勝ちでもなければ負けでもない。
合わせた剣は100を優に超える。散る火花と体から発する汗は、夜に不快な熱を残す。
――キィキィキィ……キィン!
響く音は鋭く。そして数を無駄に重ねた二人は互いの力量を正確に察知していた。男は少女が格下である事を確信し、少女は男が格上である事を理解している。
(――くそっ!)
(うふふふふ……)
しかしそれでも士郎は月詠を圧倒出来ずにいた。理由は二つ。一つは戦闘に関する心構えの違い。月詠は自分の死を省みずに剣を振り、士郎は月詠を殺さないように剣を振る。片や相手の命を絶つ為だけに剣を振り、もう一方は相手はもちろん自分の命も散らさないように剣を振る。その圧倒的なハンデを生かして、月詠は命に関わる部分の防御は一切考えていない。ただ行動不能にならないようにだけ意識を割ける。
そしてもう一つの原因は――
「ざーんがーんけーん」
「ぐっ!」
緩い声と共に鋭い剣閃が士郎を襲う。双剣で受けたとはいえ、威力に負けた士郎は体勢は崩さずに後ろに50cm程度も押し戻された。
「あらら~。さっきから完全に防がれてるどすなぁ。ちょっと自信なくしそうやわ」
「……よく言う。自信がなくなりそうなのはこちらの方だ」
ニコニコとする月詠に士郎は渋い顔になる。神鳴流、その恐ろしさをまざまざと見せつけられている。気で強化するに飽き足らず、気を更に攻撃的な剣閃に付加させ、斬る。
(これが……神鳴流、か)
士郎も噂には聞いていた。特にかのサウザウンドマスターの情報を集めていると必ず耳に入ったのが神鳴流の話。と、いうよりもサウザウドマスターの情報を集めていてもAAAのタカミチと神鳴流の詠春以外の情報が手に入らなかったと言った方がいいかも知れないが。
ともかくとして、士郎にとって月詠はやっかい極まりない相手だ。士郎に殺意がないのを見切る洞察力、その通りに体を動かせる身体力、そして何より理性で大丈夫だと分かっているとはいえ敵の眼前に命を堂々とさらせる胆力。
(長引きそうだな……)
「うふふふふ」
剣の舞は終わらない。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」
「お札さんお札さん――」
魔法使いの詠唱が闇夜に響く。辺りはさながら戦場跡の様相だった。地面から無作為に生えた木々は燃え焦げ凍り、地面は抉れて空気は淀む。
詠唱が終わると同時、千草のお札からは炎が、ネギの杖の先からは光の矢が飛び出す。それらはぶつかり合って対消滅を起こす。また、分けだ。
(くそ! このガキがっ……!!)
千草は臍を噛む。完全に予定外だ、まさかこの幼い少年までもがここまでの実力を発揮するとは。
「はぁ……はぁ…………」
息も切れ切れの少年はしかし、目の輝きはくすんでいない。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」
「お札さんお札さん――」
魔法の戦いは続いていく。
白い少年はその戦いをじっと見ていた。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「うわっとぉ!」
ルビカンテの一撃を、ヒラリとかわす横島。追撃、回避。
(ふぅん)
つまらなそうに眺める白い少年。ルビカンテと比べて、横島の方が圧倒的にレベルが高いのは一目瞭然だ。しかしそれでもルビカンテに攻撃をしないのは、手の内を隠しておきたいからか。
(でも、それじゃあジリ貧だよ)
かわしているだけじゃあ意味が無い。隠している手の内にこそ用がある。それを出すまでは、見る価値の無い三文芝居だ。
「くそぅ! シリチチフトモモキレイナネーチャン!!」
「は?」
思わず白い少年の口からそんな声が漏れる。何を言っているのか、あの男は。ルビカンテも訳が分からずに動きを止める始末。と、
「契約に従い我に寄り添え 蛍の化身!」
魔力が溢れる。
(! 詠唱!?)
となると、アレは始動キーか。つまり彼は戦士ではなく魔法使い!
