クリスマスを控えたある日の朝。でも、いったいなぜ……?

※広い心でお読みください。

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ある朝、目覚めるとキッチンにダイヤさんがいた

 日曜日、朝。

 すっかり冷えた室内に、なかなか動き出す気になれなくて、僕は目覚めてからしばらく布団の中でスマホを触っていた。

 年末が近づいて部活も休みになり、今日は一日、特に予定もない。

 僕は夜のうちに届いていたメッセージに返信して、SNSを確認し、ゲームのログインボーナスをもらい、画面右上の時計が11時に近づいたところで、さすがにお腹が減ってきてようやく布団を出た。

 

 フリースを羽織ってから、二階の自室を出て階段を下りる。この時間だと両親は出掛けていることが多い。だから一階で人の気配がしたときには、ちょっと意外に思った。

 

 あれ、今日は母さんがいるんだ。それにこの様子だと……。

 

 リビングダイニングのキッチンカウンターのほうから軽快な包丁の音が聞こえてきていた。こんな時間に料理をしているなんてさらに珍しい。適当に何か食べようと思ったけれど、多少は期待していいのかもしれない。

 

 僕はリビングからキッチンに向かい、母に何を作っているのか聞こうとして――その場で固まった。

 

 えっと……母さん、じゃないよな……。

 

 カウンターに向かい、テキパキとした動作で料理しているのは、どこかの学校の制服姿の女の子だった。

 制服はクリーム色で四角い襟のセーラー服風。すくなくとも僕の高校のものではない。今はその上にエプロンをしていた。髪はポニーテールにまとめている。身長は僕より十センチ低いくらいだろうか。母よりずっと痩せているので、母がコスプレをしているということはなさそうだ。

 

 どういうことだ。

 

 不法侵入者だろうか。だとしても料理をしているのは謎だ。突然美少女と遭遇したらどうしよう、という妄想は僕もオタクの一人として普段からしないでもないけれど、こういうパターンは想像したことはなかった。もしかして夢を見ている? 布団の中で一時間半も過ごしていたのに? それにもし夢なら、見たことのない女の子ではなく()しになるに違いない。

 

 ありそうなのは……母さんか父さんの知り合いか、遠い親戚とかかな。どちらも聞いたこともないけれど。

 

 このまま動かずにいても仕方ない。とりあえず声を掛けよう。そう決意したところで――彼女が振り返った。

 

「あっ、起きましたね」

 

 にこっと笑う彼女。ちょっとつり目気味な顔はなぜか照れくさそうだ。

 

「おはようございます。もうすぐできますので、ちょっと待っていてください」

「あっ、はい……」

 

 僕が間抜けに答えると、彼女は今度は幾分自然に微笑み、料理を再開した。

 

 そういわれては仕方がない。狐につままれたような気持ちのまま、とりあえず背を向けると、ふたたび彼女の声がした。

 

「あ、お母さんから伝言があるみたいですわ。テレビの前のテーブルの上です」

「うい」

 

 もごもごと言葉にならない返事をしてからリビングへ戻る。果たして母の字で書かれたメモが一枚、テレビのリモコンを重しにして置いてあった。

 

優樹(ゆうき)くん。父さんと出かけてきます。お友達が来たので案内しました。あなたも隅に置けないわね――母さんより』

 

 友達も何も、まったく知らない子なんだけど……。

 

 僕の当惑は深まるばかりだった。

 その間にもキッチンのほうからはいい匂いが漂ってきていた。

 

        ・

 

 僕はいったん部屋に戻ってパジャマからとりあえず外に出られるくらいの服装に着替えた。女の子を前にしてパジャマはいかにも恥ずかしい。

 

 ふたたび一階へ行くと、料理は佳境のようだった。彼女は鼻歌交じりで鍋を振っている。食欲をそそられる匂いからすると中華らしい。朝から中華というのもあれだけれど、昼ご飯だと思えばいいだろう。

 

 僕が戻ってきたのを察したのか彼女が声を出す。

 

