午後四時であった。
昼とも夕方ともつかぬ微妙な時間帯に起きた私のジャージが、妙にぶかぶかであった。最初は寝相の所為で脱げてしまったのかと思ったが、私の寝相は普通の範疇であるはずだった。奇妙な違和感に、私は「は?」と呟いた。芸もなにもあったものではない、つまらない一言であった。すうと、体温が引いていくようであった。
「は?」
もう一度、呟いたが、事態はなにも変わらない。
いつもはぐだぐだといつまでも布団に包まっている私であったが、引きちぎるように布団を剥いだ。
結論として、私の身体はもはや男ではなかった。
ぶかぶかになり、すっかりずり下がってしまったボクサーパンツの下には、あるべきものがない。長年の相棒は、どうやらいつまでも童貞であった私に愛想が尽きてしまったらしい。うっかり落とすような代物でもないのに、布団を捲っている私は相当なマヌケである。ポケットの小銭を探すコント芸人のようにぺたぺたと全身を触っても、当然ながら相棒の影も形もなかった。尻や胸元にあるはずがないし、あったら怖い。
観念した私は、ジャージをずるずると引きずりながら、鏡のある洗面台へと向かった。
ジャージ姿の「星輝子」が立っていた。
フランツ・カフカの「変身」のように、毒虫にならなかったことを喜ぶべきか、とうとうある種の精神障害を患ってしまったのかと悩むべきか、私には分からなかった。夢であれば、まだいい。これが妄想や幻覚の類であれば、私は精神科の病棟にぶち込まれてしかるべきであるし、ドラッグやクサをキメていないことを祈るばかりである。五感もしっかりしているし、これが夢であるならば「マトリックス」や「インセプション」でもあるまいし、もはやなにが現実かも分からない。夢でもないし、妄想でもないと仮定するほか私にはない。
不幸中の幸いか、私は無職のひきこもりであり、私の身体が突如として星輝子になってしまったというトンチキな事態を説明しなければならない交友関係も一切ないということであった。
ニートでよかったー!
よかねえよボケ。
ともあれ、星輝子。
輝子ちゃんである。
まず妄想や幻覚を疑ってしかるべきであったことをご理解いただきたい。
現役アイドル。
十五歳。
かわいい。
ちっちゃい。
かわいい。
最高。
(私であるという以外)最高。
テンションブチアゲ。
俺は星輝子だ。
誰が何を言おうと星輝子なんだ。
興奮のあまり、完全に我を失っていたし、星輝子になってしまったので実際に失っている。
私はノリでツイッターのアカウントを新設していた。
ほぼ輝子@syoko_O6O6
やあ。
渾身の自撮りも貼ったので、これで私も輝子ちゃんのそっくりさんとして一躍有名人である。失った愚息の代わりとばかりに、承認欲求という魔物がぎちぎちに勃起していた。
「フヘ」
妄想逞しい私の口元が、マヌケにも緩んだ。
●
翌日、私はすっかり「やむちゃん」になっていた。
なぜか。
渾身の自撮りツイートが一切バズらなかったからである。
冷静になれば、誰もフォローしていないし、フォロワーもいないから当然である。それでバズると思っていた私はとんだ阿呆である。完全に浮かれていただけであった。
普段はほぼ輝子(これも冷静になればしょうもないギャグであった)とは別のアカウントでツイッターをしているから、それで十分なのである。ほぼ輝子は裏アカウントのようなものであった。それにほぼ輝子で誰かフォローしたとしても、現状では得体も知れないなりきりアカウントでしかない。私だったら絶対にフォローバックしない。
結局、まずは輝子ちゃんを筆頭に、本アカウントでもフォローしているアイドルの公式アカウントだけフォローすることにした。本アカウントでいつものようにしょうもないツイートを二、三してから、私はほぼ輝子でもツイートをした。
ほぼ輝子@syoko_O6O6
自分を星輝子と信じて止まないひきこもりが、ピザとコーラで優勝する動画です。
まさかの二番煎じである。
独創性の欠片もない無産オタクの末路であった。
自撮りツイートはバズらなかったが、しかしこれでよかったかもしれないと私は思っていた。なにせ、もはや私は輝子ちゃんとなにもかもが瓜二つなのである。私がピザとコーラで優勝しているだけで、輝子ちゃんがピザとコーラで優勝しているのである。「いっぱい食べる君が好き」というキャッチコピーがあったが、全面的に同意したい所存である。どうしてもちゃもちゃなにかを食べているだけでこれほどかわいいのか。輝子ちゃんだからなのか。
犯罪的である。
背徳的である。
かわいい。
最高。
(私である以外)最高。
動画編集はクソ面倒で、ゴミみたいなクオリティーになってしまったが、私はこれまで人生で味わったことのない多幸感に包まれていた。輝子ちゃんがもちゃもちゃピザを食っている姿を延々と観ていられる幸せを、それが動画編集の為であったとしても貴君は味わったことがあるのか。いや、ない。
ないよね?
