自分を星輝子だと思いこんでいる一般人   作:木木木登美彦

9 / 13
偽者(6)

「今……、貴方は楽しいですか?」

「え、えっと……?」

 

 私は困惑していた。

 大男氏の言葉は新手の宗教勧誘のようであった。大男氏は荘厳なまでに渋いバリトンボイスなので、私はなにか高尚なオペラでも観賞しているかのような心地になったが、ただの錯覚である。大男氏の表情は実に真剣であったが、それがあまりにもミスマッチであった。

 

「貴方は今……、夢中になれるなにかを、心を動かされるなにかを、持っておりますか?」

「ぐ」

 

 大男氏の言葉はロビン・フッドの矢のように、誇れるものがなにもない私の繊細なハートを鋭利に貫いていた。

 図星であるが、余計なお世話でもある。

 夢中になれるなにかも、心を動かされるなにかもない私に、大男氏はいったいなんの用があるのか。

 大男氏は、憮然としている私からも目を逸らさなかった。真摯な大男氏の姿が、私には余計につらかった。

 

「あるひとに、頼まれました。貴方が……、自棄になっているようで、心配だ。どうにかできないか、と。私も、同じように焦ってきた方を……、嫌というほど、知っています。私も、貴方が、心配なのです」

 

 落とし前の話をされると思っていたら、よもや心配されているとは私も予想外であった。母親をババアと呼ぶ反抗期の少年のように荒れていた私の心は、朴訥とした大男氏の言葉に、不覚にも毒気を抜かれ、冷静になっていた。

 

「もし、貴方が夢中になれるなにかを探したいと思っているのなら、一歩、踏み込んでみませんか? きっと、別の世界が広がっています」

「は、はあ……」

「アイドルに、興味はありますか」

「え……、」私は狼狽した。「いや……、わ、私には、む、無理です」

 

 私ごときがアイドルになるなど言語道断、アイドルに失礼であるのは疑う余地もない。

 不躾にも咄嗟に断ってしまった私であるが、大男氏の口元は柔らかい。ややもすれば、微笑んでいるのかもしれなかった。

 

「貴方ならきっと断るだろうとも、あのひとは言っていました。似ているから、と」

「……?」

 

 大男氏に頼んできたあのひととは誰なのかと私は思ったが、それは話の本筋ではないようであった。

 

「私はアイドルのプロデューサーですが、なにもアイドルである必要はありません。本日は、資料をご用意しました」

 

 大男氏は、プロダクションのロゴが印字された角2封筒を何枚か、足元のビジネスバッグから出していた。当然ながら、どれもパンフレットやリーフレットが封入されていた。アイドル部門の封筒もあったが、プロダクションは大手の総合芸能事務所である。他にも、歌手や俳優、さまざまな部門の封筒も用意されていた。

 

「弊社で特に人気なのは、俳優部門による週一回の養成コースです。実力に応じて、初級、中級、上級とレベル別に演技指導が受けられます。同様に、歌手部門による週一回の養成コースも人気です」

 

「おや?」と私は思った。宗教勧誘ではないが、これではただの営業である。

 

「……」

 

 訝しんだ私に、大男氏はただ首を摩っていたが、沈黙がなによりも雄弁であった。なにやら困ったときの癖のようである。カタギらしからぬ風貌であるが、どうやら嘘が苦手で不器用な大男氏に、私は好感を抱いていた。大男氏が、バーニーズ・マウンテン・ドッグのような、愛らしい大型犬のように思われてきた。風貌とは裏腹に、意外と若いのかもしれない。

 なにも誇れるものがないと私が無意味に腐っていたのは事実である。実直な大男氏に免じて、なにかするのもいいかもしれないと私は思っていた。ただ、問題は私の懐事情であった。私は用意されたパンフレットをぱらぱらと捲っていたが、どれもなかなかのお値段である。

 うんうん唸っている私に、大男氏が囁いていた。

 

「私のようなプロデューサーのスカウトや推薦があれば、招待生として割引される制度もあります。今回なら適用できますが……」

「ぐ」

 

 狙っているかは分からないが、なかなかにしたたかな男であった。

 

「お……、」私は頭を下げていた。「お願いします……」

 

 大手芸能事務所の指導を格安で受けられるチャンスであったが、誤解しないでいただきたいのは、これは私の人生をより良くする為の重大な第一歩である。割引されなかったとしても、私はきっと決断していたはずである。たかが割引で人生を左右されるような尻軽な男と思われるのは、はなはだ心外である。聡明な読者諸兄ならば、迂闊な誤解はしまいと私は信じている。

 なお、具体的にどれほど割引されるかは、ノーコメントとさせてもらう。

 

 ●

 