「どこで食べますか? こちらのテーブルでよろしいですか?」

 

 彼女が話しているのはダイニングのテーブルのことだろう。

 

「はい。そこでいいです」

「了解ですわ」

 

 僕はそのテーブルで待つことにする。彼女の料理の手際はなかなかのもので――母より上かもしれない――見ていて気持ちがよかった。

 

 最後に調味料を振り、味見をして、彼女は満足そうにうなずいた。

 

「いい感じね」

 

 彼女は皿に料理を盛り付けると、くるっと振り向いて僕の前に置いた。湯気の立つそれは肉と野菜の炒め物だった。肉はたぶん豚肉、それにピーマンとキャベツにネギ――回鍋肉(ホイコーロー)だ。湯気とともに香辛料の効いた香りが立ち上る。

 続けて白ご飯の茶碗(僕の茶碗だ)、割り箸、水の入ったコップを置いて彼女はいう。

 

「お待たせいたしました」

「ありがとうございます」

 

 そうは答えたものの食べていいものかどうか。躊躇(ちゅうちょ)している僕に彼女は続ける。

 

「お食べになりませんの? いまいちだったでしょうか……」

 

 ちょっと悲しそうに眉をひそめる彼女。

 

「いえ、すごくおいしそうです。いただきます」

 

 僕はあわてて箸を手にして、気づく。

 

「えっと、あなたは食べないんですか?」

「あー、あまり良くないと思うんですよね。その、自分で食べるのは」

 

 彼女は視線を()らして頭をかく。

 もしかして宅配の料理人だろうか。コスプレ付きの。いや、それなら料理ができた時点で帰るはずで――母の伝言を信じるなら、僕が忘れているだけで僕の知り合いなのだろうか。もしかしたら自称友人のストーカーかも。まったく心当たりはないが。

 

「できれば、その、温かいうちのほうがいいと思いますわ」

 

 彼女は困ったような口調で、僕と顔を合わせないままいった。

 とりあえず料理は僕一人には多すぎるくらいだ。僕は食器棚から皿を一枚取り出して、半分弱ほど回鍋肉を取り分けた。さらに割り箸を出して添える。

 

「よかったら、一緒に食べませんか。ひとりだと落ち着かないし」

「あ……いいんですか?」

 

 彼女はびっくりしたように僕を見つめ、目をぱちぱちさせる。彼女の視線が僕と皿とを行き来する。

 

「ご飯はないけどね」

 

 僕が肩をすくめてみせると彼女はうなずいた。

 

「それでは、ご相伴(しょうばん)にあずかりますわ」

 

 彼女はぺこっと頭を下げて、エプロンを外した。その下の制服は予想通りセーラー服に似ていたけれど、形は前身頃(まえみごろ)がダブルにアレンジされていた。襟元には緑色のスカーフ。やっぱり見覚えはない。

 彼女はエプロンを畳むと向かいの席に座った。

 

 視線が合って僕が微笑むと、彼女もにこっと笑ってくれた。

 

 ふたりでいただきますをいってから、僕はふたたび箸を取った。まずは肉から口にする。ふわっとどこかエキゾチックな香りが鼻へと抜けていく。柔らかいながらも歯ごたえがあって、若干濃いめの味付けがしっかりと染みていた。野菜もシャキシャキとした食感が残っていてちょうどいい具合だ。これはご飯が進む。

 彼女もうなずきながら黙々と食べていた。

 

 しばらく食べてからいったん箸を置いて話す。

 

「いや、おいしいね」

「それはよかったですわ」

 

 彼女も手を止めて嬉しそうに微笑んだ。笑顔が可愛かった。

 

李記錦(リキキン)甜麺醤(テンメンジャン)があってよかった。付属のは味がいまいちだったから……。あ、お母さんに話して調味料、お借りしましたわ」

「うん、それは構わないけど」

 

 いろいろ聞きたいけど、とりあえず食べてからだな。僕はそう思い食事を再開した。

 

        ・

 

「ごちそうさまでした」

 

