自分を星輝子だと思いこんでいる一般人   作:木木木登美彦

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偽者(8)

 棚ボタで端役ながらドラマに抜擢された私であるが、ふと冷静になると、いまさらながら不安になっていた。私のようなトーシロがドラマに出演するという、なかば非現実的な事態に、私はなにかしていないと、お尻がふわふわとしているようで仕方がなかった。逆転マジックミラー配信で汚部屋云々と馬鹿にされていたのでちまちま断捨離をしたり、発掘した「最終兵器彼女」「グミ・チョコレート・パイン」を懐かしんだり、のこのこと部屋に現れた不運なゴキブリとアシダカ軍曹の死闘を観戦したり、坐禅の真似事をしたりしながら、私は無意味に時間を浪費していた。

 これほどまでに不安になっていたのには理由がある。ドラマの初稽古が間近に迫っているからであった。

 私のような若輩者は、きっと生意気な新人として先輩方からボコボコのタコ殴り、「築地銀だこ」の具にされ、悪辣な番組関係者の甘い言葉に惑わされれば、今後も仕事が欲しいのならとスケベブックのようなハレンチ営業をさせられ、私は業界の闇という闇にどっぷりと糠床のキュウリのように漬けられてしまうのである。

 私は妄想でいっぱいになった脳味噌をアドバルーンのようにふわふわとさせていたが、ふわふわと生きているのは平生からではないかと思うと、「すん」と冷静になった。

 なにを不安になる必要があるのか。

 私がいかなぺーぺーであれど、私と芝居をするのは子供である。ヘンテコな生態系をしている私は別として、ほかに主人公達の少年時代を担当している役者は、正真正銘の小学生であるとオカマ魔女氏から頂いた資料にも書かれていた。まだママのミルクが恋しいガキんちょどもを、なぜ年長者たる私がビビらなければならぬのか。雑念が払われるかのような感覚に、私はさすが坐禅であると感服していた。

 無我の境地に至った私は、坐禅をしたまま、すやすやと眠っていた。

 数日後。

 身体の節々がなぜか凝っていた私は、全身から湿布の匂いを芬々とさせながら、稽古をするプロダクションのスタジオへオカマ魔女氏と一緒に向かっていた。オカマ魔女氏によれば、出番も限られている子役組は、稽古というよりも顔合わせや、なかば稽古の見学であるという。将来有望であるという若手俳優達の演技を間近で見学できるのは素直にありがたいが、なにやら不安になっていた私が阿呆のようであるし、実際に阿呆ではある。

 

「ほかの子も経験は浅いし、まずは慣れさせたいのよねえ」オカマ魔女氏は苦笑した。「アナタほどは、緊張していないと思うけど」

 

 余計なお世話である。

 だが、私が不安で碌に昼寝もできていなかったのは事実なので、紳士的に反論しなかった。ほかの出演者のプロフィールや当面のスケジュール、パンケーキがおいしいオススメのお店など、他愛のないあれやこれや、やはりおしゃべりなオカマ魔女氏の背中を、私は雛鳥のように追っていた。

 

「稽古が終わったら、なにか予定はある?」

「え、や、ないですけど」

「なら、予約するから、ヘアサロンに行きましょ」

 

 輝子ちゃんの姿になってから数ヶ月であるが、私は一度も散髪をしていない。腰元まであった髪も、もはや尾骨まで達している。お風呂上がりに全裸で涼んでいると、髪の毛がお尻にさわさわとして擽ったい。ダンディー監督にも髪を切ってほしいと頼まれているし、未知の感覚に私のお尻が開発されてしまうのも時間の問題である。

 ただ、私は近々散髪するつもりだったのだが。

 

「予約でもしなきゃ、どうせ行かないでしょ。勘だけど、アナタ、誰かにお尻叩かれないと動かないタイプね」

 

