優男と大男が座っていたのはカウンター席であったが、優男は自然とテーブル席に移っていた。事前に話を通していたのか、店員さんはなにも言わなかった。壁際に座った優男に促され、私もテーブル席に座った。
「ストリーマー部門を担当しております。本日はよろしくお願いいたします」
「あ、はい、どうもッス」
優男のプロデューサー氏は、場末のホストのような風貌とは裏腹に、実に丁重な物腰であった。プロデューサー氏から丁寧に名刺を渡された私は、パブロフの犬さながらの生理学的宿命か、つい条件反射的に頭を下げていた。微笑むプロデューサー氏は、アイドルの足元でうごうごしている有象無象の私には、眩いほどであった。エネルギッシュで精悍な若人は、私がもっとも苦手とする人種である。好青年であるプロデューサー氏を前にして、きっと順風満帆な青春を送ってきたのだなと、私はどす黒い感情を鬱屈とさせていた。「爆ぜろ」と無意味にプロデューサー氏を呪っていたが、先に破裂するのはヘドロのような感情でぱんぱんになった私である。
「まずはご足労いただき、誠にありがとうございます」
「え、あ、はい」
「また、騒動以来、活動をお控えしていると伺っています。おかげで事態も徐々に収まっており、手前勝手ながら、ご協力、感謝申し上げます」
「それは、なによりッスけど……」
早々に、どうにも赤裸々な話である。
怪訝な私に、プロデューサー氏は鷹揚と頷いた。
「貴方は実に聡明で理知的な方ですから。私としても、貴方と腹の探り合いは望んでいません」
聡明で理知的である私は、プロデューサー氏の慧眼に脱帽した。
能ある鷹は爪を隠すとあるが、ずっと隠していたが為に鈍刀になってしまわぬよう、私は隠した爪を丹念に研鑽してきた。研ぎすぎた所為ですっかり川底の小石のようになってしまった私の良識と才能も、大手プロデューサーともなればやはり分かるものなのである。
プロデューサー氏は実に優れた審美眼であった。信頼に値すると、私は確信した。
「正直に申し上げますと、私個人としては貴方を配属させようとは思っていません。賢明な貴方なら、きっと危惧されていると思いますが、それは再燃の火種にしかなりませんし」理路整然としたプロデューサー氏の言葉に感服するように、私は頷いた。「なにより、貴方に配信者としての魅力はありませんから。単純に実力不足ですね」
グエー死んだンゴ。
綿菓子のようにふわふわとして甘い私の心が、唐突に現実という鋭い刃で一閃され、私は悶絶した。
私にYouTuberとしての実績がないのは、純然たる事実である。辯舌たる私にも反論できない。しかし、事実だからとて、それを声高に糾弾していいという理屈はどこにもない。法治国家にあるまじき許されざる所業に、私は悪鬼羅刹のごとき形相で血涙を流していたが、プロデューサー氏はやはり飄々と微笑んでいる。敏腕のプロデューサー氏は、どうやら血も涙もないゲイのサディストでもあるらしい。
むしゃくしゃした私は、喫茶店オススメの日替わりパスタ(大盛り)とコーヒーのセットをプロデューサー氏の経費でむしゃむしゃと貪ってやった。断ろうと思っていたのは事実であるが、釈然としない。それとこれとは別腹である。私はデザートにカスタードプディングも経費で注文した。
プロデューサー氏が苦笑した。私の風貌にあるまじき健啖ぶりに、驚嘆したのかもしれない。
「配属させるつもりがないなら、なぜ話をしたいと思ったんですか?」
「他の事務所に掻っ攫われる前に、貴方が芸能界に興味があるのかだけでも確認したかったんです。安心しました。もし興味があるようなら、強引にでも囲わなければならなかったので」
プロデューサー氏の表情は実に泰然としていた。
しかし、こいつにはやると言ったらやる……「スゴ味」があるッ!
もしも私が芸能界に興味を示していたら、プロダクションの最奥部に重鎮している大蛸のような巨漢から不可解な選抜試験を課せられ、最期は渋谷のスクランブル交差点の隅にあるガムの跡のように、どす黒いシミの一部となっていたかもしれない。
あまりに繊細微妙な妄想に襲われ、私は一人勝手に戦慄した。のどがひりひりとした。私はコーヒーをおかわりした。
「もし他の事務所にお断りすることがあれば、私の名刺を出してください。お相手も、我々が先にコナかけていると分かっていただけますよ」
優男の外見らしからぬ、不穏当なプロデューサー氏の言葉に、私は「イタリアの片隅でギャングでもしていたのかしらん」と思った。どうやら私はプロデューサー氏にしっかりマークされてしまったらしい。抗議しようかと思ったが、私は寛大なのでフルーツたっぷりのミルクレープを経費でお土産にすることで許した。
ただ、私には、プロデューサー氏の「私個人としては貴方を配属させようとは思っていません」という言葉が疑問であった。
これはプロデューサー氏の独断なのか?