「降り来る光よ 刃となりて 切り裂け 自由なる剣!!」
横島は右手の指二本を束ねて水平に振る。
「『純白の一振』!!」
そしてその軌跡をなぞる様に白い一閃が夜を照らす。
「ヴォウ!」
ルビカンテは間一髪、空を飛ぶ事で攻撃を避ける。そして光はそのまま白い少年へと向かう。
「くっ!」
やはり間一髪、少年も回避に成功する。
「ボロゥ!?」
「きゃん!」
――――そして、そのまま直進した魔法は、遠くで打ち合っていた士郎と月詠に命中し、薙ぎ払った。
「…………」
キュウとダウンした二人。それを呆れた目で見る白い少年。
「ヴォオオオオオ――……」
そんな少年を正気に戻したのはルビカンテの断末魔。慌てて視線を戻すも、既に手遅れだった。ルビカンテは輪郭を無くしお札に戻りつつあったし、横島は悠然と立っている。どうやってルビカンテを倒したのか、その方法と瞬間を見逃した。
その失敗にに内心苛立ちながらも、横島に向き合う白い少年。
「味方もろともを吹き飛ばし、自分の手を隠す作戦か。なかなか見事だったよ」
(いや、偶然の賜物なんだけどな~)
物凄くシリアスモードに入っている白い少年にそう言うのは気が引けた。そもそもとして、ルビカンテを倒せたのも動きが止まって怖くなくなったからだ。
「じゃあ、僕とやろうか?」
「断る!!」
自信満々に言う横島に、パチクリと目を瞬かせる少年。
「ルビカンテよりも強いんだろ? そんなヤツとやってられるか!!」
物凄い情けない事を言う横島に頭を抱えたくなった少年だが、ハイそうですかと言う訳にもいかない。何せ、彼の手の内のみが未だに不明瞭だからだ。バゼットも士郎も、おキヌもネギも刹那もアスナもそれなりに手の内を見せて貰った。しかし、横島に関しては回避能力と呪文一つしか見せて貰っていない。仲間を囮にしてまでルビカンテを倒した方法を隠す徹底ぶりは、決して見逃していいものじゃない。
「ふぅん、そう言うならそうでもいいよ。けど、いつまでよけていられるかな?」
足に魔力をためて、瞬動で突撃する。ある程度隙を見せる事も忘れない。そこをついて反撃の一つでもしてくれれば儲けものだから。
「たわぁ!?」
だがしかし、それを間一髪回避するだけの横島。
(さっきからチョコマカと……!!)
白い少年は苛立ちながらも攻撃を繰り返すが、やはり横島にはかすりもしないし、横島は反撃する素振りも無い。手の内を隠し続ける横島と、それを許す自分自身に白い少年は奥歯を噛みしめる。やはり、彼も手の内をさらす訳にはいけない故の硬直状態だった。
「うわーん。さっきから私ばっかりなんなのよー!」
「キー!」
「クマクマー!!」
でっかいぬいぐるみの的になっているアスナは涙目だ。ハリセンを振り回しての回避しか出来ていない。
「神楽坂さん!」
必死のフォローも現状維持の役にしか立たない。まだ刹那を攻めるのならば対処は出来るが、アスナばかり攻められたのではそう上手く戦えない。そして他の戦いにチラリと目を移してみると、どこもかしこも拮抗した戦いが繰り広げられている。
これはもう、早い者勝ちだ。もしもどこかの戦いが収束し、その勝者がこの戦いに割り込んできたら決着はあっという間につく。そしてその戦力を維持したまま他の戦いへ――という風に、最初の一勝をあげればそれがそのまま全体の勝敗につながりかねない。
だが、その刹那の予想は当たらなかった。彼女にとって余りに意外な形でこの戦いの均衡は崩れてしまう。
「あ、れ?」
プスン。
そんな情けない音と共にアスナの体から光が消える。実際に消えたのは魔力の輝き。180秒の契約執行時間が切れたのだ。そこに襲いかかるのは猿鬼。
「ウッキー!」
「え、いやちょっと、待……」
受け手に回っていたアスナだが、魔力による加護があるのと無いのとでは話がまるっきり違ってくる。猿鬼の一撃をくらって交通事故のように吹き飛ばされるアスナ。
「きゃあああああ!?」
「神楽坂さんっ!!」
アスナの悲鳴、刹那の怒声。そして――
「ク、クマ!?」
アスナの吹っ飛ばされた方向にいた、熊鬼。そう、猿鬼でさえアスナの動きが急に鈍くなり、一撃をその場で受けていた少女が吹っ飛ぶなんて想像出来なかったのだ。
「キ」
人間語に訳すなら「あ」と言ったのだろう。とにかく吹き飛ばされたアスナは目を回しながらも、スパンと熊鬼の額にハリセンを叩きこむ。
「ク、クマァ~……?」
とたん、まるで風船がしぼんでいくように体積が減っていき、すぐにその姿が完全に消え去ってしまう。
「あ、あれ」
「キ、キキ!?」
「…………」
