時を少し
淡い月明かりが差す中、
「そう言えば、三歳の頃の記憶をほとんど覚えてない。うん、小さかったから覚えてないのは当たり前なんだけど、う~ん……」と頭をカシカシとかきながら独りごちてた。
あの記憶の光景で起こる、この言い表しようがない感覚があった。
お姉ちゃんの小さな願いを守りたいと里を抜け、お館様に直談判するために。
やっぱりあたしにはもう一人お姉ちゃんがいたような、そんな、今更ながらの記憶を手繰る。
あたしの魂に刻まれた鮮明な記憶がほんの少しだけあった。誰かの袖を掴んだまま走ってた、ひたすら走ってたんだ。
そして、その袖を掴んでたあたしより、大きい? 女の子? の影が覆い被さりあたしを抱き抱えまま倒れ、そのまま動かなくなったこと。
抱き抱えられた腕の隙間から見た、お日さまの光を反射して光る長い物。
それから、暗い夜道を知らないおやじに手を引かれ、巴ノ里に来たこと。
「でも、三歳で知らないおやじに手を引かれてとか、考えると物凄い危険だよねぇ、よく無事だった三歳のあたし! まぁ何が無事か分からないんだけども」うんうんと独り頷く。
「あ~ やっぱりわからないわ~ 今までどんなに思いだそうしても、いつもこの光景しか思い出せない……」腕を組み、ぽふっと立ち止まり更に独りごちる。
「でも、あのあたしを抱き抱えてた影はぁー やっぱり、あれはあたしの本当のお姉ちゃんだったりして、ね? う~ん、そもそも何で走ってたの? だものねぇ」
纏まらない考えをぶつぶつと口にする。
「何かあの記憶を思いだそうとすると、あの抱き抱えられてる光景の所で訳のわからない、こう、なんだろう……そう、あれだ……やっぱり胸が痛くてきゅっと締め付けられる感覚があったんだよねぇ」
う~んと唸りながら、更に記憶を掘り起こす。
「あの覆い被さるあの影はなんか、せつなくてかなしい、ような気がするようなしないような」言い表せられない感情に戸惑い「でもなんか、いやだな」と呟き夜空を見上げる。
「そうだ、六歳の時にあった騒動で百佳があたしを庇って怪我をした時この記憶と被ったんだ。あたしがお姉ちゃんを守りたい思った日」
不意に頭の中を風に
物凄い速さで頭の中に、奔流のように流れそのまま意識が、記憶の流れに沈んだ。
六歳の記憶。
小太刀術じゃなく、抜刀術を身に付けたくて頑なに小太刀術を拒否し続けてたのを
あたしは
「さあ言え、やりませんと!」
「い・や・だ」
「夏夜! てめえー」
十次が木刀を振り上げあたしの頭に振り落とした。ガツッと鈍い音がして目の前が真っ暗…… に?