 私という男が即断即決、どれほど行動力に優れているか、どうやらオカマ魔女氏は知らないらしい。いかに熱弁しようかと思ったが、子どもの屁理屈と思われるのが関の山のようにも思われ、私は冷静に撤退した。私が無駄な戦をしない平和主義者であるのは、読者諸兄もご存知のはずである。一説によれば、ただの腰抜けであるという見解もある。

 やはり鋭いオカマである。

 さらに、お節介なオカマも、どうやらフィクションの存在ではなかったらしい。人間関係の機微に疎いひきこもりの私でも、オカマ魔女氏は随分と面倒見がいいようであると分かっていた。

 

「アタシが拾ったようなものだし、右も左も分からない新人の面倒を見ないほど、アタシも薄情じゃないわよ」

「姐御……」

「あねご?」

 

 オカマ魔女氏でなければ、惚れていたかもしれない。

 元男とオカマの恋物語は、さすがの私も守備範囲外である。

 

 ●

 

 子役の方々の輪にはまるで入れなかったが、初稽古も無事に終わっていた。私は、オカマ魔女氏が予約したヘアサロン(プロダクションが経営しているヘアサロンで、ヘアスタイリストの卵が所属しているという)で、お尻まであった髪をばっさりとカットしてもらっていた。男の子っぽい髪型にしたほうがいいのかしらんと思ったので、私は「結城晴ちゃんのようにしてください」と美容師さんにお願いした。オカマ魔女氏から事前に話があったのか、輝子ちゃんと瓜二つでも本人とは誤解されなかったが、美容師さんからプロフェッショナルとして丁寧なカットと小粋な雑談をされ、私はフヘフヘしながら天井にあるオシャレなシーリングファンライトをじっと睨んでいた。ハンドミラー片手に美容師さんが仕上がりを確認していると、オカマ魔女氏が私のセットチェアーに寄ってきた。「晴ちゃんって、ちょっと安直じゃない?」とのお小言はあったが、どうやらドラマへの支障もないようであった。

 オカマ魔女氏と美容師さんにペコペコ頭を下げながら、ヘアサロンのハイカラな雰囲気から命からがら敗残してきた私は、いつものように配信をしていた。

 

「髪切りました?」

 

 コメントがあったのは、ディオ・ブランデーさんと彼の知り合い(ディオ・ブランデーさんがなにかと知り合いに紹介してくれるおかげで、逆転マジックミラー配信以外ではスマブラSP配信が最も安定して同接されていた)の対戦を観戦しながら、ぐだぐだと雑談しているときである。

 新メンバーである「ひよこっこ」さんからであった。

 ひよこっこさんは静岡の大学生で、やはりアイドルオタクである。大学の劇団サークルに所属しているが、会員が減少してなかば活動を休止しているらしい。外部の劇団や養成所を探しているときに、私がプロダクションの養成所に所属している噂を耳にし、配信を観るようになったという。私のしょうもない話を参考にされると、プロダクションの営業妨害にならないか不安である。

 

「かわいいです」

 

 ひよこっこさんのコメントはいつも丁寧で、物腰が柔らかい。きっと実に奥ゆかしい黒髪の乙女である。異性の髪型の話になると、やれ失恋した、新しい男の趣味だと下世話な連想ゲームしかできない、情緒の欠片もない童貞どもでないのは明白である。

 

「晴ちゃんぽいね」

「かわいいけど、それはちゃうやろ」

「アホ毛なかったら面影ないじゃん」

「解釈違い」

「輝子ちゃんはどうした」

「まーた設定を忘れたのか」

 

 奥手な童貞どもは誰かが髪型の話をするのを窺っていたのか、梅雨明けのボウフラのようなコメントが湧いていた。

 オタクどもには私が輝子ちゃんの髪型を軽視しているように思われたかもしれないが、これは役者としての、実にプロフェッショナルな役作りの一環である。ときとして、輝子ちゃんがツインテールになるのと同義である。ルーズサイドテールにはならないかもしれないが、それは些細な問題である。重要なのはこれが役作りであるという一点である。