 食べ終えたのはふたりともほぼ同時だった。彼女が立ち上がる前に、僕は食器を片づけた。そのまま彼女に聞く。

 

「お茶でいいかな」

「あ、あとはもう帰るだけなんで、いりませんわ」

「お茶くらい、飲んでいってよ。聞きたいこともあるし」

「うーん、あまり自信ないんだけど……わかりました。いただきますわ」

 

 彼女はぺこりとお辞儀をした。

 僕は来客用の茶碗を用意してお湯を沸かし、その間に彼女を横目で観察する。今は所在なさそうに椅子に座っている。シンプルな制服は彼女によく似合っていたけれど、なんとなく違和感を覚える。その理由は僕にはわからなかった。

 

 しばらくの間、ゆっくりとお湯が沸く音だけがダイニングに響いた。

 沈黙が(つら)くなったのか彼女が話す。

 

「お母さんと話したとき、居間の本棚、ちらっと眺めましたわ。ずいぶん本をお読みになるのですね」

 

 たしかに一角に大きな書棚が作り付けてある。

 

「家族の共有だけどね」

「ちょっと友人を思い出しましたわ。ライトノベルをお読みになるのですね」

「僕だけでなく、母さんもわりと読むから」

 

 父の仕事関係の本に加えて小説なども置いてあった。というかむしろ後者が圧倒的で――母と僕がふたりとも読むような本は自室でなく居間に置いてある。

 

「そうでしたか」

 

 彼女がうなずくのがわかった。

 僕は丁寧に緑茶を入れた。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 僕は茶碗を置いてからふたたび椅子に座る。

 まずは名前を聞かないと。彼女がお茶を一口飲んで、ふうっと息を()いたところで切り出した。

 

「それで、君の名前は?」

 

 映画の題名みたいな聞き方になってしまった。

 

「あ、それ聞くんですね……」

 

 彼女は視線をあさっての方にやって頭をかいた。

 

「いや、でも、僕は君のこと知らないし……」

 

 僕が純粋な疑問を口にすると、彼女は「そういう感じか。わかった」とつぶやいて、僕と目を合わせた。

 

「私立(うら)(ほし)女学院三年生、黒澤(くろさわ)ダイヤと申しますわ」

「ダイヤさん」

 

 僕がオウム返しにすると彼女は口元を引き締めて、うなずいた。若干だけれど珍しい名前な気がする。

 ただそれに言及するのは失礼なので、それきり黙ってしまった彼女に僕は話す。

 

「えっと、僕は神田橋高校の二年、佐倉(さくら)優樹。それじゃ、先輩ですね。失礼しました」

「いえ、お気になさらず」

 

 僕がぺこりと頭を下げると、彼女はあわてた様子で微笑んだ。僕は続ける。

 

「ダイヤさん、どうして料理なんか振る舞ってくれたんですか?」

「それは……。ええと、クリスマスも近いのに、ひとりで過ごすあなたが不憫(ふびん)だからですわ」

「ひとり?」

 

 数日後のクリスマス、家族と過ごす予定だけれど……。ああ、彼女がいない、ということか。それなら当たっている。押しかけ彼女的な感じなのだろうか。

 

「か、感謝してくださってもよろしいのですわ」

 

 ほんのり頬を染めて彼女は話した。

 僕の戸惑いは消えるどころか大きくなっていたけれど、たしかに料理は素晴らしかったし、可愛い女の子の手料理を、さらに一緒に食べられて、嬉しかったことは間違いない。

 

「うん。改めて、ありがとうございました。とても美味しかったです」

「そ、それはよかったですわ」

 

 彼女は真っ赤になった。

 僕はくすっと笑ってしまう。僕の視線に気づいたのか、彼女はわざとらしく窓の方を向いてお茶を一口、飲んだ。

 この感じならすこし話しても大丈夫だろう。僕は聞いてみる。

 

「浦の星女学院って、どこにある高校なんですか? あまり見たことのない制服だけど」

「それもご存じないのですか?」

 