誰も納得できない、理不尽な結果に空気が凍る。だがしかし現実に熊鬼の式は完全に払われて形も見えなければ魔力も感じない。
「! 好機!!」
そして誰よりも早く立ち直ったのは桜咲刹那。その忘我は名前の通り刹那が如く。ただ愛剣に気を込めて、猿の心符を目掛けて突く。
「キ!?」
隙をつかれた式はろくに反応も出来なかった。おそらく警戒さえしていれば致命傷は回避でき、反撃で少女に手傷を負わせられただろう。そのくらいの実力はあるはずだった。のに、その式はそんな反応を期待するには自我が強すぎた。
「キ~…」
核を失った猿鬼は儚く消えていく。刹那の予想に反して、この戦いの勝敗が最も早くついてしまった。
笛を吹く。ただそれだけ。それだけなのに、おキヌは誰よりも多数の敵を行動不能に陥れていた。
数とは暴力である。これは間違いのない真理だ。だがしかし、それすらをも覆すことのできる人物を英雄と、そう呼ぶ。おキヌとてあのアシュタロスの乱で主力の一人となった人間である。
(落ちついて、落ちついて…)
ただ乱雑に霊派を送るだけがネクロマンサーの笛ではない。その本質は相手の感情を読みとり理解して、独りでない事を教える事。
(これは本来の使い方じゃないかも知れないけど)
寂しくないと伝えれば、それは親愛の情を感じて協力してくれる霊もいる。辛くないと成仏して逝く霊もいる。だがしかし目の前でフラフラしている小猿達はそんな感情すら与えられていない。機械と同じで、だからこそ強制的に主導権を握る事も可能となる。
(……ごめんなさい)
それでも、辛い想いは消えないけれど。
ヒャクメに貰った心眼で魔力の構成を把握。千草がネギと戦って魔力を浪費しているからこそそれはより容易になる。構造の理解、機械らしく自己消滅機能が付随している事が見てとれた。
(ごめん、なさい)
笛を吹いているが故に、声に出すことすら出来ない。まずは小猿達を見て、次に後ろで意識を失っているこのかに視線を送り、再び小猿達を見据える。
そして目を閉じる。直視する事なんて出来なかった。
フラフラと動いていた小さな猿は、消える。自分の内部の魔力が暴走し、自己消滅機能が暴発したが為に。
「!?」
千草は目を見開く。そんな事をしている場合ではないかも知れないが、こっちの方がそれどころじゃない。彼女の式が祓われた。熊鬼も、猿鬼も、小猿たちも。それはつまり対処していた三人の敵がフリーになったという事で。
「魔法の射手(サギタ・マギカ)雷の11矢(ウンデキム・フルグラーリス)!!」
「しまっ!!」
それが千草に隙を作った。小さな魔法使いの放った魔法が為す術のない女魔法使いへと迫る。そして――――
「ぐ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
女性とは思えないような絶叫が口から漏れ出る。
「って、あああああ! だ、大丈夫ですか!?」
余りの絶叫に、むしろネギの方が慌ててしまった。戦っている時は拮抗した状況に酔っていたが、よく考えなくても相手は女性である。イギリス紳士として顔に傷でもつけてしまったら事だ。そんな思いも手伝って、思わず千草の方に駆け寄ってしまう。
そしてそれを見逃す程、千草も甘くはない。彼女とて護身術としての体術は身につけている。
ダンッ! と、地面に叩きつけられるネギ。
「ネギ!」
「ネギ先生!」
「大丈夫ですか!」
ネギに近づいてきた生徒三人の叫び。
「いつつつ。だ、大丈夫です。障壁で防ぎましたから」
そう言いつつ頭を押さえて起き上がるネギ。そして迂闊に近づいたネギに対して投げ技を見舞った千草はボロボロになった服と痛む体を引きずって四人から距離を取る。
そんな千草を横目で確認した白い少年。彼は横島が攻める意志がない事を確認した後、横島から大きく距離を取る。そしてのびている月詠の首根っこを掴んで回収すると、千草の傍に寄り添うように立つ。
「大丈夫かい、千草?」
「ぐ、なんとかな」
強がりを口にする千草ではあるが戦闘不能なのは誰の目で見ても明らかだ。千草の側で十全の状態を保っているのは白い少年ただ一人、対してネギ達は士郎が気を失っているだけで他の人間は戦闘可能だ。いや、ネギはすでにボロボロではあるから、横島と刹那、おキヌか。アスナはほぼ無傷だが、ネギの魔力供給無しで戦える訳がない。なんにせよ、戦力差がありすぎる。
「ここまでだ。大人しく縛につけ!」
夕凪を正眼に構えて威風堂々と宣言する刹那。
「く……」
そして歯がみする千草。横目で千草を確認しつつ小声で尋ねるのは白い少年。
(ねえ、チグサ。合図はまだかい?)
