二組六人の異世界人   作:117

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2章 5話

 変化は僅かに、しかし確実に。

 

 

 

 ガヤガヤガヤと騒がしい大通り、それに面したカフェに茶々丸は座っていた。その目は人の流れの方に向いているが、決して人の流れを見ている訳ではない。ただ彼女の視線がその辺りに合っているというだけであり、今現在の彼女は昨日のネギの行動を思い出している最中だ。

「…………ネギ先生……」

 分からない、あそこでネギが自分を見逃した理由が分からない。なぜ敵を撃破するチャンスを自ら棒に振ったのか分からない。

 なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? ……………………分からない。

「茶々丸、ここにいたか」

「や♪」

 かけられた声に思考を凍結。そしてその声の主を探るべく音声を解析。ヒット。彼女のマスターエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルと、彼女の創作者葉加瀬聡美と推定。振り向いて視覚情報と照合。誤差、範囲内。結果、彼女達をエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルと葉加瀬聡美に断定。

 そんな複雑な過程に従った彼女など知らんとばかりにエヴァンジェリンは用件を切り出す。ちなみに葉加瀬は早速茶々丸のメンテナンスに入っていた。

「昨日のジジイの件だがな、桜通りの件を感づかれたようだ……、釘をさされた。まあ衛宮士郎あたりから話がいったのだろう、予想通りだ。が、やはり次の満月までは派手には動けん。

 もっとも坊やが動けばこちらも対処するがな……。

 …………どうした? 茶々丸」

 いつもは従者然としている茶々丸だが、どうした事か精彩が無く上の空だ。当然いぶかしむエヴァンジェリン。

「昨日から様子がおかしいな、何かあったのか?」

「………………」

 何かあったのか? 昨日、ネギ達に襲撃された事はもちろん何かあったのうちに入るだろう。そもそも直前にエヴァンジェリンはネギから動けば対処すると言っている。その上、アスナがネギのパートナーになった。これらの情報の価値は決して低くない。だからこそ、茶々丸はそれを己の主に伝えなくてはならない。

「………………いえ、何もありません」

 ならないはずなのに。どうしてか、彼女の口はそんな言葉を紡いでいた。人形は主の思う通りに動かなくてはならないはずなのに。言わなければならないはずなのに。

 なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? ……………………分からない。どうしてなのか、分からない。

「そうか? ならばいいが。コーヒーもらうぞ」

 そんな従者の葛藤に気がつかず、エヴァンジェリンはのん気に従者がダミーで置いておいた少しぬるくなったコーヒーを喉の奥に流し込む。

 

 人形でありながら、人形でない行動をとった彼女の行動は、その後もずっと呆けたものだった。

 

 

 

「兄貴、ヤバイよ! 何であの茶々丸ってロボに情けをかけたんスか!? 昨日あそこで仕留めておけば万事解決!! こっちの勝ちだったのに。

 とにかくヤツを逃がしたのはマズイッス!! 昨日までは奴ら油断してたけど、兄貴にパートナーがいるってのを奴がチクったら、絶対二人がかりで仕返しに来るって!!」

 女子寮に響くカモの怒声。場所はアスナの部屋で、テーブルを囲んで作戦会議をしているのはカモとネギ、アスナとおキヌである。ちなみに横島はおキヌによって女子寮に入る事を阻止され、今は町をブラついていたりする。

 さて、横島はともかくとして部屋の中の方も決していい状態だとは言えない。対抗策が思いつかず、カモが一方的に昨日の失態について喚いているだけなのだから、それも仕方の無い事だろうが。そんなカモに必死に自分の思いの丈をぶつけるネギ。

「…………で、でもカモ君。やっぱり茶々丸さんは僕の生徒だし……」

「甘い!!」

 そんなネギの言葉を一刀両断するカモ。キーキーと高い声でネギを諭そうとする。

「兄貴は命を狙われているんでしょう!? 奴ァ生徒の前に敵ッスよ、敵!!」

 それを聞いたアスナは流石に呆れた顔をしつつカモに話しかける。

「ちょっとエロオコジョ、そこまで言うことないんじゃない?」

「カモッス、姐さん!!」

 カモの話を全面的に無視しつつ、自分の考えを口にしていくアスナ。

「エヴァンジェリンも茶々丸さんも、あんま話したコト無いけど二年間私のクラスメートだったんだよ? 本気で命を狙ったりとかまではするとは思えないんだけどなぁ……」

 それが昨日の茶々丸を見た上でのアスナの偽りなき思い。それにおキヌも便乗して言葉を付け加える。

「そうですよ。それに相手が命を狙っているからといって、こっちだって命を狙っていい訳ないじゃないですか」

 そんな事をいうおキヌにカモは目を細めて言い返す。

「んじゃあ何か他にいい案あるってのかい、おキヌの嬢ちゃん?」

「それは…………」

 言いよどむおキヌに深くため息をつくカモ。

「昨日も同じやり取りしたっすけど、そんなこと言ってる場合じゃないんだっての、マジで。姐さんも嬢ちゃんも甘々っスよ!

 見てください、俺っちが昨晩まほネットで調べたんスけど…………」

 そう言いつつ滑らかにオコジョ用のノートパソコンを操作するカモ。そしてすぐに目的にページを引っ張り出す。

「あのエヴァンジェリンって女、15年前までは魔法界で600万ドルの賞金首ですぜ!? 確かに女子供を殺ったって記録はねーが、闇の世界でも恐れられる極悪人さ!!」

「えーと、600万ドルって事は…………だいたい6億円?」

 しかもそれは現代の金銭価値では無い。そのことに気がつかずともおキヌのそんな言葉にアスナの気が遠くなりかける。そして頭の中で再生されるのは横島の言葉。

 

 ―――吸血鬼とかに関わる事件は難易度がとっても高くなったりするんだよ? 具体的に金額で言うと億を越えたりとか。

 

(あー、横島先生の言った通りじゃん)

