自分を星輝子だと思いこんでいる一般人   作:木木木登美彦

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偽者(10)

「#ユニット名募集中」とは、辻野あかり、砂塚あきら、夢見りあむの三人によるユニットである。

 ご覧のようになぜかまだユニット名が決まっていない上に、もはや「ユニ募」という略称がなかば定着してしまっている、難儀なユニットでもある。りあむちゃんは幸か不幸かなにかと注目されていたが、デビューシングルも貰った同期の「miroir」や「VelvetRose」の華々しいデビューに比べれば、残念ながらユニ募はユニットとしての印象が薄かったように思われる。四天王によれば、ユニ募推しの興味は目下、合同ライブでユニット楽曲がお披露目されるかどうかであるという。

 ユニ募でのレッスンをするともなれば、俄然、楽曲がお披露目される可能性も高まるが、私にそれを喜んでいる余裕はなかった。三人の視線がちくちく刺さっているようで、無数の矢を受けて死んだ武蔵坊弁慶のように立ったままゲロを吐いてしまうかに思われた。恵比寿店長の巨体を壁に隠れようかと思ったが、なにやらユニ募のプロデューサーらしき女性を応対していたので、私はホワイトボードに貼られたマグネットを無意味に整理して、好奇の視線から逃れなければならなかった。りあむちゃんもなにを遠慮しているのか、恋する乙女のようにもじもじとしているだけである。先日のようにストーカーばりの凸をされたほうが、私もえへえへ低頭していればいいだけなのでまだ精神的に楽であった。これでは針の筵である。

 

「ほんとに似てるねえ」と、あかりちゃん。

 

 小声であったが、興奮しているのか、それは私にもしっかり届いてしまっていた。仮にも現役のアイドルが、似ているだけの一般人に興奮しないでいただきたい。隣のあきらちゃんもあかりちゃんの言葉に頷いているようであったが、いつものようにマスクをしているので、表情は判然としなかった。なにを思っているのかも分からないので、私は不安に駆られるばかりであった。5ちゃんねらーならまだしも、アイドルに疎まれているともなれば、私が東尋坊の崖の上で綺麗に脱いだ靴の写真をツイートしてバズを狙う邪悪なメンヘラになるのも時間の問題である。

 ひんひん呻いていると、恵比寿店長によるプロデューサー氏への説明がやっと終わっていた。実際はたったの一、二分であったが、私には船越英一郎主演の火曜サスペンス劇場に匹敵するかのように思われた。

 

「ほら、行きますよ」

「んあ」あきらちゃんに引きずられ、りあむちゃんが呻いた。「もうちょっと拝ませてくれよう」

 

 プロデューサー氏に連れられ、レッスンルームに去っていったユニ募の面々に頭を下げ、私はなにもしていないのに四十九ラウンドを戦ったサム・マクヴェーのように満身創痍になっていた。「こいつはなにをしているんだ」というスタドリさんの視線はまるで澱んだ井戸の底のようであったが、いつも疲れているような目をしているのでさほど大差はなかった。同情されたのか、それとももっと働けという催促なのか、私はスタドリさんから例の得体の知れないスタドリを何本か頂戴した。どうやら相当余っているようであった。

 

「アイドルにあれだけ言われるんなら、ほんとに似ているんだねえ、キミ」と、恵比寿店長はやはり太平楽である。

 

 精神的にどっと疲れ、ふにゃふにゃとクラゲのように仕事をしていた私の前に、ふとプロデューサー氏が戻ってきていた。胡乱な表現をするならば、まるで気配もなかったので、私は「んへ」とマヌケな悲鳴を上げていた。

 若い頃のマギー・スミスを髣髴とさせる、実に神秘的で美しい女性であった。黒のストールがさながらケープコートのようにも思われ、私は「ホグワーツから迷い込んだのかな?」と思った。

 これほどの美貌をした魔法使い氏が有能でないはずがない。私は論理的に確信した。この美しい魔法使い氏を「女狐」と呼んでいる小悪党氏が、母胎に大切なものを色々と忘れてきてしまったのは確実である。きっと小悪党氏は有能な魔法使い氏に嫉妬しているのである。男の嫉妬ほど醜いものはないと、かのマハトマ・ガンディーも『わが非暴力の闘い』に記している。

 

「な、なにか、ご用ですか?」

「あのひとはお元気?」と、魔法使い氏は私に微笑んだ。

「……?」

 

 誰の話かさっぱり分からなかった私は困惑していたが、どうやら小悪党氏の話のようであった。気配も唐突なら、話題も唐突である。なにか凡人ならざる、神の使いか天女のように超然としている女性であった。

 

「いつも元気に毒を吐いていますよ」

「変わらないのね」

 

 私の冗談に、魔法使い氏は鈴を転がすように笑った。かの表現は、まさに彼女の為にあるのかもしれないと私は思った。

 

「あのひと、不器用だから。なにか相談したいことがあったら、気軽に連絡してくださいね」

「あ、これはどうも」

 