(まだや。くそ、何手間取ってるんや!?)
(そうか……なら仕方がないね)
月詠を千草に預けて、ユラリと立ち上がる白い少年。
「見事だね、まさか地力でここまで圧倒されるとは思わなかったよ」
「…………」
無表情、無感動にそう宣言する白い少年に、刹那たちは警戒を強くする。
「だけどここで終わる訳にはいかないんだ。僕が、相手をしようか」
瞬間、ゾワリと全員に怖気が走った。それは味方であるはずの千草でさえも例外ではない。ガクガクと意志に関係なく体が震える。
「な、なんや?」
「く、そ……」
「ひ……」
そして、白い少年は一歩踏み出して――
「! 小太郎からの合図がきたで!」
千草の叫び声が少年の足を止めた。特に何も考える様子もないような白い少年は全員を見渡し、返事を期待しないような口調で声を投げ捨てる。
「時間切れか。だけど今回は屈辱を呑まされたからね、仕返しをしないと気がすまないな。そうだね……君たちの大事なクラスメイトに痛い目にあって貰うとかいう趣向はどうだい?」
「「「「「「なっ…………!!」」」」」」
これには全員が、味方であるはずの千草まで驚きの声をあげざるを得ない。
「っ……! 貴様、魔法使いとしての誇りはないのか!?」
「麻帆良学園の生徒だからね、彼女たちもこちら側だろう?」
刹那の激昂した声にも白い少年は取り合わない。そして懐から符を取り出して発動する。
「今日のところは引こう。追えるものなら追ってきてもいいよ。
この符は千草の特別性だからね、起点と終点にある二つの符を共鳴させて空間転移を行うんだ。追跡を空間移動の余波で起こる衝撃で困難にする」
そんな少年の声を最後に、呆然とした千草と気絶した月詠を伴って白い少年は消えた。残されたのはネギ達のみ。
「…………」
今夜の戦いはとりあえず終結した。結果だけ見れば取り合えずネギ達の勝利と言っていいだろう。このかを奪われずに敵を追い払ったのだから。だがしかし勝ちの余韻に浸ることなんて出来ない。白い少年の去り際に残した言葉が重く心にのしかかる。
「……やっかいな事になったな」
横島の言葉が全員の心情を表していた。
だがしかし何時までもここに居る訳にもいかない。気を失った士郎は横島が担ぎ、眠っているこのかは刹那が抱える。更に千草とも魔法合戦で魔力を使い果たしたネギはアスナの背中でスヤスヤと眠っている。
「ううう。何が悲しくて男を負ぶわなくちゃならんのや。このかちゃんだったら喜んでお姫様抱っこでもなんでもしてあげるのに」
グッタリとした士郎と体を密着させながら泣き事を言う横島。もちろん士郎はガッチリとした体格をしており、相応の体重と男らしい体つきをしている。横島の現状は語るまでも無い、といった所だろう。
「横島先生が衛宮先生を気絶させたんだから当然だと思うんだけど」
愚痴る横島にアスナが呆れた口調で言葉を添える。しかし士郎の方がいい迷惑に違いないのに乱雑な扱いを黙認する辺り、実は結構どうでもいいとか考えているのかも知れない。
一方でこのかを抱き上げて運ぶのは刹那。壊れものを扱うように、細心の注意を払いながら、両腕で抱えるようにこのかを運ぶ。
「…………」
そして時折このかを気遣う様な視線を送り、そして変わらずに静かな寝息をたてている事を確認するとホッとしたように穏やかな笑みをこぼす。そんな彼女を観察している人物がいるとも気付かずに。
「あの~。桜咲さん?」
「っ!?!? あひゃ、ひゃい何でしょうか氷室さん!?」
唐突に現実にかえらされて過剰にパニクる刹那。慌てておキヌに視線を合わせてみれば、心配そうな表情をした彼女の顔が。
「えっと、本当にどうしたんですか?」
深刻そうなおキヌに、かなり本気で心配して返事をする。そしておキヌはやはり心配そうな顔のまま、心配そうな声で返事をした。
「なんでこのかさんを避けるんですか?」
一瞬だけ固まる刹那。腹芸を余り得意としない彼女は無表情を顔に貼り付けて、その顔のままおキヌに向き直る。
「何のことでしょう?」
