自分を星輝子だと思いこんでいる一般人   作:木木木登美彦

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偽者(5)

 輝子ちゃんの配信(ユニット単位ではあるが)にまたも界隈が熱狂している一方で、活動を再開していた私は出鼻を挫かれていた。

 ある猫カフェで猫ちゃんと戯れていた私が、さまざまな猫カフェを探訪している前川みくちゃんの配信に映ってしまったのが発端である。咄嗟の出来事に、私はアイドルの握手会に参加したオタクくんが高確率で発症する、突発性の言語障害に襲われていた。私とみくちゃんの会話には、あまりにも微妙な心理的距離があったが、ネット上では例によって輝子ちゃん本人と誤解され、面白半分に「アイドルの不仲説」が謳われる始末であった。四天王や一部のリスナーからは、「どうせお前だろうな」と一定の理解も示されていたが、同時に「お前、なにやってんの?」という、女子に掃除をサボっているとチクられたときの小学校の学級会のようなムードも漂っていた。

 みくちゃんはシンデレラプロジェクトからデビューしたアイドルのひとりである。輝子ちゃんの後輩でもある。シンデレラプロジェクト主体のライブでも共演していたという輝子ちゃんが、プロジェクトのアイドルと不仲であるという与太話は、またもそれなりにネットを賑わせていた。

 シンデレラプロジェクトは発足から一年ほどで躍進した、プロダクションの成長株である。シンデレラプロジェクトが躍動していたのは、長時間労働で心身ともに窶れた私がすっかりリビングデッドのようになって、なかばドルオタを引退していた頃であったが、リビングデッドのようにドルオタに復帰したばかりの私でも、活躍している彼女達を知っている。アイドルと唐突に遭遇した私の動揺を、諸君にも察していただきたい。

 

「というか、なんで猫カフェ?」

「乙女とは、ふはふはして、繊細微妙で夢のような美しいもので頭がいっぱいなのが相場だ。つまりは、猫ちゃんである」

「は?」

「輝子ちゃんはそんなこと言わない」

「輝子ちゃんの真似してるって自覚あるんですか?」

「設定を忘れるな」

「意識低い」

「もっと輝子ちゃんの顔見ろ」

「ゴメンて」

 

 私の冗談は四天王にボコボコにされた。

 かつてのオタサーの姫のような貫禄はどこへやら、私と四天王の関係はどんどん雑になっているように思われたが、これはツイッターで湯水のように貼られている漫画にあるような、一緒にゲームをする女友達(子供の頃は男友達だと思っていたというオプション付きである)という、オタクくんも大好きな関係性である。誤解なきように。

 なお、無料コンテンツの、安い女という意味ではない。

 

 ●

 

 回想である。

 私は優男のプロデューサー氏から頂いた謝礼(約五〇〇〇円)を片手に、夢でもあった猫カフェを訪れていた。

 猫カフェなら勝手に行けばいいのではと読者諸兄は思われるかもしれないが、想像していただきたい。この世に生を受けて四半世紀になんなんとするむさ苦しい男が、猫カフェの砂糖菓子のような甘い雰囲気を滅茶苦茶にしている光景を。威力業務妨害で通報されてしかるべき、悪夢のような光景である。猫カフェとは、黒髪の乙女と優雅に手を繋ぎながら訪れるべき、麗しのデートスポットである。男の一人猫カフェなど、人間として、道義を外れてしまっている。クリスマスに一人でケンタッキー・フライド・チキンのパーティバーレルを貪るような暴挙である。

 これまで一人焼肉一人映画館一人遊園地と難攻不落の城を幾度と攻略してきた私をも断念させた一人猫カフェであるが、輝子ちゃんの姿となった今なら自意識過剰に苛まれる心配もない。

 以上の理由で、私は猫カフェに訪れていたのである。

 件の猫カフェは、一階が古書店になっている雑居ビルの二階にあった。上の三階フロアはオフィスになっており、猫カフェの社員が事務作業をしたり、備品の倉庫になっているという。書籍や雑誌がずらりと並べられ、カフェというよりオシャレな図書館のような趣である。椅子とテーブルの隙間を縫うように、愛らしい猫ちゃん達が自由にお散歩をしていた。