「はい」プロデューサー氏は截然と頷いた。「貴方を管理下に置きたいというのが本音でしょう。先程も申し上げたように、貴方の実力不足、再燃の火種になりかねないという点から、私は反対ですが。それに、ストリーマー部門を設立している暇はないですからね」
「……?」
「ダイヤモンド・プリンセス号の一件はご存知ですか?」
「あ、はい。それは、さすがに」
台湾やベトナム、沖縄などを周遊していたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」を下船したある乗客から、世界各地で感染が拡大している新型コロナウイルスの陽性反応が検出された一件である。二月の頭に横浜港大黒埠頭沖に停泊し、約二週間の検疫が終了したばかりなのは記憶にも新しかった。ひきこもりである私も当然ながら知っている。
それが私とどう関係あるのか、私には分からなかった。
「既に数々のツアーやライブ、イベントの中止が決定されています。我々も他人事ではありません。既に世界的にも感染が広まっていますが、私はより事態が悪化すると予想しています。悠長にストリーマー部門という新しい体制を整えられる猶予は、もうないでしょう」
大袈裟だなと私は思ったが、プロデューサー氏の目は鷹のように鋭かった。
「貴方は、配属に前向きですが、保留ということにしておきましょう。放っておけば、きっと、有耶無耶になりますから」
「あ、はい。じゃあ、それでお願いします。はい」
猛禽類に睨まれた仔鼠さながらに、私は頷いた。
満足したようにプロデューサー氏は微笑んだ。ツラのよい男は腹黒であるという定説は、やはり歴然たる事実であった。しかしながら、人懐っこい笑顔の裏でしたたかに爪を研いでいるプロデューサー氏の徹底した腹黒ぶりに、私はもはや好感をも抱いていた。プロデューサー氏が裏も表もない純粋な好青年でなかったことに喜んでいるというのも否定できないが、私は「このまま貴方の覇道をひた走れ」と熱いエールを送った。
できれば、私の知らないところで。
●
プロデューサー氏の懸念は、現実のものとなっていた。
私が抱いていた「どうせ大したことないっしょ!」というふざけた幻想は見事にぶち殺されていた。かつてのSARSウイルスも日本にはそれほど被害を齎さなかったから、と完全に油断していた格好である。
しかしながら、楽観視していたのはきっと私だけではあるまい。いや絶対に私だけではない。お前らもだ。逃がさねえからな。私はあれから、「スウィートホーム」の山村氏の最期のように優男の仮面がドロドロに崩れ、「ガンバの冒険」のノロイさながらの形相で牙をひん剥きながら笑っているプロデューサー氏にケタケタと小馬鹿にされるという悪夢に苛まれているのである。お前らも私と一緒に苦しんでいただきたい。たぶん、フルーツたっぷりのミルクレープをプロデューサー氏の経費でお土産にした呪いかなにかである。
私はプロデューサー氏の名刺に「なむなむ!」と土下座をした。
ほとんどのライブやイベントが中止となったエンタメ業界は苦境に立たされ、プロデューサー氏が予期していたように、私がストリーマー部門に配属する話はおじゃんになっていた。しかし、氏の話によれば、ストリーマー部門の設立として準備されていた予算や設備は、アイドル達の配信活動に流用されているらしい。輝子ちゃんのプロダクションは、この事態にも一足先に順応していたのである。やはり簡単には転ばぬ、末恐ろしき男である。早急に袂を分かたなければならぬと思うが、プロデューサー氏から定期的に連絡があるのはなぜか。
新型コロナウイルスの蔓延に、世界各地は狂乱に陥っていたが、汚いワンルームにどっしりと根を張りながらも、地に足つけず、世間から数センチメートルふわふわと浮いている私は、恐るべき克己心によって堂々と紳士的態度を維持していた。あるいは阿呆の骨頂である。
依然として、私の生活の中心は四天王との、鳥貴族の片隅でうごうご蠢いているコミケ帰りのオタクどものような雑談であった。
「プロダクションの方と話をしてきた。穏当に終わった」という旨を報告したときには、どうやら官能コイルさんとサム・ライミ8さんはとても心配していたようで、私の堂々たるオタサーの姫ムーブぶりに、私は思わず感涙した。「どうだった?」と、ガブリアむさんは詳細を知りたいようだったが、八つ折作戦さんに「不躾ですよ」などとボコボコに論破されていた。ガブリアむさんは「やむ」と消息を絶ったが、三分後には現地参戦するつもりだったライブが中止になったと憤慨しながら戻ってきた。
それは、あきらちゃんやりあむちゃんも出演する、プロダクションの新人主体のライブであった。
「三ヶ月も先なのになあ」
「席、どの辺?」と、サム・ライミ8さん。会社でいつも呑み会の幹事にされているという、生粋の苦労人である。
「あー……、」やや間があった。「ま、前のほう」
「マジか」
「どんまい」
「悪い、やっぱ辛えわ」
「そりゃ、辛えでしょ」