「……このかさんに聞きました。桜咲さん、このかさんの幼なじみなんですよね? 小さい時、とても親しかったんですよね?」
「…………」
「違うんですか?」
一秒にも満たない時間だけ躊躇した刹那だったが、ため息と共に折れた。
「……その通りです。私は分不相応ながら、小さい時はこのかお嬢様と仲良くさせて頂きました」
「分不相応って…………」
軽く絶句するおキヌに、やはり淡々と告げる刹那。
「言葉の通りです。私はお嬢様と友人になる資格のない、賤しい血をひいています」
「…………」
今度は軽くではない。本当に絶句するおキヌ。しばらくの間は横島とアスナの騒ぎを聞きながら静かに歩く二人。
「ぅ、ぅぅん」
だったが、このかが身じろぎしながら薄く目を開けた事でそれも終わる。心配そうにこのかをのぞき込む二人。
「…………はれ? せっちゃん?」
寝ぼけ混じりにそう聞くこのかに、刹那は一瞬どうしたらいいのか分からなくなってしまう。そしてこのかにはその一瞬で十分だった。抱いている刹那の胸に頭をぽすんと預ける。
「へへへ、せっちゃんやぁ……」
スンスンと鼻をはらし、刹那の匂いを吸い込むこのか。そんなこのかを最初は愛おし気に眺めていた刹那だったが、やがて意を決したように言葉を投げる。
「お嬢様、これは夢です」
「……ゆめー?」
「はい、そうです。これは夢です。目を覚ませば、布団の中ですよ」
「こんな……ええ匂いがするのに――」
刹那に顔を押しつけたまま、くんくんとより彼女の匂いを胸に吸い込むこのか。
「淋しいよぉ、せっちゃん。何でうちの事、嫌ったん?」
朧な意識で呟くこのか。朧な意識で、いやだからこそ、いつもを心の奥底に押し込めていた感情が表に出る。
「ごめん、ごめんなせっちゃん。うちが悪かったから、謝るから、うちの事嫌わんといてぇ」
鼻をならしてくんくんと、目から涙を流してポロポロと。このかは気丈さと優しさの奥にしまいこんだ自責と恐怖を表に出す。
~~♪ ~~~~~♪
澄んだ音色が響く。言葉の通り、音に赦しの色を彩った音色。おキヌが吹くそれはネクロマンサーの笛。子守歌の旋律であるそれは、心をなだめて赦し、寝かしつける。
このかはやがて、呼吸を整えて本当の夢に落ちる。涙を流したそのままに。
「…………おキヌさん、ありがとうございます」
「桜咲さんは卑怯です」
完全に眠ったこのかを確認した刹那はおキヌに礼を言うが、返ってきた答えは怒ったような拗ねたようなそんな声だった。
「夢じゃないのに夢だって言いました。そんな悲しい嘘、ないじゃないですか。本当にこのかさんの事を心配しているのに、その事も嘘にするのは卑怯です」
「…………」
刹那は何も言い返せない。それはおキヌの言うことに筋が通っているからか、それともおキヌの言葉を否定したくない為か。
「こんなの、こんなの…………あんまりです。このかさんが可哀想過ぎます」
「では、氷室さんはなぜ夢じゃないとお嬢様に言わなかったのですか?」
何も言い返せなくなった刹那は矛先を返る。
「だってあそこで夢じゃないって言っても、桜咲さんはこのかさんと仲直りしてくれないじゃないですか」
それでもおキヌの口調はよどまなかったけれど。
「私、これでも怒ってるんですよ。友達に分不相応も相応もないじゃないですか。
だからもう桜咲さんの事なんて知りません。私はこのかさんの味方です。どんなに桜咲さんが嫌だって言ったって、このかさんと仲直りさせてみせます。ずるい桜咲さんに今までの事をこのかさんに謝らせて、お友達になって貰います。
絶対にですから」
そう宣言して一人で先を歩いていってしまうおキヌ。
本能ではありがとうと泣きながら言いたかった。理性では邪魔をするなと罵声を浴びせたかった。その狭間にいる桜咲刹那は、どうする事も出来ずに歩くおキヌを見つめる事しか出来ない。
「ブラフでしょう」
ホテルに戻り、このかを部屋に送る。その間に士郎とネギはロビーで待機していたバゼットの鉄拳を受けて覚醒させられる。そして横島と士郎を床に正座させながら作戦タイム。先ほど白い少年の宣言を、代表して聞いた刹那が話した結果、間髪入れずにバゼットはそんな結論を出した。
