優男氏や大男氏のように、プロダクションの関係者が私の動向を把握しているのはなかば予期していたが、よもやアイドルであるりあむちゃんまで把握しているとは予想していなかった。ただ、私とりあむちゃんは俳優とアイドル、部署は違うが同僚のようなものであるし、りあむちゃんは各地のライブハウスから出没情報が寄せられている重度のドルオタでもある。輝子ちゃんの偽者として5ちゃんねるのアイドル関連スレを冬場のドアノブに触ったときの静電気程度には騒がせていた私を知っていたのかもしれない。
だが解せないのは、なぜ赤丸急上昇のアイドルであるりあむちゃんが、ひよっこ同然の新人俳優である私のスケジュールをも把握しているのかという点である。
ストーキングの可能性が濃厚であれど、りあむちゃんは仮にも業界の先輩である。呆然としながらも、私はどうにか頭を下げた。
「お、お疲れさまです、夢見さん」
たまたま不良グループの先輩に会ってしまった地方の中学生のような挨拶が精一杯であった私にも、りあむちゃんは無邪気な幼児のように笑っていた。状況がなにも分かっていないようでもあった。私の掌は、いまだりあむちゃんに握られたままである。
「えへへ」
「フ、フヘヘ」
りあむちゃんは、さらに空いている左手で私の掌をふんわりと包むように握ってきた。さながら握手会であった。常日頃から爆発炎上しているイロモノであるのが嘘のような、無垢な笑顔である。「りあむちゃんも立派なアイドルなのだなあ」と、私はいまさらながら実感していた。
「おい」
「ひん」
不意に肩を叩かれ、私はマヌケな悲鳴を上げた。小悪党氏であった。どうやら妄想からは戻ってきたらしい。
憮然としたような小悪党氏を前にしても、りあむちゃんは私の手を離さなかった。嬉しかったが、状況が状況なので、私の視線はウィンブルドンの観客のようにりあむちゃんと小悪党氏の間で右往左往していた。りあむちゃんはやや呆然としていて、表情が「誰コイツ」と雄弁に語っていた。小悪党氏の目は、悪党の面目躍如とばかりに鋭かったが、りあむちゃんは実に呑気であった。いつもはやむやむうるさいりあむちゃんであるが、土壇場ではなにかと度胸があると評判であった。もこもこのファーショールばりの毛皮の心臓が、りあむちゃんの大物たる所以かもしれなかった。あるいはただの阿呆である。
固まったままの我々に、小悪党氏は不承不承とばかりに名刺を出していた。
「お疲れさまです、夢見りあむさん。私は、ほぼ輝子のプロデュースをしております。以後、お見知りおきを」
「はあ」と、りあむちゃんはお手本のような生返事。「どうも」
小悪党氏から渡された名刺を、りあむちゃんは「くまのプーさん」のようにのたのたと尻ポケットに入れていた。格好が格好なので仕方ないのかもしれないが、あまりにも無造作である。ジーンズを洗濯するときに忘れていないか心配になったが、もはや二、三人殺しているのではないかと思われるほどの小悪党氏の形相が、私にはなによりも不安であった。
私は「とっとと退散したほうがいい」とアイコンタクトしたが、なにを誤解したのか、りあむちゃんはふにゃふにゃと能天気に笑うばかりである。あまりにもかわいいのでもうちょっと拝んでいたかったが、小悪党氏の無言の圧に、私は失敬していた差し入れのバウムクーヘンをボディバッグから出していた。ホワイトチョコが白馬八方尾根スキー場の白銀のゲレンデのようにコーティングされていて、私にはまず縁もないお上品なバウムクーヘンである。
「お、お近づきの、印に。フヘ。ま、また、会いましょう」
「う、うん! またね!」
邪念の欠片もないりあむちゃんの笑顔は、まさに純真無垢の権化であり、かぐや姫の赤子時代もかくやと思われるほどに愛らしかった。かつて郷里の山野を愛の光で満たしたともされるそれは、あまりにも眩しかった。「ぐお」化けの皮が剥がれれば、ただのむさ苦しいひきこもりである私は、なにかりあむちゃんを騙しているようにも思われ、滅せられるバケモノかなにかのように呻いた。ただの差し入れであるバウムクーヘンを後生大事とばかりに胸に抱き、何度も私に振り返りながら去っていったりあむちゃんの姿は、健気ですらあった。
りあむちゃんが去ってから、小悪党氏が深々と溜息をした。
すわ怒られるかと思ったが、どうやら違うようであった。私は安堵した。
「お前がなにも漏らしていないのは、俺も確認している。確かに、お前の動向をほかのプロデューサーとも共有はしていたが、あいつまで知っているのは、……俺も知らん。あいつらの管理はいったいどうなってるんだ」