 艶かしい情景に、私は興奮なかば朦朧とした。

 変装はしていたが、輝子ちゃんと思われたのか、それとも突如として猫ちゃんに興奮するヘンタイと思われたのか、どこか怪訝な店員さんに案内され、私は隅のテーブル席に座った。猫カフェのだいたいの猫ちゃんはひとに慣れているので、遊んでほしいときは自然と寄ってきてくれるという。私も猫ちゃん達の尻尾を無遠慮に追い回すような軟派な行為を潔しとしないジェントルマンなので、注文したコーヒー片手にアイドル雑誌を読んで、猫ちゃんを優雅に待っていた。

 が、待てど暮らせど、猫ちゃんは寄ってこなかった。

 どうして(電話猫)

 不安に駆られた私は、次に読む雑誌を探しているという技巧的で自然な演技をしながら、店内の様子を確認していたが、猫ちゃん達は私など眼中にないかのように寛いでいた。私は、以前、裏路地で露店をしていた「週刊ストーリーランド」のような老婆から買わされた、猫ちゃんにモテモテになれるというお守り(マタタビの匂いがするという)を胸に忍ばせていたが、どうやら見事に不良品を掴まされていたようである。

 ぷりぷりしながら、演技の為に持ってきた雑誌を手にテーブル席へと戻ってきた私は、困惑した。

 椅子に、ラグビーボールが置かれていたからである。無論、店員さんのイタズラではない。正確には、ラグビーボールのような巨体の猫ちゃんが鎮座ましましていた。メインクーンさながらの体躯であるが、猫カフェの名簿によれば、平凡な雑種らしい。名は「チョビ」という。どこに「チョビ」という要素があるのかも分からぬ仔猪のようなメスの猫ちゃんであったが、ふはふはとしたチョビ氏に私はすっかりメロメロであった。

 しかしながら、私が座れないのは困ったものである。

 動かざること山のごとしなチョビ氏を前にして、私の内なる悪魔が囁いてきた。

 

「退かすには持ち上げなければならない。持ち上げるには触らなければならない。これは猫ちゃんを合法的にもふもふできるチャンスだ」

「なんと破廉恥な! 貴様には紳士としての誇りはないのか!」

 

 内なる悪魔のあまりにも身勝手な主張に猛然と抗議した私は、チョビ氏に「さ、触るよー? いいのかー?」と紳士的にアプローチしてから抱っこをした。抱っこされてもまるで動じなかったチョビ氏だが、なかなかに外見相応であった。

 つまりは重かった。

 

「お、重いな……!」

 

 呻いた私に、チョビ氏はなにやら憮然とした表情になった。

 どうやらチョビ氏は、レディーに体重の話はご法度という、紳士としてあるまじき初歩的な失態をした私にご立腹のようである。私は「ゴメン」「許してくれ」と浮気をしたヒモのように、ばたばたと暴れるチョビ氏を必死に抱っこしていたが、ついには潰され、足蹴にもされた。「ふぉおおお」チョビ氏にぎうぎう潰されながら、ふっくらとして温かい感触に、私はマヌケにも恍惚としていた。香ばしい匂いがした。

 斯様に、牧歌的に猫カフェを満喫した私が退店しようとしたときである。

 顔面をチョビ氏の毛玉まみれにさせた私と、みくちゃんがばったり遭遇していた。いつものように猫耳をしたみくちゃんが、猫カフェの店員さんとなにやら話をしていた。隣には、カメラを持った若い女性(動顛していて分からなかったが、美波ちゃんであった。よくシンデレラプロジェクトの配信の裏方をしているらしい)が立っていた。どうやらインタビューをしていたようである。

 

「あれ……、」ふと、みくちゃんが笑った。「輝子ちゃん!」

 

 本来ならば私ごときに向けられるはずもない純度の高いみくちゃんの笑顔に、眩暈がした。

 

「え、あっ、はい……、な、なんでしょう」

「にゃんか珍しいね、誰かと一緒に来たの?」

「ひ、一人……、一人です、はい」

「よかったら、輝子ちゃんもあとで動画観てね!」

「あ、はい、み、観ます……応援、してます……」

「……?」

「あ、いや、す、すみません……、し、失礼します」

 

 危ない危ない。

 私の咄嗟の機転により、どうにか致命傷で済んだはずであったが、現在に至っている。

 一体なにがダメだったんでしょうかねえ……(大物YouTuber)

 

 ●

 