 今更ながらに理不尽な事に巻き込まれていると気がついたアスナは、その感情をカモへと吐き出した。

「なんでそんなのがウチのクラスにいるのよっ!?」

「そいつはわかんねーけどよ…………」

 パソコンを操作しながらエヴァンジェリンの履歴を調べるカモ。そして激昂するアスナをまあまあとなだめたのは、意外というかおキヌだった。

「落ち着いてください、神楽坂さん。ここでカモさんにあたったってなんにもなりませんよ?」

「妙に落ち着いてるじゃない、おキヌちゃん…………」

 ジト目で見られているおキヌは、アハハと苦笑いを浮かべる。

「真祖の吸血鬼がからんでる時点で覚悟してましたから。それに、初めてじゃないですし…………」

 結構太い神経をしているおキヌである。しかもそんなヤマに躊躇なく参加するあたりはアスナと同じくらい人がいい。そんなおキヌを尊敬に近い眼差しで見るアスナ。

「…………実はおキヌちゃんって、結構すごい人?」

「や、やだなー。そんな事ないですよ」

 照れるおキヌ。作戦会議という場の雰囲気にそぐわない、華やかな空気だ。それに水を差すようにカモが口を開く。

「とにかく、奴らが今本気で来たらヤバイッス。姐さんや嬢ちゃん、寮内の他のカタギの衆にまで迷惑がかかるかも……」

「えっ、マジ!?」

「か、可能性はありますね…………」

 その言葉は流石に笑いながら聞ける話ではない。雑談をやめたアスナは気色ばむし、おキヌも冷や汗をかいている。

「とりあえず、兄貴が今寮にいるのはマズイッスよ」

「うーん……。そ、そうね。今日は休みで人も多いし……」

「あああああ、だからあんな事しなければよかったのに」

「やっちまったもんはしょうがねぇだろ!? とにかく今はカタギの衆に迷惑が…………」

 やいのやいのと騒がしい三人。

「う…………」

 そんな空気に耐えられなくなったネギは、杖と上着をひっ掴むと窓をガラッっと開けて、

「うわあぁ~~ん」

 泣きながら空を飛び、あっという間に見えなくなってしまった。突然逃げ出したネギに三人はしばらく呆然としていたが、

「ネギーーーーーーッ!?」

「兄貴ーーーーッ!?」

「ネギ先生ーーーーッ!?」

 一斉に我に返る。

「あ、あんたがあんなこと言うから」

「あ、姐さんだってーーっ」

「あああ、ネギ先生ー!?」

「もーーっ。と、とにかく追うのよ!」

「急ぎましょう!」

「合点だ!」

「わ、私は横島さんを探してきます~!」

「お願い、おキヌちゃん!」

 ギャイのギャイの言いながら必死で走る三人だった。微妙に自業自得である。

 

「ん?」

 一方、女子寮を見張っていた士郎は窓から飛び出した人物に目を見張る。麻帆良ひろしと言えども、女子寮の窓から杖にまたがって飛び出してくる少年はネギくらいしかいないだろう。一応顔を確認してみるが、予想通りネギだった。しかしその顔はグシャグシャで、心折られた事は明白。

「…………逃げるのか? ネギ君」

 眉をひそめながらもネギを追う士郎。ちなみに空を飛んでいる上に、かなりの速度を出すネギを追うのは士郎でもかなり必死だったりする。撃ち落とせと言われれば即座に出来るのだが、それは色々な意味で冗談にならない。

 それでも市街地から離れれば少しは楽になる。なにより、林の中ならば(主に神秘の秘匿の)周囲に対する警戒は少なくて済むのが大きい。弓兵としてのスキルは高い士郎の事、ここまでくれば難易度は決して高くない。そうなれば士郎の不安は別の所、ネギの落ち込んだ顔が気になってきてしまう。

「………………………………」

 平走しながらもネギの顔を見る士郎。もごもごとネギの口が動いているが、声は聞こえるはずもないし読唇術のスキルも無い。よって何を言っているのか分からない。だがそれよりも気がかりな事は、徐々にネギの高度が下がってきていることである。

「あ」

 そして案の定というか何というか、ネギは少し高めの木にぶつかって杖から落ちてしまった。傍から見ていると情けない事この上無い。

「し、しまった!! 低すぎたー!? 落ちるーっ!?」

 そんな叫び声を聞きながら士郎は疾走。ネギの落下地点を探って川のど真ん中である事を確認すると、飛び出したくなる衝動を必死に抑えて推移を見守る。

「わーん」

 泣きながら川に落ちるネギ。ちなみに、落下点から50cm程離れた所に大きな岩が転がっていたりする。ほんのちょっとだけ冷や汗が出る士郎。

「ぷはっ」

 そしてすぐに水面から顔を出すネギ。びしょびしょの服を気持ち悪そうに見た後に、ネギは周りを見渡す。うっそうと茂った木々、人の手が入っていなくてぼうぼうの雑草、川の上流から流れ落ちる滝。

「………………こ……ここはどこ…………?」

 そしてネギはハッっと、更に状況を悪くする事に気がついた。

「杖!? しまった、僕の杖どこ!?」

 杖や箒といった魔法媒体が無いと魔法は使えない。つまり、この場においてネギは頭のいい10歳の子供に過ぎない。

「あああ、僕の大切な杖、どっかいちゃった。こ、こんな山奥で杖がなくなったら、僕、魔法も使えないし、か、帰れなくなっちゃうよーっ」

 半無きで辺りの草むらをガサガサと探すネギ。しかし杖は一向に見つからない。と、

 

 ワオーーーン……

 

 遠吠えが響く。

(オオカミ!?)

 びくっと体を強張らせたネギは恐慌状態に陥り、どこに向かうとも知れず駆けだしてしまう。

「あわわわ、助けてお姉ちゃーん。

 あうっ」

 が、慌てていたせいか、ほんの小さな木の根につまずいてしまった。踏んだり蹴ったりである。起き上がる気力も無く、その場で泣き臥せってしまうネギ。

「うっ……うええっ…………。

 お姉ちゃん、士郎さん、タカミチ、アスナさん………………」

 グスグスと泣くネギ。それを見て、士郎は歯を噛み締めた。

(耐えろ)

 出ていきたい。出ていって、ネギを抱き起こしたい、体についた泥を払ってやりたい。

(耐えろっ…………!)