 彼女がびっくりした様子で(たず)ね、僕はうなずいた。仕方ないという感じで、彼女はふうっと息を吐いた。

 

「静岡県の沼津市、内浦(うちうら)にある小さな高校ですわ」

 

 それなら東京に住んでいる僕が知らないのも無理はないだろう。

 

「駿河湾に面した小さな港街で、自然がとても豊かで、いいところです。でも、入学希望者は年々減り続けて……廃校の瀬戸際といっても過言ではありませんわ」

「そうなんだ……。それは大変でしょうね」

「ええ、本当に」

 

 彼女はまた顔を逸らして続ける。

 

「生徒会長として、なんとかしなくてはならない。そう思っておりますわ」

「ダイヤさん、生徒会長ですか」

 

 今度は僕をしっかりと見つめてうなずく。

 

「はい。皆さんの助けもあってなんとか(つと)めていますわ」

 

 すごい人なんだ、と思う。でも、そんなところから、どうしてここに?

 

「今日はわざわざ、東京まで来たんですね」

「ええと……ちょっと部活関係のイベントがありまして」

「部活?」

「スクールアイドル部、ですわ。その、意外でしょうか?」

 

 スクールアイドル部とやらは聞いたこともなかったけれど、彼女がなぜか恥ずかしそうだったのでそれ以上は聞かないことにした。

 

「で、どうして僕の家に?」

「それは……こちらまでわざわざ来たのですから、その、あなたの彼女としては当然ですわ」

 

 彼女はまた、真っ赤になってしまう。

 僕には彼女がいた覚えはない。それもこんなに可愛い子は。もしかして彼女はヤバい感じの人なのだろうか。とてもそうは見えないけれど――とりあえず話を合わせたほうがいいのだろうか。

 

「ええと、うん、ありがとう」

 

 彼女はこくりとうなずくと下を向く。

 

「すみません、このくらいでいいですか……もう限界で……」

「あ、うん。なんだかわかんないけど、どうぞ」

 

 彼女は僕と視線を合わせず、ふらふらと立ち上がった。部屋の片隅に置いてあった(かばん)(どうやら保冷バッグのようだ)へ近づく。

 僕もあとを追った。

 

 彼女は鞄からなにかを取り出す。後ろで留めてあった髪をほどくと、黒髪が背中のなかほどまで、さわさわと広がった。

 僕に向きなおり、まだすこし赤みの残る顔で、健気(けなげ)な感じに笑う。

 

「これで最後ですわ。はい、メリークリスマス」

 

 そういって彼女は緑の包装の小ぶりの――DVDケースくらいの――箱を僕に差し出した。丁寧に赤いリボンで飾られている。

 

「あの、いただく理由がないけど」

「いまさら困りますわ。はい、どうぞ」

 

 彼女は僕に押し付けるようにそれを渡し、僕が戸惑っているうちにさらに鞄から、今度は一枚の紙を取り出した。

 

「すみませんけど、受け取りにサインをお願いします」

 

 どうして最後は即物的なんだろう。疑問に思いながら、それでも受け取る。

 先頭に書かれた宛名を見て、僕はつぶやく。

 

「……佐倉(さくら)優希(ゆき)

「えっ?」

 

 彼女があわてて僕の手元を覗きこんだ。続けて僕を見る。

 

「失礼ですが、お名前は……?」

「佐倉優樹(ゆうき)、だけど」

「あっ……」

 

 彼女の顔から血の気が引くのがわかった。

 

        ・

 

「もしかして、やっちゃったか、私」

「えっと、どういうこと?」

 

 彼女は顔を合わせずに話す。

 

「これ、商店街の企画なんです。あなたの推しが手料理をご馳走(ちそう)する、っていう……。佐倉さん、ラブライブ!サンシャイン!!って知らない?」

 

 彼女は顔を上げて聞いた。

 

「名前は聞いたことあるけど。たしか、アニメだよね」

「うん、結構人気なんだけど、知らないか。そっか……あっ、今はそれどころじゃないや。だからか、なんか変だったの」

「企画、っていってたけど、もしかして……」

 