 ネット上では「Syamu_game/鈴木ゆゆうた/ほぼ輝子」などと五七五の軽快なリズムでおもちゃにされるようになった私であるが、かつて、Hikakin氏に憧れてインスパイアされたYouTuber達が、Hikakinチルドレンなどと呼ばれていたように、ついにほぼ輝子チルドレンともいうべき、ある一人のYouTuberが彗星のように現れていた。

 それが「雑永涼」であった。

 売れないバンドマンで、松永涼ちゃんがバンドマンや路上ライブをしていた頃からの熱心なファンだという。当時の涼ちゃんとも何度か話したことがあるらしいが、証拠はない。浅黒の肌。コンプレックスだったので整形したという、整った鼻筋。力のある目元は、メイクを駆使しているらしい。顔はかなりに似ている。

 なぜ、雑永氏が話題になったのか。

 雑永氏は男であった。

 正真正銘の、男であった。

 ウィッグやメイクがなければそれほど似ていないとは本人の弁だが、リスナーには関係ない。涼ちゃんと瓜二つという耽美的な顔面とは裏腹に、郷里大輔氏を髣髴とさせる暴力的なバリトンボイスが、「脳味噌をバグらせる」「バンドリを観ていたと思ったら、装甲騎兵ボトムズが始まっていた」と評判である。また、一部の輩は、「涼ちゃんにチンコついているかと思うと興奮する」「ぎゃおおおおん!」とハッスルして、BANされていた。

 雑永氏の主なコンテンツは、これまでバンドマンとして培ってきたベースやギターによる弾き語り(アイドルソングをカバーしていても、布施明氏の楽曲のようになるが、それもウケている)と、ホラー映画が好きという涼ちゃんに倣ってのホラーゲームの実況プレイやホラー映画の鑑賞リアクション動画だが、当の雑永氏はホラーが大の苦手だという。涼ちゃん似のツラのいい男がホラーにひんひん喚いているというギャップには、愛嬌があるとも好評であった。

「爆ぜればいいのにな」と、私は論理的に思った。

 それなりに評価されている彼の裏で、私がもはや雑永チルドレンにされていた。

 無論、それは私よりもエンタメとして優れているのが歴然だからである。

 バンドマンとしては燻っていたものの、長年、ある種の「表現者」として活動をしていた雑永氏には、動画配信者の素質も備わっているように思われた。涼ちゃんやアイドルへの愛を語っているときの雑永氏は少年のように天真爛漫で、臆面もない。バンギャとちんちんかもかもしてきたであろう雑永氏は自信に溢れ、スクールカーストの上位で生きてきた者特有の雰囲気を「BURBERRY」のトレンチコートのように悠然と纏っていた。

 対する私はどうか。

 これまで述べてきたままである。

 なにかを表現してきたこともない無産オタクである私は、話をしながらだと集中できないと言い訳をし、ヘタクソだと馬鹿にされるのを恐れてヘタではないと思っているゲームを黙々とプレイしているばかりである。輝子ちゃんやアイドルの話をするときも、一介のオタクごときが恥を知れとばかりにどこか自虐的である。四半世紀、白州蒸溜所のウヰスキーのように骨の髄までたっぷりと熟成されてきた卑屈っぷりが、私のありとあらゆる毛穴から芬々と漂っていた。

 これで評価されるようなら、それはきっとこの世の終わりである。

 輝子ちゃんの姿。

 それだけが、私の価値でもあった。

 事実、トチ狂った私は、何度か定点カメラで私の生活の一部始終を配信したことがあるが、それが最もインプレッションを稼ぎ、スパチャもされていた。私の一挙手一投足に、理性を失ったケダモノどもの下世話なコメントが溢れ、私は「逆転マジックミラー号かなにかか?」と思った。輝子ちゃんへの愛がない行為に、「あんまりしないほうがいいと思う」とガブリアむさんらしからぬマジレスも頂戴しており、実際、なかなかに低評価もされていた。

 これが承認欲求の成れの果てである。

 賢明な読者諸兄は、ぜひとも反面教師にしていただきたい。

 

「ゴロゴロしているだけでお金になるなら、しない手はない」

「わかる」

「わかるわ」

「けどそれは杏ちゃんの領分では?」

「それ」

「やっぱ意識低い」

「もっと輝子ちゃんの顔見ろ」

「やかましい」

 

 それは私も分かっている。しかし、誇れるものがなにもない私に、いったいどうしろというのか。

 不貞寝をした私に、古き良きオタクどもである四天王が「乳酸菌とってるぅー?」とアドバイスしてきたので、参考にした。

 