「私もそう思う。と、言っても正確にはブラフという訳でもないだろうが…………」
ロビーの床にビシッとした姿勢で正座する士郎。
「おっ、おまっ、士郎! なんでそう、涼しい顔してるんだよ」
そして足の痺れが限界に達し、けれどもバゼットが恐くて正座を続けるしかない横島。
「慣れだ」
「一言!? って言うかハイハイバゼットさん! なんで僕らは床に正座させられているんですかっ!!」
ちなみに他の面々は、カモまで柔らかいソファーに座って温かい紅茶付きという好待遇だ。副担任二人にはぬるい水さえ配られていない。
「遅刻の罰です」
「という事は忠夫、今私がここに正座させられているのはお前のとばっちりという事にならないか?」
ニッコリとすごい綺麗な笑みを浮かべる士郎。冷や汗をダラダラと流す横島。
「と、とりあえず本題に戻りまして。ブラフって何がですか?」
「俺っちもそう思うぜ。今は作戦を練るべきだと思うしな」
あからさまに旗色の悪い横島をかばうように、やや慌てながらおキヌが話の軌道を修正し、カモもそれに賛同する。
「ですね」
「だな」
そしてあっさりと話の方向転換に乗ってくる二人。まあ横島については諦めているのだろう、色々と。
続く話の疑問点を刹那が受け継ぐ。
「それでブラフとはどういう意味なんでしょうか?」
「言葉のままなのですが……とにかく敵の目的として、ミス近衛の奪取の割合がかなり大きいようですね」
「だな。下手すると親書を奪うよりも優先しているかも知れない」
「あ、あの~。いい加減話についていけないので解説して頂けると嬉しいんだけど」
バゼットと士郎以外誰も理解していない話。それを通訳しろとアスナがそんな言葉を漏らした。
「そうですね。とにかく話を聞いた印象からして、白い少年は相当な策士だと考えます」
「私も同意だ、実際に敵を見た身から判断させて貰うと、あの少年が一番の実力者だろう」
「しかし、首謀者はあの符術師のように感じましたが……?」
バゼットと士郎の言葉を聞き、続けて刹那が質問する。そしてその答えを返すのは、カモ。
「つまりこの事件の指揮をとっているのがあのねーちゃんな訳だな。白いのは何かの理由があって従ってる、と」
「ああ。それが金かも知れないし、権力かも知れない。もしかしたら親書か近衛をさらう事の何かが白い少年の目的に沿う事なのかも知れない」
士郎が頷きながら補足する。
「そしてこのクラスの誰かを襲うと言った事が曲者なのです」
その言葉にピンと来るのはネギの知恵袋、カモ。
「な、なるほど。そういう事か。嫌らしい手を打ってきやがる」
「え、なんなの、カモ君?」
全く分からないといった風情のネギとアスナ、刹那とおキヌと横島といった面々。その中でネギが代表として訊ねる。
「つまりな、もしも白いのが生徒全体を標的にするって言ってたとしたら、俺っち達はどんな行動を取ると思うよ」
あの一団が百何十人いる一般人をアトランダムに襲ってくる。そんなもの、この護衛力でなんとかなる範囲ではない。となると取るべき手段はいくつもなくなってしまう。
「修学旅行の中止、ですね……」
「ちょ、中止!?」
重苦しい口調で言うおキヌに、アスナが噛みついた。
「ええ。あの4人にさらわれたら、本当に命の保証がありません。残念ですが修学旅行を中止するくらいしか方策は無くなってしまいます」
「う……」
アスナとしては魔法関係に全く関係ないと思っていたこのかがさらわれかけたのだ。さらわれた先でどんな目に遭わされるかは想像するしかないが、愉快な想像なんて勿論できる筈もない。
「つまり、もし親書を長に渡さない事が最優先の目的ならばそう宣言すればいい訳です。あんな強硬手段を見せつけられた手前、そうされれば私達は麻帆良へと引き返す羽目になる。
しかしそれをしなかったという事は、奴等の目的は親書が第一に置かれていないと考えていい」