 さんざん、四天王からも「設定を忘れるな」「意識が低い」と怒られているし、YouTuberとしての活動にもなにかプラスになるかもしれないと、私は人気だという俳優部門による週一回の養成コースを体験することにしていた。一回だけだが、無料体験ができるという。それから検討してくれればいい、とは大男氏の言である。もう入会する腹ではあったが、石橋があるのに叩かないというのも、お尻がどうにもむずむずしたので、私は了承していた。

 体験当日である。

 養成コースは土曜日であった。今頃、逆転マジックミラー配信は無人の部屋を配信しているはずである。私の生活の一部始終を定点配信するのが主旨であるが、外出も生活の一部なので嘘は言っていない。

 私生活を赤裸々に配信していてなにをいまさらと思われるかもしれないが、私は緊張していた。芝居に関して門外漢であるのも勿論だが、古きインターネッツの森に生きてきた黄泉の国の戦士である私は、リアルでの交流が不本意ながらやや不得手である。どれほどのひとが集まるのか分からないが、私が緊張するのも無理はないとご容赦いただきたい。

 私はぷるぷると武者震いをしながら、いつものように変装(伊達眼鏡に、死ぬ母親の髪型と言われるルーズサイドテールである)をして、プロダクションが運営するスタジオへと向かっていた。

 

「おはようございます!」

「お……、おはよう、ございます……」

 

 スタジオは、城塞のようなプロダクションの社屋の目と鼻の先にあった。

 想像以上に元気ハツラツとした参加者の方々にすっかり萎縮した私は、コメツキバッタのようにペコペコ挨拶をしながら、スタジオの隅にちょこんと座っていた。新参者である私に無数の視線が向けられているように思われ、隠れるようにサン=テグジュペリの「夜間飛行」を読んだ。

 参加者は、無理矢理、親に通わされているような年少の男児から、両国国技館での相撲観戦を趣味にしているようなご年配の方々まで、老若男女、実にバラエティーに富んでいる。なにも接点のないようなひとびとが一堂に会している光景は、なかなかに新鮮であった。

 参加者が雑談をしていたが、どうやら参加者の一部が、昨今のパンデミックの影響か、退会や休会をしているらしい。あの大男氏が慣れない営業をしていた理由は、これなのかもしれない。今も汗水流しながら奔走しているかもしれない大男氏に、私は「なむなむ」とエールを送った。

 私は、入会して日の浅い二人の参加者とのグループで体験することになった。私と同様に体験入会の少女(淡い桃色という破廉恥な髪をしていた)と、入会して三回目の受講になるという、戦国武将のような凛々しい眉をした若い女性であった。我々を担当したのは「Wii_Fitトレーナー」のような逞しい身体をした、若々しい男性であった。腹式呼吸でバフしたあとの下り空Nからのコンボは非常に火力が高いので要注意である。トレーナーはもとより、受講生まで顔面偏差値が高いとは、恐るべき最大手芸能事務所のマンパワーであった。

 私は一人勝手に戦慄していた。

 肝心の内容であるが、基礎的で、地味な講習であった。私がずぶの素人なので、当然ではある。

 まずは、アニマルフローストレッチであった。動物の身体動作を模した体幹トレーニングの一種であるが、要するに芝居をする上で、思うように身体を動かす技術が肝心であるという旨であった。私は「おやおや?」と思った。「どうやら意外と体育会系らしいな?」

 次は、発声練習であった。いわゆる、腹式呼吸という、演技には必要不可欠な技術である。こことは別に芝居の心得でもあるのか、おピンク少女はトレーナーさんから評価されていたが、私とおつやの方の二人は「あー」「うー」唸りながら、四苦八苦していた。腹式呼吸に重要な下腹(丹田というらしい)をより意識する為に、レッグレイズを中心とした腹筋トレーニングもしたが、これまた見事に体育会系であった。おピンク少女がひんひんと喚き、おつやの方は一言も余裕がないのか、無言である。健康的なニートとして普段からリングフィットしている私でもどうにかというレベルである。二人は完全にグロッキーになっていた。麗しい乙女が喘ぎながら、汗を流してぶっ倒れている。艶めかしい光景であった。

 

「意外と体幹がしっかりしていますね」

「フヘヘ……」

 

 トレーナーさんに褒められ、私は一人赤面した。

 意外と、とはどういう意味だと思ったのは、帰宅してからであった。私も疲労困憊だったのである。

 最後は外郎売という、滑舌や発声の古典教材のようなものであったが、あまり記憶にない。我々はトレーナーさんが朗読するのを真似、復唱するように朗読をしたが、疲れていた私はトレーナーさんの優れた口上に「ほえー」と感心しているばかりであった。

 

「お疲れさまでした」

「ありがとうございましたー……」

「ありがとう、ございました」

「あ、がとう、ございます……」

 

 私の体験は無事に終了していた。

 まだ、芝居の「し」の字も教わっていないが、私は満足していた。芯から身体を動かして、声を出しているような感覚が、私には存外に新鮮であったからである。日頃から筋トレはしているが、まるで別の感覚であった。私は「新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよー」に、清々しい心地にもなっていた。