 だが、そうしてしまったらどういう事になるのか? 恐らくネギはとりあえず安心するだろうし、ちゃんとエヴァンジェリンと向き合えるだろう。だが、それは士郎がいるという上での仮初の勇気に他ならない。

 

 ―――ネギ君の方も父にサウザンドマスターを持つというだけでこれから幾度と無くこのような事に巻き込まれていくじゃろう。

 

 学園長はそう言っていた。次にネギが危険に陥った時、そこに士郎がいるとは限らない。

(耐え、ろ………………………………っ!!!)

 だからこそ、いざとなれば助けに入れる今だからこそ、ただ見守らなくてはならない。

 5年前は弱かった。あのままではネギを守りきれないと思った。旅に出た理由はそれが全てではないが、決して比率として少なくもない。全てを守る力、ネギをも守る力。それが欲しかった。なのに、今もこんなに……無力。ネギを助けられない程に、弱い。

(耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ!)

 

 ガサガサガサッ

 

「ひっ……」

 士郎の思考と激情は響いてくる草音とネギの悲鳴で強制的にシャットアウトされる。それと同時に手には使い慣れた陰陽剣の感触が。そして姿を現したのは――

「!? …………あ……」

「――――おや? 不穏な気を感じて見て誰かと思えば……」

 図書館島地下にも共に潜った3―Aの生徒。

「な、長瀬さん!?」

「ネギ坊主ではござらんか」

 その独特の口調、豊満な体。紛れなく長瀬 楓だ。彼女と確認したとたん、目にたまった涙を溢れさせてネギは思いっきり抱きつく。

「うわ~~ん。助かりましたーーッ」

「おとと、よしよし。先生、落ち着くでござるよ」

 そう言ってネギの頭を撫でる長瀬。そしてネギが胸に顔をうずめて泣いているのを確認し、あやしながら視線をチラリと斜め上へと流す。

「!」

 そして士郎と目が合った。ビックリしたのは士郎だ、まさかこんなにも容易く居場所を気取られるとは思わなかった。それが例え心が平静でなかったとしても。そんな士郎にニッコリと笑いかけた長瀬は再びネギに視線を戻す。

「――拙者の助けはいらなかったようでござるな」

「ぞんばごどばびでず、ばぶばびばびだ!」

「何を言っているか分からんでござるよ」

 もう一回士郎へと視線を移す長瀬。士郎は指を一本口元に持っていくと、黙っていて欲しいというジェスチャーを作る。それに軽く頷く長瀬。そして彼女はいきなりネギを抱き上げた。

「わっ!」

「とにかく落ち着くでござるよ。それにそんなビショビショでドロだらけの服では気持ちが悪いでござろう? 拙者のテントで洗濯するでござる」

 そしてヒョイヒョイと木々を走る長瀬。士郎もそれに静かに追従した。

 

 長瀬のテントがある場所はとてものどかな所だった。彼等がネギの服を洗濯しているうちに適度な隠れ場所を見つけ、そこに潜む士郎。自身は見つからず、他者の動向を掴める場所を見つける技能は弓兵にとって必須と言っていい。その能力を間違ったところで遺憾なく発揮するストーカー士郎。

 やがて楓とタオルに包まったネギは川原で話をする。

「へー、土日は寮を離れてここで修行をしているんですか」

「そーでござるよ。ちなみに何の修行かは秘密でござる。ニンニン」

(その語尾、隠して無いぞ)

 ネギと同じく冷や汗をかきながら心の中で突っ込みをいれる士郎。長瀬はそれに構わずネギに問いかける。

「ネギ坊主はこんな山奥で何を?」

「えっ……」

 当然といえば当然な問い、それに言いよどむネギ。

「………………」

「まあ、話したくなければいいでござるよ」

「いえ、あの……」

 なんと答えたらいいのかわからないネギの表情は相変わらず優れない。そんな少年をニコニコと笑いながら様子をうかがう長瀬。

「………………。

 ネギ坊主、しばらく拙者と一緒に修行でもしてみるか?」

「え? あ!」

 

 ぐぅ~、ぎゅるるるるっ~~

 

 話しかけられた途端、緊張がほぐれた為かネギのお腹が大きくなる。小さな男の子の年相応の反応に、長瀬はクスッと親愛の笑みを浮かべてこんな事を口にした。

「ふふ……ここでは自給自足が基本でござる。岩魚でも獲ってみるでござるか?」

「あ……はいっ」

 長瀬はネギの言葉に満足そうに笑うと、チラとネギに気取られないように士郎に視線を一つ送った。軽くうなずいた士郎を確認してからネギの手を取る。

「じゃあ早速行くでござるか。ネギ坊主のお腹は待ちくたびれているようでござるからな」

「からかわないでくださいよ、もうっ!」

 キャイキャイと楽しげにその場を離れていく二人。そしてガサリと軽く葉がざわめいた。二人が居なくなったその場に士郎が降りたったのだ。

「…………」

 無言。ただその顔は寂しそうにネギ達が消えていった方を見ている。

「はぁ…………」

 軽く息を吐く。また、力になれない。それが士郎の心に重くのしかかってきて、少し頭を冷やそうと足を森へと向ける士郎。しばらく歩き回って激情を鎮めたかった。

 

 6年前、士郎は確かにスタンや白フードの男に言われた、ネギを頼むと。士郎もそれに応えた、任されたと。しかし現実はどうだろうか? 6年前は何も出来なかった。ネカネがいた為、ネギの家族は間に合っていたのだ。ネカネの父の家に独り住んでいた時よりもずっと温かかったと言っていい。外敵からネギを守ろうとしても、まずそもそも外敵がいない。それも当然、魔法使いの集う村を襲う事なんて滅多にある訳がない。よしんば滅多にない事があったとしても、当時の士郎は村の中で決して強い方ではなかった。士郎の力がネギの為になったのかどうかは疑問だ。