 ほぼ輝子@syoko_O6O6

 ほぼ輝子・ランチ

 

「おい」

「パクるな」

「ふざけてんのか」

「真面目にやれ」

「チッ、うっせーよ。反省してまーす」

 

 ツイッターにきのこパスタとヤクルトの写真を投稿した私は、四天王に和気藹々とボコボコにされていた。

 

 ●

 

 恐るべき低空飛行にあった私の人生に輝子ちゃんの姿になるという激動が訪れてから数ヶ月にもなるが、それで人生が好転したと思われるのは、いささか早計である。カレーは二日目がうまいという話もあるが、どす黒いなにかを後生大事にとばかりに熟成させ、もはや腐っている私が易々と人生を好転させられるはずもないのは自明の理である。

 エイプリルフールの朝に元の身体に戻った私の下に、ベビーウエハースのようなドアをぶち破り、「ドッキリ大成功」の看板を持ったビール腹の中年男性の集団が現れ、小馬鹿にされるというオチの妄想も迸らせていたが、依然として私は輝子ちゃんの姿のままであったし、現実はネットの住民に小馬鹿にされている。

 いつものように午前十時頃に万年床から毒虫のように起床した私は、朝昼食を摂った。

 逆転マジックミラー配信(ガブリアむさん他から苦言を呈されているが、私は毎週土曜日の朝から日曜日の朝まで定点配信をしている。だいたいゴロゴロしているだけである)でカップヌードルばかり啜っている私を憐れんだリスナーさんから「もっといいもの食べろ」とスパチャをお恵みいただいているので、最近はカップヌードルビッグで贅沢をしている。いつかは毎食、キングを頂きたいものである。

 博愛主義者の私がジャンキーなお味のスープも残さずに堪能していると、あの優男氏から連絡があった。

 逆転マジックミラー配信に、私はプロダクションや優男氏からお小言を頂戴すると思っていたが、意外にも静観されているようであった。法的根拠がなければ企業も個人の活動にあれこれ制限できないのも当然ではあるのだが、私がなにかデカいポカをする機会を虎視眈々と待っているかのようにも思われ、私は優男氏の連絡に「ひん」と呻いていた。

 一方で、私は存外に冷静になっていた。

 先日は承認欲求の成れの果てに、心が荒んで思春期の中学二年生のような破滅的思想に陥っていた。紳士として、というか二十むにゃむにゃ歳にもなるオトナとしてあまりにも恥ずかしい醜態に、私はプロダクションから介錯されるのをなかば望んでいた。

 

「頼むから殺してくれ」私は喚いた。「これ以上、恥を晒す前に」

 

 優男氏の要件は「シンデレラプロジェクトのプロデューサーが話をしたいと言っている」との旨であった。

 いにしえのインターネッツ時代を生きてきた歴戦の猛者として面倒な話題にはバナナが耳に詰まったフリをしながら無視してきた私の多大な努力が実を結んだのか、ただの一過性の悪ノリでもはや興味もないのか、「アイドルの不仲説」はなかば鎮火していたが、プロジェクトのプロデューサー氏が迷惑を被ったのは事実である。「落とし前をつけろ」という話なら、バッチコイである。スケベブックで予習をし、もはや身体で払うのも、やぶさかではない。

 無敵のひとと化していた私は、粛々と了承した。

 プロジェクトのプロデューサー氏との待ち合わせは、渋谷にあるあの喫茶店であった。

 待っていたのは優男氏と一緒であった、金剛力士像のようなあの大男であった。二メートル近い巨体のインパクトは忘れられるはずもないし、いざ対面すると人相も若い頃の高倉健さながらである。プロデューサーというのは嘘で、プロダクションが擁する荒事専門の用心棒かと私は疑った。カタギらしからぬ風格に、やはりスケベブックのような展開に突入するのかとも私は思ったが、几帳面に渡された名刺には「シンデレラプロジェクトプロデューサー」と印刷されていた。

 

「シンデレラプロジェクトを担当しております。本日はよろしくお願いいたします」

「あ、はい……、お、お願いします」

 

 大男のプロデューサー氏は、場末のヤクザのような風貌とは裏腹に、実に丁重な物腰であった。デジャヴである。

 

「……」癖なのか、大男氏はやや首を摩っていたかと思うと、真摯に私と相対した。「今……、貴方は楽しいですか?」

 

「宗教勧誘かなにかか?」と私は思った。

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