悪態を吐きながら、小悪党氏は誰かに連絡していた。なにか悪事が窮地に陥ったときの悪役さながらの小悪党氏は、不謹慎ながらやや愉快であった。さすがにこれは本当に怒られると思ったので、私は小悪党氏の隣でじっと黙っていた。小悪党氏の会話から推察するに、相手はどうやらりあむちゃんのプロデューサーのようである。小悪党氏はりあむちゃんと相対しているときよりよほど冷静な表情ではあったが、なにやら飄々と躱されているようであった。残念ながら、小悪党はレスバに弱いと相場が決まっている。
苦虫を噛んだような表情で、小悪党氏が電話を切っていた。
「クソ。あの女狐が」
あまりにも小悪党らしかったので、台本でもあるのかなと私は思った。
「あいつの評判は、お前も知っているだろうが……。もはや放火魔だ。付きまとわれないように注意しておけよ」
随分と辛辣な表現に、私は苦笑した。
「りあむちゃんもそこまで暇じゃないかと」
「だといいがな」
結論として、小悪党氏の予感は的中することとなった。
私とりあむちゃんは、微妙な関係のまま、長い付き合いになっていった。
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ドラマでは大した出番もないので稽古や撮影もほとんどなかったが、小悪党氏の愛の鞭でなにかとレッスンを入れられ、私はそれなりに忙しい日々を送っていた。プロダクションが経営している貸しスタジオの一室をモップで磨きながら、私はむにゃむにゃと欠伸をした。
プロダクションではタレントの卵である養成コースの学生やフリーターに、撮影のエキストラ、ライブやイベントのスタッフ、保有している施設のスタッフなどのアルバイトを紹介、斡旋しているという。かつて無名だったウサミンがプロダクションの社屋に併設されたカフェで働いていたという話も、ファンの間では有名である。私も、小悪党氏からスタジオの受付スタッフの仕事を紹介されていた。
「金があれば退会もされづらいし、我々は人手を確保できるからな。お前は、単純に手元を離れられると困るってのもあるが」
「ぐえー」と、いまだ厄介者の私は呻いた。
ただの親切ではない、実に打算的で裏のある話であった。ただ、安定した収入のない私にはありがたい話でもある。白亜紀ぶりの労働に不安もあったが、私は小悪党氏の話を承諾していた。
これが、私がスタジオを掃除している経緯である。
「第一ルームのチェック、終わりました」
「はい、ありがとうね」
「うス」
社員である店長は、全てを受け止め、包み込むような大きなひとであった。つまりは縦にも横にもデカい、マシュマロマンのような大男である。日本体育大学の相撲部出身という、バリバリの体育会系エリートでもあった。輝子ちゃんの身体になってから、大男氏を筆頭になにかと巨漢に縁があるが、店長は実に圧巻の一言であった。どのようなトラブルにも対応できるような強靭な肉体に、恵比寿様のようにいつも温和で優しい人柄と、私との絵面がもはや犯罪的である以外は、実に頼れるありがたい存在であった。
恵比寿店長の巨体にすっぽりと隠れるように、奥のデスクで経理を担当しているのが、スタドリさんである。栗色の髪を編み込んでサイドに流している。綺麗な女性なのだが、いつもスタドリという得体の知れない栄養ドリンクを飲んでおり、疲れているのか、表情にはやや陰があった。ほかのスタッフは、親戚が本社で働いており、それに劣等感を抱いているのではないかと噂をしていた。スタドリは、かの親戚からなにかと送られてきているという。
アルバイトであるほかのスタッフは、デビューしたばかりの歌手や無名の俳優など、私と似たような境遇であるらしい。スケジュールが流動的な彼らはシフトも変則的で、私はまだほとんど顔と名前が一致していなかった。なお、スケジュールが一番空いているのは、私である。
輝子ちゃんと瓜二つである以前に女子小学生と大差ない背格好の私に、アルバイト当初は困惑していたようであったが、彼らのサポートのおかげで私も業務には慣れてきていた。斯様に、環境や人間関係に恵まれ、私の日常はかつてでは想像もできないほどに変化していた。
一方で、変わらないものもあった。YouTuberとしての私である。
ガブリアむさんはまた「怒られ」があったのか、いつものように「やむ」と元気に消息を絶っていた(戻ってきたのは、最長記録の二日後であった)し、ディオ・ブランデーさんと官能コイルさんはいつものようにスマブラSPで私のチャンネルというちっぽけなお山の大将の座を熾烈に争っていた。仕事のストレスがついに限界に達した苦労人のサム・ライミ8さんは哺乳瓶に入れたストロングゼロで泥酔し、理知的な八つ折作戦さんと暫定黒髪の乙女のひよこっこさんはりあむちゃんのメンヘラがファッションか否かという不毛な議題を白熱させていた。ドラマの情報も公開され、私が名実ともにデビューしたあともなにも変わらない四天王どもに、皮肉にも安心していた。もし万が一、役者として成功したとしても彼らは変わらないと、私はなかば確信していた。レッスンやバイトに追われているが、毒にも薬にもならないしょうもない配信をこのまま続けていきたい所存である。私がもはや蚊帳の外にされているかどうかは、実に些細な問題である。