真っ暗じゃなく影、それは百佳があたしに覆い被さり庇っていた。額が割れ血が鼻脇を通って顎に沿って伝い落ちるのをそのままに、え? と固まってる十次の腕をつかみ激昂した。
「十次! あんたなにしてんの? わたしの妹に何してるのよ!」
「え…… おれ、夏夜があんまり生意気だから、その」
「あんたね
「ご、ごめ、ごめんなさい~」
血を流しながら腕を掴み怒る百佳にびびり、七才ながら低い声で燃やすよと、にまっ~ っと薄笑いを浮かべ、爆炎符を目の前に出し言う百佳に、十次は怖くなって物凄い勢いで泣きながらその場から走り逃げた。
逃げた後には、地面に長いチョロチョロとした、水の筋を作っていた。
「夏夜、大丈夫? 痛かったね、おうち―― か」と言いかけそのままあたしに覆い被さるようにして気を失った。
因みにこの騒動を見てた百佳の友達、小梅が慌てて百佳を呼びに行き駆け付けたらしい。
百佳の怪我は命に大事無いと、
あたしも顔中打撲に効く薬草を張られていたんだ。
あれさぁ、めちゃくちゃ臭いんだよ。
あたしは百佳の布団の前でぺたんと座っていた。百佳があたしを庇った時、あの日の記憶の一片が頭を支配して、幼心に弱い自分が嫌で腹が立ち悔しかった。
悔しくて、悔しくて何であたしはこんなに、弱いんだろうと、強くなりたい、弱いから百佳に傷を負わせたんだと自分を責め、下を向いたまま拳を握りしめ畳にぽつぽつと雨漏りみたいに、涙を落した。
すると、あたしの手に百佳の手が、すーっと伸びてきて、そっと掴んで意識を取り戻した百佳が優しく言葉をかけてくる。
「夏夜 大丈夫? 痛くない? どこかまだ痛い?」
「いたくない」
「そう、よかった。 泣いてるの?」
「ちが、う」
「大丈夫だからね、〝お姉ちゃんが夏夜を守るからね〟、だから泣いちゃだめだよ」
額の傷が痛むだろうに、目覚めてすぐ、あたしの心配をしてきたお姉ちゃん、優しく、あたしに声をかけるお姉ちゃんに、あたしは聞いた。
「何で、おこらないの?」
「どうして、おこるの? 妹が殴られてたんだよ 心配するよ! 鼻血出して倒れてるわたしの妹だもん」
「でも、お姉ちゃんあたしのために、怪我したし、その傷痕残るっていってたし」
「いいの。これは大切な妹を守って出来た傷だもん、わたしが守りたかったんだもん」
「大切? どうして? どうして、ほんとうの妹じゃないのに。あたしここの子じゃないし」
「う~んとね。おこるよ夏夜。わたしも
「して、ない」
「でしょ。今わたし達が着てる着物は、父様が二人にって買って来てくれたよね」
「うん……」
「夏夜はね、ここに来た時から、父様、母様の〝子〟になって、わたしの〝妹〟になったんだよ」
お姉ちゃんはそう言いながら、あたしの手をきゅっと、握ってくれた。
あたしの中で三歳の頃だった記憶にある、あたしを抱き抱えるようにして動かなくなった影とお姉ちゃんが覆い庇った影の光景が重なり、幼いあたしの非力な心を抉り削った。
涙がぽつぽつから、ぽたぽたになり、やがてぱたぱたと大きく落ち始め、百佳の手を握りしめたまま泣いた…… それはもう鼻水をまき散らし、顔はもうぐじょぐじょにして泣き叫んだ。
「ごめ、ごえんなざい、ごめなざいいい、お゛ね゛ぇぢゃん ごめざざいいいいぃぃぃ。あだしも、づよぐなる、づよぐなづて おねぢゃんまもる ぜづたいまもる おねぇぢゃんーーーー」
夏夜は幼いながらも、自分の中に芽生えた気持ちを口にした。
「よしよし 夏夜はつよい子だよ。 おさとの おそらは まっかっか おやまの からすは かあかあと ねぐらにかえるよ あかのそら ゆれるゆうひに こだぬきが とんぼにせかされ おうちにかえるよ あかのそら」
あたしが、泣いてる間ずっと手を握り子守唄を囁くように優しく、優しく唄ってくれてた。
泣きながら、あたしは何があってもお姉ちゃんを守るとこの日心に決めた。
せめて大きくなってお姉ちゃんを好きになる人が現れて、その人がお姉ちゃんを守る日が来るまであたしが守ると、あたしの幸せはその後でいいと心に決めた。
三日後にあたしだけ
「夏夜、お前は何故に抜刀術に拘る?」