 あの小悪党氏を「不器用」の一言で表現してもいいのかはなはだ疑問であったが、地層のようにそれ以外のなにかが脈々と山積していたとしても、有能な魔法使い氏が評価するならきっと不器用なのであるし、私も異論はなかった。

 魔法使い氏から名刺を頂戴した私は、「ほぼ輝子」の名刺を無意味に交換した。

 魔法使い氏はケイトスペードの名刺ケース(余談であるが、私の名刺入れはドン・キホーテで購入したものである)に入れ、「では、二時間後に戻りますので」と、スタジオを去っていった。私は名刺を手に呆然としていたが、恵比寿店長が頭を下げていたので、私もわたわたと頭を下げた。

 

 ●

 

「で、お前はデレデレと女狐の名刺を貰ってきたということか」

「失敬な」と、私は小悪党氏の悪態を一蹴した。「デレデレなどしていません」

「どうだか」

 

 数日後。

 小悪党氏が私のアパートを訪れていた。

 私がほぼ輝子でなければ、不吉な顔をした男二人がむさ苦しい四畳半でむっつりと膝を突き合わせているという地獄のような光景が広がっていたはずである。実情は別として、実質輝子ちゃんと至近距離で会うことができている小悪党氏は、ぜひとも神の悪戯に感謝していただきたい所存である。

 しかしながら、小悪党氏の眉間はしっかりと寄っていたので、微塵も感謝していないのは明白である。

 

「男の匂いをさせるなとは言わんが」小悪党氏は呻いた。「やはり男の匂いしかしないな、この部屋は」

 

 やかましい。

 ほんの数ヶ月前まで私と苦楽をともにしてきた四畳半は、まさに汗と涙と男汁の結晶である。芬々と漂っている男の匂いはさながら怨念であり、お部屋の消臭元や無香空間ごときで到底成仏させられるものではない。

 小悪党氏が私の部屋を訪れるのは、これが何度目だったか。

 芸能プロデューサーがスカウトやプロデュース、マネージメントなどを包括的に担当する職業となったのは、かつての日高舞氏の成功に倣ったとも言われている。しかしながら、よもやお部屋のお掃除までされるとは私も思わなかったが、YouTuberとして部屋も映しているのだから、プロデュースの一環だと小悪党氏が判断したのかもしれない。

 かつてはあの黒井崇男氏とも繋がりがあったと豪語するだけはあるのか、小悪党氏はなにかと「顔」だけは広かった。小悪党氏がどこからか雇ってきた映像エディターさんも、ときどき部屋を出入りするようになってしまったので、綺麗にしないとなあとは思っている。なお、小悪党氏がエディターを雇ったのは、仮にもプロダクションに所属しているタレントが、あまりにも「お粗末」な動画を投稿しているのはいかがなものか、という理由からであった。

 なるほど納得ではあったが、誠に遺憾である。

 それはそれとして、若いタレントにとってネックになるのが男女関係であるが、小悪党氏に懸念されるまでもない。私は、誰にも束縛されない、実に自由な交友関係を築いている。私よりも、小娘の部屋に出入りしている人相の悪い男が、女衒かなにかと誤解されて通報されないかどうかを心配したほうがよいと思われる。

 

「それで、あの女狐と……、ほかに話はしたのか?」

「え、いや、特には……」

 

 名刺を頂戴したが、魔法使い氏がスタジオに戻ってきたのは、私が退勤したあとであった。残念ながら現状ではなにも困っていないので、私もあれから魔法使い氏に連絡はしていなかった。困っているとすれば、今後もユニ募が自主レッスンを定期的にスタジオでするかもしれないという話が恵比寿店長からあったのだが、りあむちゃんがストーキングしているのではないかという疑念も、いまだに払拭できていないという点だけである。

 

「あのずる賢い女狐がわざわざお前に接触してきたのには、なにか理由があるはずだ。お前を餌にして、厄介な夢見りあむを管理しようとしていると俺は睨んでいる」

「はあ」

 

 小悪党はんは随分と頭が回るんどすなあ、と私は思った。

 ずる賢い小悪党氏は、嫉妬に駆られるあまり、妄執に囚われているようであった。魔法使い氏のような美しい女性は、苺のショートケーキのように、ふはふはとして繊細微妙で夢のような美しいもので頭がいっぱいであり、悪知恵や謀略という社会の隅にこびりついているバッチイものとは一切無縁である。妄想に苛まれた小悪党氏が、いつか発狂して山奥で虎か猩々になったときは、魔法使い氏に相談しようと思った。

 

「信じてないな?」

 

 まさか。私はプロデューサー殿を信じておりますとも。

 

「はい」

「コノヤロ」

「あ!」

 

 私の前に江戸かるたのように置かれていた魔法使い氏の名刺を、小悪党氏が奪おうとした。私は必死になって小悪党氏を阻止した。犬も食わぬ激闘の末、無事に名刺を死守した私は、小悪党氏にあっかんべえをした。煮蛸のようになった小悪党氏は実に痛快であった。読者諸兄がご覧になれないのがとても残念である。