 冬木がどうなったのか、自分の身に何がおきてあんな状況になったのか。それが知りたくて村を出たのは決して嘘ではない、だがしかしそれが全てでも決して無い。ネギを、全てを守る力が欲しかったのもまた事実。

 あれから5年、士郎は数々の戦場をくぐり抜けた。死にかけた事は少なくない、親しい人を失った事も0ではない、理想が叶った事など一度もない。だがそれでもくぐり抜けた戦場の数だけ実力はついたはずで、それに見合う力も手に入れたはずだ。

「…………」

 なのに、この体たらく。弟のような少年が苦しんでいるというのに指一本分の助けもしてやれない。

 士郎だって分かっている。子供はいつか一人立ちするもので、少々早いがネギにその時期が来ただけだと。男の一人立ちに家族はむしろ邪魔だ。今までは無条件で助けてくれた人の手を使わずに一人で立ち、歩く。辛い時には自分で信頼できる人間を見つけ、自分で頼る。それは幼児の二足歩行にも似ているが故に一人立ちという言葉が使われる。

 だから立ち上がれずに泣いていても、うまく歩けずに転んで泣いても、家族は手をかしてはいけない。歯を食いしばって見守る事こそが最善だから。

 

 ――だがしかし、ならば何の為に士郎は力をつけたのか?

 

 その問いに答えは出ない。思考は空回ってループする。頭を冷やすために散歩を始めた士郎だったが、ますます熱を持ってきた。

(いかんな)

 かぶりを振って頭にこびりついた考えを振り落とす。ふと頭上を見上げればもう夕闇が空を包んでいた。確か散歩に出たのは朝方だったはず。

「…………もはや散歩じゃないな、こりゃ」

 口調は昔、まだ赤い髪だった時と同じように。そして手近で背の高い木を見繕うと、猿のように一気に駆け上がっていく。すぐに木のてっぺんにたどり着いた士郎は鷹の目で周囲を見渡した。

「…………」

 キャンプ地点からは大分離れてしまっている。迷走してグルグルとさ迷ったおかげで半日歩いたにしては離れていないが、それでも彼の目でもキャンプ地点は確認できる距離ではない。

 ぐるっと視界を360度回転させて一応の目印を確認しようとした時に、ふと目の隅で微かに動くものが横切った。

「ん?」

 遠い木陰でゴソゴソと動くナニカ。葉っぱや木の動き方からして獣でも無いし熟達した人間でも無い。都会慣れしてどこまでも人間くさい動きをしたそれだが、町から来たにしては妙に元気がいい。ここから最寄りの町と言えば麻帆良だが、麻帆良からでも常人にしてはかなりの距離がある為にあの動きの活発さは異常だ。しかし武術家にしては動きにムダがありすぎる。と言うか、そのムダな動きでここまで来たとするならばある意味賞賛に値する体力だ。士郎だってあんな疲れるやり方でこんな所まで来たくはない。

「…………ちょっと待て」

 そして更に懸念事項が。故意か偶然か、それは徐々にだが確かにネギの居る方向に向かっているようだった。

(…………)

 無言で頭を動かす士郎だが、すぐに行動を開始した。気取られないように近づいて様子を見る事にしたのだ。

(ネギ君は今大事な時期だからな、邪魔はさせない)

 長瀬はおそらくネギを立ち直せる事ができるだろう。が、それも水が差されなければの話だ。もしも水が差されて立ち直れないような事があれば、二度と立ち上がれなくなる可能性もある。それを阻止する為に兄貴分は森を駆ける。

 そしてソレから約700メートル程度の距離まで近づいてから、障害物の隙間を見つけて観察を開始。

「ひぃひぃひぃ…………。ちょっとネギー! どこにいるのよー!!」

「ただ、まだ臭いが弱いっす、まだまだ先かも…………」

「冗談じゃないわよー!」

 観察終了、アスナとオコジョ妖精だった。オコジョ妖精の方はともかくとして、アスナはまず間違いなく敵ではない。敵ではないが、ネギはアスナをネカネと重ねてみている。つまり一人立ちしなければならないネギにとって、ネカネの匂いがするアスナと会わせるのは非常にまずい。

「お帰り願うか…………」

 士郎はそう言って一気に距離を詰めた。

 

 

 

「あのさ、エロオコジョ」

「だからカモっスって!」

「どっちでもいいわよ、そんなの。そんな事よりさ…………」

 そ、そんなこと!? とショックを受けているカモを無視して、アスナは冷や汗を流しながらポツリと言葉を漏らした。

「もしかして私たち、遭難した?」

「…………」

 目を逸らす、カモ。

「ちょっとー、カモーー!」

「お、おち、落ち着いて下さいっス、姐さん!」

「これのどこに落ち着いていられる要素があるのよーっ!!」

 白いオコジョを鷲掴み、ブンブンと激しくシェイクするアスナ。ネギも見つからずに自身も危険だと考えればそれも仕方がないのだが、やられた方としてはそんな事を考慮している余裕はない。

「と、とに、とにかく、姐、姐さん、話、聞い、て…………」

 カモの言葉を聞いてと言うよりかは死にかけているカモに気がついてシェイクをやめるアスナ。ゼーゼーと呼吸を整えてからゆっくりと口を開くオコジョ。

「今までは兄貴の魔力の香りを辿ってここまできやした。けれどちょっと前で急に魔力の残り香が薄れて、兄貴自身の匂いが現れたんです。

 多分兄貴はあそこの辺りで杖から降りたんでしょうが、それにしちゃおかしな事がいくつかあるんでさ。まず第一に10歳の子供のはずの兄貴の匂いが飛び飛びなんでさ」

「…………魔法でも使ったんじゃないの?」

 アスナの疑問に首を振る。

「いや、それは無いっスね。魔力の残り香がないっすから。

 第二に残り香が薄すぎる。匂いだけじゃ正確な速度は割り出せませんが相当な速度みたいだぜ」

「…………で、何を言いたいのよ。私、頭悪いからよく分かんないんだけど」

 イライラとしたようなアスナの声に、カモもイライラとした声を返す。

「だから! 兄貴がどんな状況になってるのかサッパリ分かんねぇんだ! それに俺っちが居れば帰りの道が分かるとは言え、既に半日も歩いてんだ。帰りもそんぐらいかかるとか考えれば、姐さんの体力が尽きる前に戻り始めないと俺っち達も危ないぜ!? マジで遭難しちまう」