「ちゃんと言えたじゃねえか」
「聞けてよかった」
仮にも、我々はドルオタの端くれである。ガブリアむさんの心境は、誰もが痛いほどに理解していた。
「新人、誰推し?」
「あかりんご」
「黒白」
「久川颯でしゅ☆ はーちゃんって呼んでくだしゃい☆ ぴぃす☆」
「は?」
「キレそ」
「ぶち殺されたいのか?」
「許さねえ」
「ゴメンて」
誰が盛大に滑ったかは、個人の名誉の為にも伏せさせてもらうが、私ではないということだけはどうかご理解いただきたい。
この事態にも、厳しいひきこもりによって鍛錬された自粛精神を、私は冷静に発揮していた。たまに深夜のコンビニでぶらぶら買いものをしながらワンルームに籠城した私は、長期戦も覚悟していたが、新型コロナウイルスの特効薬が開発されたことであっさりと終息に向かっていった。
これにはさすがのプロデューサー氏も予測できなかったはずである。あのプロデューサー氏が動揺しているかもしれないと想像すると、ただのカップヌードルも極上の味のように思われた。
●
特効薬を開発したのは、一ノ瀬という生物科学の研究者であった。数年前からSARSウイルスの再来を提唱していたという。
優れた研究者であったが、十数年前に所属していた研究機関から出奔して、独自に研究をしていたらしい。出奔した理由は不明である。一説には「シン・ゴジラ」の間邦夫のモデルとされている彼は、一ノ瀬志希ちゃんの肉親とも噂されているが、これまた真偽は分かっていない。かつて、それを取材しようと執拗に志希ちゃんに迫ったある週刊誌の記者は、原因不明の水虫と腋臭に悩まされ、ついには退職したという。
報道された一ノ瀬氏は、志希ちゃんの肉親と噂されるのも無理はない、随分な美形であった。顎のラインが志希ちゃんに似ているかもしれない。イケおじ、謎多き経歴、特効薬の開発、救世主と、一ノ瀬氏は一躍センセーショナルな時代の寵児となっていたが、私はすっかり世間から忘れられていた。あれだけ私をおもちゃにしていたまとめブログやキュレーションサイト、ネットニュースももはや一ノ瀬氏一色である。
「今、話題の一ノ瀬氏とは? 経歴は? 資産は? 調べてみました!」
ぶち殺されたいのか?
忘れられるのはいいが、それとこれとは話が別である。私の心境の問題である。のこのこと現れた不運なゴキブリは、私の鬱憤のすべてをぶつけられ、汚いワンルームのシミの一部となった。
特効薬の開発により、被害がそれほど甚大ではなかった日本の日常は、緩やかに戻ってきていた。
私がストリーマー部門に配属されるという話は有耶無耶になったまま、戻らなかったのだが。
プロデューサー氏によれば、アイドル達による配信がなかなか好評を博しており、ストリーマーを配属させる必要性は現時点で薄いと上層部が判断したらしい。賢明な判断である。私が関わっていなければもっと喜ばしい話であった。
件のアイドルの配信は、大和亜季ちゃんがウェイトトレーニングをしていたり、五十嵐響子ちゃんが料理をしていたり、柊志乃さんがただお酒を呑んでいたりと実に様々であったが、アイドルの飾らない姿が間近で観られるとどれも評判であった。私も観ている。輝子ちゃんの配信がないのは残念であったが、仕方あるまい。
ゲーム配信ということもあるのか、あきらちゃんの配信がなかなかに人気であった。あきらちゃんはキッズに人気のある「Fortnite」や「スプラトゥーン2」で、自宅待機しているマセガキどもの心をがっしりと掴んでいた。YouTuberとしてのキャリアがあるのも、安心である。同じゲーマーである三好紗南ちゃんを筆頭に、様々なアイドルとのコラボを積極的に企画しているのも、YouTuberとしての年季を思わせた。
私が好きなのは、ウサミンとのコラボ回である(隙自語)
あきらちゃんは「自分を得意なゲームでぶん殴りに来やがれ」という、なかなかに無頼漢なコラボを展開しているが、ゲストのウサミンが用意したのはまさかの「魔界村」であった。「は?」あきらちゃんの唖然としたレアな表情は、必見である。よもやのレトロゲーにさしものあきらちゃんも苦戦し、それを応援するウサミンの姿は、まるで孫と祖母であった。冷えピタをおでこに貼っ付けながらどうにかクリアしたが、あきらちゃんは満身創痍である。ほんまにウサミンは「魔界村」が得意なのかと疑心暗鬼なあきらちゃんを尻目に、いつものアタシポンコツアンドロイドぶりはどこへやら、ひょいひょいとクリアするウサミンの勇姿は実に圧巻であった。
「実はウサミン星ではニンテンドークラシックミニが流行っているんですよ!」
「#知らんがな」
ウサミン、渾身のドヤ顔でフィニッシュである。
ともあれ、様々なアイドルが配信をしているから、実に飽きないのである。我々のDiscordでも、アイドルの配信はしばしば話題になった。
「聞いてくれよー、友達がゲームに誘ってくれないんだけど! ぼくハブ!」
「知らんがな」
「やむ」
ガブリアむさんの女々しい愚痴を、私は一蹴した。