花のうへの露   作:なんじょ

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 何も見えない、真っ暗。自分の体が消え失せて、心だけ浮いているような感覚だ。時に見える世界はぐるぐる回っていて、何一つ捕らえられない。気持ちが悪い。吐きそうだ。頭蓋をヤスリでこすられているようで、激しい痛みに何もかも投げ出したくなる。

 今にも自分が全て無くなってしまいそうで怖い。けれど嬉しい。このまま消えてしまえたら、どれだけ幸せだろう。そう思う合間に、光の瞬くがごとく、懐かしい光景がちらつく。これまで目にしてきたもの全てが一時とどまってはすぐに消え去り、目まぐるしい。

 ――死ぬんだろうか。

 無感覚と激痛に翻弄されながら、うつろに思う。自分は死ぬんだろうか、だからこんなに昔の事を思い出すのだろうか。それなら、早くしてほしい。

 ――もう、何も見たくない。

 次々現れる光景から目をそらしたくてたまらない。嫌だ、何も見たくない、全て消えてしまえばいい。

 ――誰か――

 意識は再び奥へ押し込められ、急速に遠ざかっていく。闇の中でもがきながら、叫ぶ。

 ――早く、とどめを刺しておくれ――

 その願いを最後に、全てが黒に塗りつぶされた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 夜の森は静寂に沈んでいる。月が姿を隠した今宵は、一寸先も見えないような暗闇だ。が、自分には何の障害にもならない。なぜなら闇は己が住まう場所だから。

「シッ」

 口から鋭く息を吐きながら木の枝を蹴って、体を前に押し出す。枝葉をのばす木々の黒い影が、視界の中で線となって前から後ろへ流れ去り、次々と風景が切り替わっていく。

 びゅうびゅう鳴る風の間へ滑り込むように、しばし空中を跳んだ後、目の前に次の枝が迫ってくる。

「!」

 とその時、違和感が警鐘を鳴らす。ちらっと左方へ視線を流すと、同じように樹上を移動しながら、こちらの後をついてくる人影が見えた。

(チッ)

 舌打ちしつつ、枝に着地してさらに跳ぶ。空を舞いながら後ろの気配を探ったが、まだ、こちらが気づいたことを察した様子はない。

 ならば、と次の着地地点に定めた木に向けて、体勢を調整する。かくんと高度が下がり、体は枝に届かず、目前で落ち掛かった。

 そのまま落下する、というところで腕を伸ばし、枝をつかんだ。しゅるっと撫でるようにその手を下方向に滑らせ、枝を軸に体を回転させる。視界がぐるりと上下逆さまになる中、宙で身をひねって背後に向き直った。そして枝の上に体が浮かんだ瞬間、交差させた手中に針を握り込むと、

 シュッ!

 一気に腕を振り、後に続く影に向かって放つ。

「うわぁっ!?」

 幾本もの針が吸い寄せられるように影を襲い、悲鳴、続いて地面に落ちるどどん、という派手な音が響いた。

 それを確認し、枝を蹴って音の源へ向かうと、地面に着地する。そして、イテテと呻く人影を見て、呆れ顔になってしまった。

(やっぱり、こいつか)

 腰に手を当てて見下ろすこちらを見上げ、そいつは口を尖らせる。

「あっぶないなぁ、姐さん。いきなり攻撃してくるこたないじゃないか」

「佐助。あんた、こんなところで何してるんだい」

 地面にうずくまるのは、緑と茶のまだら模様が描かれた忍び装束に、狐色の髪を短く整えた、十四、五の子供だ。まだ痛みに顔をしかめながら、少年――佐助は立ち上がる。

「何って、姐さんの手伝いしようと思ってさ」

 佐助の口調は軽快で屈託がない。一方、こちらは自然と不機嫌な声音になってしまう。

「……そんな事、頼んだ覚えないよ。お頭があんたに命じたのかい?」

「いや。俺様の気遣いだよ。俺様、ちょーう気が利く男だからさー」

「…………」

 思わず、ふーっ、と大きなため息をついてしまう。筋は良いのにこの少年は、勇み足がすぎる。あんた馬鹿かい、と蔑む言葉が口をついて出る。

「佐助、あたしは別命あるまで待機と言ったはずだよね。これが初仕事のくせに、あんたみたいなガキが、あたしの何を手伝えるって言うんだよ」

「あっ、それ差別だぜ、姐さん! 知ってるだろ、俺様、下忍の中じゃ一番なんだぜ。だからお頭だって、今回の仕事を任せてくれたんだ。お前なら出来るはずだって太鼓判押してさ。

 だからさ、ほら、姐さんはもっと俺様使っておこうよ、損はさせないって」

「…………あんたねぇ…………」

 まるで商人の口上のごとく、身振り手振り交えてまくし立てる佐助を、呆れ半分感心半分で眺める。

 確かに、佐助の技術が若いしのびの中で際だっているのは本当だが、どうやら初仕事でずいぶん力が入っているらしい。

(早く手柄を立てたいってのも、分からなくはないけどね)

 だからといって、こんな我が儘を見過ごすわけにはいかない。佐助がなおもまくし立てるのを、

「黙りな」

「えっ」

 眼前に手を突きだして止めると、すう、と気を張る。一転、刺すような気迫が体から吹き出し、それに圧されて、佐助は硬直した。虫を針で縫いつけるように、佐助をその場に張り付けたまま、

「命令一つ聞けない馬鹿を、ほいほい連れて歩けるわけないだろ。帰りな、今回だけは見逃してやるから」

 ただし、と氷の声音で言う。

「次同じ事をしたら、今度は外さない。――分かったね?」

「っ!」

 手首をひねって針を掌中に生みだし、佐助の眼球に触れそうなほど、間近まで針先を寄せる。さぁっと佐助の顔から血の気が引いた。こぼれ落ちそうなほど目を見開き、最近出てきた喉仏をこくり、と上下させ、

「わっ……分かったよ、桔梗姐さん。もう、こんな事しない。約束する。本当、本当だって!」

 ひきつった声で答える。それを射すくめる眼差しでじいっと見つめた後、姐さんと呼ばれた女、桔梗は、針を引いた。脱力して胸をなで下ろし、ひえぇ、とため息をつく少年。

(全く、手のかかる奴だよ)

 悪い子ではないのだ、ただ調子に乗りやすいだけで。愛嬌があるこの少年を気に入ってはいたので、桔梗は苦笑いすると、

「焦らなくても、必要になれば、嫌でもあんたを使うよ。それまで大人しくお待ち」

 ぺちん、と少年の頬を一つ、軽く叩いた。そしてそのまま背を向け、

「ふっ」

 一つ息を吐いて地面を蹴り、頭上高く生い茂る木々に向かって跳ぶ。

 姐さん、と佐助の呟く声が、鋭く発達した桔梗の耳に届いたが、それもすぐに遠ざかっていった。

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