 カモの言葉に黙り込むアスナ。いったん町に帰って応援を呼ぶと言うのも手だという事で、このままさ迷い続けたら本気で死ぬかも知れない。だがしかし、今現在どんな状況にいるか分からないネギを置いて戻れるだろうか? 即決で否、断じて否だ。そもそもネギは懸賞金600万ドルとかいうふざけた連中に現在進行形で命を狙われているのだ。これで『現状、どうなってるのかサッパリ』とか言われて、悪い状況になっていないと考えられるはずも無い。それに上手くネギを見つければ空を飛んで一気に帰れるのだ。アスナにとって全ての事柄がGOと言っているのに戻る選択肢なぞ存在しない。もちろんもしもネギが見つからなかったらとか、悪い状況になっているネギを助けられなかったらという可能性は頭からすっぱり消え去っている。

「いくわよ、カモ!」

 ほぼ即断。自分の命を賭け金にして、ためらいなくネギを助ける事を選択したアスナにカモは一瞬呆けるが、すぐに漢臭い笑みを浮かべる。

「合点だ、姐さん!」

「いや、回れ右だ。そこの一人と一匹」

「「うひゃあ!?」」

 突如真後ろからかけられた声に、悲鳴までハモらせて飛び上がる一人と一匹。慌てて振り返ると、そこには森に不似合いなスーツ姿の長身男性が一人。

「だ、誰だテメェはっ!」

「え、衛宮先生っ!」

 異口同音に、しかしタイミングはピッタリと声が被る。そして一瞬の沈黙の後に言葉を発したのはカモだった。

「衛宮? 衛宮ってもしかしてネギの兄貴の兄貴分の衛宮士郎さんですかい?」

「そうだが……君は?」

 警戒タップリな態度から急にフレンドリーになったカモとは対照的に、様子見の状態から急激に緊張を高める士郎。見ず知らずのオコジョ妖精から自身の名前はおろか、ネギの名前まで出たのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが。

 そしてカモはと言うと、緊張が高まった士郎に気が付きもしないで軽口をポンポンと叩き始める。

「いやー、あんたが衛宮の兄貴ですかい。噂はかねがねネギの兄貴から。

 紹介が遅れましたが俺っちはネギの兄貴の一番の舎弟、カモミール・アルベールと申しやす。よろしく、衛宮の兄貴」

 親しげなカモにしかめっ面しかしない士郎は、やがて視線をアスナに移す。一瞬だけキョトンとしたアスナであったが、すぐに視線の意味に思い当たって苦笑いを浮かべた。

「ああ、舎弟とか分かんないけど、コイツがネギの知り合いなのは本当よ。なんかネギに雇われてた。月給5000円で」

「雇われた? 月給5000円で?」

 どうにも生活感溢れる言葉に士郎の顔がますます曇る。そんな士郎の様子を見たカモは心外だと言わんばかりにプンプンとしながら突っかかっていく。

「おうよ。先日、正式にネギの兄貴の使い魔(ファミリア)になったのさ。契約書、コピーでよかったら見るかい?」

 どこから取り出したのか、A4サイズのコピー用紙を士郎に見せつけるカモ。と、

「って、あー! ネギで思い出した。ちょっと衛宮先生、ネギの奴が大変なのよ!!」

 突然あがった甲高い声に思わず耳を押さえる士郎とカモ。だがヒートアップしたアスナは辛そうな顔をする彼らを気にも留めないで、甲高い声のまま一気にまくし立てる。

「あのさ、ネギがこの森で行方不明なのよ! なんかカモが言うにはおかしな状況らしいし、どこで何をしてるん「ネギ君なら無事だ」だが衛、宮先生――――」

 知らない? という言葉は口から出てこない。アスナとカモは揃って目を丸くしている。

「ネギ君は無事だ。私ではないが、信頼のおける者がキチンと保護している。だから君たちは今のうちに帰りなさい」

 有無を言わさない言葉にアスナの目が細まる。

「それ、本当?」

「どういう意味かね?」

 いつの間にか身構えているアスナに対して士郎も腕の力をいい具合に抜き、アスナを力強い視線で射抜く。だがしかしアスナも一歩も引かないで士郎を睨み返した。

「ど~も信用出来ないのよね、衛宮先生って。前も何だかんだで信じちゃったけど、今だってネギが安全なんて保証がないじゃない」

「またかね?」

 ぶり返された話にふーやれやれと士郎は肩をすくめるが、それはアスナの神経を逆撫でするばかり。しまいにはカモまで士郎を半目で睨む始末だ。

「…………確かに俺っち達が兄貴の安全を確認した訳じゃねぇしな。俺っち達とネギの兄貴を会わせられない理由が何かあるんじゃねぇの?」

 たちまち二人を敵に回した士郎だが、しかしそれでも余裕の態度は崩さない。

「もちろん、ある」

「「やっぱり!」」

「まあ落ち着いて最後まで話を聞きたまえ」

 一瞬で殴りかからんばかりに殺気だつのをどうどうと諌める士郎。

「今な、ネギ君は大きな転機に来ている。一人立ち出来るかどうか、その転機だ。エヴァンジェリンとの戦いは正直厳しいものにだろう。しかしだからこそ自分と戦うという事が重要になってくる。

 今、ネギ君は必死で自分と戦っている最中だ。それなのに私やネカネの雰囲気を持つ神楽坂、カモミールと会ったらどうなる?」

 言葉を区切ってゆったりと二人を見つめる士郎。二人とも既に殺気は消えているが、それでも納得のいかない顔で士郎を見る。

「でも…………」

「だからっていって兄貴の安全を確かめない訳にはいかないっすよ!」

「道理だな」

 その抗議にあっさりと頷く士郎、そして面食らう二人。

「…………ちょっと、衛宮先生? 意味分からないんだけど」

「ふむ。私としてはこのまま帰って欲しいのはやまやまなのだが、神楽坂は流石に『はいそうですか』と言って帰るような性格はしていないだろう?

