花のうへの露   作:なんじょ

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 奥州の空を覆った黒雲は始め雨を、やがて細雪を降らせた後、風に運ばれて消えた。地面に薄く積もった雪も溶け去り、今宵はさえ渡った月が空を飾っている。

 その夜、政宗はその明かりを浴びながら、月見酒を楽しんでいた。開けた障子に寄りかかって立て膝に肘を置き、ゆるりゆるりと杯を進めていたが、

「小十郎」

 腹心の部下が廊下を渡ってきたのに気づき、手を止める。自室に下がった政宗を小十郎が訪ねてくるのは、事が起きた時だけだ。

「お休みのところ、申し訳ありません。政宗様」

 折り目正しく膝をつく小十郎へ頷き、

「どうした。何かあったのか」

 促すと、小十郎はぴんと背筋を伸ばして、口火を切った。

「石田三成の件、報告に参りました」

「まさかまた、どこか襲われたっていうんじゃねぇだろうな」

 石田と対決した後、政宗はあの山の近隣へ、特に強固な部隊を派遣し、虱潰しに探索を行わせていた。政宗自身も、このところ毎日馬を駆って熱心に探したのだが、その消息は杳として知れなかった。

 これでまた悲しい報告を聞く羽目になっては、悔やんでも悔やみきれない。そう思って顔をしかめた政宗だったが、小十郎は否と言う。

「石田三成を見つけたのは、南東の千木(ちぎ)へ派遣した見回り組です。石田自身は政宗様との戦いで負った傷が癒えておらず、容易く捕らえられたそうなのですが」

 そこで今度は小十郎が眉間にしわを刻む。

「そこへ石田の味方らしき、面妖な男が現れ、あっと言う間に石田を連れ去ってしまったのだそうです」

「面妖な男? どんな奴だ」

「見た者の話では、全身に包帯をまとい、空を漂う無人の輿に乗り、その周囲に赤子の頭ほどもある大きな玉をいくつも浮かばせた、何とも不気味な男だったそうです」

「……そいつは何のJokeだ?」

 面妖も面妖、まさか部下が嘘の報告をしまいが、幽霊か妖怪かと思うような風体ではないか。

 小十郎も今一つ信じかねているのか、首をひねってはいるが、

「ただ、その男を石田は『刑部』と呼んでいたそうです。……豊臣軍にあって、刑部少輔に任ぜられた者と言えば、大谷吉継がおります」

「大谷吉継……そいつは確か、病人じゃなかったか」

 以前は、良策を持って国を治める賢君と評判の男だったが、ある時不治の病に冒され、表舞台から姿を消したと政宗は記憶している。

「左様。しかし、このたびの男が大谷であれば、いかなる力によってかは分かりませぬが、己で自由に出歩く術は手に入れたようですな。

 少し調べてみましたが、大谷は石田と懇意にしており、豊臣亡き後、残った者を束ね、石田軍として組織している由。石田はあの通りですから、実質的な指導権を握っているのは、おそらく大谷の方でしょう」

「Hun……石田は体の良い御輿の飾りか。道理で、ずいぶん身軽に出歩いたもんだ」

 本拠地の大阪から奥州まで、仮にも大将を勤める男が一人で、主の敵を追い続けるなど、尋常ではない。豊臣を失ったばかりの軍の志気にも関わりそうなものだが、そこは大谷という男がうまい具合に計らっているのだろうか。

「ともあれ、石田と大谷は国外へ逃亡した事は確認致しました。これより後、一層監視を強化し、二度とあのような惨事を引き起こさぬよう、手配り致しましてございます」

「あぁ、ご苦労だった。……小十郎、ついでといっちゃ何だが、今日徳川からまた、会見の申し出があったな」

 ふと思い出して口に出すと、小十郎は居住まいを正した。

「左様でございますな。書の内容は、以前と代わりなく、戦の世を無くす為に手を結ぶというようなものでしたが」

 阿呆の一つ覚えのようだ、と苦笑いをしながら、しかし政宗は以前とはやや異なる思いでその書に目を通した。掛け値無しに本気で、絆の力とやらで麻布のように乱れる日ノ本を沈めようというのは酔狂きわまりないが、相手が徳川というところに政宗は興味を引かれた。

「徳川といやぁ、以前は豊臣の配下にいたな。あの男……石田三成と交流があったか、知ってるか、小十郎」

「徳川と石田が、でございますか。さて……豊臣の配下にあって、どちらも武勇を誇っておりますれば、共に要の戦に投じられる機会は多かったろうとは思いますが」

 そこまで調べがついていないのか、小十郎は首をひねる。

「しかしもし豊臣時代に親交があろうと、豊臣の没した後は断絶状態でしょう。何しろ徳川は豊臣秀吉の負け戦で、助勢せず静観を通しました故、裏切り者のそしりを受けております。どんな理由であれ、豊臣を裏切った者を、あの男が許容するとは思えませぬな」

「Hun……」

 猪口を畳に置き、政宗は顎に手を当てた。

「なら、石田の敵は武田上杉のみならず、徳川も含まれるって事だな」

「……石田の敵であればこそ、徳川と手を組む。そのおつもりですか? 政宗様」

 小十郎は主の意図を組み、慎重に言葉を選ぶ。政宗は膝の上に頬杖をつき、ニヤリと笑ってみせる。

「野郎はこのオレに喧嘩を売りやがったんだ。石田に殺された連中の為にも、敵討ちなんてくだらねぇ事で、戦を起こそうなんて奴を放っておけねぇだろ」

 かつて、人質に捕られた父もろともに敵を射殺し、その後酸鼻を極める戦で心を限界まですり減らした政宗であるからこそ、敵討ちがどれほど徒花か、よく理解している。あの時の事を思い出せば、今の石田を見逃せるわけがない。