「親書も重要なターゲットの一つで奴等の勝利条件に含まれるのか、可能ならば奪取したいと考えている程度なのか、それともミスリード用の罠なのかまでは分からないけどな。何にせよ、こっちが奪われる訳にはいかない以上はそれなりに注意と護衛を割かなくちゃならないが」
説明したバゼットと士郎の頭には、今の会話に含めなかった様々な計算が渦巻いていた。学園長から聞いた話から受けた印象から敵の動きが大分おかしな方向に向かっているのも気になるし、ただの戦争を引き起こしたい一派の暴走と捕らえる事も出来なくはない。
そんな二人の後を受け継ぐのは話を理解しているカモ。
「とにかくよ。奴等がその手を打ってこなかった事は、目的は他にもあるっていう事だ。その目的は今更言う必要はないわな」
プカーと煙を吐き出しながら言うカモ。近衛このかの誘拐。それが奴等の目的。
「では、これからは親書とお嬢様の護衛に全力を傾ければいいのでは?」
刹那の問いにカモが首を振る。
「いや、そういう訳にもいかねぇだろ。何しろ奴等は兄貴のクラスの誰かに危害を加えるって宣言をしてるんだ。万が一実行に移されてみろ、誘拐なんてされた人質と親書を交換なんてされたら目も当てられねぇだろう?」
「しかしそれだと全校生徒を守らなくては……」
「だったら宣言なんてしねぇさ。黙って闇討ち。まあその場合、俺らがどう動くかの予想もつかないだろうし、何よりこのか嬢ちゃんの護衛は今まで以上になるだろうさ。人質交換なんてこっちが応じる訳もないって事は分かっているだろうし、なら交換が成立するのは親書だけ。それを嫌がったんだろうさ」
カモは刹那の質問に区切りをつけると、新しく煙草を取り出して一服する。そして煙をたなびかせながら全員を見渡す。
「続けるぜ。つまりあの宣言で俺っち達は兄貴のクラスを襲われる可能性を考慮しなくちゃならなくなっちまった。そしてそれが可能な戦力がここにある訳だな。だから戦力を分散しなくちゃならなくなっちまった。そこをついて親書かこのか嬢ちゃん、もしくはその両方を奪うのが目的だろうな」
「素晴らしい、満点です」
バゼットが手放しでカモを褒める。それに照れたように頭をかくカモ。そして周りからはパチパチと拍手まであがった。そしてそれに我関せずのスタンスを取っていた士郎は紙に向かってペンを走らせていた。
「警備は班単位がいいだろう。さて、それで誰がどの班を担当するかだが――」
~
1班……
2班……
3班……
4班……
5班……
~
「どうする?」
戦力になりそうなのは士郎・横島・バゼット・刹那の4人。ネギとアスナ、おキヌは組にしてどうにかといったところだろう。つまり全員で5組。班員まで警護に回ってしまうと、肝心の親書とこのかの警備が薄くなってしまう。それでは本末転倒だ。
しばらく誰も口を開かなかったが、しばらく経ってからおずおずと刹那が口を開く。
「2班と4班なら――当てがあります」
「本当ですか、ミス桜咲?」
全員の視線が刹那に集中する。その刹那はという携帯電話を持ってソファーから腰をあげたところだった。
「はい。とにかく今から交渉しますので、少し席を外します」
そしてそのまま少し離れた所に行き、ボタンをプッシュしてどこかに繋ぐ刹那。そしてボソボソと会話したかと思うと、またボタンをプッシュする。また会話。それが終わるとまたソファーまで戻ってくる。
「…………」
「どうしたんですか?」
少し深刻な顔をする刹那に、ネギが心配そうに問いかける。
「2班の警備は大丈夫です。しかし4班の方が――」
「方が?」
「――吹っ掛けられました。まあ、割り引いてくれた方なのですが。警護だけでとりあえず5万。襲撃があった場合は最低で+20万。使う道具の必要経費はこちら持ちで、OKならばメールが欲しいそうです」
「分かりました。ミスター横島、あなたが払いなさい」
「ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?? 何で俺?」
刹那の言葉を間髪入れずに横島に回すバゼットに、不満の声があがるのは多少は仕方がないかもしれない。