 それは私も分かるから妥協案だ、ネギ君に会わずに遠くから見るだけでいいなら案内しよう」

 

 沈黙

 

 士郎からの提案である以上は罠である可能性は否定出来ない。カモからして見れば幻術やなんやらで誤魔化される心配もしなくてはならないし、アスナだって黒く見える士郎の提案を受け入れるのはとてつもなく不安だろう。だがしかし士郎の話には筋が通っているし、案としても最大限の譲歩だ。これ以上譲る余地は士郎に無いし、カモ側としても納得出来なくもないライン。

(改めて考えてみれば、コレしかないってくらいのピンポイントの提案じゃねぇか…………)

 内心舌を巻くカモ。人は疑おうと思えばいくらでも疑える、それこそもし直接ネギと話をしたとしても疑おうと思えばいくらでも疑える。だがしかしどこかで人を信じなければいけないと言うならば、それはここだとカモは勘で感じ取った。

「オッケー、俺っちはその提案をのもう。姐さんはどうする?」

「えっ? わ、私!? 分かんないわよ、そんなの。あんたに任せるわ。ただ…………」

「ただ?」

 少しだけ言い澱んだアスナだが、しかし決意を込めてキッパリと自分の心を告げる。

「ただ、衛宮先生は信用出来ない」

 その言葉を受けて士郎の視線はカモへ。

「やれやれ、嫌われたものだな。で、カモミール君。どうするのかね?」

「構わねぇ、俺っちたちを兄貴の元へ案内してくんな」

 アスナの肩に乗る小さな精霊はハッキリとそう告げる。それに満足そうに頷いた士郎の顔は、次にアスナの方へ。

「神楽坂もそれで構わないな?」

「いいんじゃない? 私がカモに任せてカモがそう決めたんだから」

 投げやりな、どこか無責任な印象を抱かせるアスナの言葉。そんなに自分の提案に従うのがイヤなのかと微妙に悲しくなった士郎だが、それでも表には出さずに淡々と言葉を続ける。

「よし、じゃあこっちだ。ついて来てくれ」

 率先して歩き始める士郎。アスナは黙ってそれに付き従う。黙々と歩こうとする二人、しかしカモが口を開き始めて沈黙が壊れてしまう。

「なあなあ、衛宮の兄貴」

「…………なんだ?」

 アスナと嫌な空気になっている以上は黙々と歩きたかったのだが、声をかけられては流石に無視する訳にもいかない。仕方なさげに返事をする士郎だが、カモは鈍感なのか神経が太いのか気にする様子なしに言葉を続ける。

「いやな。ちょっと聞きたいんだけどよ、衛宮の兄貴は何でそんな姿でこんなところに居るんだい?」

 ハッとしたアスナは改めて士郎の服装を凝視する。着ていて全く違和感の無いスーツ姿は都会ならばともかくとして、こんな森の中では異常と言う他は無い。

「そうよ、そんな格好でこんな所にいるなんて普通じゃないわね」

 アスナも便乗して、再び疑いの視線を士郎に向けた。そしてそんな視線を受けた士郎は事もなさげに言葉を返す。

「仕方ないだろう、着替えている暇なんてなかったんだから」

「「はっ?」」

 呆けた声が重なるが、それには構わず淡々とした言葉が続く。

「今朝、いきなり寮の窓からネギ君が飛び出したからな。着替えている暇なんてなかった。そもそも行き先なんて分からないし、着替えるにしても何に着替えればいいのかも分からない」

 その言葉が意味するところはつまり、

「って、何? もしかして今朝からずっと監視してたの?」

「いやいや姐さん、いくらなんでもそりゃあねぇだろ?」

 びっくりしたようなアスナとカモの声に笑って返答する士郎。

「まさか、そんな訳がない」

「よねぇ?」

「だよなぁ?」

「ああ。ネギ君がエヴァンジェリンに襲われた日からずっとに決まっている」

 絶句。今度は二人共声を失った。

「もっとも、四六時中ネギ君を見張れていた訳では無いけどな。たまにはエヴァンジェリンの動向にも目を配っていたし、どうしても仕事で目を離さざるを得なかった時もある」

 周りの人間に気がつかれては意味がないからな。付け加えられた言葉にも右から左。

「ちょ、ちょっと待ってよ! ご飯はともかくとしていつ寝てんのよ、それじゃあ!!」

「ちゃんと夜中に寝ているぞ。見張りながらでも最低限の神経を張れば何かあった時にすぐに起きられる。

 大切な用事がある日とかは普段よりも早く起きれたりするだろう? それと同じような事は訓練すれば出来るようになるさ」

 アスナとカモが想像もしていなかったカミングアウトに会話が止まる。

 いつの間にか日は落ちて、わずかな星と月の明かりが森の木々に遮られながらも足下を照らす。それでも士郎は淀みなく足を動かし、アスナは士郎の白髪を頼りに歩き続けた。

(…………?)

 そこで違和感に気がついた。とても歩きやすいのだ。ここはもちろん整備された場所ではなく、むしろ全く人の手が入っていなくて獣道ですらない。現にアスナは森に入ってから何度転んだり枝に肌をひっかかれた事か。太陽の出ている昼間ですらそれなのに、なぜ明かりが無いと言っていい夜の方が歩きやすいのか。その答えはふと前を見たときに示された。

 一見何気なく歩いているように見えた士郎だが、さり気なく邪魔な石を蹴り飛ばしたり行く先に突き出た枝を手折ったりしている。どう考えても後ろを歩くアスナに対して気を効かせているのは明白だ。流石にネギの兄貴分である、全く引けの取らない紳士っぷりだ。

(…………なのに)

 そう、なのにアスナには彼が信用出来ない。ネギはアスナの嫌いなガキだったのに、今ではなんだかんだと面倒を見ている。対して士郎の外見はむしろアスナの好みであるのに、どうしてか最後の一歩の信用が出来ないのだ。頭では信用しているし、心でも信用出来る人だと分かっている。だというのにそれとは別の所、言わば勘や本能といった、横島やバゼットやおキヌ達は無条件で信用してくれる部分がどうしても納得してくれないのだ。