 僕は手元の紙をもう一度、眺める。宛名は佐倉優希で、住所は――うちと同じくマンションだけれど、うちじゃない。隣の町内だ。マンション名がよく似ていて間違える人も多い。向こうの佐倉さんあての郵便物がうちに届いたこともある。

 

 ようやく合点がいった。この佐倉優希という、たぶん女の子はそのアニメのダイヤさん推しで、商店街の企画に当選かなにかをして――目の前の彼女は住所を間違えたのだ。

 

「どうしよう……。もう一度、食材を買い直して……でも、商店街じゃ買えないか。どこで買おうかな。あっ、時間!」

 

 僕は壁の時計を指さす。彼女の手際の良さもあってか、まだ十二時を過ぎたところだ。

 

「まだ間に合うかも。ごめんなさい、佐倉さん。改めてお()びするけど、とりあえず失礼します!」

 

 彼女はぺこっと頭を下げ、鞄を片手に玄関へと急ぐ。

 

「待って、これ! プレゼントと受け取り!」

「あっ、そうだ。すみません」

 

 くるっと回れ右した彼女に渡すと、彼女は丁寧に鞄へ入れた。

 僕は思わず話す。

 

「僕も行きます」

「えっ、そんな。理由がないから」

「でも、買い出しでしょ。手伝います」

 

 どうも彼女はちょっとそそっかしいところがあるらしい。放っておけなかった。

 

「手料理も、ご馳走になったしね」

 

 彼女が悩んでいたのは一瞬だった。大きくうなずいてもう一度、頭を下げる。

 

「よろしくお願いします!」

 

 僕は財布とスマートフォンだけ手にする。思いついて冷蔵庫から李記錦の甜麺醤を取ってきた。

 

「はい、これ。あった方が速いでしょ」

「ありがとうございます!」

 

        ・

 

 マンションの廊下を小走りで急ぐ。

 

「このへんにスーパーとか、あるかな」と彼女。

「うん、ちょうど向こうのマンションとの間にあるよ」

「よかった。商店街で買うのは、さすがに恥ずかしいから」

 

 エレベータに乗って、僕はたずねる。

 

「回鍋肉って、もしかしてそういう要望なの?」

「はい、リクエストで」

「なるほど」

 

 クリスマスには相応(ふさわ)しくない気もするけれど、手料理ということならありなのかも。

 エレベータの扉が開いた。

 

「あの、先にあちらに連絡とか、したほうがいいんじゃ」

「そうですね」

 

 エントランスホールで彼女はさきほどの紙とスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。僕は隣で待った。

 

「はい、ちょっと手違いが、いや、私の方です。……。あ、起きたばかりだからちょうどいい? すみません。……。はい、すぐに行きます」

 

 電話を切って僕に微笑む。

 

「多少、時間あるみたい」

「よかった。でも、急ごうか」

「はい!」

 

 僕の案内で徒歩五分ほどのスーパーへ向かう。スーパーでは食材を分担して探し(僕は野菜を担当した)、購入した。

 スーパーを出て、また五分も歩けば向こうのマンションだ。

 ずっと速足だったので、彼女と会話する時間はほとんどなかった。

 例外は国道を渡るときの、じりじりする信号待ちくらいだった。

 

「どうしてうちに来たのか、だいたいわかったと思うけど、これからその優希さんのところで料理するんだ」

「ええ、もう一度になりますね」

「しかし、変な企画だね」

「私もそう思うけど、知り合いに頼まれちゃって仕方なく……。雰囲気が似てるからって」

「ふーん」

「むしろ私、千歌(ちか)ちゃん推しなんだけど」

 

 千歌ちゃん、とはたぶんそのアニメの別のキャラクタだろう。

 僕は改めて彼女の姿を眺める。制服がなんとなくちぐはぐに感じたのは、コスプレ衣装のせいだろう。でも、似合っていることに間違いはなかった。

 時ならぬ運動のせいで彼女の上気した頬が、さらに朱を帯びる。

 