 当然ではあるが、私はドラマの一切の情報を公開しないよう、オカマ魔女氏から何度もお小言を頂戴している。おかげでタコの肥大化した私の耳がダンボのようになっていないか、心配である。ソーシャルネットワーク時代の黎明期を生きてきた私が、ネットリテラシーに精通していないはずもないのだが、オカマ魔女氏からあまり信用されていなかった。ほぼ輝子としてしょうもない小火を幾度と起こしているので、それは実に正しい。オカマ魔女氏はやはり慧眼であった。

 

「髪型は関係ない」ドラマを言い訳にできない私は嘯いた。「大事なのは心、私の輝子ちゃんを想う心である」

「詭弁!」

「詭弁だ!」

 

 教室の片隅で馬鹿話をしている小学生男児のようないつもの我々であったが、ふと「おや?」と私は思った。いつもなにかとチャット欄を賑やかしているガブリアむさんが、なぜか髪型の話の輪には入っていなかったが、別に気分ではなかっただけかもしれないし、たまたまお花を摘んでいるのかもしれない。

 

「ま、ええか」と私は思った。

 

 それからも何度か配信で髪型について弄られていたが、ガブリアむさんがコメントすることは一度もなかった。

 

 ●

 

 レッスンと稽古以外は基本的に時間感覚に乏しい、薄味な日々を送っているので、いつの間にかドラマの撮影が始まっていた。いわゆるクランクインである。

 なにかと私の世話をしていたオカマ魔女氏も、本格的に番組プロデューサーとしての仕事に追われるようになっていたが、私の為に代わりのプロデューサーを用意してくれていた。いつものようにおしゃべりなオカマ魔女氏のおかげで、私はプロデューサーのバックグラウンドをだいたい把握していた。

 かつては番組のアシスタントプロデューサーとして、芸能界の大物である黒井崇男氏とも仕事をしていたが、なにかポカをしたのか、干されていたらしい。閑職に左遷させられ、燻っていた彼を、一緒に仕事をしていたオカマ魔女氏がプロダクションに推薦したという。動物バラエティー番組に携わっていた関係か、プロダクションでは番組ディレクターとして動物タレントやペットモデルの管理や手配を任されていた(オカマ魔女氏とは立場が逆転していた格好である)が、以前からアイドルやタレントのプロデュースやマネージメント業務への転属を希望していた。大物プロデューサーでもあるかの黒井崇男氏に憧れているからか、もっと別な理由があるのかは分からないが、それが私のプロデュースを任された一端でもあった。

 ただ、希望が叶ったと思っていたら、実情はなにも知らない新人のお守りである。

 ご愁傷様である。

 先日、私との顔合わせに現れた彼は「なぜ俺がこのような小娘の面倒を見なければならんのか」という表情をしていた。「仕事はできるけど、性格が玉に瑕なのよね」とはオカマ魔女氏の言であったが、なるほど納得である。「電撃!ブタのヒヅメ大作戦」の悪役バレルを彷彿とさせる、小物という概念を限界まで濃縮したような男であった。

 いかに小物であれどお世話にはなるので、礼儀として私は深々と男に頭を下げた。

 

「フン」小悪党氏は、お手本かのように鼻を鳴らした。「私にはお前のような小娘のプロデュースがお似合いということか」

 

 それでも小悪党氏はオカマ魔女氏を引き継ぎ、十全に仕事をしていた。頭の先から足の裏まで、細胞という細胞から濃密な小物臭を芬々とさせていても、大手芸能事務所で働いているほどの男である。ひきこもりの私には想像もつかないバイタリティーと上昇志向があった。

 プロデューサーへの転身を望むだけはあるなあと、私は他人事のように感心した。

 意外と有能な小悪党氏に引きずられながら、私はドラマのロケに向かっていた。ロケ地は坂本金八と、生徒である三年B組どもが青春を謳歌しているような河川敷である。

 私が演じるのは「昆虫が好きな、内気な少女」である。

 読者諸兄も小学校のクラスメイトの一人や二人は、無駄に昆虫や恐竜に詳しかったはずである。教室の隅で黙々と図鑑を読んで、網を片手にひとりで野原や草藪を歩き回っている少女。それが彼女である。しかも昆虫が好きなのに、コンクリートジャングルである都会に生まれてしまったという、なんとも難儀な少女であった。私も人生に難儀しているひとりであるが、彼女が可哀想なので一緒にはしなかった。