 あまりにも単純な私であった。読者諸兄は、どうか笑っていただきたい。

 

 ●

 

 以来、おつやの方とよく話をするようになった。彼女以外とほとんど話していないともいう。

 彼女は歯科衛生士として働いているという。大学時代の知り合いが映画サークルを主宰しており、ふと、演劇に興味を抱いたのが入会したきっかけであった。「彼はどっぷりハマっていたけど、私には分からないわね。気分転換にはなるけど」とは彼女の弁であったが、抜群の社交性を発揮して養成所では一定の地位を確保していた。私はコバンザメのように、彼女のおこぼれを与っているばかりであった。

 おピンク少女は入会しなかった。おつやの方曰く、彼女は声優の養成所に通っているので、演技のプラスになることはなんでも試しているのだという。一度、会ったばかりの関係なのにそれほどまで話をしていたのかと、彼女達の恐るべきコミュニケーション能力に私は慄然とした。

 おつやの方のコバンザメである私は、養成所でやや浮いているように思われた。ほかの受講生と碌にコミュニケーションしていないのもあるが、私が芝居にそれほど積極的ではなかったから無理もない。私は身体を動かしたり、腹の底から「あー」「うー」と声を大にするのを楽しんでいたが、はいはいしている乳幼児と大差がない。ちんまい身体とは裏腹の、意外にある体力と、意外に馬鹿デカい声には定評があったが、演技はぼちぼちである。

 おつやの方も興味が薄いのは同様であるが、私とは社交性に歴然たる差があった。彼女が私と話をしてくれるのも、芝居に興味がないという、ある種の同志と思ったのかもしれない。あるいは同情である。

 しかしながら、私も無為に時間を過ごしていないと自負している。

 私はもっぱらトレーナーさんや受講生の演技の観察に尽力している。「これは!」という演技があればメモをし、脳裏で反芻させる。なぜこのような演技をしたのかを咀嚼して、幾度と模倣する。やはり物事の上達には、誰かを模倣するのがイチバンである。大手芸能事務所に所属している優れたトレーナーさんや、俳優を志して研鑽している受講生の方々という、絶好のお手本がゴロゴロしているのだから、ずぶの素人である私がそれを利用しない手はない。

 私の演技は天狗の鼻のようにぐんぐんと伸びていったし、私は天狗になっていた。

 

「フヘ……藻のみなさん、こんにちは……。キノコの国の星輝子です……」私の渾身の演技である。私は自信たっぷりに笑った。「どうよ?」

「ちょっと齧っただけでイキるな」

「調子乗ってんじゃねえ」

「誰が藻だコラ」

「もっと輝子ちゃんの顔見ろ」

「はい」

「はいじゃないが」

 

 四天王に叩いてもらったので、有頂天であった私の鼻はどうにか凹んで元に戻っていた。

 ただ、私が浮かれているのも無理はないと、読者諸君にはご理解をいただきたい。無意味に腐ってでろでろのヘドロになっていた私も、養成所に入会してからは、無事にヒトとしての形に戻っていた。生活にメリハリも生まれている。ニートにメリハリもクソもあるかというご批判はもっともであるが、非常に高尚で文化的な生活を送っている私には、ご批判を真摯に頂戴する心の余裕まである。養成所の日々は、配信するときの話題になっているし、演劇の素養は確実にYouTuberとしての活動にもプラスになっていた。

 万々歳であった。

 だが、好事魔多し、油断は禁物である。足元を掬われぬように、私は愚直にYouTuberとしてのルーティンを守っていた。

 具体的には、ミソッカスな料理動画の投稿や、ミソッカスな配信を続けているということである。

 だが、結局はこれが私なのである。

 三つ子の魂百までというのに、やがてこの世に生まれて四半世紀になんなんとする立派な青年が、いまさら己の人格を変革しようと努力をしてどうなるというのか。ガチガチになって虚空に屹立している人格を無理にねじ曲げようとすれば、ぽっきり折れるのが関の山である。

 現時点での己を引きずって、生涯を全うせねばならぬ。

 純然たる事実に、私は断固として目を瞑らぬ所存である。

 だが、恥ずかしいとは思わない。これが私なのだと、堂々としていればいい。私が私を愛さねば、誰が私を愛するというのか。

 

「でも、安心したよ」

 

 唐突に、ガブリアむさんがコメントをした。

 

「安心って、なにが?」

「いや、ちょっと心配してたっていうか……」

「わかる」

「俺も心配だった」

「売れないAV女優みたいな配信してんなって思った」

「それ」

「それな」

「やかましい」

 

 私をボコボコにしていたのはお前らではないかと思ったが、私は寛大なので許した。

 

「お芝居かー」ガブリアむさんが呟いた。「ほぼちゃんならいつかオファーもあるんじゃない?」

「またまたご冗談を」

 

 ガブリアむさんの世迷言を私は一蹴した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。