度にダメージを与えようとした。が、ヒトガタの部品から赤い光が走り、周囲を赤く塗り替える。
降り注ぐ赤い羽根を帝督が認識したときには、既に遅かった。
急速に人間の部位が手足の先から構成されていく。筋肉や臓器、細胞や血管、神経が構築されて中身を埋めてゆく過程が鮮明に見えた。
「チッ」
様子見に徹した自分を悔やみ、未現物質による攻撃を開始する。どのような原理でこの道具が動いているのか定かではない。
だが、未現物質は現実の物理法則を塗り替えて、外界を既存の法則に従わせない。
未現物質が作用すれば、この装置も機能を停止する――はずだった。
あろうことか、未現物質は『彼』に触れた瞬間に機能を停止し、既存の法則に堕ちた。
完全に生成された人体から、もう一枚の翼が生える。
――研究所が、崩壊した。
●
時間は戻る。『アイテム』の面々は、遭遇した幽霊に為す術もなく敗北した。
研究施設は要所を破壊され、機能しない。任務失敗だった。
しかし、それが麦野沈利を癪に障った。誇りを甚振られ、ただ一蹴して退けるのみ。
傷ひとつ負わさずに麦野を嘲笑った。
――わたしがコケにされた? あんなのに?
「滝壺ォ! 奴のAIM拡散力場は記憶したな!?」
こくりと頷く滝壺の腕を引き、案内させる。完全に頭に血の上った麦野を絹旗が止める。
「待ってください! 超危険です。この異常現象を見てください! あれが元凶としか考えられませんよ!」
「そ、そうだよ麦野ぉ。ヤバイって。あれ人間じゃないよ」
青褪めた顔でフレンダが嘆願する。が、激情に駆られた麦野には抑えがきかない。
「邪魔すんじゃねえ! このわたしがコケにされたんだ。このわたしをコケにしやがったんだぞッ!
ゴミ臭ェ肉を黒焦げにして犬に食わせても気が済まねえ!」
「ひいぃっ」
癇癪を当てられたフレンダが哀れを催す悲鳴を上げる。仕方なしに麦野に追従すると、滝壺が示す先に、金色の少女がいた。
「あらぁ? どちら様かしら」
「退け、クソアマ。その両方の口に焼き印つけて何も話せないようにしてやろうか」
「やだ、怖い。私、弱いからその人たちに盾になってもらおうかなぁ」
リモコンを押すと、麦野を除く三人が麦野と対峙する。その瞳は、金色の少女と同じ瞳をしていて、麦野は驚愕してから、少女を睨んだ。
「テメエ……」
「初めましてぇ、学園都市第四位さん。第五位の『精神掌握』です」
食蜂操祈は優雅に髪を撫で、挨拶を済ませると、『精神掌握』を解除した。三人は何事もなかったかのように操祈と対峙している。
麦野は心底不快そうに睥睨した。
「格下のカスが何の用?」
「取り引きをしに来たの」
「取り引きだぁ?」
胡散臭いと麦野の柳眉が釣り上がる。他人の心を恣にする女の言うことが信用できる方がおかしい。
元より、麦野は他人を信頼したりしない質だ。自分より格下の超能力者との取り引きなど応じるわけがない。
「すると思ってんのか?」
「そうねえ。でも、アナタには私の能力も通じそうにないし、そうするしかないのよ」
困ったように嘆息する。分の程は弁えているのだな、と感心して鼻で笑うと、操祈は微笑む。
「でもぉ、こちらの提示するものを聞けば、アナタも呑まざるを得ないと思うんだけどなぁ」
「ハッ! 面白ぇ。言ってみな」
「第八位の秘密について」
麦野の表情から色が消えた。操祈の美貌が艶めいた微笑で彩られる。
食蜂操祈は、二羽真理を売った。
●
――そして、舞台は絶対能力進化計画実験場に戻る。
美琴の腕の中には、死んだ真理がいた。美琴の視線が金色のロケットペンダントに吸い寄せられる。
夢で見た幼い真理が大事そうにしていた、恐らく彼の大切なもののひとつ。
それがなぜここにある。美琴が手を伸ばした。開かれたペンダントには、幼い彼の写真と名前が書かれていた。
一方通行は、真理と接触した自分の両手を訝しげに注視した。
確かに能力は滞り無く発動した。だが、彼の演算通りならば、対象は全身の血液を噴き出して絶命しているはずである。
なのに真理は表層上は無傷で倒れ伏している。この違和感は何だ?
その違和感の正体は、すぐに判明する。
美琴は、そこに刻まれた名前に我を喪った。強烈なフラッシュバックに眩暈と震えが止まらない。
これだったのだ。彼と出会ったときと赤子の見せた記憶にあった現実との齟齬は。
刻まれた名前が現実を示す。
『SINRI Hutaba』
そうだ――初めて会った時、彼は確かにシンリと名乗っていた。その後に訂正されて間違いだと思っていたが、彼の本当の名前はシンリなのだ。
では、マリとは誰だ?
「葛藤の果てにある答えは二つだ。絶望か、希望か。この二つしかない。この人生にシンリは希望を、マリは絶望を見出したよ。艱難辛苦汝を玉にす――おれは、この忸怩たる運命を挑戦と受け取った」
酷く穏やかで感慨深い声に美琴が振り返る。宙空を歩く長点上機学園の制服姿の長い黒髪の男子生徒。
夜闇でも視認可能な紫紺の瞳――違えようがない。今さら間違えるはずがない。
「男に生まれたからには、その悉くが頂点を目指すべきだ。なあ、第一位」
蓬髪を掻き上げ、白い面貌を露わにする。空間が軋む音がした。美琴が名前を呟く。嘘であって欲しかった。
彼は一笑に伏した。月明かりが全身を照らし――赤い雪が絶え間なく降り注ぐ中で、ついにマリは真理(クライン)を経て無限(メビウス)へと昇華する。
「挑戦を受け取れ。学園都市第八位――『無限錬成(エリクサーリング)』のな」