「強くなりたいです」
「小太刀術でも充分に強くなれるであろう、そこまで強さに拘るのは、何故だ?」
「あたしもよくわからないです……でも、あたしのこの里に来る前の覚えてること、お日様の光を受けて光る長い物を見たことを覚えてて、多分それは刀で打刀なんだと思うんです。だから、その刀なら一番強くなれると思って、です」
「ふぅむ……」
「夏夜よ、お前のその思いは無意識の刀に対する、憎悪もしくは恐れかもしれんのう。同じ物を持ち強くなることで、その記憶にある影さえ斬り伏せたいとの無意識の思いか。その年でそこまで思うか……夏夜よそこまで望むなら、やって見るがよい」
この子がそこまで、思うのならやらせてみるのも、一興かと許可を出す。
「今日から
「はい! ありがとう、じゃなくて、ありがとうございます」あたしは、正座したまま頭を畳につくほど深く、深く、下げて
〝許しが出た〟これで強くなれる一歩ができたと、お姉ちゃんを守れる力が手に入ると、あたしの小さな心は嬉しさで一杯に満たされた。
この日からあたしは、抜刀術はもとより体術などの武術の鍛錬に、あたしの全部を注ぎ込んだ。
十三歳の記憶。
里の十三歳になる女衆は簡単な
あたしは、暗殺をやることになった。そして一緒に組む相手は百佳だった。
一年前にお役目をやるようになってた百佳は、あたしが十三歳になったら一緒に組ませてくれと
でも、あれだよねぇ~色々と思い当たることがあったんだよねぇ。
十歳の時、十次にあたしからわざと絡み、身に着けた柔術で泣くまでやめない、泣いても許さないをやり、ひたすら投げ関節を決め殴り、廻し蹴り横蹴り足刀など惜しみなく叩き込み、〝あの日の借り〟を返した。
十次の親に呆れ顔でもう少し加減してくれと言われたけど、
十二歳の時、あたしに女だてらに打刀下げて斬れるのか? 抜けるのか? ガキは短刀でも振ってなとか若い男衆の一人に散々悪態つかれたので、横をすれ違いざま抜き打ちで帯だけ切り落とし、更に帯を切られ逆上して殴りかかってきたのを、小手返しで投げた。
そして、そのまま顔面踏み抜いて失神させたりと、絡んできた奴は悉く返り討ちにしてきた。
うん、絡んで来た奴が悪いんだよ、あたしは悪くない?と思う、多分悪くないよ?
ただ、こんなことが起こるたび家に帰るとお姉ちゃんが、ニッコリと微笑みながら正座して待っていた。
お話があると畳をポンポンと叩き、あたしが前に正座すると、お話というお説教が始まるというね。だってとかいうと、あんたはやりすぎという事を学びなさいと、めちゃくちゃ痛いゲンコツが頭に炸裂した。
お姉ちゃん
今思うと、ほんの少しやりすぎたとは思ってるんだよ?
でも強くなるためだもん、仕方なし!
因みに十次はボッコボッコに泣かしてからは、あたしの子分になったのだ。
十四歳の年 雨の多い季節。
雨の降る軒下で六歳から始めた遊びで、雨粒が軒下から地面に落ちるまで、何回抜刀して鞘に納められるかの遊びだったが、お師様が同じことを長き鍛錬で四回出来ると聞き、それを目標に、鍛錬を積むことにした。
最初は刀身の短い刀で鍛錬し、体格に合わせて徐々に刀身の長い物に変え、今は打刀を振っている。
チチチンッ チチチンッ 鍔鳴りの音が雨音に混じり軽快に響き渡る。
ふぅ~っと息を吐き手を休める。鯉口を切ったまま柄に右手を軽く添える――
『――チチチチンッ』四回の鍔鳴りがほぼ同時に鳴ったように聴こえた。
「できた! やっとできた……」里一の抜刀術使いでも、雨粒が地面に落ちるまで抜刀、鞘に納める二回が最高だった。
これができるのは師匠の玄斎だけであり、この瞬間夏夜は師匠の玄斎に並ぶ剣の使い手になったのだ。雨のない日は屋根に桶で水を
「できたのね、夏夜」
「うん、できた。やっとできたよ!」
百佳が微笑みながらよく頑張ったねと声をかけ、それに夏夜は満面の笑みで答えた。
そして、お師様の言っていたことを思い出していた。
流れる記憶の分岐に、意識は支配され、沈み流されていく……。
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