「…………」

 やや自分を情けなく思いながらももう一度士郎の姿を見る。だが結果は変わらず、小さくため息を吐いた。と、

「神楽坂」

「!」

「それにカモミール君、ついたぞ」

 あまりのタイミングの良さに一瞬アスナの息が止まるも、続く言葉に安堵の息を吐く。

「向こうだ、余りに大きな声は出すなよ。それから一応言っておくが、後ろの人物には気がつかれているからそのつもりで」

 そう言うと場所を譲り、後ろを向く士郎。

「?」

「…………?」

 つられてアスナとカモも後ろを見るが、士郎の言っているような人物は見あたらない。首を傾げつつ今度は前に視線を戻すと、

「ぶっ!」

「うほっ!」

 なぜか楓とドラム缶風呂に入っているネギの姿が。しかもネギの顔はとてつもなく心地よさそう顔で、一日中泥だらけになって探し回ったアスナ達がバカみたいだ。

「あんのガキ~」

「混浴とはネギの兄貴もなかなかやるじゃねぇか」

 微妙に的外れな事を言うカモの頸動脈を八つ当たり気味にしめてから、アスナは改めて二人に目を向ける。と、

「…………」

「…………」

 しっかり楓と視線があった。おまけに彼女はネギに見られていないのをいい事に、アスナに向かって手を振ってくる始末である。

「バッチリ気がつかれてるっスね」

「衛宮先生が言ってた後ろって、ネギの後ろって意味だったのね…………」

 納得がいった、ついでに士郎が後ろを向いた訳にも。そしてさり気なく復活して風呂を凝視するカモをもう一度しっかりとしめて、アスナは士郎に向き直る。

「もういいのかね?」

「うん、もういいや。って言うか、どうでもいいわよ。何が悲しくて人がお風呂に入っている所を覗かなくちゃならないのよ…………」

「まあ姐さんは女だからな、漢のロマンは分からないか」

「黙れエロオコジョ」

 本日三度目の締め技が炸裂した。グッタリとしたカモを見つつため息を吐いた士郎は無言でアスナを促し、アスナも無言で従う。楓と一緒ならばネギの心配はいらないと安心してその場を離れた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 ひたすらに無言。前を歩く士郎と後ろを歩くアスナ、そしてアスナの肩に乗っているカモ。話題も無くひたすら黙々とした空気を作っていた彼らだが、耐えきれなくなって口を開いたのはやはりカモ。

「なあ、衛宮の兄貴」

「なんだ?」

 士郎は端的に、聞きようによっては冷たいともとれる声で聞き返してくる。その声にひるむカモだったが、ここで黙ってはまた居心地の悪い空気に逆戻りしてしまう。腹に力を入れてしっかりと話をする。

「衛宮の兄貴はさ、ネギの兄貴の味方なんだよな?」

「無論」

 端的な即答。会話が続きにくい事この上ない。しかしこの程度は織り込み済みでカモも話しかけたのである。気を悪くしないで言葉を続ける。

「じゃあ俺っちは衛宮の兄貴に謝らなくちゃいけねぇ。

 すまねぇな、衛宮の兄貴」

 僅かに士郎の歩調が乱れる。

「……どういう、意味だ? カモミール君」

 とらえようによってはネギと敵対するとも受け取れる発言に、それでも士郎は冷静だった。対して自分がどんなに危険な発言をしたかに気が付いていないカモはすまなそうで、しかし決してそれ以上ではない口調で口を動かし続ける。

「いやな。ネギの兄貴と全然コンタクトを取らないもんだから、俺っちはてっきり衛宮の兄貴が臆病風に吹かれてネギの兄貴を見捨てたとばかり思ってたんだ。

 でもそんな事は無かった、衛宮の兄貴はちゃんとネギの兄貴を見守っていてくれてたのに疑っちまった。マジで済まなかった、衛宮の兄貴」

 誠実に頭を下げるカモにふっと肩の力を抜く士郎。

「いや、何もしなかったの事実だ。そう思われても仕方のない事を私はしていたしな」

 振り返らず、されどもしっかりと言葉を紡ぐ士郎。頭によぎるのは矢が離せなかったあの瞬間。確かにあの時、士郎は役目を放棄してしまっていたのだ。

「でもさ、衛宮先生。ただ見張っているだけなら意味がないんじゃない? いざって時には戦わないの?」

「もちろん戦うさ」

 ふーん。そう言ってからアスナは次の言葉を口にする。

「でもさ、実際衛宮先生って強いの?」

「いや、弱い」

 純粋な疑問。と言うよりかはただの確認だったのだろうその質問に対する返答は、アスナとカモの予想斜め上を通過した。

「私は弱いさ、力も無いし心も弱い。借り物だらけのハリボテさ」

 そう、士郎は弱い。腕力だって極端に強い訳でも無いし、心の迷いがあるのは言うまでもない。理想も技も借り物で、けなす要素は十二分にある。

 だがしかしそれでも士郎は強い。自分の弱さを見つめるのは強さだし、それを何とかしようと戦うのも強さだ。

 と言うよりも、そも士郎の場合は基準が間違っているのが前提にある。彼が『弱い』と自分の事を言うのは比較対象が英霊だからだ。アラヤの守護者に比べて弱いからと言って人間の中で弱い訳は無いし、士郎はその英霊の技や宝具すらも模倣する。何年も裏の世界を渡り歩いてきた実績も相まれば、文句無しに彼は強い。

 それでも士郎は自分を弱いと言う。理想を掴めない弱さもそうだし、まず最初の目標としてあの赤い英霊を超えることが念頭にあるのだ。それが為されない限り、士郎は自身を最初の目標すら超えられない弱き者という烙印を自分に押し続ける。