 後日。

 小悪党氏にレッスンを増やされた私は、報復として、小悪党氏の革靴の紐を破廉恥な薄桃色にした。小悪党氏も、私の唯一無二の友であるカップヌードルビッグサイズを、クノールカップスープと交換するという卑劣な兵糧攻めを展開した。小悪党氏のネクタイを吉良吉影デザインのものにしたり、私の寝間着のスウェットが破廉恥な薄桃色をしたジェラートピケになっていたりと、私と小悪党氏の自虐的戦争は泥沼の様相を呈していった。

 

 ●

 

 誰にも束縛されない、自由な交友関係の一人が、おつやの方である。

 抜群の社交性と愛嬌で養成コースの中心的な存在になっているおつやの方であるが、食事、特に酒の席にはなぜか誘われていなかった。酒癖が悪いのか、酔っぱらって盛大に粗相をしてしまったとか、酔うと相当な奇行に(はし)ってしまうとか、かなりの酒豪で誰も彼も潰してしまったとかという話で、皆から遠慮されているようであった。吞兵衛であるおつやの方も、男どもから堅苦しいフレンチに誘われるよりは、と好都合に思っているのか、だいたい暇している私と、しばしばとある屋台ラーメンに行っていた。屋台ラーメン「のーちらす」は、いつ営業しているかも判然としない、神出鬼没のラーメン屋であった。

 おつやの方の旧友という店主は、台風に遭った燕の巣のような頭をした、仙人のような男であった。大学を卒業してから世界各国を旅してラーメンを研究してきたというが、世界各国にラーメンが存在するのかはなはだ疑問なので、実に眉唾であった。しかし、味は無類である。店主やおつやの方が大学時代に通っていた、ある屋台ラーメンの味を再現しているという。

 

「猫でダシを取っているって噂があってね」

「まさか」

 

 私はおつやの方の冗談に一笑した。

 おつやの方は手酌している瓶麦酒を水のように吞んでいたが、これでも彼女の酒癖を知っている仙人店主が適度にセーブしているのだという。恐るべき蟒蛇を尻目にしながら、私が夢中でラーメンを啜っていると、おつやの方は「よく食べるでしょう」と仙人店主に微笑んでいた。「いっぱい食べる子も、私は嫌いじゃないがね」と、仙人店主はフォローなのかも分からない。ハムスターのように頬をまんまるにさせながら、私は赤面した。

「のーちらす」は非常にうまいのだが、問題があるとすれば、仙人店主とおつやの方の関係性である。

 宴も酣になると、おつやの方がなにやら妖艶としてきて、場末のラーメン屋台のはずが、男と女の情欲がむんむんしている夜景の美しいバーラウンジのような雰囲気になる。蠱惑的なおつやの方に私は困惑するが、仙人店主は慣れているのか、実に泰然としている。お二人はただの旧友であるはずだが、かつての「愛の劇場」ばりの複雑な恋愛模様を想像した私は、背中がむずむずとして辛抱ならない。蜜月さながらの甘ったるいムードに、私はいつも「にんにくラーメンチャーシュー抜き」「フカヒレチャーシュー大盛り」などとふざけた注文をして、水を差してばかりいる。ひとの恋路を邪魔すると馬にドロップキックされるというが、ここに馬が突撃してきてすべてを滅茶苦茶にしてくれるならば御の字であると私は思っている。結果として、お二人にただただ食欲旺盛と思われるばかりであった。

 なにやらオトナな雰囲気のお二人に萎縮しながら、いつものように私は二杯目のラーメンを黙々と啜っていた。

 

「お隣、よろしいですか」と、渋い男の声。

「もうも」

 

 私はラーメンをもごもごしながら会釈をしたが、箸で掴んでいた麺をつるんとスープに落としてしまった。

 男は、大男氏であった。

 なぜここにと私は思ったが、大男氏も困ったように首を摩っていた。森でばったり少女と遭遇してしまった童謡「森のくまさん」の熊さながらの大男氏は「ご無沙汰しております」と頭を下げてきた。「ど、ども」と、私も恐縮しながら頭を下げたが、ペットショップのオウムのほうがよほど上等な返事をするはずである。

「ラーメン大盛りに味玉、それとチャーシュー丼を」と注文して、大男氏はのっしりと座った。常連の風格が漂っていた。大男氏は、スケジュール帳になにか几帳面にメモをした。スカウトしているアイドルの原石、穴場のおいしい飯屋、芸能界のあれやこれやがびっしりと羅列されているのかもしれないと、私は妄想していた。

 

「このあと……、」スケジュール帳片手にじっと座っていた大男氏が、ふと口にした。「お時間よろしいですか?」

「ん……」

 

 大男氏の言葉に、どう返事をすればいいのか、私には分からなかった。私は大量の麺を箸で掴んだままだったので、呑気にずびずびと啜ってしまった。動揺していたのである。

 酔っぱらって潰れていたおつやの方が、私の隣で「ふが」と呻いた。

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