「ちょっ、()めてください」

「あ、ごめん」

「青になりました!」

 

 交差点を渡ると、マンションはすぐ近くだった。

 エントランスの前で、僕はスーパーから手にしていたキャベツとピーマン、ネギを手渡す。

 

「それじゃ、がんばってください」

「はい、本当にありがとうございました」

「いや、手料理のお礼だと思えば安いものだよ。美味しかったし。きっと優希さんも喜ぶと思う」

「そういわれると、恥ずかしいな」

 

 彼女は、はにかむように笑って続ける。

 

「甜麺醤、終わったら返しに行くから」

「あ、そうか。うーん、返してくれなくてもいいけど」

「ずいぶん残ってるから、そういうわけには……」

 

 ふと視界の端に、チェーンの喫茶店の看板が目に入った。

 

「それじゃ、あそこで待ってるよ」

「え、いいのかな。時間、ちょっと掛かるけど」

「うん、どうせ暇だし」

「すみません、よろしくお願いします」

 

 彼女は頭を下げると、マンションのエントランスへ向かった。

 

        ・

 

 喫茶店に入ってとりあえずコーヒーだけ頼み、入り口が見える席に座って待った。

 

 その間にぼくは「ラブライブ!サンシャイン!!」について調べた。僕はオタクとはいってもラノベやコミックが中心で、アニメはせいぜい、読んでいるラノベ原作のものを見るくらい。だからそのアニメも女の子が沢山出てくるアニメ、くらいの知識しかなかったのだが――調べてみるとたしかに九人の女の子たちが主人公だけれど(ダイヤと千歌もそのうちのふたりだ)、いわゆる日常ものではなくて、山あり谷ありの群像劇らしかった。

 がぜん僕は興味を()かれた。ただ、公開されている全十三話のあらすじを読んでしまうのは、惜しかった。どうせなら白紙で見てみたかった。

 だから僕は途中で切り上げて(キャラクタ紹介から薄々、察せられる内容もあったけれど)、彼女を待った。

 

 何度目かの扉が開く音がして、予想よりも早く、彼女が現れた。僕は手を上げる。彼女が小さく、手を振り返した。

 まるでデートの待ち合わせみたいだ。

 

 コーヒーのカップを手にした彼女が、僕の向かいの席に座る。

 

「お疲れさまでした」

「どうも、わざわざすみません」

 

 頭を下げる彼女。

 たしかに彼女は、さきほど調べたダイヤによく似ていた。

 

「無事に終わった?」

「はい、なんとかなったかな」

 

 にこっと笑う。

 

「そっか」

 

 彼女はようやく落ち着いた様子でコーヒーを一口、飲んだ。

 そういえば、名前を聞いていなかった。

 

「あの、よかったら名前、教えてほしいんだけど」

「あ、そうか。坂本(さかもと)遥香(はるか)です。よろしく」

「こちらこそ、改めてよろしく、坂本さん」

「あの、本当にすみません。突然押しかけて、さらに買い出しを手伝ってもらっちゃって……」

 

 また平謝りする彼女、坂本さんを僕は押しとどめる。

 

「もうそれは大丈夫。でも、大変だったね」

「うん。だけど私のミスだから。仕方ないかな」

「商店街の企画、っていってたけど」

 

 それも、推しの手料理を食べられる、という。

 彼女はふうっと息を吐いた。

 

「ときどき妙な企画、やるんだよね、あそこの商店街。今回、当選した子がダイヤさんのファンで、私に声が掛かって」

「向こうの子には、喜んでもらえた?」

「ええ、そうみたい」

 

 彼女は頬を緩める。

 

 推しが来てくれたらたしかに嬉しいだろうな。見ず知らずの子でも、嬉しいけど。

 

「僕にはよくわからないけど、たしかにダイヤさん? に、なりきってたもんね」

「改めていわれると、恥ずかしいかな……。でも今度は、料理が終わったら帰って来ちゃった」

 

 だから早かったのか、と思う。ん、でも――。

 