 そんな士郎の内面なんて知らないアスナは呆れた口調で話しかける。

「じゃ、ダメじゃん。衛宮先生は知らないかも知れないけどさ、エヴァちゃんって600万ドルの元賞金首なんだってよ」

「知ってるさ」

「あっ、知ってたんですか」

 そしてカモの言葉に返事をしないで、前を見たまま士郎は決意を吐露した。

「確かに私は弱い。エヴァンジェリンに敵うかどうかなんて分からない。

 ……だがな、絶対にネギ君より後には死なない」

 アスナの足が止まる。ガサガサと士郎だけが森をかき分ける音をたてる。その背中、決して振り返らない強い決意を持った背中は心に確かな安堵と信頼を与えてくれる。

(――でも)

 だがそれでも。アスナの勘が訴えてくる不信が消える事は無かった。

 

 森を抜けた時はもう朝日が昇るちょっと前の時間であった。

「私が送るのはここまでだ」

 士郎はそう言ってアスナ達に背中を向け、森の方を見る。

「ちょ、ちょっと。衛宮の兄貴、どこへ行くんですかい?」

 狼狽したカモの声に、振り返らずに森を見据える士郎。

「もちろんネギ君の所だ。心配ないとはいえ、やはり、な」

「って、衛宮先生、もう朝よ?」

「分かっている。だから神楽坂も早く寝た方がいい」

「いや、私の事じゃなくってね……」

 呆れるアスナ。しかし士郎はそれ以上話をすることなくその場から走り去っていった。

「…………」

「…………」

 後に残された一人と一匹はしばらく無言でそこに佇んでいたが、やがてどちらともなく女子寮に向かって歩き始める。

「…………」

「…………」

 その後も無言で歩を進める。暗い街並みを、ゆっくりと進んでいく。

「ねぇ、カモ……」

「なんすか、姐さん」

 先に口を開いたのはアスナだったが、それは大した問題ではない。

「衛宮先生のことさ、やっぱりネギに伝えた方がいいと思うんだ」

「姐さんもやっぱりそう思うっすか?」

 それは、アスナが口を開かなかったらカモから提案していたであろう事だから。

「うん。だってさ、このままじゃ衛宮先生、報われないよ。ずっとネギの為に影から見守っていてくれたの、ネギはそれを知らないんだもん。

 ネギに限って無いとは思うけどさ、もしネギが衛宮先生に裏切られたとか思ってたら、本当に報われない」

「それは俺っちも同感っす。でも衛宮の兄貴の気持ちはどうなるんすかね? ネギの兄貴に一人立ちして欲しいからこそ何も言わず汚れ役になってる衛宮の兄貴の気持ちは……」

「…………」

「…………」

 静かに足音だけが響く。夜明け前の静かな町の空気がそうさせるのか、滅多に無いような堅苦しい雰囲気で彼女らは歩く。

「…………うん」

 そしてようやくアスナが答えを見つけ、沈黙を破った。

「ネギが帰ってきて、元気になってたら言おう。一人立ちした後なら問題ないでしょ、一人立ちし終わった後にお兄さんの手を借りちゃいけないなんて事はないんだから」

「――――そうっすね」

 その瞬間、足取りはスッっと軽くなる。

 

 ――――これは、ネギが士郎に対して申し訳なく思うちょっと前の会話。

 

 

 

 

 

 出来る限りの速度でキャンプ地点まで移動した士郎は川の前で精神集中しているネギを見つける。

「…………」

 士郎は静かに彼を見守っていたが、やがてどこからともなく杖が飛んできて、ネギはそれを受け止めた。

「ありがとう、僕の杖」

 声が聞こえる。空気が冷たく風の流れ方がよかったからだろう、ボーイソプラノは透き通るように響く。

「よし。ありがとう、長瀬さん。

 僕………………何とか一人でがんばってみます」

 そして少年は空を飛ぶ。決意は新た、朝日と共に。それを見守っていたのは彼の兄と、

(行くでござるか……)

 テントの中でタヌキ寝入りをしていた、少年が導くべき存在であり少年を導いた少女。少年と共に歩む32人の少女達の一人。

「フフッ。魔法使いって本当にいるんでござるな――。拙者も人のコトは言えんでござるが。

 と、言うことは衛宮先生も魔法使いなのでござるか?」

「いや、9割方正解だけど、ちょっと違う」

「ふむ、ちょっと違うのでござるか? いやはや、拙者も修行が足りぬ」

 いつの間にかテントの布一枚向こうに来ていた士郎に驚きもしないで長瀬はホヤホヤと笑う。

「それで何用でござるか? 礼ならばいらないでござるよ」

「むっ……」

 先手を打たれた士郎の顔が歪む。そんな士郎をまるで見ているかのようにクスクスと笑う長瀬。

「しかしまあ、どうしてもと言うならば受け取らないでもないでござるが」

「それじゃどうしてもだ。ありがとう、長瀬。君のおかげでネギ君はまた立ち上がれた」

「あいあい♪」

 一拍子の間。それが過ぎてから士郎は話を続ける。

「それから一つお願いがある。ネギ君や私が魔法使いである事は黙っていて欲しい」

「あいあい、それもOKでござるよ」

「…………理由を聞かないでいいのか?」

「いらんでござる。元々言いふらす気もないでござるから」

 長瀬はそれだけ言うと布団を抱きよせて、温もりに沈む。どうやら二度寝する気まんまんのようだ。そんな彼女をテントの外側にいる士郎は敏感に感じ取ったようで、彼女に背を向ける。

「…………じゃあな、長瀬。遅刻するなよ」

「もちろんでござるよ」

 そして士郎は駆ける。ネギを視界の隅においたまま、町へ向かって疾走する。

 そしてネギが女子寮の窓に入るところまでを見届けた士郎はやや汚れてしまった服を着替え、学校に行くために教職寮へと急いだ。

「…………」

「…………」

 そして自室にたどり着き、絶句する。

「…………何があった、忠夫?」

「いや、なんかナンパしてたらどこからともなく現れたバゼットさんにボコボコ殴られて、途中参加したおキヌちゃんにも折檻されて…………」

「それ、99%自業自得だろ」

 玄関の所で真っ白な灰になっている横島を見つけてどっと疲れが増した士郎だった。

 

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