「……左様にお考えなのであれば、徳川と同盟を結ぶのは良きお考えかと存じます。

 奥州は織田の侵攻より立ち直ったばかりで、戦にはまだいささか不安が残るところがございます。さて同盟となれば、石田と対するは上杉、または武田となりましょうが……」

「上杉は武田のおっさんが倒れてからこっち、すっかり一線から退いて隠居の身。武田は真田幸村を頭(かしら)に奮闘してるようだが、あいつと同盟するってのは、どうもな」

 長年の宿敵として幾度となく対決してきた相手だ。憎んでいるわけではないが、今更手を取り合うという選択肢は、政宗にはない。小十郎もそれは理解していて、頷きながら、

「私の方で調べてみましたが、徳川に付き従う者は日々その数を増している模様。本多忠勝を擁している点も考慮すれば、今の徳川は伊達の同盟相手として、不足はありますまい」

「あぁ。このところ屋敷に閉じこもりっきりで、身体がなまっちまってるからな。ここいらでそろそろ、派手にPartyといこうじゃねぇか、小十郎」

 政宗の言葉に、小十郎はしっかと頷いた。

「政宗様の背中はこの小十郎がお守り致します。存分になされよ」

 決まりきった、それでいていつも口にする誓いを新たにするようなその言葉に、政宗は微笑をもって応えた。しかし、用件を終え下がろうとする小十郎に、政宗はもう一つの気がかりを投げつけた。

「小十郎、朝顔はどうしてる」

「っ」

 びく、と一瞬震えた後、小十郎の顔からすうっと表情が抜けた。

「……一時は命も危ぶまれるほどでしたが、稲尾の尽力により、持ち直して小康状態となっております」

 固い声で応える。政宗は目を細めた。

「あれからもう四日経つが、意識はまだもどらねぇのか」

「は……何分、容態は一進一退でありますれば……」

「世話は十分にしてるんだろうな? 小十郎」

 念のため確認すると、小十郎は目を伏せながら、はいと言った。

「稲尾の進言もありました故、身柄は元の部屋に戻し、昼夜問わず、付き人をつけております。目を覚ませばすぐ、知らせが参りましょう」

「そうか。ならいい。……身上はどうあれ、あいつは奥州のために命を張ってくれたからな。恩を仇で返すわけにもいかねぇ。薬の類(たぐい)を惜しむな、必ず命を救ってやれよ」

「……は。ご命令とあらば、しかと心得ました」

「…………」

 小十郎は無表情だが、苦しそうだ。先ほどまでとは一変、ぴりぴりと張りつめた空気を発する小十郎を、政宗は哀れに思った。

「……小十郎。お前、朝顔に惚れてるのか」

 このままでは、生真面目な腹心がいずれ壊れてしまうかもしれない。それを危惧し、からかう時以外では触れる事を避けていた質問を、政宗はあえて口にする。

「……滅相もございません」

 びしり、と音がしそうなほど緊張しながら、小十郎は固く言い放った。無表情は崩れたが、苦悩の色が強く浮き出、滅多に見ないような険相になっている。無理はするな、と政宗は気遣った。

「惚れちまったなら、それは仕方がねぇだろ。自分の気持ちを押しつぶすような真似はするなと、言ったのはお前だぜ、小十郎」

 かつて苦難に面した時にかけられた言葉を返してみたが、小十郎の頑なな態度は崩れない。

「この小十郎が何よりも尊ぶは、政宗様の御身のみ。女人にうつつを抜かす暇などございません。まして、あのようなしのびの者に心を許すなど、天地が逆さになってもあり得ませぬ」

「……小十郎」

 政宗は小十郎の、一種狂信的なほどの忠誠心を知っている。自身が優れた力を持ちながら、下克上を企むでもなく、政宗の器量を信じて、ただひたすらにその身を捧げる忠臣を、政宗は己の失った右目とも、兄とも思い、大事にしている。

 だが、だからといって、小十郎自身の望みをも捨てさせたいわけではなかった。

「……朝顔に騙されたのが、よほどShockだったらしいな」

「っ、政宗様」

 怒りにも似た苛立ちを声に滲ませ、政宗は立ち上がった。聞き捨てならない、と目を見開く小十郎に向け、

「今のお前は視野が狭くて、てんでなっちゃいねぇぜ。Partyもいいが、まずはてめぇの始末をつけてきな。それが出来なきゃ――今のお前に、俺の背中が守れるのか?」

 政宗は冷たく聞こえるほど強く言い放つと、部屋に入り、ぴしゃりと障子を閉めた。そのまま外の気配を窺うと、

「……御前、失礼を」

 間を置いて、小十郎の影が動き、静かに廊下を立ち去った。それを隻眼で見送った政宗は、ため息をついて床の徳利を拾い上げた。くい、と煽って残りを干し、

「Get up early、朝顔。……あぁして、お前を待ってる奴がいるんだからな」

 静かに呟いて、目を閉じた。

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