問題があるとすれば、このままだと私はプロのアルバイターになってしまうことである。こればかりはレッスンを積んで、小悪党氏の天命を待つほかなかった。
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りあむちゃんが近頃はあまり炎上していないと評判であった。
以前は歴戦のツイッター廃人として、日夜、心ないネットユーザーとのレスバで炎上し、南でガチ恋しているオタクくんを「オタクは鏡を買う金もないのか?」などとぶっ叩いて炎上し、北では常にアイドルの恋愛無用論を説いて炎上していたが、最近はなにか興味が別にあるのか、廃人と表現するにはいささか大人しいものであった。それはそれでりあむちゃんの個性が失われているのではないかという身も蓋もない意見も散見されていたが、諸々の事情で中止になっていた新人主体のライブも再度、開催されること(以前とは知名度も違うからか、規模も拡大されていた)となり、りあむちゃんの活動もなにかと軌道に乗っている現状に、プロダクションも悪名をさほど必要としていないようであった。
先日、恵比寿店長から諸注意があった。
基本的にプロダクションに所属しているタレントは、社屋に併設されているレッスンルームで自主レッスンをするのだが、ときおりプロダクションの所有する貸しスタジオでもするという。社屋や寮に近いスタジオでするのがほとんどであるが、遠慮をして、やや遠い我々のスタジオを利用することも稀にあるらしい。新人ならなおさらである。なにやら世知辛い内情もあったが、つまりはライブを前にアイドルがこのスタジオで練習するかもしれないから、留意するようにとの旨であった。
輝子ちゃんを前にしたら、さすがの私も興奮して我を失ってしまうかもしれないが、このバイトを失ってしまうのがオチである。私が一介のドルオタとしての節度や、貴重な収入源を失うリスクも理解できぬ無知蒙昧の輩でないことは、読者諸兄も重々ご承知のはずである。紳士として、アイドルが相手でも、私は粛々とバイトをするだけである。
ふと、私の脳裏には、赤子のように無防備なあの笑顔が蘇っていた。
――いやいや、まさか。
小悪党氏の言動から推察するに、誰から漏れたかは分からないが、りあむちゃんが私のスケジュールを把握していたのは確かなようであった。ストーカー規制法に片足を突っ込んでいる所業であったが、私のバイト先まで把握しているともなれば、四十二度のお湯にしっかり肩まで浸かっているレベルである。んな阿呆なとは、私にも断言できなかった。なにせ誰某の追っかけがストーカーで捕まったらしいという噂は、アングラで閉鎖的な地下ドル界隈では日常茶飯事であったからである。私の知り合いの知り合いは、水尾某というアイドルの行動パターンを綿密に観察し、曜日別に記録した「研究成果」を参照して熱烈に追っかけをしていたらしいが、それを追っかけと表現していいのかは、はなはだ疑問である。一介のドルオタであるりあむちゃんにも、斯様な「素質」がある可能性を私には否定できなかった。
私の被害妄想的な杞憂で終わればいいものを、この世におわします八百万の神々はオモチロイことをご所望のようであった。
「#ユニット名募集中様が十七時からご利用ですね、かしこまりました」と、どこかと電話をしていた恵比寿店長。
「うぇ」
トンチキな悲鳴を上げた私を、スタドリさんが訝しんでいた。当然ながら事情を知らない恵比寿店長は、「珍しいこともあるもんだねえ」と呑気に笑っている。
私自身はりあむちゃんへの悪感情をそれほど抱いていないが、小悪党氏は別であった。あの一件に憤っている小悪党氏は、随分と神経質にもなっていた。小悪党氏の懸念が現実のものともなれば、ストレスで十円ハゲになった小悪党氏が発狂して、東京大学本郷キャンパスにある赤門の袂で落単した大学生の髪の毛を毟ってカツラにする狂人になってしまうのも時間の問題であった。私は、ユニット単位での練習ならば、りあむちゃんはもしやいないのではないかという、無理筋な一縷の希望に縋るしかなかった。
私は無意味にレッスンルームを掃除したり、デスクの下に隠れて現実逃避をしていたが、恵比寿店長に「仕事をしなさい」と両脇をむんずと掴まれ、軽々と引っ張り出されていた。恵比寿店長の丸太のような腕に掴まれ、抱っこされた仔猫のように観念してぶら下がっていると、スタジオの出入口には無情にも#ユニット名募集中の三人が立っていた。