私はある。
羨ましいか。
羨ましいだろ。
羨ましいと言ってくれ。頼むから。
フォロワーがいないので、今回も当然ながらリツイートもいいねもなかった。
優勝したカロリーを消費する為に、筋トレをしてから私は不貞寝した。
●
私にはお金がない。
いや、あるにはある。
数年ばかり働いていた頃の貯金が、私の生命線である。どうにも心許ない生命線であるが、長時間労働ですっかりフヌケになってしまったオタクヂカラのおかげで財布の紐はかちかちである。細々と生活するだけの余裕はあった。かつては単位を犠牲にバイトをしてライブに赴いていた現地参戦オタクであったが、もはやただの在宅オタクである。私が無趣味オタクというどうしようもない存在であるかは、読者諸兄の判断に任せたい。無職という時点で既にどうしようもないのは、疑う余地もない。
賢明な方々はもう分かっているかもしれないが、お金を得なければならない私は「好きなことで、生きていく」ことにした。いわゆる動画配信者である。もっと俗な表現をすれば、YouTuberである。ただ、「YouTube」である必要もない。「ニコニコ動画」や最近では「OPENREC.tv」「Mildom」という動画配信プラットフォームも新興している。輝子ちゃんの容姿ならば「FC2」「Pornhub」でアダルト配信をしてもいいかもしれないぜと、煩悩に忠実な幻影ジョニーの意見を、私は紳士的に却下した。
BANが怖いのではない。
ものまね芸人として芸能界での地位を確立している松村邦洋が、よくものまねしている方々にお歳暮を贈っているという逸話が有名である。「ものまねさせていただいている」という、相手へのリスペクトが重要なのである。私の破廉恥な失態によって、輝子ちゃんの名を汚すことは断じて許されない。
「許せ、ジョニー」
完璧な論理武装によって魔王ジョニーの尖兵に辛勝した私であるが、いつまたジョニーの魔の手に襲われるかも分からぬ。桃色の脳細胞たる私も、さすがに内なるリビドーを発散しているときのサボテンレベルになってしまった脳味噌でジョニーに対抗できるか分からない。もはやどこにもいない相棒ではあるが、きっと草葉の陰で私を監視しているはずだ。常に手綱を握らなければならないと、私は決意を新たにした。
妄想逞しい私であったが、無難に「YouTube」で配信することにした。まず知名度や利用しているユーザー数がダンチである。私の類稀なる叡智が、長いものには巻かれるべき、さらにいわゆる「VTuber」と呼ばれる方々がスーパーチャットという文化の敷居を下げてくれたのならばそれを利用しない手はないと判断したからであった。
万年床でしっかりと精神統一をし、「ライブ配信を開始」をクリックした私の手は武者震いをしていた。
どーんといこうや。
●
はい。
はいじゃないが。
輝子ちゃんと寸分違わぬ愛らしい容姿と声、私の溢れんばかりの輝子ちゃんへの愛、ラジオやライブ映像から徹底的に研究し、輝子ちゃんを完璧に理解した私の天才的なトークスキルによって訪れてしかるべき栄光のYouTuberライフを夢想していた私は、やはり施しようのない阿呆であった。
配信はまるで視聴されていなかったし、アーカイブもまるで再生されていなかった。
敗因は歴然としていた。
配信している私が、ほとんど無言だからである。
「League of Legends」「Fortnite」「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」などのオンライン対戦ゲームにありがちなことであるが、私もすぐに「あったまって」しまうのが欠点であった。恥ずかしながら、興奮してつい暴言を吐いてしまうことなどもはや星の数ほどであるが、輝子ちゃんの姿である以上、それはもう許されないのである。しかし、なかなか直せないのだから仕方がない。
私は比較的、紳士的にプレイでき、かつコンテンツヂカラのある「モンスターハンターワールド:アイスボーン」をチョイスした。
ほぼ輝子@syoko_O6O6
自分を星輝子と信じて止まないひきこもりが、野生と戯れる配信です。
以下、約一時間の配信における私の発言である。
「ほぼ輝子です。ひと狩りします」
「フヘ」
「輝子ちゃんに似ている自信はあります」
「ラージャン行きます」
「捕獲するか」
「フヘ」
「お疲れさまでした」
「キノコ発見」
「お疲れさまでした」
「なかなか眠らないスね」
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
「じゃあ、また」
「フヘ」
以上である。
やる気あるの?
