自分を星輝子だと思いこんでいる一般人   作:木木木登美彦

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偽者(2)

 輝子ちゃん界隈に激震が走っていた。

 輝子ちゃんがプライベートなツイートをしていたからである。

 だからどうしたと思われるかもしれないが、輝子ちゃんのツイートはこれまでオフィシャルなものがほとんどであった。輝子ちゃんのプロデューサーが代理で更新しているというのが、ファンの間での見解であった。アイドルの動向、趣味や嗜好を知りたいのがファンの常であるが、プロダクションが炎上やストーカーの対策をしているのならば、むべなるかなである。

 が、乃々ちゃん、小梅ちゃんとのツーショットは、まさに青天の霹靂であった。

 東の輝子ちゃんファンは歓喜のあまりにスカイツリーによじ登って横断幕でパラセーリングをし、西の輝子ちゃんファンはすしざんまいの木村清人形を道頓堀にぶち込んで狂喜乱舞した。北はニシンの漁獲高が過去最高を記録し、南はヤンバルクイナが大繁殖した。数多の輝子ちゃんファンが母なる大地に五体投地をし、ホクト株式会社の株価は史上最高を更新した。

 輝子ちゃんは、それからぽつぽつとプライベートなツイートをするようになった。

 幸子ちゃんとのツーショット。

「アンダーザデスク」でのレッスン。

 ランチのきのこパスタ。

 美玲ちゃんとのツーショット。

 キノコの原木。

 キノコの鉢。

 キノコ。

 キノコである。

 プロダクションのプロフィールにも趣味は「キノコ栽培」と書かれている輝子ちゃんである。輝子ちゃんの同僚のアイドル達からも、断片的に「キノコが好きらしい」という話はあった。輝子ちゃんのデビューシングル「毒茸伝説」やライブ衣装のモチーフ、アクセサリーなどから、ファンの間でしばしば話題にもなった。ただ、出演したメディアで輝子ちゃんがキノコの話をすることはほとんどなかった。

 輝子ちゃんはかつて陰湿な番組プロデューサーに「キミ、キノコの話になると早口になるね」と嘲笑され、以来、キノコへの愛に蓋をしてしまったからである。私は口さがない番組プロデューサーに憤慨し、輝子ちゃんの不幸な境遇に涙した。

 無論、これはすべて私の妄想である。

 輝子ちゃん界隈の狂乱とは裏腹に、私の日常はなにも変わらなかった。中年のサラリーマンが思春期の娘さんに蛇蝎のように嫌われ、講義をサボった腐れ大学生どもが徹夜で麻雀をし、酔っぱらった楓さんがダジャレを連発するように、私はYouTubeの底辺で喘いでいた。

 ツイッターもまるでバズらなかった。

 ほぼ輝子のフォロワーは「り」という鍵アカウント、一人だけである。「り」のアイコンは得体の知れない錠剤の山であった。私は「バーティ・ボッツの百味ビーンズかしらん」と思った。東のメンヘラは東京ディズニーランドを、西のメンヘラはユニバーサル・スタジオ・ジャパンを愛していると相場が決まっている。「り」のフォローバックは保留とした。

 

 ほぼ輝子@syoko_O6O6

 自分を星輝子と信じて止まないひきこもりが、カルボナーラで優勝する動画です。

 

 バズらない、独創性の欠片もない二番煎じな動画だとしても、三日坊主だと思われるのも癪なので、私はどうにか動画を更新していた。ただ、私は一週間に一回ほどしか更新できていなかった。これにはマリアナ海溝よりも深い事情があることを、読者諸兄は留意していただければ幸いである。

 私の動画が二番煎じである以上、やはり本家にはリスペクトを払わなければならない。綿密な研究、分析に私が多大な時間を費やしてしまった事実は否定できない。本家のくじら氏や土師孝也氏のものまねは特筆すべき点であるが、まず第一に、調理動画なのである。本家が調理動画として優れているのに、お手軽にデリバリーピザで優勝している私はいかがなものか。ドミノ・ピザに罪はない。諸悪の根源は、アプリひとつでピザがデリバリーされてしまう現代社会である。

 ともあれ、私も料理をすることにした。

 身体中の水分がもはやカップヌードルのスープで構成されている私であるが、栄光ある大学生だった頃は業務スーパーの食材の山をどう活かすか、四畳半の片隅で辣腕を揮っていたほどだ。私の類稀な料理スキルに、誰もが滂沱の涙を流した。ただ、私がいかに卓越した料理人であれど、編集の腕は一向に上がらなかった。きのこ鍋(輝子ちゃんらしい絶妙なチョイスだと自負している)で優勝しようとしたときには、カメラのレンズがすっかり曇っていたのでボツになった。私は不貞寝した。