「いや、だってお前が寝坊しなかったら問題は起きなかった訳だからな。その位はリスクを負え」
士郎の声も至って冷たい。そしてこうまでなってしまうと誰も横島の肩を持ってくれないのは当然で。泣き寝いるしかない横島。
~
1班……
2班……桜咲の頼んだ護衛
3班……
4班……桜咲の頼んだ護衛
5班……
~
カリカリと書きこんだ士郎は顔をあげて問いかける。
「残りの3班をどう分けるかだが……とにかく5班には近衛がいるからな。特に警備を厳重にしておきたい」
「じゃあ僕がやります!」
真っ先に手をあげたのは――ネギ。そしてそれに心配そうな顔をするのはおキヌ。
「でもそうするとこのかさんと親書の二つが同じ班に固まる訳ですよね? 危険じゃないですか?」
「その心配は尤もだが、5班に神楽坂と桜咲、氷室が所属している以上君たちは動けないだろう? いや、無理をすれば動けるかも知れないが、ならべくそういう事はしない方がいいからな。
神楽坂が居る時点でネギ君もセットだろう。これは仕方ない事かも知れないな」
おキヌの言葉に返事をしながらペンを動かす士郎。
~
1班……
2班……桜咲の頼んだ護衛
3班……
4班……桜咲の頼んだ護衛
5班……ネギ君・神楽坂・桜咲・氷室
~
「しかしそれなら5班に戦力を集中させた方がいいですね」
「ん。まあそうなるかな。じゃあ残った俺らが1班・3班・5班に一人ずつでちょうどいいか」
バゼットの言葉に横島が賛同しながら話を進める。そしてその言葉を聞いた瞬間、アスナと士郎がアイコンタクト。
「とりあえず横島先生は1班除外ね」
「な、なぜに!?」
「釘宮に嫌われているから」
二人の絶妙なコンビプレイに撃沈する横島。
「あ、じゃあ横島さんは私と同じ5班で。昔からの仲ですし、色々とフォロー出来ますから」
そしてそんな事を言うおキヌ。少しばかり冷やかな視線が注がれたりもしたが、別段反対意見は出なかった。次にバゼットが士郎を見ながら呟く。
「それではミスター衛宮と私がどちらに行くかですが――」
「そうだな、私は1班を希望するかな。釘宮・椎名・柿崎の三人とは一緒に買い物に行ったし、双子には学校案内をしてもらった事もある。それなりに動きは掴んでいるしな」
そう返事をした士郎に少しばかり顔を歪めるバゼット。
「まあそういうならばそれでも私はいいです。特に希望がある訳でもありませんから。
しかしミスター衛宮、あなたは少々男性的過ぎる。ちゃんと彼女らにとけ込めるのですか? そこも心配なのですが」
「大丈夫、それなりの対策は練ってあるから。じゃあバゼットが余った3班で、と」
~
1班……衛宮
2班……桜咲の頼んだ護衛
3班……バゼット
4班……桜咲の頼んだ護衛
5班……ネギ君・神楽坂・桜咲・氷室・忠夫
~
「こんな所か。ホテルなどの全体行動ではみんなで協力して警護に当たる。明日からの班別行動ではそれぞれがそれぞれの担当班の警護をする。
何か質問はあるか?」
士郎の声にあがる声はない。
「それじゃあ今日はこの位にしよう。今夜の警護は昼に休んでいた私と忠夫がやるからみんなは休んでいてくれ」
そう言って立ち上がる士郎。
「では私は先に休ませて頂きます」
「ああ。おやすみ、バゼット」
「一杯やって寝ますかね。じゃあな、衛宮の兄貴に横島の兄貴」
「えっと。お疲れ様です。士郎さん、横島さん」
「ああ、お疲れ」
「お疲れ、ネギ坊主、カモ」
「じゃあ私達も寝るね。おやすみなさい、衛宮先生に横島先生」
「お先に失礼致します。衛宮先生、横島さん」
「横島さん、衛宮先生。おやすみなさい」
「おやすみ、三人共」
「おキヌちゃん、アスナちゃん、刹那ちゃん。おやすみ」
みんな部屋に戻っていき、あっという間にロビーには士郎と横島だけが残される。
「さて、と」
首をコキコキと動かしてから士郎は横島の事を見やる。
「…………大丈夫か、忠夫?」
「ううう。足が、足がぁ」
正坐のし過ぎで足がバカになった横島が滂沱の涙を流していた。