 ひとりで昆虫を探していた彼女を男の子と勘違いしたまま、一緒に遊んだのが主人公である、というベタな設定であった。

 どうにか撮影が終わっていた私の目の前では、メインキャストによる河川敷のシーンが撮影されていた。いつものように子役達の輪に入れなかった私は、ひとりで撮影を見学して勉強したり、差し入れのバウムクーヘンを貪ったり、渡されていた台本で撮影されているシーンをチェックしたり、衣裳である網を片手に童心に帰ったり、エキストラとして参加している少年野球チームの子どもとキャッチボールしたりしていた。

 

「……」

「あ、お疲れさまでふ」

 

 小腹が空いたので失敬していたバウムクーヘンをむしゃむしゃしていた私は、仕事の合間に現場の様子を確認していたオカマ魔女氏に呆れられた。

 

「どうだった?」

「それはもうバッチリですよ」

「嘘つけ」小悪党氏は私の言葉を一蹴した。「バカみたいにガチガチだったじゃあないか」

 

 私がどのような醜態を晒したかは、名誉の為にノーコメントとさせてもらう。

 担当している小娘がお荷物だと分かったら、野心家の小悪党氏がどうなるのか、私は心配であった。しかし、トーシロっぷりを存分に発揮していた私にも、プロデューサーである小悪党氏は「フン」と鼻で笑うばかりである。

 

「フフフ」小悪党氏が、やはりお手本かのように不気味に笑った。「この小娘で成功すれば、私のプロデュースは本物ということになる……。私を虚仮にしたあの男……、必ず後悔させてやる……。フフ、フハハハハ」

「大丈夫なんですか、あれ?」

「たぶんね」と、なにか知っているのか、オカマ魔女氏は苦笑するだけであった。

 

 私は、小悪党氏が私のヘンテコな人生に巻き込まれた被害者だと思っていたが、実際はどうやら逆でもあったようである。誰かをけちょんけちょんにする妄想でもしているのか、呆れている我々を余所に、小悪党氏はなおも悦に浸っていた。さながら脱獄に成功した「ショーシャンクの空に」のアンドリュー・デュフレーンのようである。小悪党氏のほうが芝居に向いているのかもしれない。

 私の肩をぽんと叩き、ダンディー監督に挨拶する為か、オカマ魔女氏が去っていった。小悪党氏はなかなか妄想から戻らないようなので、私も挨拶をして帰ろうかなと思ったときである。

 

「あ、あの」

「んあ?」

 

 それは、サイズがブカブカなTシャツに、ジーンズというラフな格好をした女であった。

 読者諸君は地味な格好のように思われたかもしれないが、ヴィレッジヴァンガードに陳列されているような珍妙なプリント(「生きとったんかワレ」と叫んでいる浜田雅功氏)のTシャツに、紛争地帯から拾ってきたかのような濃色のダメージジーンズ。脳味噌までクライナーファイグリングかコカレロに侵されているパリピがしているようなハート型のサングラスに、目深に被ったモスグリーンのSuperdry極度乾燥(しなさい)のキャップ。ショッキングピンクに、スカイブルーのインナーカラーの髪は、まるでコストコで売られているアイスクリームのようである。

 つまりは、実に奇抜な女であった。

 というか、りあむちゃんであった。なぜここにりあむちゃんが。

 呆然としている私の腕を、りあむちゃんがむんずと掴んだ。やや強引だったので、私は「柔道でもするのかな?」と思ったが、ただの握手だったのかもしれない。りあむちゃんの掌は、汗でしっとりとしていたが、柔らかかった。

 

「ほぼちゃん! ぼく、推してる! から!」

 

 私は困惑した。

 私をストーキングしているとは、どうやらアイドルもよほど暇らしい。


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