 配信もしながらぐだぐだと編集していると、あれよあれよと一週間が経っている。

 これが私の日常であった。

 

 ●

 

 私が「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」で無様に頓死しながら配信をしていると、リスナーからコメントがあった。「ホヘ?」あまりコメントもされないので私はマヌケにも呆然とし、私の「狼」が見事に惨死していた。

 

「カラオケ配信とかしないんですか?」

 

 なるほど妙案かもしれない。

 なにせ私は輝子ちゃんと瓜二つである。歌声もまた、輝子ちゃんと瓜二つでしかるべきはずだ。まず第一に、アイドルを模倣するならば、歌かダンスではないのか。なぜ私はゲーム配信や料理動画を投稿しているのか。もしや阿呆なのかと読者諸兄は思われたかもしれないが、阿呆なので異存はない。

 

「カラオケか……、す、するかも、しれないスね……」

 

 プレイしながらの雑談はどうにも慣れない。どうにか返事をしたが、それからは「狼」さながらにほとんど無言のまま、配信は終わっていた。

 ともあれ、カラオケである。

 カラオケなど何年も行っていなかったが、配信するとなれば、これを機に通うのもいいかもしれない。出費が痛手にはなるが、問題ない。輝子ちゃんがカラオケしている姿を観られるならば、スパチャが徳川埋蔵金のようにがっぽがっぽ贈られると確信しているからだ。ゲームをしている輝子ちゃんは二五〇円しかスパチャされなかったかもしれないが、それは些細な問題である。

 問題は私の実力である。

 輝子ちゃんになるという、人類史上、類のない確変が私の身に起きているが、以前の私の歌唱力は筆舌に尽くしがたいほど普通であった。声が似ていたとしても、歌唱力がお粗末であれば、リスナーはきっと納得しないし、私も妥協を許すような男ではない。輝子ちゃんのトークを研究、分析したように、歌もまた、研究が必要だと私は判断した。

 翌日。

 私は秋葉原を訪れていた。無論、ヒトカラをする為である。遊ぶだけなら他の繁華街もあるのだが、日陰者である私にとってやはりアキバがホームタウンである。JRで一本というのもありがたかった。

「Amazon」で新調した、キッズサイズ同然の黒のジャージ。現状、これが外出するときの一張羅である。

 黒のニット帽。

 伊達眼鏡(晶葉ちゃんモデルである)に、マスク。

 ノートパソコンやデジタルカメラを入れた「THE NORTH FACE」のリュックサック。通称、ホモランドセル。

 もし私が輝子ちゃんだと誤解されたら風評被害もはなはだしい、不審者同然の格好である。事実なので否定しない。私はあらぬ誤解を招かぬよう、常に警戒を怠らなかった。それを挙動不審と表現するのは簡単であるが、正論ではなにも解決できない。諸君には建設的な議論をお願いしたい。

 オタクデビューしたばかりの地方の学生のようにアキバを歩き、私は「アドアーズ秋葉原店」に入った。アドアーズ秋葉原店はワンフロアのヒトカラエリアがあり、設備も充実している。それだけ割高ではあるが、長居するつもりもないので支障はない。支障があるとすれば、珍妙な格好の私をスタッフがどう思ったか、である。

 ヒトカラのブースはカラオケというよりネットカフェの個室であった。ブースに入った私は、輝子ちゃんの身体ならエスパー伊藤ごっこができるほどのサイズのホモランドセルを、難儀しながら下ろした。

 

「あー、疲れた……」

 

 ドリンクバーでコカ・コーラを入れ、私はどっかりとブースのチェアーに座った。がぶがぶとコカ・コーラに溺れ、まるで一仕事終わらせたかのような心地の私だが、なにも終わっていない。数分ほど、診察を待つ病人のようにぼんやりとしてから、私は重い腰を上げた。

 今日は輝子ちゃんもカバーした「紅」を中心に、「X JAPAN」の楽曲を練習するつもりである。「紅」を筆頭に、凡百の歌唱力であったかつての私では、歌おうなどと地動説が覆ったとしても思わなかった数々の楽曲。それを、今ではシャワーをしながらフンフン諳んじている。感動的ですらあった。

 ありがとう。

 輝子ちゃんに、ありがとう。

「iTunes」で数フレーズを聴き、復唱するように、音程やリズムを練習する。前述したように、私は石橋をしっかりと叩き、最後には叩き壊してしまい、石橋を確認する為に用意した金槌で新たな橋を建造するほどの慎重派である。万全を期す為に何度も練習し、のども温まってきた。私はマイクをオンにし、ヘッドをぽんぽんと叩いた。