「それじゃ、僕と一緒に食べたのは……」

「それは、どこまでやるのか、わからなかったから。佐倉さん……優樹さんがすごく自然に話してくれたので、これ、乗らなきゃダメなのかなって」

 

 まあ、なにも知らないのだから自然になるのは間違いない。

 

「初対面設定らしいぞって。よく考えたら、初対面なのに彼女って、すごく変だよね」

「たしかに」

「料理してプレゼント渡すだけのはずなのに、おかしいとは思ったんだけど」

「それは……なんだか、ごめん」

 

 いえ、私が悪いんだから、と彼女はまた謝った。

 

「いやー、それにしても恥ずかしいなあ。私、なにやってたんだろ、ほんと……」

 

 彼女がなにか(もだ)え始めたので、僕は話題を変える。

 

「ラブライブ!サンシャイン!!、ちょっと調べてみたんだ」

「あ、どうだった?」

「なかなか面白そうだね。興味が出たよ。まだストーリーは確認してないけど」

「それじゃ、そのまま見てほしいな。損はさせないから」

「わかった」

「いや、楽しみだなあ。μ's(ミューズ)もそうだけれど……あ、μ'sっていうのは、前シリーズのグループだけど」

 

 その名前はさきほど確認していた僕は、うなずく。

 

Aqours(アクア)もキャラクタとその関係性が、いいんだよね。友情だけじゃなくて、でも等身大で……大学生の私にも、響くところがあって」

「えっ」

「あれ? なにかおかしなこといった?」

「大学生って……」

 

 ああ、そうか。制服が『浦の星女学院』のものなら、彼女は必ずしも――。

 

「こう見えても、大学二年生だよ、私」

「すみません、すごく先輩ですね」

 

 居住まいを正した僕に彼女はいう。

 

「気にしないでいいよ。でも、そっか、高校生でも通るか……うーん、嬉しいようなそうでないような」

「えーと、よくお似合いです」

「ありがとうございます」

 

 彼女はまた微笑んだ。

 

 それから彼女は、ラブライブ!サンシャイン!!とAqoursの魅力について、ストーリーには触れずにひとしきり説明してくれた。

 僕も話を振られて、今、夢中になっているラノベの話をしたりして――。

 

 ふと気づくと窓の外は暗くなっていた。

 彼女もスマートフォンを取り出す。

 

「あれ、もうこんな時間か」

 

 女の子とこんなに話したのは、ひさしぶり――いや、初めてかもしれない。

 あわてて店を出て、店の前で僕はもう一度お礼をいう。

 

「今日はありがとうございました」

「それはこっちのセリフだよ」

「ダイヤさんがどんな人か、アニメを見るのが楽しみです」

「変な先入観、植え付けちゃったかな」

「大丈夫だと思いますよ、その……とても素敵だったから」

 

 止めてよ、と彼女は照れたように視線を逸らした。顔を赤らめて、ぽつりと漏らす。

 

「うん、でも、本当のことをいうと、すこし楽しかったかも」

「それじゃ、今度は千歌ちゃんになったらどうですか」

「千歌推しの人がいたら、ね」

 

 彼女は肩をすくめる。次の言葉はごく自然に出てきた。

 

「あの、連絡先、交換してもらっていいですか?」

「えっ? うん、もちろん」

 

 僕たちはスマートフォンを取り出してアドレスを交換した。

 

「アニメを見たら、感想、聞かせてよね」

 

 彼女はそういって手を振り、僕に背を向けた。

 数歩歩いて、あわてて戻ってくる。

 

「これ、忘れるところだった。はい」

 

 李記錦の甜麺醤だ。僕は笑いながら受け取る。

 

「危ない危ない。それじゃ、またね。優樹さんが誰推しになるか、楽しみにしてる」

 

 彼女は微笑む。その微笑みは彼女がダイヤさんだったころと同じく、可愛かった。

 

 今度こそ彼女は振りかえらず、僕も自分のマンションへと歩き出す。

 思わぬクリスマスプレゼントをもらった。そう思いながら。


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