ないなら帰っていいよ?
「グエー」勝手にトラウマを抉られた私は、陸の上のジュラトドスのようにびちびちと悶絶した。「死んだンゴ」
これはだめかもわからんね。
弁解の余地をいただきたい。
私は石橋をしっかりと叩きながら入念にチェックし、最後には叩き壊してしまい、渡らずに正解であったと判断するほどの慎重派である。私は輝子ちゃんのイメージを壊さないように配慮を尽くしていた。配慮するあまりにまるで発言できなかったことは反省すべきであるが、彼女のイメージを壊さないという目標は達成したと私は確信している。キノコを発見、採取したときのコメントと、最後のお別れの笑顔はまさに筆舌に尽くしがたい。見事に輝子ちゃんを演出している。「輝子ちゃんはそんなこと言わない」とのコメントを頂戴したが、前向きに検討していきたい所存である。
散々ではあったが、配信終了直前にスパチャ(二五〇円)*1を頂戴していた。本当に直前であったので、返信できなかったのは無念この上ない。誰か分からぬが、誠に感謝である。
私はなにがしに足を向けて眠らぬよう、テキトーに就寝した。
●
反省するだけなら猿でもできる。
反省からなにを学ぶかが、叡智の結晶たる我々人類には肝心なのである。
私は先人に倣うことにした。
砂塚あきらちゃんである。
輝子ちゃんも所属しているプロダクションとしては新顔のアイドルであるが、アイドルになる前から動画配信者として活動しているという歴戦の猛者である。あきらちゃんの主戦場は「
要チェックや!
「いざ!」カチッ。
ほーん。
へえ。
はー……。
なるほどなあ。
んー。
把握。
理解した。分からないということを完全に理解した。
嘘、ホントは分かっているからちょっと待って。
マジ。
マジで。
あきらちゃんは特別なことをなにもしていなかった。プレイもトークも、普通なのだ。平凡なミスもするし、無言になることもある。それでも普通なのである。より言語化するならば、あきらちゃんは常に自然体であった。誰だってミスをするし、誰だって無言になることもある。あきらちゃん、ともすれば他の配信者にとって、配信も単なる日常の一ページにすぎないのである。
私に足りぬものは、これであった。
「それができれば誰も苦労しないんだが?」
なにせ星輝子になっていること自体が、私にとって非日常的なのである。ハミガキをしながらぼけーとしていると、ふとした拍子に以前の私が鏡に映っているのである。無論、これは幻覚であり、次の瞬間には星輝子がハブラシ片手によだれを垂らしながら呆然としているのである。酷いときには、以前の私と星輝子がヘドロのように渾然一体となりながら、道頓堀の底でカーネル・サンダース人形とワルツを踊っている悪夢に苛まれる始末である。夢であったとしても、輝子ちゃんに申し訳が立たぬ。
ともかく、この身体を「日常」とするには、多大な時間が必要に思われた。
結局、配信は場数を踏むしかないという無難な結論にソフトランディングしたが、あきらちゃんの動画に注目すべき点があったことを追記したい。あきらちゃんは反応すべきコメントの取捨選択が、とにかく早いのである。平凡なプレイをしているように思われたが、プレイしながらも常にコメントを追っている。周辺視野の把握に優れているのかもしれない。あきらちゃんの視線は意外と忙しないが、それでもプレイやトークは淡々としている。
残念ながら、女性配信者は下世話なコメントに晒されかねないという現状が背景にあるのかもしれない。ホモ・サピエンスにあるまじき低俗な連中が存在してしまうのは、ネットもリアルも同じである。それに反応すると連中の思う壷であるが、あきらちゃんは冷静であり、コメントの取捨選択は実に妙技であった。
これは大いに参考にすべき点である。
しかし、これで十五歳か……。
辞書の破廉恥な単語に蛍光マーカーが引かれていないかチェックしていた私の十五歳とは雲泥の差であった。比較するのも失礼千万であるというご指摘があれば、コメントお願いします。よれけばグッドボタンとチャンネル登録してくれると嬉しいです。
「……」
無理があるのは私にも分かっている。
私とて、とっとと配信に慣れたいのである。苦肉の策だとご理解をいただければ幸いである。