 ン、ン。

 ア。

 マイクチェ、マイクチェ。

 ア。

 アー。

 …………。

 ヨシ!(現場猫)

 撮影する為のカメラもセットし、いざ本番である。

 

 ●

 

 カラオケ配信はしないことにした。

 私の歌唱力が、あまりにも微妙だったからである。

 練習が功を奏していたのか、音程やリズムは申し分なかった。ただ、抑揚というか、まるで歌に感情がなかったのである。輝子ちゃんの魅力のひとつである、いわゆる「ヒャッハー」が微塵もない。さながらお経であった。どうにか感情を意識しようとすれば、音程やリズムがズタボロになった。あれやこれやと試行錯誤していると、一瞬で二時間が経っていた。なんの成果も得られなかった調査兵団のように、とぼとぼアドアーズ秋葉原店を退散した。傷心の私は「アクティブAKIBAバッティングセンター」で汗を流して忘れようとしたが、自打球で悶絶した。満身創痍に帰宅した私は、泥のように不貞寝した。

 カラオケ配信を断念した私であるが、金曜日の夜に調理を撮影し、土曜日に動画を編集、日曜日の昼に動画を投稿、日曜日から木曜日の夜にテキトーなゲームを配信するという寸分の隙もない完璧なルーティンを確立させていた。輝子ちゃんの身体だからなのか、どうにも夜更かしができないので、いつからか、午前二時頃には就寝し、午前十時頃に起床する生活習慣が勝手にできていたのは嬉しい誤算である。まだ甘いと読者諸兄は思われるかもしれないが、ニートにあるまじき規則正しい生活だと、私は豪語したい所存である。

 

 ほぼ輝子@syoko_O6O6

 自分を星輝子と信じて止まないひきこもりが、「冒険しながら、フィットネス。」する配信です。

 

 健康優良児のニートである私は「リングフィット アドベンチャー」を配信しながら、健康的に汗を流していた。

 ひきこもりという地位に甘んじている私であるが、かつてはスポーツで汗水流していた元気な風の子であった。武蔵坊弁慶の幼少時代もかくやとばかりに逞しい身体で、郷里の少年野球チームでは湘南のアダム・ダンと、敵にも味方にも恐れられていた。それがなぜこのような有様になったのかは諸説あるが、私はスポーツが好きだったが、スポーツは私を好きではなかったのである。

 つまりは体育会系のノリが合わなかったという話であった。

 

「オタクくんさぁ……」

 

 オタク、筋トレしがち説(水曜日のダウンタウン)を立証しながら、私はリングくんと上腕三頭筋や腹直筋などで戯れていた。私の配信は、やはり過疎っていた。それでも毎日のようにゲーム配信をしていたおかげか、数人ばかりだが、固定リスナーもできていた。当初は下世話なコメントをされるかもしれないと危惧していたが、どうやら類は友を呼ぶのか、私のリスナーは誰もが実に紳士的であった。シャイ、またはコミュニケーションが苦手だと表現してもいい。最初にスパチャをしてくれた「ガブリアむ」さんを筆頭に、誰もがたまにしかコメントしないし、私もたまにしか発言しなかったが、私にとっては心地よい沈黙であったように思う。

 

「晩ご飯はなに食べました?」

「か、カップヌードル」

 

 仔鹿のようにぷるぷるとプランクをしながら、私はガブリアむさんのコメントに返事をした。

 

「そればっかじゃん」

「ガブリアむさんは?」

「餃子です」

「フヘ」つい笑ってしまった私は、プランクからべちゃりと床に潰れた。どうやらガブリアむさんの身体の七割は、餃子で構成されているようだった。「そればっかじゃん」

 

 斯様に私達は、牧歌的に、教室の片隅に集まったオタクどものような配信をしていたが、いつしか状況は一変してしまった。どうも、とあるまとめブログが、私の動画や配信アーカイブをニコニコ動画に投稿したらしい。いわゆる、無断転載であった。アイドルと瓜二つな配信者は話題にもなり、チャンネル登録や再生数、ツイッターのフォロワーも急増していた。薔薇色のYouTuberライフへの第一歩として喜ぶべきはずなのだが、この穏やかな配信になかば満足していた私にとってこれは不穏な事態であった。オタクという難儀な存在は、いつだって余所者(つまりは、リア充や陽キャ、DQNである)に己のテリトリーが侵されることをなによりも忌避しているのである。

 ほぼ輝子という日陰者が、ついに白日の下に晒されていた。


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